06-02-03:食神ヴァグンのハンバーグ

 席に案内されたステラは開口一番手をピンと真っ直ぐ掲げ、まばゆい笑顔で注文する。


「わたしハンバーグ! はんばーぐ!!」

「ソースはどうしますニャ?」

「ファッ?!」


 ステラはがちりと固まった。ハンバーグといったらシンプルなものである。この世界においてハンバーグを作れるのはヴァグンただ1人であり、味付けは塩コショウであった。当時はデミグラスソースも開発中で食べさせてもらえなかった。


 そのはずだったのに……ソース。ソースを選べるというのか。これは由々しき事態である。


 席についたシオンはステラの空気が変わったことに気づいた。というか完全に目がすわっている。静かに座った彼女は手を組みチャルタを見据えた。


「……そこ、詳しく」

「ひっ」


 なにか恐ろしいことが起きている……チャルタは直感し戦いた。まるで戦鬼の如き気迫である。


「答えてくれ、ソースは……ある?」

「ご、5種ですにゃ」

「っ!!!」


 ステラは天を仰ぎ涙した。やはりヴァグンは食神であった。歓喜に打ち震えてせざるを得なかったのである。


「何してんですかステラさん……」

「ああ……神はここにありだよ……」

「いや意味がわかりませんからね?」


 シオンがジト目で見ると、ステラはポツリと語る。


「わたしがのは、ただ可能性の提示だった……レシピ、その真髄は隠されし秘技なのだ。しかし、しかし……ああ、彼は正しくわたしの言葉を理解し、研鑽し、組み上げ、完成させたのだよ。これは問いに対する答えだ、ああ、ああ、なんて……美しい……」

「まずいぞ、ステラさんがポエムを吐き出した……一旦出直――」

「ヤダーーー! はんばーぐたべるうううう!!」

「ああ、戻ってきましたね。じゃあ僕もハンバーグで……ソースというのは?」


「に、ニャア……ええと。テリヤキ、ホワイトソース、チーズ、チリ、デミグラスですにゃ。オプションでタルタのソースも付けられますけど、甘いテリヤキと辛いチリならお勧めニャ」

「ああっ! TERIYAKI!!」


 またステラがわなわなと震えて叫んだ。


「あるのかい?! TERIYAKIが!」

「ニャン?! あ、ある、ですニャ?」

「SO☆RE☆DE!! タルタもつける!!!」

「じゃあ僕はデミグラスでお願いします。試作域からどうなったのか興味深いですね」

「ファッ?! 何故シオン君試作していることを知っている! わたし食べてない、たべてないぞ!」

「そこは主特権でね」

「ギギギ……くやしいのう、くやしいのう……!!!」


 本気で悔しがるステラに、チャルタは恐る恐る手を上げた。


「えー、注文は以上で?」

「「あっハイ」」

「わかりましたニャー、少々お待ちを!」


 チャルタはしっぽを揺らしてオーダーを伝えに駆けていった。



◇◇◇



 これほど待つ時間が長い事もなかろう。ステラは押し黙り、シオンは殺気立つステラに尋常でない……と一瞬思ったがいつもの事かとのんびりエールを煽る。


 何だかよくわからないが空気が重い。隣のテーブル客は謎の気配にゾクリとして周囲を見渡した。しかしおばけは特に見当たらない。


 はたしていかほど待ったか、その料理は神の手により運ばれてきた。


「ヴァグンさん!」

「久しいですね」


 にっこり笑顔のドワーフは、いつかと同じようにコック帽をゆさりと縦に揺らす。そして両手にある皿をそれぞれの前に差し出した。


 じゅわりばちぱちとやけるのは、


「あああっ! 鉄板! 鉄板皿!! 焼き鉄板で! 焼き皿に!」


 である。まさにいま香ばしく焼きあがるひき肉は目の前で油をはねさせているのだ。そこにそれぞれが注文したソースが泡を立て沸騰し、ふわりと濃厚な甘い香りを返してくれる。


 ヴァグンはそのまま恭しく礼をしてどうぞと促した。


 ステラは添えられたナイフとフォークをガッとつかみズバッと構え、ヒュパリと熱々の肉に狙いを定める。フォークで抑えナイフでつぷりと切れ目を入れる。最早一刻の猶予も許さぬ所存であるが――。


「ふむん?!」


 なんと柔らかな……まるで蒸しパンの如き繊細さとプリプリ感。ハンバーグに目を眩み暴食に奔ることはあまりに愚行、ことは慎重に行わねばならぬとステラは直感した。この間0.1秒のことである。


