第3話 これが私の公女様
scene:01 円卓を燃やす種火
ダリウス・ヒラガという男がチェルノート城へ訪れるのは二度目だった。
ようやく雨は
そこかしこで
その様を、ダリウスは城壁近くから見守っていた。
もう二度と来るまいと思っていた。
――いや、正確には『来られないだろう』と思っていた。
ダリウスは知らず知らずの内に、
ダリウスはいわゆる
つい昨晩の事だ。その能力を期待され、エッドフォード伯爵家からバラスタイン辺境伯公女エリザベートの暗殺を命じられた。ルシャワール帝国の仕業に見せかけるため魔獣ティーゲルを用いて公女を襲い――返り討ちに遭った。
これだけ重要な命に失敗すれば、行き着く所は決まっている。
ダリウスには処罰――より正確に言えば、処刑が決まった。
なにしろダリウスは、エッドフォード家がバラスタイン家の公女を暗殺しようとした証拠そのものだ。政敵や憲兵に捕まって脳内の『思考洗浄』でもされれば、洗いざらい吐かざるを得ない。ならば
そうして処刑の日取りを待つばかりだったダリウスだが、たった半日で状況が変わった。
第二案実行のため、チェルノートへ出撃した炎槌騎士団の魔導士隊が全滅したのだ。
誰がやったのかは見ていなくても分かる。あのメイドだ。
それにブチ切れたエッドフォード伯爵家次男坊のリチャードは、【断罪式】で町を焼き払った上で、ダリウスを呼び寄せてある命令を下した。
それは『領民たちを扇動し、公女エリザベートを殺させろ』というもの。
成功すればダリウスは無罪放免。
失敗した時の事は考えたくないが、ダリウス一人の命では済まないだろう。二度も失敗したという事実から『
【断罪式】で町ごと焼かれてしまったグラマン
それでも今の所は、まずまず
騎士
その言葉に「どうやってだ?」や「俺たちを助けたいなら、いま死んでくれよ!」と返したのはダリウスだった。
〔音響制御式〕を使って誰の発言か特定できないよう偽装し、〔感覚共有式〕を応用して幾人かの避難民が感情的になりやすいように誘導。そうする事で領民たちの間に『公女を殺す』という選択肢を抱かせ、ダリウスの言葉に追随させた。
正直、扇動工作などは専門外もいい所なのだが、初めてにしては上出来だろう。
しかし、出来たのはそこまで。
公女が城内へ姿を消してから今まで、避難民たちが公女を殺そうと行動を起こすことはなかった。
――それでは困るのだ。
どうにかして話を『公女を殺して騎士様へ許しを請う』方向へと持っていかなくてはならない。幸い、常とは異なり商人も職人も農民も分け隔てなく話し合っている。羊飼いに偽装しているダリウスも会話に加わる余地はあるだろう。
だが、相手は慎重に選ばねばなるまい。
なら、アイツだ。
ダリウスは少し離れた場所の
先ほど、避難民の名簿を作るからと
名前は――『カヴォス』と呼ばれている。
あいつを懐柔できれば、あるいは。
そう考え、ダリウスは壁際を離れて歩き出す。
こちらへ背を向けているカヴォスへと一直線に近づき、声をかけるためその肩へ手を置こうとして、
「おい、あんた」
――その手を何者かに
ダリウスの手を
男はダリウスと目が合うと、ニカリと笑い、
「その
「……そうだが。一体何だ? 急に腕なんか
「おお、悪い悪い」
男は理由も言わずに、ダリウスの腕を放す。
「俺はエンゲルスってんだ。商会で荷役をやってる」
「……そうか」
一体何なんだ。一刻も早く避難民たちを扇動しなくてはならないこの時に。
そう、ダリウスはエンゲルスと名乗った荷役を
リチャードは刻限を夜明けまでと定めたが、実際にはその前に判断を下すだろう。時間を長く取ったのは単に、何の武器も持たない貴族とはいえ、平民が殺すとなればそれなりに準備と時間がかかると考えているからだ。いつまで
そんなダリウスの焦燥を知ってか知らずか、エンゲルスは妙に余裕のある態度で「一つ
「なあ、その腕の魔導陣って何に使うんだ?」
ダリウスは一瞬だけ緊張する。
畜産系の職業人が肌に魔導陣を描き込むことは別段珍しくもない。簡易な〔思考制御式〕によって牛や馬を操り、指示を飛ばす
だが本当の身分を隠している身としては、どうしても身構えてしまう。
それを悟られないよう、ダリウスは慎重に言葉を選ぶ。
「犬を操るのに使うんだ。羊に指示を飛ばしても言うことを聞かんからな」
「お! 本当か!?」
途端、エンゲルスは破顔してダリウスの両肩をバンバンと
それにつられて、ダリウスもエンゲルスが手を振った方向を見やった。
そこに居たのは、
男は何かの台帳を見ながら、他の荷役や鍛冶屋と
どこかで見たことがある。
ダリウスは記憶を探り、エンゲルスが発した『シュヴァルツァー』という名から一人の人物を思い出す。たしか、商会のまとめ役がそんな名前だったはず。――チェルノートという小さな町ではそれなりに発言力のある男だ。
シュヴァルツァーはエンゲルスの大声に気づくと、チラリと視線を飛ばしてから『ちょいちょい』と羽ペンを持ったまま手招きをする。「悪いな、兄ちゃん。ちょっと来てくれ」とエンゲルスはダリウスの背後に回り、その肩を押してシュヴァルツァーの方へと
そしてダリウスとエンゲルスが目の前までやって来ると、他の荷役たちを追い払うように手を振ってから、シュヴァルツァーは眉尻を釣り上げた。
「エンゲルス、てめえ
「すんません、旦那。つい――」
「……まあいい。で、あんたか? 羊飼いってのは」
「あ? ああ……」
「実はひとつ、頼まれて欲しいことがある」
状況が飲み込めない。
商会の主人が、羊飼いに何の用なのか。
ダリウスはその内心を隠すことなく「こんな時に何を頼むってんだ?」と
「あんたにしか出来ないことだ」
「だから、なんだそれは」
ダリウスが
「ここじゃ話せない。場所を移そう」
と、小声で告げて、視線だけで城の勝手口を指し示す。
怪しすぎる。
何か後ろ暗いことでもあるのか。
ダリウスはそこまで考えて、もしや――と、ある考えに至る。
そして探りを入れるため「せめて何に関係する事が教えてくれ」と、小声でシュヴァルツァーへと問いかける。
内心の
そしてシュヴァルツァーは、ダリウスが期待した通りの言葉を返した。
「公女様のことだ」
◆ ◆ ◆ ◆
野心と立場のある人間は、必ずと言っていいほど自身の運命を自分で決めたがる。
彼らは話し合いもするし、皆と協力もする。
だが、それは形だけだ。
話し合いの主導権を握って結論を誘導し、協力と言いながら他者を
そんな人間が「公女を殺さねば全員殺す」と神のような力を持つ存在に言われて、大人しく『町の皆で話し合って決める』なんて事をするだろうか?
