第3話 これが私の公女様

scene:01 円卓を燃やす種火

 ダリウス・ヒラガという男がチェルノート城へ訪れるのはだった。


 ようやく雨はんだが、いまだ月も顔を見せない曇天。

 そこかしこでかれ始めた火のあかりだけが、ぼんやりとチェルノート城の正門前広場を浮かび上がらせていた。避難してきた600名余りの町人たちは、幾つかの集団に別れてたきを囲んでいる。彼らの表情は一様に暗く、ボソボソと交わす言葉も陰鬱なものばかりだ。


 その様を、ダリウスは城壁近くから見守っていた。


 もう二度と来るまいと思っていた。

 ――いや、正確には『来られないだろう』と思っていた。


 ダリウスは知らず知らずの内に、刺青いれずみの入った右腕を擦る。無傷のはずの腕が、痛みを訴えていた。そこはと感覚共有をしていた際、この城のメイドが放ったによって吹き飛ばされたしよである。


 ダリウスはいわゆる魔獣使いビーストテイマーだ。


 つい昨晩の事だ。その能力を期待され、エッドフォード伯爵家からバラスタイン辺境伯公女エリザベートの暗殺を命じられた。ルシャワール帝国の仕業に見せかけるため魔獣ティーゲルを用いて公女を襲い――返り討ちに遭った。


 これだけ重要な命に失敗すれば、行き着く所は決まっている。

 ダリウスには処罰――より正確に言えば、が決まった。


 なにしろダリウスは、エッドフォード家がバラスタイン家の公女を暗殺しようとした証拠そのものだ。政敵や憲兵に捕まって脳内の『思考洗浄』でもされれば、洗いざらい吐かざるを得ない。ならばうしなわれた秘術である〔死者蘇生魔導式ネクロノミコン〕でも復活できないほど、バラバラにして殺すしかないだろう。


 そうして処刑の日取りを待つばかりだったダリウスだが、たった半日で状況が変わった。


 第二案実行のため、チェルノートへ出撃した炎槌騎士団の魔導士隊が全滅したのだ。

 誰がやったのかは見ていなくても分かる。


 それにブチ切れたエッドフォード伯爵家次男坊のリチャードは、【断罪式】で町を焼き払った上で、ダリウスを呼び寄せてある命令を下した。


 それは『』というもの。


 成功すればダリウスは無罪放免。

 失敗した時の事は考えたくないが、ダリウス一人の命では済まないだろう。二度も失敗したという事実から『はんがあったのでは』と疑われれば最後だ。『思考洗浄』によって同志たち――『憂国士族団』のことを吐かされるかもしれない。

【断罪式】で町ごと焼かれてしまったグラマンたちためにも、それだけは避けなくては。そう、ダリウスは決意を新たにする。


 それでも今の所は、まずまずくやれているはずだ。


 騎士たちの宣告に動揺する避難民たちをなだめようとしたエリザベート。

 その言葉に「どうやってだ?」や「俺たちを助けたいなら、いま死んでくれよ!」と返したのはダリウスだった。

〔音響制御式〕を使って誰の発言か特定できないよう偽装し、〔感覚共有式〕を応用して幾人かの避難民が感情的になりやすいように誘導。そうする事で領民たちの間に『公女を殺す』という選択肢を抱かせ、ダリウスの言葉に追随させた。

 正直、扇動工作などは専門外もいい所なのだが、初めてにしては上出来だろう。


 しかし、出来たのはそこまで。


 公女が城内へ姿を消してから今まで、避難民たちが公女を殺そうと行動を起こすことはなかった。たきを囲んで町の有力者たちが話し合っているようだが、公女を殺す算段を立てている素振りはない。むしろ、どうにかして騎士の目を盗んで逃げ出せないかと話し合っているようだった。


 ――それでは困るのだ。


 どうにかして話を『公女を殺して騎士様へ許しを請う』方向へと持っていかなくてはならない。幸い、常とは異なり商人も職人も農民も分け隔てなく話し合っている。羊飼いに偽装しているダリウスも会話に加わる余地はあるだろう。

