scene:03 領主の資格

 そうして、マリナはチェルノート城へ戻ってきた。


 蓋を開けてみれば、グラマンたち『憂国士族団』は随分と協力的だった。

 ――というのも、その後の『炎槌騎士団』の行動から、魔獣使いビーストテイマーでありグラマンの仲間であるダリウスが、城内に忍び込んでいるであろう事がわかったからだ。そしてチェルノート城が魔導干渉域を展開した事で、念話がダリウスへ届かなかった事もマリナに味方した。


 つまりグラマンたちは仲間であるダリウスを助けるため、マリナには是が非でも勝ってもらわねばならなくなったのだ。


 マリナとグラマンたちは協力して炎槌騎士団を倒す計画を練ることになり、避難民に紛れ込んでいるダリウスにも協力させる事になった。『火に入る羽虫こそ、円卓を燃やす種火となる』というちようは、そのためにグラマンから伝えられたものである。


 そして今、マリナはダリウスと共に城のエントランスホール、その吹き抜けになった二階部分にいた。


「んで、コイツが騎士を倒せる武器か」


 ダリウスが階下のエントランスホールを見下ろして呟く。

 エントランスに置かれたはあまりに大きい。その巨大さ故に、敵から隠しておける場所がエントランスホールしか無かったほどだ。

 今現在、の周りでは、商会の荷役と鍛冶屋、馬車職人たちが集まってマリナが扱えるように改造を施していた。その様子をさんくさそうに眺めながら、ダリウスはマリナに問う。


「だが本当にやれるのか? 俺の魔獣に効かなかった武器に似てるが……」

「ダリウス様の同志の見解では可能だそうです」


 そう答えるマリナが身にまとうメイド服は新品同様のものに変わっている。爆風に巻き込まれた事などうそのようだ。


 種明かしをすれば、マリナのメイド服はエリザの個魔力オドによって編まれたものだからだ。


 故にエリザが直接、魂魄人形ゴーレムの胸殻の中にある蓄魔石に個魔力オドを大量に注ぎ込めば、おのずからメイド服は再生する。白木の身体の損傷も、直す事は出来なくとも魔力で覆う事である程度は問題無く動かせる。それを教えてくれたのも『憂国士族団』だった。


「……帝国の『レイルランス』に似てるな」

「グラマン様もそうおつしやっていましたが、『レイルランス』とは何なのですか」

「グラマンのやつが教えなかったんなら俺も言わねえよ。――つか、こんなデカブツ背負って戦う気か?」

「大は小を兼ねる、と言いますでしょう?」

「聞いた事ねえよ。……そもそも、こんなデカいもんをどうやって持ち上げるつもりだ?」

「はい。ですので、ダリウス様にご協力頂こうかと」


 言って、マリナは懐からメモ紙を取り出す。

 それを受け取ったダリウスはメモ紙に書かれた内容を目にして「――は!」と、達観したような笑みを浮かべた。

 

「なるほど、気がるね」


 メモに書かれているのは〝ソレ〟を、マリナが振り回すために必要な魔導式の数々。

『憂国士族団』がマリナの話を聞いて弾き出したレシピである。それがいかなる魔導式なのか、門外漢であるマリナには想像も出来ない。


 だが「グラマンの野郎、後でぶっ飛ばす」と言ったきり、頭を抱えてしまったダリウスを見る限り、かなりの難物であることは確かなようだ。


 と、


「マリナさん」

 

 背後からかけられた声に振り返ると、そこにはエリザとエンゲルスが立っていた。

 エリザは随分と豪華なドレスを着ていた。夜会用の一張羅らしい。

 というのも、町人の避難誘導やら何やらで他の衣服は随分と汚れてしまったからだ。エリザは気にしていなかったが、すがに大将の格好ではないという事になり、マリナとミシェエラが今の服に着替えさせたのである。一応、動きやすいように銀髪ブロンドは後ろで一本にまとめ、靴は農作業用のブーツを履いている。


