30 目
「遅かったわね。二人で愉しい相談でもしてたんでしょ」
妻モドキと二人、リビングルームに戻ると佐知が言う。
が、顔を見ると口ほどには怒っていない。
「あたしは山下さんの奥さんの部屋に用があったのよ」
妻モドキがしれっと答える。
「山下さんと部屋を出るタイミングが同じだっただけ……」
「ところで大学に行って情報を摑めたの……」
妻モドキの発言を遣り過ごし、佐知がおれに問いかける。
「情報かどうかはわからないが、橘夫人は写真が趣味でパソコンにも詳しいそうだ」
「へえ、人は見かけによらないわね」
「しかも、この家のことが嫌いだそうだ。おれたちが金持ちだという理由で……」
「ふうん」
「青田刑事によればね」
「でも、それって……」
妻モドキが横合いから口を挟む
「橘夫人があの写真を撮って送って来た可能性があるってことなの」
「少なくともゼロではない」
「何のために……」
「単なる嫌がらせとか」
「裕福ともいえない老人だしね」
妻モドキが言うと、
「……っていうより、殺人現場の写真を冷静に撮れるの」
佐知が静かに指摘する。
「実は橘夫人が誘拐事件の主犯だったりして……」
試しに、おれが言うと、
「ある、ない、ある、ない、ある、ない……」
佐知がグルグルと目をまわす。
「しかし橘夫人があの写真を撮った人物だとして、どうして警察に行かないんだ」
おれが素朴な疑問を口にすると、
「あたしが殺されていないからじゃない」
妻モドキが即答する。
「……とすれば橘夫人、いったいどんなつもりで現場を見ていたんだ」
おれが問い、
「お芝居でも見ていたつもりだったんじゃないかな」
佐知が答える。
「それよ。お芝居なんだわ」
妻モドキが佐知の考えに同意し、声を張り上げる。
「どういう意味だよ」
おれには意味がわからず、聞き返す。
「山下さんは奥さんを殺していない。もしそれが本当なら、あの写真に写された光景はお芝居なのよ」
「芝居……」
「あたしは誘拐犯から何も聞いてないけど、山下さんを奥さん殺しの犯人に見せかけるためのデッチ上げの写真撮影なのよ……」
「それじゃ、橘夫人とは別に芝居の撮影者がいたわけか。いずれ、おれに現場写真を送りつけるために……」
「でも橘夫人に先を越されてしまった」
「お芝居だとわかっていれば警察には届けないかもしれないわ。単に夫婦のプレイだと思ったかもしれないし……」
妻モドキが確信を込めて口にする。
「だけど誘拐犯にしては致命的かも……。顔を見られたかもしれないし……」
「そうだな。たとえ橘夫人が勘違いをしていたにせよ。……って、いったいどんな夫婦プレイなんだよ」
「夫が殺人鬼で死体フェチな設定じゃない」
「たしかに、それならば警察には行かないかもしれないが……」
「いずれ、山下さんを脅して来るかもしれないわね。世間に変態夫婦をバラすとか何とか言って……」
「お金持ちが嫌いなら、それはあるかも……」
「今は様子を見ているんだわ」
「まだ刑事が家に出入りしているし……」
「だが全部憶測だ」
「そうね」
「でも橘夫人、今頃、家でクシャミをしてるんじゃないかしら……」
ピンポーン。
佐知が発言したタイミングで門扉のチャイムが一際大きく鳴る。
「誰だろう」
おれが首を捻ると、
「噂の橘夫人じゃないわね。お隣の遠藤さんよ」
モニターの前に立ち、妻モドキがおれに言う。
「あたしが出ましょうか」
「この際だ。おれが出る」
おれが妻モドキに言い放ち、リビングルームを抜け、玄関まで……。
約一分後に門扉のところで、
「これはこれは遠藤さん、何か用がありましたか」
おれが、お隣の遠藤氏に尋ねる。
五十代前半の気の弱そうな男性だ。
日曜日のこんな時間に家にいるということは商店街の店が潰れるのは時間の問題かもしれない。
「実は……」
「何でしょう」
「見たんですよ」
「何をです」
「だから見たんです」
「わたしをですか」
「違いますよ」
「では誰をです」
「橘さんです」
「そりゃ、ご近所だから、いくらでも見かけるでしょう」
「先週の土曜日の夜のことですが、山下さんの家の庭……というか塀と家屋の間で……」
「わたしの家の塀と家屋の間で、ですか」
「ええ、ウチの二階のベランダから山下さん家の、あの辺りが見えるんです」
おれは遠藤氏を門扉の中に迎い入れ、場所を移動する。
着いた場所から現場を指で示してもらう。
「キッチンの外に当たりますね」
そのまま顔を上げれば、確かに遠藤氏の家屋がある。
ただし窓はない。
おれの家のキッチンの外を見ようと思えば、物干し台から乗り出すように首をまわすしかないだろう。
「もしかして、洗濯物でも飛びそうになったんですか」
「ええ、その通りです。良く、おわかりになりましたね」
気は良いが間抜けな遠藤氏の言葉に何故だがおれがホッとする。
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