07-02:ファルティシモ家にて

07-02-01:猫と昇降機

 イルシオの町並みは非常に立体的で入り組んだものだ。地上を歩く分には太い木立の合間を縫うように歩く必要があり、また空を見上げれば吊橋を渡る人たちを多く見かけることが出来る。家々は丸い木にそって円形の小屋になっている。背の高い木々の森をそのまま建屋にしたと言うべき地区設計であり、てんでバラバラのようでいて規則正しく並んでいる。


 錯視の街であり、また同時に空中庭園を形にしたような町並みだった。


「こりゃ立派な森に三次元構造の家屋となりゃ複雑だわな。ある意味水路のないルサルカと言うべきか」

「昇降機の有無はありますけれど、似ては居ますね」

「それな。到るところで動いているのは見てて楽しいよ」


 昇降機は動滑車によりかごを上下する単純な仕組みだ。まだ入口近くの地区は人力駆動で、乗った人あるいはゲートキーパーになる人が賃料を得て駆動するようだ。

 もちろんステラが知るエレベーターのように安定しているわけではない。風でゆらゆら揺れる不安定さなのだが、皆熟れた様子でスルスルと上下していく。


(ほんとに慣れなんだなぁ……)


 そんな中でステラは一匹の猫を目に止めた。なんてことはない一般的な野良猫だが、その仔は今まさに上らんとする昇降機にするりと身を潜らせて乗り込んでしまった。また昇降機を操る人も気にした様子はない。

 かつて読んだ本に書かれたとおり、我が物顔で利用しているようだ。


「ほんとに猫が乗って移動してる……この街の猫たちは賢い仔が多いようだな」

「よく見ると、特定の昇降機が動くまで寝入っている子もいるようですね」

「猫は誰しもがマイペースだからねぇ。せっかちさんも、のんびりさんも様々だ。ましてや人の居る街なら皆ゆったりしたもんさ」


 少なくとも魔物という驚異がない時点で安全は保証されている。街の外で生き残るよりはよっぽど気楽に過ごす事ができるだろう。


「そろそろ僕らも上に登りましょう」

「ならあそこの――」

「猫が待ってる所ですね、わかります」

「シオンくんは心が読めるのか……?!」

「どうでしょうね?」


 顔が驚愕に彩られるステラであるが、この流れで分からないほうが稀有であろう。目を丸くするステラを連れて、シオンが料金を払って2人は小型の昇降機に乗り込む。


 するとやはり狙ったかのように猫が1匹、2匹と乗り込んでステラの前にやって来た。猫たちはそれぞれひと声ニャアと鳴いて行儀よく籠の隅に腰を下ろす。


「なんて言ってるんです?」

「あいさつだよ。一緒に乗せてくださいね~ってさ」

「へぇ、律儀な猫ですね」

「たぶんわたしが乗ってるからじゃないかな? もう猫たちの間では私の事は知られているだろうし」

「そう言えば有名人でしたね。特に猫からは」

「むふふ、そうなのだよ。サインは入り用かい?」

「サイン? 一体何にサインするっていうんです?」

「えっ……あ。あぁ~なるほど、そうか。所謂『記念にサインを貰う』って一般的じゃないのだったな」


 こちらの世界では名前とは署名以外に用途はなく、有名人が名前を書いた色紙を配ると行ったことは無い。正しく契約のために必要なものであり、ステラが言う記念品を頒布しようものなら偽造される可能性が大いにある。まず間違いなくシオンに止められる行為となるだろう。


 ギシギシと鳴る滑車とロープの音を聞きつつ昇降機は登る。2人と猫たちはおとなしく光景を見ながら、2階層の吊橋へと辿り着いた。降り際も猫たちはニャアと鳴いて、とてとてとしっぽを揺らせて行ってしまった。


「……いまのは『有難う』ですか?」

「その通り! シオンくんも猫心が解ってきたようだなぁ」

「何となくですけどね」


 ご機嫌なステラはシオンと連れ立って欄干を歩く。木板はぎしりと鳴ることもなく、行き交う人々を支えていた。


「当たり前なのだが、意外としっかりしているものだな」

「そりゃ大きな街の道ですから。もとの木の枝葉を利用して、頑強な支えを構築しているんですよ」

「太い木だし枝も相応に太いってことか」


 続いて揺れる吊橋を何度かわたり、街の光景が少し変わってくる。欄干に使う木材が良いものに変わってきており、また昇降機も単なる籠ではなく手の混んだ鳥籠のようなものになっていた。家々も同じく、一本の木で完結していた小屋が、複数の木々でつながる大きなものへと変わっていく。