 エリザは階下をいちべつして「順調そうですね」とつぶやいてから、マリナとダリウスへの方へ向き直る。


「シュヴァルツァーさんたちが戻ってきました。作戦会議をしましょう」

「かしこまりました」

「俺も行った方が良いのか?」


 ダリウスの問いにエリザは「はい」とうなずく。


「ダリウスさんはエンゲルスさんと先に応接間に行っていてもらえますか? すぐに行きますので。マリナさん、ちょっと――」

「?」


 エリザに背中を押されて、マリナは正面エントランス二階の端に追いやられる。人の耳が無いことを確認するかのように神経質に周囲をうかがってから、エリザは口を開いた。


「マリナさん、少し作戦について質問があるんです」


 やっぱりか。

 マリナは『やれやれ』という表情を浮かべる。


 作戦の内容は単純だが、皆の前で説明する時にはわざとぼかした部分があった。エリザはその点に気づいたのだろう。――マリナがぼかした理由についても。


 マリナは観念して、口調を二人だけの時のものに戻す。


「オレもエリザに話しておく事がある」


 マリナにしても、どこかのタイミングで話しておくつもりだった事だ。

 良い機会と考えて、マリナはエリザの質問を先回りして答えることにした。


 そうしてマリナの口から語られる内容を聞くにつれ、エリザの顔はみるみるとゆがんでいき、

 そして――


「それじゃマリナさんが死んじゃいます!」


 話を聞き終えた途端、エリザはそう叫んだ。

 だが、マリナは首を横に振って笑う。


「いや、これが最適解だ」

「でも」

「なんだ、オレを心配してくれるのか? つい何時間か前にはこわい顔で『わたしの遊びゲームに付き合え』って命令してただろ」

「そ――、それはそうですけど。アレは勢いというか、腹が立ってたから思わずというか……」


 急にもごもごとよどんでしまったエリザだったが、何かを振り払うかのように首を振って勢いよく叫ぶ。


「と、ともかく! わたしはマリナさんにも死んで欲しくないんです!」


 ――は、

 マリナは自身の口元が緩むのを自覚した。


 なんともうれしいひと言だ。

 別に好いて欲しくてメイドをやっているわけじゃない。

 だが、それはそれとして、敬愛する主人に『死んで欲しくない』と言われれば――やはりうれしい。

 なにしろ、この異世界ファンタジアに来るまでは『死んでも任務を果たせ』と言うやつばかりだった。


「エリザ、言っただろう?」


 マリナはエリザの頭の後ろに手を回して、そのまま自らの額をエリザの額へと押しつけた。

 そしてエリザの瞳を見据えて、マリナは優しく言い聞かせる。


「お前が鍵だ。エリザがしっかりやってくれれば敵以外誰も死なない。当然オレも死なない。そしてエリザは。そうすれば、みんなハッピーだろ?」

「ハッピー?」

異世界ファンタジアの言葉で、幸せって意味だ」


 マリナは額と額を離して、エリザの肩をポンとたたく。

 そのままエリザを置いて歩き出し、すれ違い様にその耳にささやいた。


「信じてるぜ、オレのわいい公女様」



    ◆ ◆ ◆ ◆



「それでは皆さん、報告をお願いします」


 応接室の机を囲む面々へ向けてエリザは口火を切った。


 応接室にそろっているのはエリザ、マリナ、ダリウス、シュヴァルツァー、エンゲルス、カヴォス、そしてお茶の準備をしているミシェエラだ。


 机に広げられているのは城周辺の地図。炎槌騎士団の配置や、作戦のタイムスケジュールが書き込まれている。作戦については既に全員が知っている。エリザの指示で、それぞれが割り振られた役割に応じて準備を進めていたのだ。