 だが、相手は慎重に選ばねばなるまい。


 なら、アイツだ。


 ダリウスは少し離れた場所のたきに照らされている、見知った顔を選ぶ。

 先ほど、避難民の名簿を作るからとしつようにダリウスの名を聞いてきた神経質そうな男だ。〔音響制御式〕で話し声を拾ってみれば、どうやら町長などという立場にいるらしい。

 名前は――『カヴォス』と呼ばれている。

 あいつを懐柔できれば、あるいは。


 そう考え、ダリウスは壁際を離れて歩き出す。

 こちらへ背を向けているカヴォスへと一直線に近づき、声をかけるためその肩へ手を置こうとして、


「おい、あんた」


 ――その手を何者かにつかまれた。

 ダリウスの手をつかんだのはやたら太い腕だった。見れば、腕の主は商会の荷役とおぼしき格好をしている。

 男はダリウスと目が合うと、ニカリと笑い、


「その刺青いれずみ――魔導陣か?」

「……そうだが。一体何だ? 急に腕なんかつかんで」

「おお、悪い悪い」


 男は理由も言わずに、ダリウスの腕を放す。


「俺はエンゲルスってんだ。商会で荷役をやってる」

「……そうか」


 一体何なんだ。一刻も早く避難民たちを扇動しなくてはならないこの時に。

 そう、ダリウスはエンゲルスと名乗った荷役をにらむ。 

 リチャードは刻限を夜明けまでと定めたが、実際にはその前に判断を下すだろう。時間を長く取ったのは単に、何の武器も持たない貴族とはいえ、平民が殺すとなればそれなりに準備と時間がかかると考えているからだ。いつまでってもその気配が無いとなれば、方針を変えてもおかしくない。


 そんなダリウスの焦燥を知ってか知らずか、エンゲルスは妙に余裕のある態度で「一つきたいんだが」と顎をさする。


「なあ、その腕の魔導陣って何に使うんだ?」


 ダリウスは一瞬だけ緊張する。

 畜産系の職業人が肌に魔導陣を描き込むことは別段珍しくもない。簡易な〔思考制御式〕によって牛や馬を操り、指示を飛ばすために必要になるのだ。魔導神経を持たない者はこうでもしないと魔導式を扱えない。これだけで何かを疑われることは無いだろう。


 だが本当の身分を隠している身としては、どうしても身構えてしまう。

 それを悟られないよう、ダリウスは慎重に言葉を選ぶ。


「犬を操るのに使うんだ。羊に指示を飛ばしても言うことを聞かんからな」

「お! 本当か!?」


 途端、エンゲルスは破顔してダリウスの両肩をバンバンとたたいて「そうかそうか!」と笑い始めた。何なんだこの男は、とダリウスが逃げる算段をしていると、エンゲルスはダリウスの肩に片手を置いたまま「おーい! シュヴァルツァーの旦那ぁ!!」と大声をあげる。

 それにつられて、ダリウスもエンゲルスが手を振った方向を見やった。


 そこに居たのは、かつぷくの良い裕福そうな男だった。

 男は何かの台帳を見ながら、他の荷役や鍛冶屋とおぼしき連中に指示を飛ばしている。


 どこかで見たことがある。


 ダリウスは記憶を探り、エンゲルスが発した『シュヴァルツァー』という名から一人の人物を思い出す。たしか、商会のまとめ役がそんな名前だったはず。――チェルノートという小さな町ではそれなりに発言力のある男だ。


 シュヴァルツァーはエンゲルスの大声に気づくと、チラリと視線を飛ばしてから『ちょいちょい』と羽ペンを持ったまま手招きをする。「悪いな、兄ちゃん。ちょっと来てくれ」とエンゲルスはダリウスの背後に回り、その肩を押してシュヴァルツァーの方へと連れていった。

 

