07-10-03:選択の時
ステラは今、何と言ったのか。シオンは信じられない目で彼女を見ていた。
(ステラさんは、まかり間違っても『殺しちゃおう』などと……嬉しそうに言う人ではない)
ステラは阿呆である。食い意地の張った馬鹿である。マジぶっ殺すぞという時は、楽しみにしていたデザートを食べられたときぐらいだ。あの時は泣きながらマウント取られて本気で死を覚悟したが、今の彼女はそういうたぐいの微笑ましさは一切ない。
単純に殺すことが楽しくて仕方のないように見える。だから、何かがおかしい。
「フンフフンフ~ン♪」
美しい歌に乗せて破滅が世界樹を、ジャバウォックを食い尽くさんとしている。もしそれが終われば、彼女はそれらを外へ解き放つだろう。同じ結論に至ったのはシオンだけではない。
『騎士シオン、撤退を推奨します。巫覡ステラは暴走状態にあり、このままではイルシオを飲み込み消滅します』
「っ?!」
イフェイオンは予測の先を行っていた。確かにこの災禍は樹木だけに収まるまい。街1つを飲み込んだとして何を驚くことが在るだろう。歌う彼女には何のためらいも期待できそうにない。なにせ、言葉どおりに全てを殺してしまうつもりなのだから。
(だが、しかし……)
このまま逃げるべきなのか。イフェイオンの言うことは最もであった。最早ステラは災禍と成り果てた。こんな彼女を一体どうしてやれるだろう。あるいは一介の探索者として見るならば、周辺の街やギルドに報告して警戒を促すべきだ。だがそれで正しいのだろうか。
(いや、違う。彼女は……)
自問自答するシオンは抱いている違和感の正体に気づいた。これら黒の淀みは濁流と成って全てを押し流し、喰らい尽くしているが、1つだけ手を出さないものが在る。それは彼自身の存在だ。黒禍はシオンを認識して避けているのである。つまり、これらは全てステラがしっかり意思を持って統率している魔法なのだ。
ならばイフェイオンが見積もる『暴走』とは言い難い……ステラが術を止めたなら、この黒禍を止めることが出来る。だがイフェイオンの決断はそうではない。
『騎士シオン、再度警告します。撤退してください、ここは危険です』
「しかし、ステラさんを、おいては、行けない」
『巫覡ステラは災禍の中心です。騎士シオンは彼女から逃げる必要があります』
見ればステラが楽しそうに滅びを歌っている。いつか歌っていた『アメイジング・グレイス』だ。素晴らしき恩寵を歌っているはずなのに、齎すものは滅びそのものである。痛む腹を抑えつつ、脂汗を浮かべるシオンは歯噛みする。
正直に言えば撤退すべきなのだろう。今シオンは満身創痍であり満足に動くことすらままならない。ステラは何の声も聞こえないとばかりに自由気ままに暴力を奮っている。今、彼の手が届くところに彼女は居ないのだ。
だからもう迷う事自体が無駄なのだ。彼は唇を噛んで立ち上がろうとし……ふと彼の手にふわりと朱いリボンが触れた。
(『あるじ』)
「んぇ?」
なにか声がきこえた。幻聴だろうか……だとしたら不味い。今シオンの腹は貫かれ穴が空いている。失血しすぎて朦朧としているいる証拠にほかならない。しかし声はなおもシオンに呼びかけ、やがて『あっ』と気づいたように自己紹介した。
(『わたし、りやん。あるじのりぼんの、りやん。げんちょうじゃない』)
「えっ。えぇ?」
リヤン。それは辻風竜胆に巻き付いた、ステラが生み出した
だが今になって声をかけるのは何故なのだろう。
(『あるじをてつだう。ままをたすけよう』)
「ですが、どうやって?」
(『つるぎをつくるの』)
「剣……?」
(『でも、とてもおおきいだいしょうがいる』)
「支払えるなら、出来るのですね?」
(『うん。でも、こうかいするかも……』)
「後悔……」
『騎士シオン、独り言を言っている場合ではありません』
「えっ?」
『ジャバウォック死滅を確認、世界樹の崩壊が始まっています』
相変わらず警告音を鳴らすイフェイオンは矢継ぎ早にシオンを急かす。どうやらリヤンの声はイフェイオンに聞こえていないようだ。
(『あるじ。いまきめて。ままをたすけるのなら、ここにのこって』)
『騎士シオン、一刻も早くお逃げください。此方は騎士シオンの安全を優先します』
「……」
シオンに選択が示された。ステラを助けるか。ステラから逃げるか。
逃げたとて誰も責めることはないだろう。これだけの災厄に見舞われた彼は正しく被害者だ。憐れみこそすれ、蔑む者は誰一人いないだろう。ただ魔女が街を滅ぼした、そんな結果だけが残るのだ。
故にその1言が、彼の路に標を付けた。
(ああ……後悔。後悔は、したくありませんね)
もしここで逃げたなら。彼はステラを置いていったことを一生悔やむだろう。災厄に成り果てた彼女を、世界の敵として置いていったことを懺悔するだろう。
シオンは腹の傷を見た。思ったより出血がひどい……寒気もする。もしここで逃れても、失血死する可能性は捨てきれない。もし治療を受けたとしても今夜が峠といったところだろうか。
ああ、それならば。どのみち死するというのなら。この命の使い道をどうするか――そんなものは1つしかない。
「イフェイオン。僕は、彼女を救います」
いつかそうしてくれたように、彼は彼女に手を差し伸べる事を選んだ。
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