 今、作戦に携わる全員がそろっているのは、一通りの準備が終わり、その報告をするためである。


 まず口を開いたのはダリウスだった。


「騎士を殺す武器ってのを見てきた。あのデカブツを人が扱えるようにするっつう話だが――まあ、なんとかなるだろう」


 黒髪をバリバリと?きながら、ダリウスは仲間が残したメモと、そこに書き込んだ自身の所感を眺める。


「武器に直接第五触媒エーテルで魔導陣を描き込めば、遠隔で魔導式を成立させられる。ま、俺の得意分野だしな。生物じゃない分、魔獣を扱うより簡単だ。――問題は武器よりもメイドさんの方だろう」

わたくしに問題はありません」


 水を向けられたマリナはキッパリと言い切り、そのまま聞き返す。


「ですがダリウス様、そもそも魂魄人形ゴーレムの能力の底上げというのは本当に可能なのですか?」

「そこは俺よりも公女様の個魔力オドの量で決まる。つーか、それが一番の問題なんだよ」


 ダリウスは少し熱の籠もった口調で語り始める。


「いいか、魂魄人形ゴーレムっつうのは魂を人型に成形する事で成立させた生命体だ。魂が魔力と魔導式の塊である以上、提供される魔力が増えれば能力が向上するのは道理。甲冑騎士に迫る身体能力を得ることも可能だ――理屈の上ではな。

 だがえんな方法である事には変わりない。要求される魔力量は尋常じゃないはずだ。そこらの汎人種ヒューマニー蓄魔石バッテリー代わりにするなら一秒につき五人を。それだけの魔力を公女さんが――」

「構いません」


 ダリウスの熱弁を遮って、エリザはほほむ。


「皆さんお忘れかもしれませんが、わたしはこれでも貴族なんです。個魔力オドの量には自信があります」

「そりゃ結構」

「では、わたくしが城を空けた後のことはどうでしょうか?」


 そういたのはマリナだった。視線の先には町長のカヴォスがいる。

 カヴォスは神経質そうな手つきで眼鏡の位置を直して、


「避難民の名前の確認は済んだよ。全員、チェルノートの住民だ。名簿があるわけじゃないが、そこまで大きい町じゃないからな。誰も知らない顔というのは有り得ない。背中から襲われるという事は無いよ」

「――カヴォスさん、城からの避難は何とかなりそうですか?」

「一応、準備しとりますが……難しいですね」


 エリザの問いに、カヴォスは眉をひそめる。

 町人たちの避難はエリザが『検討して欲しい』と頼んだことだった。当初の計画では無かったことである。

 マリナは騎士を倒せると言ってはいるが、エリザとしては騎士を倒す以上に住民たちを生かす方が重要。万が一の備えは必要だし、そもそも放っておけば住民たちは好き勝手に城から逃げ出しかねない。なら、計画的に避難すべきだと考えたのだ。

 だが――


「少ないと言っても600人以上居ます。よほど騎士の注意を引きつけてくれなければ、裏口から出ても気づかれるでしょうねえ」

「それに夜に森へ逃げ込むってのも危険だ」横から口を挟んだのはシュヴァルツァーだ「魔獣はいないとしても、おおかみや熊くらいなら居るからな。出来ることならメイドさんに騎士を倒してもらうのが一番なんだが……」

もちろん、そのつもりです」マリナは表情を変えずに答える「ですが、住民の方々に納得して頂けるような根拠を提示できません。騎士よりおおかみの方がマシだと納得してもらうほうが簡単でしょう」

「だろうな」

「シュヴァルツァーさんの方はどうでしたか?」


 エリザがそうくと、シュヴァルツァーは少し言いづらそうに、


「良い話と、悪い話がある」

「良い話からお願いします」

「――ひとまずこの城の魔導干渉域発生器の調整は何とかなりそうだ。うちの連中で問題なく操作できるだろう。だいぶ古い型だが、その分構造が単純だったからな」


 シュヴァルツァーが担当していたのは、チェルノート城の魔導干渉域発生器の調査だった。魔導器具を扱い、その調整が出来る人材を持っているのは商会の人間だけだったからだ。