 そしてダリウスとエンゲルスが目の前までやって来ると、他の荷役たちを追い払うように手を振ってから、シュヴァルツァーは眉尻を釣り上げた。


「エンゲルス、てめえ鹿ごえ張り上げてんじゃねえよ。他の連中に聞こえるだろうが」

「すんません、旦那。つい――」

「……まあいい。で、あんたか? 羊飼いってのは」

「あ? ああ……」

「実はひとつ、頼まれて欲しいことがある」


 状況が飲み込めない。

 商会の主人が、羊飼いに何の用なのか。

 ダリウスはその内心を隠すことなく「こんな時に何を頼むってんだ?」といぶかしむように問い返す。


「あんたにしか出来ないことだ」

「だから、なんだそれは」


 ダリウスがいらちを見せると、シュヴァルツァーはチラリと周囲をうかがって、 


「ここじゃ話せない。場所を移そう」


 と、小声で告げて、視線だけで城の勝手口を指し示す。


 怪しすぎる。

 何か後ろ暗いことでもあるのか。


 ダリウスはそこまで考えて、もしや――と、ある考えに至る。

 そして探りを入れるため「せめて何に関係する事が教えてくれ」と、小声でシュヴァルツァーへと問いかける。

 内心のはやりを悟られぬよう、可能な限り嫌そうな声で。察しの悪い馬鹿を演じる。


 そしてシュヴァルツァーは、ダリウスが期待した通りの言葉を返した。


のことだ」




    ◆ ◆ ◆ ◆



 野心と立場のある人間は、必ずと言っていいほど自身の運命を自分で決めたがる。


 彼らは話し合いもするし、皆と協力もする。

 だが、それは形だけだ。

 話し合いの主導権を握って結論を誘導し、協力と言いながら他者をく利用する。そういう人間にとって他者という存在は、自分の手足として利用するもので、その逆はあり得ない。対等な立場での取り引きがあっても、相手にだけ利用される事を許さない。


 そんな人間が「公女を殺さねば全員殺す」と神のような力を持つ存在に言われて、大人しく『町の皆で話し合って決める』なんて事をするだろうか?

 ――するわけがない。


 つまりシュヴァルツァーという男も、そうだったということだ。


「さあ、こっちだ」


 そう促され、ダリウスはシュヴァルツァーとエンゲルスと共に城内を進む。


 先頭を歩くシュヴァルツァーの背中を眺めながら、ダリウスはほくそ笑んでいた。


 なにしろ町の有力者に近づかねばならないと思っていた所に、まさにその有力者が向こうから声をかけてきたのだ。しかも『公女様のこと』を『他の連中に聞こえては困る』から『場所を移して』話したいという。そしてそれはダリウスの腕にある魔導陣を確認した上で『あんたにしか出来ないこと』らしい。


 これで、シュヴァルツァーの頼みが『今度羊を商うから、助言が欲しい』なんてわけがない。


 ――十中八九、公女殺しの協力依頼だ。

 望外の奇跡と言える。


 と、シュヴァルツァーが唐突に立ち止まった。


「ここだ」


 ろくに魔導灯もいていない廊下を、手燭のあかりを頼りに進んで辿たどりついたのは他の部屋よりも少し豪華な扉の前だった。ダリウスは魔獣で侵入した時の記憶を探る。


 確かここは――応接間だったはず。


 シュヴァルツァーはその扉を開けて「さ、中へ」とダリウスを促す。魔導灯もいていない部屋の中へ入るのは少しちゆうちよしたが、ここでシュヴァルツァーの機嫌を損ねても良いことはない。ダリウスは部屋の中へ足を踏み入れる。後ろからはシュヴァルツァーとエンゲルスが周囲をうかがいながら扉を閉める音。

 

 途端、部屋の魔導灯がいた。


 暗闇に慣れたダリウスの目が、一瞬だけ潰れる。

 とつに〔身体強化式〕を応用し、眼球のこうさいを調整して視界を確保。何事かと、部屋を見渡した。


 ――と、


「お久しぶりですね」


 ダリウスの正面。

 応接室の上座でほほんでいるのは、うわさでは一張羅らしいドレスを着た銀髪ブロンドきらめく

 エリザベート・ドラクリア・バラスタインだった。


 どういう事だ?

 ダリウスは混乱する。

 何故なぜここに公女が。シュヴァルツァーは一体どういうつもりでここに。今すぐに問い詰めたいが、しかし公女を無視して突っ立っているわけにもいかない。平民が貴族に対してこうべを垂れず、返答もしないという事は許されない。

 ダリウスは膝を床につき、頭を下げる。


「これは公女様。お会いできたこと、大変光栄にございます。

 ――しかし失礼ながら、お会いするのは初めてかと存じますが」

「あら、そんなことはありませんよ?」


 公女エリザベートは鈴を転がすような声で笑って、ダリウスの間違いを指摘する。


「昨晩お会いしたばかりではありませんか。――魔獣使いビーストテイマーさん?」


 ――バレてやがる!