――するわけがない。
つまりシュヴァルツァーという男も、そうだったということだ。
「さあ、こっちだ」
そう促され、ダリウスはシュヴァルツァーとエンゲルスと共に城内を進む。
先頭を歩くシュヴァルツァーの背中を眺めながら、ダリウスはほくそ笑んでいた。
なにしろ町の有力者に近づかねばならないと思っていた所に、まさにその有力者が向こうから声をかけてきたのだ。しかも『公女様のこと』を『他の連中に聞こえては困る』から『場所を移して』話したいという。そしてそれはダリウスの腕にある魔導陣を確認した上で『あんたにしか出来ないこと』らしい。
これで、シュヴァルツァーの頼みが『今度羊を商うから、助言が欲しい』なんてわけがない。
――十中八九、公女殺しの協力依頼だ。
望外の奇跡と言える。
と、シュヴァルツァーが唐突に立ち止まった。
「ここだ」
ろくに魔導灯も
確かここは――応接間だったはず。
シュヴァルツァーはその扉を開けて「さ、中へ」とダリウスを促す。魔導灯も
途端、部屋の魔導灯が
暗闇に慣れたダリウスの目が、一瞬だけ潰れる。
――と、
「お久しぶりですね」
ダリウスの正面。
応接室の上座で
エリザベート・ドラクリア・バラスタインだった。
どういう事だ?
ダリウスは混乱する。
ダリウスは膝を床につき、頭を下げる。
「これは公女様。お会いできたこと、大変光栄にございます。
――しかし失礼ながら、お会いするのは初めてかと存じますが」
「あら、そんなことはありませんよ?」
公女エリザベートは鈴を転がすような声で笑って、ダリウスの間違いを指摘する。
「昨晩お会いしたばかりではありませんか。――
――バレてやがる!
視線を床の
ダリウスは「畏れ入りますが公女様。どなたかとお間違えではないでしょうか?」と
ここは
避難民に殺させろとの命令だが、何とか
使う魔導式は〔爆裂式〕。本来
それでも娘一人を殺すには充分だ。
ダリウスは意を決して、〔爆裂式〕を放とうと立ち上が
「お待ち下さい、ダリウス様」
後頭部に硬い物を突きつけられた。
その声を、ダリウスが忘れるはずがない。
――痛むはずのない右腕が、再び痛みを訴え始める。
「ここで魔導式を使うのはお止めになった方がよろしいかと。――ダリウス様なら、この武器がどんなものなのか想像できますでしょう?」
ダリウスの背後にいるのは、
突きつけているのは、
――もう、どうにもならない。
「…………殺せ」
「はい?」
公女が、ダリウスの
「あんたを殺せなきゃ俺は終わりだ。手ぶらで帰るって選択肢は無えんだよ」
「どうして?」
「リチャードとかいう貴族が、公女様を殺したくてたまらないからに決まってんだろ。
……まあでも、本当は避難民を扇動して殺させろって話だったからな。俺が直接殺しても、任務失敗で処刑かもな」
そう、どうせ死ぬのだ。
ならばせめて、マシな死に方を選ぶべきだろう。
リチャード
「は、」
ダリウスの口から自嘲の笑いが
考えるまでもない。
ここで死のう。
だが舌を
ダリウスは公女を殺すべく〔爆裂式〕を放とうと右手を伸ばし、
「――火に入る羽虫こそ、円卓を燃やす種火となる」
あり得ない言葉を聞いた。
それはダリウスたちの同志――『憂国士族団』の仲間を示す
「お前……どうして、」
ダリウスが腕を下げたのを認めて、メイドはダリウスの正面に回る。
焼かれてボロ切れのようになったメイド服から
と、そこまで考えて気づく。
「お前どうやって――【断罪式】から生き延びたんだ?」
ダリウスが見上げた先。
そこには赤髪の
「エリザベートお嬢様のお陰でございますよ、ダリウス様」
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