 特に、大地に流れる大魔マナ――いわゆる『地脈』を吸い上げて動作する城塞用の魔導干渉域発生器ともなれば、魔導士でも扱うのは難しい。ダリウスですら専門外だと言ってお手上げだったのだ。それが曲がりなりにも扱えるというのは朗報だろう。


 だというのに、シュヴァルツァーの顔は暗いままだ。

 シュヴァルツァーは「んで、悪い方だが……」と言った後、一度言葉を切った。そして鼻から大きく息を吐いてから口を開く。


 ――これじゃあ発生器を暴走させるのは無理だ」


 その場に居る全員が息をんだ。

 魔導干渉域発生器の暴走は、作戦の大前提だからだ。


「俺が持ってきた分はともかく、城の備蓄が少なすぎるんだ。……公女様よ、あんなんでよく生活出来たな。あれならそこらの農家の方がまだ持ってる。暖炉どころか魔導灯をけるのだってためう量だったぞ」


 エリザとしては「すみません」と、曖昧にほほむしかない。

 それを見てシュヴァルツァーは「悪い、責めたつもりじゃねえんだ」と否定して話を戻す。


「ともかくだ。蓄魔石をどっかから持ってこなくちゃならん。皆、あてはあるか?」


 カヴォスが「あ、」と人差し指を立てる。


「それなら避難民たちから提供してもらおう。彼らの所持品も確認したが、全員のを合わせればそれなりの量になる」


 だが、シュヴァルツァーはあきれたようにいきを吐き、


「本気か?」

「なんだ、だめか?」

「――蓄魔石は食糧の次に大切な生命線だ。明かりを得るにも火をおこすにも水を浄化するにも、あらゆる魔導器具は蓄魔石で動くんだ。それに蓄魔石なら違う町に行っても換金しやすいし、森に逃げ込むならおおかみを追い払うためにも必要だろう。――それを出せってのは、もはや逃げる事を諦めろってことだぞ? 計画的に避難させるどころか暴動が起こる」

「しかし旦那」


 今度はエンゲルスが口を挟む。

 手のひらを上に向けてエリザを指し示し、


「領主様が命令すりゃいい話じゃないですか」

「人が良いだけで、何の力も無い領主にか?」


 気まずい沈黙が流れる。

 だが、エリザとしてもシュヴァルツァーの言いたい事は理解できた。


 他の領主から民を守る事も出来なかった上に、領主だからと財産を供出しろと言えば、炎槌騎士団の言葉が無くとも殺されてしまうだろう。

 今現在そうなっていないのは、ダリウスの扇動が無くなり避難してきた町人たちも落ち着いているからだ。わざわざ争いの火種をくのは望ましくない。


 シュヴァルツァーは大きくいきを吐きながら、応接室のソファに腰を投げ出した。

 そしてミシェエラが用意した紅茶を口に含み「うん、良い腕だ」とつぶやいてから話を再開する。

 

「俺はいいさ。……正直に言えば、何もかも失って生きるよりも公女様が成り上がることに賭けた方が面白いと思って協力してる。

――だが、そこらの人間は別に地位も名誉も権力も財産もそこまで欲してねえ。

平凡で平和で、よりは少しだけ豊かな暮らしを望んでるんだ。

そんなやつに一かバチかの大勝負に乗ってくれと言っても、賭け金を出すやつはいねえよ」


 答える声はない。

『その通り』ということだろう。

 