 2年前ならばカチリと音を立てたろうナイフ捌きは、しかし永らくの探索者ハンター家業が功を奏し、鉄板を引っ掻くことなくただ一片のハンバーグを切り出す事に成功する。


「むうっ……!」


 断面から……肉汁……ッ! あふれる……滝のごとく……ッ! 恐るべき波がざぶざぶと溢れている。ステラは慎重にソースとハンバーグを絡め、震えを抑えながら口へと運ぶ。

 近づくほどに、かの調味料……醤油の香りがただよった。仄かに魚の香りがするのは魚醤故か、しかしいやらしい臭みはなくむしろ濃厚な旨味を予期させる。


「はっふん…………」


 瞬間口に広がる醤油の辛み、ついで舌を取り巻く少し焦げた砂糖の甘味。噛めば溢れる肉汁が、ソースと混ざって旨味が青天井だ。なつかしくもあたらしい、これはどうにも


「むはぁぁぁ~~~~!」


 たまらず叫ぶステラは間髪入れずに次の一片を切り出さんとする。だが次の一手を如何にすべきか……ただ絡めて頬張る? それもよかろう、だが足りない、それでは足りないのだ。


 テリヤキにがテリヤキたるべきには、もう1つたりない。小さなカップに盛られた白亜のソース、タルタ。これこそが究極足らしめん一指しであり、完全を究極へと押し上げるファクターである。


 だがソースを如何にしてかけるべきか、お上品に掬ってよそう? だが最早堪えが足らないのだ! ステラの舌ははようはようと囀る燕の幼鳥が如く求めている。フォークの肉片をそのままざぶりと白亜の海へと漬け込んでしまえ!


 テリヤキソースの茶褐色と混ざり合う? 知ったことか、どうせ混ざるのだ。綺麗事などしまえばいい! ステラは2つが混ざり合うソースをかぷりとくわえ込んだ。


「むっふ! むっっっっっふ!」


 錬成である。これは錬成の儀式である。口腔を八卦炉とした仙丹を錬成する奥義だ。甘辛い照り焼きソースが酸味のあるタルタと混ざり合い、お互いを高め、螺旋を描き、上り、登り、昇り、猛り、狂おしいほどに


 すわ極楽浄土か。もっちぇもちと噛む毎ステラは常世の理を忘れてこの取り合わせに魅了されていく。なんたる、なんたることか。照り、タルタ、テリタルタ、複雑な味の絡み合いはそれだけで終わるはずもない。


 付け合せのパンだ。珍しく柔らかく、ふかふかのパンが添えられている。ステラは背筋に怖気が走るのを感じた。


 なんという策謀であろう。


 このパンは客の腹を満たすために用意したものではない。飽きさせぬための工夫である。ちぎり、かじり咀嚼すれば口腔の脂とテリヤキソース、タルタのソース何れも洗われてまた新たな心地でハンバーグを楽しめるという心遣いだ。


 もはや悪魔の手引きに等しいもてなしにステラはまんまと嵌った。


「むっふぅ~~~~♪」


 また新たな心持ちでハンバーグを齧る! 食す! 喰らう! これはゆっくり食べるべきものだというのに、手が、口が、体が止まることを知らない! 止めようがないのだ、今ステラはハンバーグを食べるためだけにこの場に存在していた。


 カチン。


 だが無粋な鉄鳴りがする。はて何だこれは。ステラは皿を見やる。


「ッ~~~~~!!」


 無い! ハンバーグが、無い!! あれだけあった巨大な肉塊が、唯の一欠片も、肉片1つでさえ綺麗さっぱりなくなっている! これはどうしたことだ! どこへいったというのだ! ステラは大いに慌てた。


「シオンくん大変だ、わたしのハンバーグがどっかいった!」

「いやあれだけ美味しそうに、しかも勢いよく食べればそうでしょうよ」

「なんっだと……?!」


 シオンはまだ半分ほど、行儀よく食べている。一口食べるごとふむふむと頷き、腕を上げましたねとヴァグンを褒めている。対するヴァグンはそれに頷き微笑んでいた。

 視線に気づいた彼はステラに振り向くと、口ひげをわしゃりと歪めとてもいい笑顔でステラに頷き踵を返す。だからステラはシオンに目を向けた。


「……あげませんからね?」

「ウッ! そ、そこまでさ、さ、さもしくな、な、ないし!」


 そんなステラのもとに、コトリとちいさな皿が配られた。はてなんだと顔を上げれば、チャルタが苦笑しつつ『ヴァグン店長のサービスです』と言って手を振り仕事に戻る。


 はて皿の上には何が乗っているのか。


「こ、これはプリン!!!」


 これもまたステラが教えたレシピの1つだ。ぷるんぷるんのなめらかな肌にぽよぽよの身はいつか食べたものと同じだ。褐色のカラメルがかかる黄色の柔肌にスプーンを通し、ぽよんとすくい取って口に運ぶ。


「むっふぅん……」


 甘い……そしてなんて優しい……まるで慈母が包み込まんとする柔らかさ。2年前と比べて着実に腕を上げている。当時でさえ神の手と思わせた彼の業前は何処まで進化するというのか。


 幸せの吐息を吐きながら、ステラは今度こそゆっくりと、確実に、蕩めかすようにプリンを平らげる。


 ああ、食事とは斯く在るべき。食べきったステラは、とても、とても満足であった。

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