7 疑
翌朝早く、仮眠から目覚めると家の中に怖い顔がある。
特に凄んでいるわけではないが雰囲気が怖い。
そんな感じの男が電気修理屋の格好をして家の中をうろついている。
他にも数名、男の仲間たちが忙しそうに右へ左へと移動している。
男の名前は葉山という。
職業は刑事だ。
現在、電気修理屋に変装しているのは犯人に刑事と見破られない用心だ。
が、おれは疑問に思う。
こんなにも雰囲気が怖い電気の修理屋がいるものか、と。
加えて、ガタイも良い。
全身から発する刑事臭。
おれは葉山の正体を知っているが、たとえ知らなくとも、葉山は刑事としか思えない。
警察には素人のおれでさえそう思うのだから、犯罪を引き起こす側の人間だったら一発で見破るだろう。
昨晩、おれからの通報で警察が来る。
おれは夜半まで捜査に付き合ったが、その後、服を着替えもせず寝落ちする。
当然、その間も捜査は続けられたのだろう。
「やはり血液は出ませんね」
おれは硬く口を閉ざしていたが、妻が倒れていたキッチンの床を調べていた葉山の仲間が葉山に言う。
いわゆる鑑識課の人間だろうか、それとも科捜研か。
「気に食わんな」
葉山が答える。
おれに近づき、
「実は山下さんが誘拐犯人じゃありませんか」
眉一つ動かさずに、そんなことを訊く。
「冗談は止してくださいよ。わたしは被害者ですよ」
「世間には良くあるんです。狂言誘拐が……。さらに奥さまがグルで……」
「そんなことを仰られても……」
「血液は検出されませんでした。けれども代わりに次亜塩素酸ナトリウムが検出されました。だから次亜塩素酸ナトリウムで血液がキレイに分解されたという可能性があります」
葉山が口にしたナトリウムという言葉に思わず、おれがギョっとする。
「どういうことですか」
自分の不審な挙動を隠すように、おれが葉山に問うと、
「次亜塩素酸ナトリウムはタンパク質を分解します。血液も水分以外は殆どがタンパク質ですから分解されます」
「仰っていることの意味が分かりませんが……」
「ウィルスにも効くから拭き掃除用にも使われます。ですが、キッチンの一点だけと言うのが気になります」
「気になります、って、どこがですか」
「キッチンの床を拭き掃除するなら全体をやるでしょう。違いますか」
「ああ、そういうこと……」
「それが、ごく一部だけ。……とすれば、そこにだけ血液による汚れがあり、次亜塩素酸ナトリウムが使用されたとも考えられる」
「妻が誘拐される前に血を流すような怪我をしたということですか」
「ほう、今度は急に頭の回転が速くなりましたな」
「……」
「しかし大きな怪我ではありません。大量出血ではないからです」
「それが、いったい……」
「いえ、血が残っていたらマズかったのかな、と思って……」
「……」
「単にキッチンタオルで拭き取ればいいんですよ。出血してすぐなら血だって拭き取れます。それでダメなら、キッチンタオルを水に濡らして拭けばいい」
「何が言いたいんです」
「山下さん、お怪我をされていませんか」
「さあ、憶えがありませんが……」
「手と足を見せてください」
「今すぐにですか」
「はい」
「まあ、構いませんが……」
葉山はまずおれの手を調べ、異常がないので足に移る。
おれは靴下を脱いだが、中から出て来た足にも異常はない。
「ちょっと失敬……」
葉山がおれのズボンに目を止める。
「左の脛の辺りが汚れていますね」
葉山にそう指摘され、おれも自分の左足を確認する。
すると確かに何かに打つけたような跡がある。
……と、急に記憶が蘇る。
「裾を捲ってください」
葉山に言われるまま、おれがズボンの左裾を捲る。
すると……。
「ああ、怪我ですね。軽い打撲ですかね」
自分では初めて気づくが、確かに何かが打つかったような跡がある。
思い当たるのはアレだ。
妻の死体を見て驚き、公園まで走ったとき……。
あのとき何かに足を打つけたのか、左脛辺りに痛みを感じる。
が、まさか、軽い怪我までしていたとは……。
「僅かですが、血が出た形跡があります」
「ええ、確かに……」
「今のところ方法はわかりませんが、山下さんが奥さまを殺害されたときに付けた傷じゃありませんか」
「滅相もありません。違いますよ」
「では、どうして……」
「それは、わたしにもわかりません。今初めて気づきました」
「それだったら思い出してみてください。山下さんが行った、足に怪我をされるような行動を……」
「妻が誘拐されたことがわかり、吃驚して、知らずにどこかに打つけたんじゃないでしょうか」
「家の中で、ですか」
「門扉から玄関まで歩いていますから、敷地内ですが、外かもしれません」
「この家の庭に足を怪我されるような場所がありますか」
「さあ、ないはずですが……」
「申し訳ありませんが、そのズボンを我々に預けてください」
「何のためです」
「山下さんが身の潔白を証明するためですよ」
葉山がそう言い、一段と怖い顔でおれに微笑みかける。
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