 シュヴァルツァーは諦めたように「仕方ねえ」と力なく口角を上げた。


「俺が高値で買い取るってことにして集める他ねえな。どのみち発生器を暴走させられなきゃ逃げることだって――」

「いえ」


 シュヴァルツァーの言葉を遮る声。

 それを発したのは、エリザだった。


「わたしが頼みます」

「本気か?」


 シュヴァルツァーが不可解だとばかりに身を乗り出して聞き返す。


「ついさっき、死ねと言われたばかりだろ。……まあ扇動したのはそこの魔獣使いらしいが」

「おいおい、蒸し返すなよ。今は仲間だぜ、一応」

「――わたしは、貴族で領主です」


 エリザはマリナの言葉を思い出していた。


 マリナは言った。

 本物の領主になれる、と。


 この作戦で、最も危険な目に遭うのは間違いなくマリナだ。今、エリザの横で仏頂面を浮かべている魂魄人形ゴーレムは、エリザベート・ドラクリア・バラスタインの願いをかなえるために、二度目の生を賭けようとしている。エリザを本物の領主にして、民草へ幸せを与える存在にしようと奮闘している。


 ――なら、そのおもいに応えるべきだろう。

 わたし自身も、願いをかなえるために行動しなくては。

 マリナの去り際の言葉がよみがえる。



 ――お前が鍵だ。

 信じてるぜ、オレのわいい公女様――



「これは、わたしがやるべきことなんです」



    ◆ ◆ ◆ ◆



  エリザが正門前の広場に姿を現すと、を囲んでいた町人たちのざわめきがんだ。


 皆、唐突に現れたエリザに注目している。

 だが正面から視線を合わせようとする者はいない。なにしろ勢いとはいえ『死ね』と言った相手だ。口には出していなくても頭では考えたはず。その後ろめたさが目元に表れているのだろう。


 エリザはエントランスホールへ続く扉の前に立ち、広場に集まっている600人余りの避難民を見渡す。背後にはマリナが控えてはいるが、それを考えなければエリザ一人で600人と交渉するようなものだ。ふと、つい数時間前の記憶がよみがえる。あの時は無我夢中で「なんとかします」と言ってしまったが、今になって思えば随分と大それた事をしたように思う。こんなに大勢の前に立った事など、父が生きていた時でも、自分一人きりになった後でも無かったのに。


 だが、やらなくてはならない。

 皆が努力している。

 わたしも、出来ることをしなければ。


 息を吸い込んだ。


「わたしは、これから炎槌騎士団へ反撃をします」


 避難民たちに驚きはなかった。

 皆、大人しくエリザの言葉に耳を澄ましている。


 慌ただしい城内の様子から、なんとはなしに気づいていたのだろう。それに商会の人間や、青年団の一部には既に話した事だ。そこから話が漏れ伝わっていてもおかしくない。その上で反論が上がらないという事は、ひとまず話は聞いてくれるのだろう。


 少しホッとして、エリザは話を続ける。


「そうしてわたしたちが騎士の注意を引きつけている隙に、皆さんは城から逃げてください。案内は町長のカヴォスさんにお願いしてあります。森からガルバディア山脈を越えてガラン大公のマグドニージャ領へ。避難民を受け入れてもらえるように嘆願書を渡しておきます。国境を越える前にはとを飛ばしてもらえれば、いきなり捕らえられるということも無いでしょう」


 ヒソヒソと、避難民の間で言葉が交わされる。

 逃げるのはともかくガルバディア山脈を越えるというのは、やはり思う所があるのだろう。普通、山越えは入念に準備して行うものだ。なのに荷を運ぶ幻獣すら居ない。ほとんど着の身着のままで逃げて来た者たちには酷だろう。

 

 とはいえ、避難民たちが受けた衝撃はそこまで大きくない。

 騎士と戦うよりは山越えの方がよほどマシだからだろう。


 それに逃げる際に持ってきた魔導器具や蓄魔石もある。新天地に行くまではそれに頼り、向こうへ到着したら売って、新しい生活を始める元手にすればいい。

 困難だが決して不可能ではない。


 ――そう考えているはずだ。


「ただ、そのためにお願いしたい事があります」


 だから、


「どうか、皆さんの蓄魔石を分けてくださいませんか?」


 そうエリザが口にした時の衝撃はすさまじいものがあった。

 ざわめきは大波となり、避難民たちの驚きと動揺が津波のようにエリザへと襲いかかった。「ちやだ」「何を馬鹿な」「ありえない」そんな言葉が次々に避難民の口から吐き出される。