 視線を床のじゆうたんへ向けたまま、ダリウスはみする。俺はだまされたのだ。シュヴァルツァーも荷役も公女とつながっていて、分かっていてここへ俺を呼んだのだ。思えばやたら荷役は俺の身体を触っていた。それは俺を逃がさないためにしていた事だったのか。


 ダリウスは「畏れ入りますが公女様。どなたかとお間違えではないでしょうか?」ととぼけつつ、体内の個魔力オドを練り上げる。

 ここはいちばちか公女を殺すしかない。

 避難民に殺させろとの命令だが、何とかすしかないだろう。

 使う魔導式は〔爆裂式〕。本来大魔マナによって引き起こす魔導式だ。ダリウスの個魔力オドだけでは大した爆発は起こせないが、大魔マナを使っては悟られる可能性がある。

 それでも娘一人を殺すには充分だ。


 ダリウスは意を決して、〔爆裂式〕を放とうと立ち上が


「お待ち下さい、ダリウス様」


 後頭部に硬い物を突きつけられた。

 その声を、ダリウスが忘れるはずがない。

 ――痛むはずのない右腕が、再び痛みを訴え始める。


「ここで魔導式を使うのはお止めになった方がよろしいかと。――、この武器がどんなものなのか想像できますでしょう?」


 ダリウスの背後にいるのは、魂魄人形ゴーレムのメイドだった。

 突きつけているのは、やじりを飛ばす妙な魔導武具の仲間か。

 ――もう、どうにもならない。 


「…………殺せ」

「はい?」


 公女が、ダリウスのつぶやきに驚いたように聞き返す。


「あんたを殺せなきゃ俺は終わりだ。手ぶらで帰るって選択肢は無えんだよ」

「どうして?」

「リチャードとかいう貴族が、公女様を殺したくてたまらないからに決まってんだろ。

 ……まあでも、本当は避難民を扇動して殺させろって話だったからな。俺が直接殺しても、任務失敗で処刑かもな」


 そう、どうせ死ぬのだ。

 ならばせめて、マシな死に方を選ぶべきだろう。

 リチャードたちに拷問や思考洗浄をされて、同志なかまのことを吐かされてから死ぬか。ここでメイドに殺され、死体を公女様ごと【断罪式】で焼かれるか。


「は、」


 ダリウスの口から自嘲の笑いがあふれる。


 考えるまでもない。

 ここで死のう。


 だが舌をんで死ぬには、持ち合わせの勇気が足りない。……そういえば、丁度良い具合に俺の頭に武器を突きつけているメイドがいるじゃないか。この魂魄人形ゴーレムメイドの武器なら、一瞬で頭を吹き飛ばしてくれるだろう。公女を殺す素振りを見せれば、ちゆうちよ無くやってくれるはずだ。俺はついてるな――本当に。


 ダリウスは公女を殺すべく〔爆裂式〕を放とうと右手を伸ばし、


「――火に入る羽虫こそ、円卓を燃やす種火となる」


 あり得ない言葉を聞いた。


 きようがくのあまり、思考が一瞬漂白される。

 魂魄人形ゴーレムメイドが発した言葉。

 それはダリウスたちの同志――『憂国士族団』の仲間を示すちようなのだ。


「お前……どうして、」


 ダリウスが腕を下げたのを認めて、メイドはダリウスの正面に回る。

 焼かれてボロ切れのようになったメイド服からのぞく、ひびの入った白木の脚が目に入った。恐らく町でグラマンたちと戦った時の損傷だろう。よくもまあ、こんな状態で城へ帰ってこれたものだ。町はあんな状態だって言うのに――


 と、そこまで考えて気づく。


「お前どうやって――【断罪式】から生き延びたんだ?」


 ダリウスが見上げた先。

 そこには赤髪の魂魄人形ゴーレムメイドの不敵な笑みがあった。



「エリザベートお嬢様のお陰でございますよ、ダリウス様」


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