宿題

双樹

第1話

「申し訳ない。宿題を見せていただけないだろうか」

 五時限目が始まるまで残り十分。その声は右隣から聞こえた。

 村口悟は顔を声の主のほうへと向ける。

「ーーめずらしいな。橘、やってこなかったのか? まさかおまえのことだから内容がわからないってことはないだろうし。どうしたんだ?」

「いやあ、悟。あんまり私を買いかぶらないでくれよ。恥ずかしながらその『まさか』さ、一晩寝ないで解いては見たがさっぱりわからなかった」

 気恥ずかしげに笑う彼女、橘睦美の顔には確かに努力の後が窺えた。

 色白の細面はいつにも増して白く、時折眠そうにあくびをしては目を瞬いている。普段凛とした雰囲気を崩さない彼女の珍しい姿に少しドキッとしてしまう。

 ーーそんな無防備な姿見せんなよ。

「……朝来たときに言えばもう片づいていたのに」

 悟が今日、橘と顔を合わせたのは一度や二度のことではない。なにせ同じクラスの隣の席にいるのだ。いくらでもチャンスはあった。

「……乙女心とかいう奴さ。悟に格好悪い所見せられない」

 彼女はちょっぴり肩をすくめる。

 悪びれる様子もなく言うことではないが、そのときいつもより白かった頬がほんのり朱に染まったように見えた。意外と本当にそうかもしれない。

「ーーっ。仕方ないな、ほれ」

 手に持っていたプリントを彼女の席に置いてやった。恥じらいが伝染したのか。何か気恥ずかしい。

 ーーありがとう。

 それだけを口にし、睦美はシャープを持って、ひたすら悟のプリントを写していく。


 十分後。五時限目の開始と同時にプリントが壇上へ集められる。

 全員の提出を確認するべく教師の手が、宿題を十数枚めくったのち止まる。

「びっくりしたぞ、お前らいつの間に籍入れたんだ?」

 ご丁寧に回答だけでなく名字までも写したプリントが教師の手によって高々と掲げられると、クラスはからかいの混じった笑いの渦に包まれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宿題 双樹 @strike_realworld

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る