scene:03 一縷の望み
「待ちたまえ、
その声は、空間を固着させる圧力を伴って。
魔杖の黒い光を手で遮り、ルシャワール帝国皇帝――ヒロト・ラキシア・ヤマシタ・ルシャワールはカラス達に宣言する。
「彼女は僕の
「……お
困ったように
しかし、その瞳からは一切の感情が消えていた。演者のアドリブを許容する気は無いらしい。
されど、ヒロトも引かなかった。
あくまで友好的な笑みで『誤解を訂正する』という
「本当さ。彼女は我が軍の情報部の人間だ」
サラリと、そんな
一体何を言って。
エリザは動揺する。だが幸か不幸か、肉体を拘束する魔力はエリザの内心を覆い隠してくれた。でなければエリザを品定めしている
そんなエリザの肩をポンと
「彼女は大事な長期潜伏任務の途中でね。
ここで彼女が死ぬと、三万の将兵の命が無駄になる」
「三万?」
「そうだ。
――三万の命を費やして、貴族の一人を帝国の人間にすり替えたんだからね」
カラスの群れが僅かに動揺する。
なにしろ皇帝が言い放ったのは、昨年の〔バラスタイン会戦〕はただエリザベート・ドラクリア・バラスタイン辺境伯という貴族を生み出す為だけに行った――という意味に他ならない。いや、ともすればあの会戦に至る全ての戦闘すらもが。
普通なら一笑に付す理屈。
だがヒロトの
帝国近隣諸国の誰もが疑問に思っていたのだ。
この百年、一切を飲み込みながら領土を拡大してきた帝国が、
ヒロトの言葉はその疑問に答えを与えるものなのだ。
耐えかねたかのように、一羽のカラスが
そしてヒロトは、カラス達の動揺を
「考えてみたまえ。彼女一人で現役の騎士団を倒せると思うか?
それも相手はあの『
皇帝は「〔ビアリストクの災い〕は
「なら彼女はどうやって生き残ったのか?
決まってる。――
「ッ!?」
思わずエリザは唯一自由な視線だけ動かし、皇帝の顔を見た。
一国の主が
そんな事がありえるのか。
だが同時にエリザには納得できる部分もあった。
――なにしろルシャワール皇帝ヒロト・ラキシア・ヤマシタ・ルシャワールの名は100年も前から語られているのだ。
けれども、そうしたエリザの驚きは
魔力の流れを視覚で捉えられる
そしてヒロトは、正体を知られている事を承知の上でそれを逆手に取り自身の嘘に重みを与えたのだ。
「どうしても彼女を殺すっていうなら……ま、仕方ない。今の僕には君たちを止める事なんて出来ないからね」
一転して、ヒロトはエリザを差し出すように一歩下がった。
そして、
「それは帝国の対王国戦略の遅延を意味する。
君たち現場の人間が判断できる
ヒロトに『中佐』と呼ばれた
恐らく自身の身分は秘しておきたかったのだろう。だが
だが、すぐに笑顔に戻り、
「
中佐の言葉と共に、エリザに向けられていた魔杖が下げられる。
途端、魔力で硬直させられていた筋肉が緩み、エリザはたまらず大きく息を吸い込んだ。正直あのまま放置されていれば、魔導式でトドメを刺されずとも窒息死していただろう。ひとまずではあるが助かった。
エリザは苦しげに
――
単にマリナさんならそうするだろうと思っただけだけど。
そもそも床に突き立てていた〔
「これから魔獣が潜む道を行きますが、どうかご安心を」
「ああ。君たちが
「ふふ……では行きましょう。出口で仲間が待っております」
中佐は貼りついたような笑みをカラス面で隠し、「私も指揮に戻りますので失礼」とカラスの群れの中へ消えてしまった。
カラス達の黒
エリザは〔
連邦の
それはヒロトを逃がさぬようにというよりは、守る為のものに見えた。
ヒロトに死なれては困る。
きっと、それは本当なのだろう。
なら、どこが嘘なのか。
中佐は『王国による皇帝暗殺計画を阻止するためにやって来た』と語った。
正直、暗殺計画の存在自体は否定しきれない。主戦派の貴族がいかにも考えそうなことだし、シャルル七世陛下の周囲に主戦派の手の者が潜んでいないとも言い切れない。そして
けれど、とエリザは思う。
だからと言ってアルフヘイム連邦がそこに介入する必要があるのだろうか。
しかもアイホルト回廊などという魔獣が
連邦はそうまでして、ヒロトに何をさせようというのだろうか。
◆ ◆ ◆ ◆
「王国と帝国を潰し合わせたいのであろ」
マリナの「
背後の洞窟を親指で指し、
「大方、ヒロトを自分の所に閉じ込めて、都合のいい理屈を流して戦争を
「ヴォーラン?」
「連邦軍が秘密にしているつもりの、国外工作専門の部隊さ」
「なるほど」
マリナは思わず
つまり非正規戦用特殊部隊を用いて組織の指導者を誘拐。生かさず殺さず手元に置いて、操り人形にするわけだ。いや、操り人形にせずとも『指導者は敵の手により意識不明の重体になった』と言うだけでもいい。『カリスマ』が率いていた集団なら、信奉者が勝手に戦争を始める。
その際に指導者は殺してしまっても良いが、その指導者が戦時下において有能な指揮官であった場合は、戦争が後戻りできない所まで悪化してから解放する方が好ましい。そうすれば指導者は「負けるよりは」と戦争の勝利のために動き出すからだ。
そんな事を実行できるのは、正規軍以外に非正規戦用の部隊を常備できる国家だけ。
そして
となると、問題は――