 エリザはそれを黙って受け止める。

 そしてついに、聴衆の中の一人が立ち上がった。黒い髪の30代くらいの男だ。両脇に家族らしき女性と子供がいる。エリザは記憶を探り、彼がパン屋の主人であると思い出した。


 男は背後にいる避難民にも見えるよう大きく手を上に上げてから、ざわめきが小さくなるのを待ってエリザへ問いかける。


「なぜだ? 蓄魔石が何で必要なんだ」

「皆さんが逃げる隙を作るためです」

「どれくらい必要なんだ?」


 エリザはカヴォスとシュヴァルツァーが持たせてくれたメモへ目を落とし、


「おおよそ、1000キルム――」


 再びざわめきが大きくなる。

 避難民の数で割れば一人当たり1,7キルム。避難民が持ち出した蓄魔石の量は、せいぜい2キルム程度だろう。中にはもっと少ない者も居るはずだ。

 つまり手持ち全てを吐き出せと言っているに等しい。

 男の顔にも「あり得ない」とハッキリ書かれている。

 

「蓄魔石が無くっちゃガルバディア山脈を越えるなんて出来ねえ。下手したら森でおおかみを追い払うことすら出来なくなる。――それでも俺たちに、蓄魔石を出せと言うのか?」

「はい」

「なんでだ」

「彼らへの反撃に必要なんです」

「公女様が戦うのか?」

「はい」

「どうしてそんな事をする」

「それは――」


 男の問いに、エリザはどう答えるべきか悩んだ。


 エリザが炎槌騎士団と戦うと決めたのは、マリナが言葉があったからだ。

 民草に死んで欲しくないという願いを自覚したからだ。

 そして、自分が死ぬ以外にそれがかなう方法があるなら試したいと思った。それだけだ。


 ――だが、それは避難民たちには何の関係も無いこと。避難民たちには『エリザを殺して炎槌騎士団に許しを請う』という手段が残っている。そもそも蓄魔石を差し出してもらう正当な理由などない。仮に今まで免除していた税の代わりだと言っても、従う人間など居ないだろう。そもそもエリザ自身、そんな事は言いたくない。


 エリザは悩んだ末に、結論を出す。


「正直に言います。これはわたしのわがままです」


 正当な理由などない。

 ためごかしを言っても、誰にも響かない。

 ならせめて、わたしが思った事をそのまま伝えよう。

 民草に負担を強いるのだから、せめて本当の事を言わねば。


「わたしは皆さんに死んで欲しくありません。

 ――でも、それを考えるなら騎士団の言う通り、わたしは皆さんに殺されるべきなのでしょう。それが確実な方法です」


 ざわめきが引いていく。

 避難民たちは自覚したのだ。エリザへの協力を拒むというのはそういう事。

 蓄魔石を差し出すか、エリザベートを殺すか。

 今ある選択肢は二つに一つ。


 エリザは、シンと静まり返った正門前広場へ向けて言葉を紡ぐ。


「だけど、わたしは死にたくない。

――皆さんの笑顔が見られなくなるから。

 もちろん、皆さんにも死んで欲しくない。

――皆さんと話すことが出来なくなるから」


 よみがえったのは、チェルノートへやって来てからの一年の記憶だ。

 家族をうしなった悲しみ、一人きりになってしまった怖さ、領主としての責任の重さ。領民たちが少しでも笑顔になれるように努力してきたつもりだったが、それが正しいのかずっと不安だった。