「この辺まで来ると中流階級って感じの町並みなのかな」

「そうですね。所謂名字持ちの『家』はこのあたりを起点に住んでいますね」


 行き交う人々も少しだけ衣服が良いものに成っているように見受けられる。さらに観察すれば、地上と中空で作業している人の違いが明確に分かれているのが解るだろう。つまりは労働者は地に、その雇用者は上にといったものが明確に成っていく。


「うーむ、現代社会の縮図を見ているようだ。大手は無理を言い下請けが聞かざるを得ずに疲弊して潰れていく……『ノメノメ』『セッタイ』『メガコーポ』……ウッ頭が」

「いつもの発作お疲れ様です」

「シオンくんは良い経営者になってね……」

「いや商人になる予定はないんですが?」

「今後の話だよ。此の旅も半ばを超えたところに来た……ならそろっと今後についても考えて良いんじゃないかね?」

「それは――」


 突然のことであるが、確かに旅を終えたあとの予定はない。今はステラという問題児を見放さないようにしているが、もしすべてのヴォーパルを巡り終えたら? 流石に彼女ももう問題なく――シオンの基準で一応ギリギリセウツなグレーゾーンでは有るが――生活できている。


 ならもう一緒に旅をする理由もなく、また何か大業を成すといった夢もない。彼はただ惰性で今を生きている。決して未来を見据えて何かをしているわけではない……そう感じたシオンは、ステラの問いかけに答えることができなかった。


「まぁ今すぐにって訳じゃないが、いずれ道を決める時が来る。その時のために考えておくと良いだろう」

「……ちなみにステラさんは?」

「そりゃまぁ……美味しいものを求めて東へ西へかな。でもそれは2番目にやりたいこと。1番目は……秘密だよん♪」


 一歩前に出てくるりと半回転し、人差し指を口元に持ってきて可愛らしくウィンクする……と、シオンが愕然とした顔でステラを見ていた。


「え、何を驚いているんだ?」

「ステラさんに……食道楽より優先するものが有る、ですって?!」

「ばっきゃろぉぅい、わたしかてそれぐらいあらぁな。そもそも乙女とあらば秘密の1つも持つもんだろうに」

「乙女……おとめ??」

「そこは乙女で通せよぅ! とおせよぅ!」

「はぁ……」


 むきーっと怒るステラはくるくる回りながら揺れる吊橋を渡る。不安定な橋の上でも流石、彼女は独楽のように安定していた。


「ステラさん、回るのは良いんですが通行人の迷惑なので止めましょう」

「アッハイ」


 直ぐ様踊るのを止めて直立不動となったステラはコソコソとシオンの後ろに戻る。吊橋は狭いのだ。


「さて、もうじきハシントの家ですよ。身だしなみは良いですか?」

「問題ないぞう! なんたってステラさんはかんぺきだからな!」

「わーすごくたのもしいなー」


 棒読みで答えるシオンに、ステラはウンウンと満足そうに頷いた。やがて道をゆく先に大樹を起点にした三階層建ての大きな屋敷が目に入る。


「あれが――おや?」


 シオンが言葉にする前に彼女は玄関口から複数のメイドを伴いやってきた。出迎えるのは、いつか見た眠たげな顔のパーフェクトメイド、ハシントその人である。くるりとカーブする金髪、瞳は緑でぽやんと眠たげな目は見る人をホンワカさせる。ただいつかと違って彼女は淡いグリーンのドレスを着ていてステラは驚き、当然かと自己完結した。


 かつて見たメイド服でない姿にびっくりするステラは、彼女の完璧なカーテシーを前に慌てて礼を仕返す。


「お久しぶりです若様、ステラ様」

「ハシントも元気そうで何よりです」

「久しぶりだよー! っていうか準備良すぎない?!」

「フフフ、では此方へどうぞ。お茶を用意していますわ」


 なんてことだ、来訪を予め予期していたというのか……。彼女はクスリと笑顔を浮かべて二人を屋敷へと誘うのだった。

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