「では連邦の方々はどちらに勝って欲しいのでしょう?」
「帝国であろうよ」
アトロは即答した。
「連邦の老害どもにとって王国騎士は、南進政策における長年の障害だからの。
〔教会〕を唆してダメだったのなら次は帝国でという事であろ」
「ふふ、お恥ずかしい限りですぅ」
ケイトが
「
「わたくしぃ、17歳なので難しいことは分かりませ~ん」
「それヒロトが言っとった“何とか教”か? なあ、結局あれはどういう――」
「あの」
こちらを置き去りにする二人の会話に、マリナは慌てて割り込む。
出来の悪い漫談など見ている余裕などないのだ。
「南進政策ってなんでしょう」
「なんだ。
思わず口にした疑問をアトロは鼻で笑う。
だがすぐに、マリナが
魔導士、アトロ・パルカは問う。
――『ミッドテーレ大陸で最も繁栄している人類種は何か?』と。
優れた魔導神経と他人種の十倍近い寿命を持つ
それとも巨大な肉体と膨大な
はたまた様々な生物の能力を併せ持つ
魔人種としての力を持ち合わせる
答えはそのどれでもない。
「
そう、アトロは断言する。
だが、
魔導神経は
では
「どこでも生きられるからだ」
言って両手を広げて見せたアトロは「対して」と続け、両手で小さな丸を作る。
「
なんでも
そもそも
当然、自身の
しかし魔力なら何でも良いというわけでもない。彼らの魔導神経は精霊樹が
精霊樹が無ければ肉体の維持すら
故に、
「だというのに、連邦の冬は長く厳しい。
気温が零下10度を下回ると、精霊樹の活動が極端に低下する。それは精霊樹の
故に
「よくご
語り終えたアトロに、マリナはそう水を向ける。
連邦の事情にしても教会の過去にしても、彼らが隠しているという特殊部隊の存在にしても、全てが断言口調。伝聞としてではなく、厳然たる事実として語っている。
まるで
そんなマリナの意図を、アトロ・パルカは正確に読み取る。
「
言って、アトロは口元を覆うマスクを外しフードを脱いだ。
現れたのは、ナイフのように
コミックで見たエルフそのものだった。
やはりか――マリナは目を細める。
魔導士然としたフードは長い耳を隠すため。
話の途中で察しはしたが、ファンタジーでしか見聞きしない人種を実際に目の当たりにすると少し感慨深いものがある。
「わかりました。信用します」
「いいのか?」
アトロは
「
「ええ、構いません」
別に身体的特徴で判断しようとしたわけではない。顔を見せた時の反応を
「ひとつお尋ねしますが、アトロ様はお幾つなんですか?」
「貴様、気軽に人の歳を――」
「今年でぇ、254歳ですよね~?」
「
「……
「う~んと、20歳になるかどうかでしょうかぁ」
「
…………
「
「おい貴様、
「なんでしたっけぇ、ヒロトさんが言ってたのって――あ、『ロリババア』!」
「
二人が
もうこの二人を止めるのにも疲れてきた。
正直、こういう仲良しごっこには苦手意識がある。
とはいえこれで敵と味方がハッキリしたのはありがたい。そうマリナは独りごち、スカートを翻す。
――たとえ味方が、ゆるふわ修道女と幼児体型の
「ではすぐにでも
「それは無理だな」
「
スカートからドラグノフを抜いた途端に出鼻を
それを、
「出発前にも言いましたけどぉ」
そっとマリナのドラグノフを押さえて、ケイトは入隊するよう
「回廊への転移先は入る“時間”と“鍵”によって変化するのでぇ~。しかもぉ、
「……別ルートから入り、彼らを探すというのは?」
「バカ言え。回廊の内部はこの星と同じ広さを持つ迷宮だぞ。遭難して終わりだ」
つまりだ、と言ってアトロは
軽く
「出口を探すしかない。その方が、僅かではあるが可能性がある」
「アテがあるのですか?」
「無い。――が、少なくとも数は限られている」
有限ならまだアテを付けられなくもない、という話だろう。
それでも困難な事には変わりないのか、アトロの目元は暗い。
「だが間に合うかどうか……」
「どういう事です?」
「回廊の内部とぉ、外とではぁ、時間の流れが異なるんですよぉ~」
ふざけてるな異世界。相対性理論呼んでこい。
マリナが「具体的には?」と問うとケイトは
「回廊の中だとぉ、こちらのおよそ10倍の早さで時間が過ぎちゃう感じですねぇ~」
「10倍……」
絶句する。
あれから既に30分――この世界で言う半刻は過ぎたろう。
なら回廊の中では5時間が過ぎたという事だ。
「――回廊を抜けるのに必要な時間は
「早ければぁ、中の時間で3刻ほどですねえ」
「ではもう
マリナの不安を、ケイトは「それは無いですぅ~」と笑い飛ばした。
「人質を抱えながらですしぃ、魔獣の駆除が済んでいない道を進むでしょうからぁ。中の時間で一日以上はかかるかとぉ~」
「そうだな」アトロは考えを巡らせるように視線を虚空へ飛ばし「……だが
「つまり――彼らが出てくるまで5刻も無いと?」
「ああ」
それはつまり日付が変わって1刻を経ているということ。
月が
アトロは視線を地上の二人に戻し、刻限を示す。
「夜明けまでに出口を見つけられなければ、二人は連邦の手に落ちる」
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