 けれど、その生活が辛いだけだったかと言えばそんな事はない。


 チェルノートは昔からバラスタイン家と近しい領地だったこともあるのだろうが、町の人間はエリザに優しくしてくれたのだ。


 農家の夫婦は畑の作り方を教えてくれた。青年団の若者は何度も荷物を運ぶのを手伝ってくれた。酒屋の主人は客に出す酒の種類について詳しく教えてくれたし、茶屋の店主はわざわざ遠方の珍しい茶葉を取り寄せてくれた。夕食が用意できないほど困窮していた時にはパン屋の主人が夕食をごそうしてくれた。馬車だってシュヴァルツァーが必要の無くなったものを譲ってくれたものだし、町内会へエリザを紹介して運営に携わらせてくれたのはカヴォスだ。一つ一つ上げればキリが無いほど、エリザは町の人間から優しくされてきたのだ。

 

 わたしは、民草と仲良くなりたいわけではなかった。

 彼らを幸せにしたいと、傲慢にも願っていただけだ。


 ――けれど、

 ――やっぱり、

 優しくされた事は、うれしかったのだ。

 

「だから、わたしは騎士団と戦います。

 皆さんを逃がして、生き残ってみせます。

 そしてまた皆さんと一緒に畑を耕し、家を建て、はたり、子を育て、なによりしいご飯を食べるんです」


 彼らを幸せにしたい。

 そのすぐ側で、彼らの幸せを眺めていたい。

 それがエリザベート・ドラクリア・バラスタインの願いであり、夢であり、欲望であり、野望であり、生まれてきた理由。


「この、わたしのわがままを許してもらえるのなら、

 どうか、蓄魔石を分けてくださいませんか。

 お願い、します――」


 言って、深々と頭を下げた。

 返答は――――ない。


 やっぱり駄目、かな。

 エリザは地面を見つめたまま思う。


 今話したのは、エリザ自身のおもいでしかない。

 をこねる子供と大した違いはないのだ。

『だからどうした』と言われればそれまでで――


「はい」


 舌足らずな声が聞こえた。


 驚いてエリザが顔をあげると、目の前に小さな女の子が立っている。

 童女とも言うべき年齢の子供が、何かを持った手をエリザに差し出していた。

 

 童女の手のひらへ、視線を落とす。


 その手の中にあるのは、とても小さな石。

 けれど、それは確かに第五触媒エーテルを含んだ結晶体。

 小指ほどの大きさの蓄魔石だった。


「あげる」

「え、」

「おねえちゃん、がんばって」

「――――、」


 言葉にならない何かが込み上げてくる。

 思わず、エリザはしゃがみ込んでいた。童女と視線の高さを合わせ、自身の両手で童女の手を包む。

 

「ありがとう、大切に使うね」

「あのね、おねえちゃん」

「うん」

「また、おうちきてね。ごはんたべよ」

 

 その言葉で思い出した。

 この童女は、確かパン屋の――


「ほら、」


 気づけば、先ほどまでエリザを問い詰めていたパン屋の主人が、隣でしゃがみ込んでいた。

 その手には、童女が持つソレとは比べものにならないほど大きな蓄魔石。


「悪いが、これしか持ってない。1キルムくらいだろう」

「いい、んですか?」

「俺だってな、本当は公女様を殺して生き残りたくなんかねえ。もし、別の道があるならそっちを選ぶ」

「でもこれが無いと」

「ああ、山越えは無理だ」


 パン屋の主人は肩をすくめて苦笑する。


「だから俺は城に残る。うちの嫁と子供もな」


 童女を抱き上げて立ち上がり、後からやって来た妻と寄り添って、男は言う。


「公女様が勝てば、俺たちも生き残れる。何の不都合も無い。

 ――そうだろ、みんな!!」


 唐突に張り上げられた声につられて、エリザは避難民たちが居る方へと視線を向けた。


 そして、エリザはそれを見た。


 いつの間にかエリザの周囲に集まっていた避難民たち。

 その誰もが、蓄魔石を手にしてたたずんでいる。


「皆さん……」

「公女さまが戦うって言うのに、俺たちは不幸を嘆いてるだけか!?」


 男の言葉に、避難民たちから「「「違う!!」」」と声が上がる。


「俺たちの事をこんだけおもってくれてるんだぞ!

 それに応えなかったら、俺たちは他の貴族どもが言うように『家畜』と同じになっちまう。――俺たちは家畜か!?」

「「「違う!!」」」

「なら、やることは決まってるよなあ!?」



「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」



 とうのような叫び声が、チェルノート城に木霊した。

 彼らが掲げる手には蓄魔石が握られている――。

 

 エリザは、自身の目尻に涙が浮かぶのを感じた。


「皆さん、ありがとう。

 ――――本当に、ありがとう」



    ◆ ◆ ◆ ◆



 マリナはその様子をエントランスホールの扉の脇から眺めていた。

 

 エリザは感極まってしまったのか涙まで流している。それを避難民たちに笑われながら「ありがとう」と繰り返していた。


 ふと、背後から近づく足音に気づく。

 振り返ってみれば、今日だけで何度も見たかつぷくの良い身体が目に入った。

 シュヴァルツァーは、勝ち誇ったような笑みを浮かべて言う。


「な、言った通りだったろう」

「ええ、確かに」


 答えて、マリナは手に持っていた蓄魔石をポケットにしまう。


 それはマリナが裏工作のために用意したものだった。


 マリナは、町人たちを説得するにはもう一押しが必要だと考えていた。

 そもそもエリザは交渉事に向いていない。最後には本心を語って懇願する事になるのは目に見えている。

 ――なら、それを利用する方が建設的。


 故にマリナはシュヴァルツァーを通じ、避難民の中にいる子供に蓄魔石を持たせて、エリザへと渡させようと考えていたのだ。古今東西、感動的な演出には子供を使うもの。な子供の行動が一番、人間の感情に訴える。


 だが、そのマリナの考えをシュヴァルツァーが「必要ない」と止めたのだ。


 シュヴァルツァーは腰に手を当てて、マリナを諭すように苦笑する。


「公女さんはそれなりに慕われてる。もうちょっと信じてやれよ」

「真っ先に逃げようとしていた貴方あなたがそれを?」

「俺は現実主義者なんだ。公女さんは善人だとは思うが、力が無いのも事実だろ。涙で戦争は止められんよ」

「同感です」


 感情は人間が行動を起こす源だが、感情論で行動するのは愚か者だ。

 それをシュヴァルツァーはよく分かっているらしい。


「ですが、一つだけ訂正を」

「なんだ?」

「わたくしはお嬢様を信じていないわけではありません。――お嬢様以外の全てを信じていないだけです」

「そいつは俺もか?」

「シュヴァルツァー様の職業倫理は信用しておりますよ。利害が一致する間は、取り引きに応じてくださると」

「は! 良いね、商売人としちゃその方がやりやすい」


 シュヴァルツァーは心底楽しそうに笑った。

 そして、ひとしきり笑い終えた後にボソリとつぶやく。


「……あんたら、良いコンビになるかもな」

「はい?」

「なんでもねえよ。――んじゃまあ、俺は蓄魔石を回収してこようかね。おーい、エンゲルス!」


 言いながら、シュヴァルツァーは避難民が集まる正門前広場へと歩き去って行く。


 その背中を見送って、マリナはエントランスホールに鎮座するへと振り返った。そして、その脇に立つダリウスへ視線を向ける。


「――今の騒ぎは外に漏れていませんね?」

「ああ。俺の〔音響制御式〕の精度は知ってるだろ? 公女さんも騎士どもからは見えない位置に立ってたから問題無いだろう」

「ではの準備はいかがですか?」

「問題無し。あとは公女様の個魔力オドつなぐだけだ」


 その答えにマリナは満足げにうなずき、再びエリザが居る方へと視線を向けた。

 

 騎士どもを倒す準備は整った。

 お涙頂戴の三文芝居はこれにて終了。

 ここから先は命を賭け金にした遊びゲームの時間

 ――楽しい楽しい殺し合いの時間だ。


「気張れよエリザ。

 お情けで人の上に立ち続けられはしない。

 オレが、お前を本物の領主あるじにしてやる――」

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