05-07-04:海の上にて
一方シオンは悠々と海上を走っていた。
(案外イケるもんですね)
普段ステラを見ていると『魔法という技能の使い方』に幅があることに気付かされる。例えば今、シオンは風を纏うのではなく風を踏んで海上を走っているのだ。これはステラの浮遊魔法を参考に彼なりに考えて編み出したものである。
もちろん骨子は身体魔法なので攻撃魔法として使えるわけではないが、こうした状況では非常に強い能力だと言えよう。
(ただ、イフェイオンが使えないのは痛いですね)
もしイフェイオンが使えるならサポートを基底としてもっと早く走れたのだが、無下に断られてしまったのだ。イフェイオン曰く、
『V.O.R.P.A.Lを近づけることは、彼の存在に対して刺激を与えるため非推奨です』
とのことだ。であれば六花の結晶をもつシオンが近づくこと自体が不味いのではと思うのだが、その点は問題ないらしい。飽くまで
よって自前でなんとかするしか無く、現在波の上を滑るように走っているのである。以前の空戦はイフェイオンのバックアップありきで宙を踏んでいたため心配したが、魔力があるなら案外なんとかなるものだ。
程なく引き込まれる船に取り付き、投げナイフを突き立てて簡易ラダーを作って甲板へと昇る。
船上は背後のクラーケンの出現で大騒ぎとなっているようだ。
(そりゃそうでしょうね。こんな小舟なんて一捻りでしょうし)
小舟と言うにはいささか大きい100人乗りの船だが、クラーケンの前では泉に浮かぶ枯れ葉に等しい。
「おっと」
今まさに触腕が1本船に絡みついて引きずり込もうと暴れている。ミシミシと木材が悲鳴をあげる音がして、バキバキと折れる音がそこかしこから聞こえてきた。
(うーん不味い。何処に居るんでしょう……?)
シオンが困っていると、腕に巻かれた赤いリボンがキュイと絞られる。
「リヤン?」
ステラの魔法により自由意志を獲得したリボンが、クイクイと導くようにシオンを引っ張る。
「……そっちに居るというのですか?」
喜ぶようにぴょんことはねるリボンが応え、シオンは導きのままついていくことにする。
◇◇◇
船の中は悲嘆と怒号で溢れかえっていた。ある者は嘆き、ある者は逃避し、ある者は倒錯し戦いを挑む。気配をけして導かれるまま部屋を探索していく。
(居るとすれば1等客室か、船底何れかでしょうね)
さらわれた理由まで聞いていないので何とも言えないが、少なくとも人質として価値があるとした上で攫っているはずだ。ならば商品価値が下がらないように手厚くするのが常道である。
逆に価値はあるが命の保証をしない……怨恨目的なら船底に居る可能性はある。だがその場合は船を用意する意味がなく、その場で殺せばいいから攫う意味がない。
思ったとおりリヤンが案内するのは比較的きれいな通路だ。シオンは足音もなく走って、ついに錠前の駆けられたドアの前にたどり着く。どうやら目的地についたようだ。船員の男たちは全て船上か操舵に手を取られているのか、付近に気配はない。
シオンはするりと己の得物を抜くと、気合一閃鍵を切り飛ばした。斬鉄は火属性のか水属性の〈スパーダ〉に適正があるが、技量があるならそれ以外の属性でも出来ないことはない。実際に彼の頑健のロングソードには刃こぼれ1つ無いのだ。
ごとんと落ちる鍵を蹴飛ばし、シオンは4度ノックしてからそっと扉を開いた。
「ひっ」
扉を開くと身を縮こまらせて怯えるエーリーシャが此方を見ていた。
「お、お兄さん……?」
「助けに来ましたよ」
「う、あ、うわわああああん!」
目にこぼれそうなほど涙をためた彼女は、入ってきたのが見知った少年と知ってついにわんわん泣き出してしまう。抱きつく彼女を宥めつつシオンはできるだけゆっくり、頭をなでてやる。
「ごわがっだよおおおお……!」
「そうですね、筋肉ばっかりですもんね」
だがこうしている間にも船体はミシミシときしみをあげてひしゃげている。少し申し訳ないと思いつつ、肩を強く掴んで引き剥がした。不安そうなエーリーシャに目線を合わせ、なるべく優しく話しかけることを心がける。
「さて、こんな船からはさっさと逃げ出しましょう。実は今、大絶賛クラーケンに襲われているのです」
「ひぇっ?! だ、だいじょうぶ、なの?」
「僕らは大丈夫です。なのでちょっとだけ離れててくださいね」
シオンが立ち上がり、小窓に向かって剣を二度振り下ろす。カツン、カツンと音を立てて線が走り、壁を蹴ればそのまま外への出口が出来上がった。キチと剣を収めたシオンはエーリーシャの前に傅くと、その小さな手を取って懇願する。
「さて、プリンセス。お手をお貸しくださいますか?」
「えっ、あぅ……」
王子様顔負けの爽やかな笑顔を浮かべれば、小さなプリンセスは熟れたりんごのように真っ赤になってしまった。コクリとうなずく少女に断って横抱きにすると、先程まで泣いていたのが嘘のように静かになってしまった。
「少し飛びます。怖くありませんか?」
「う、ううん。お兄さんが居るから大丈夫……」
いいながらギュッと胸元にしがみつくのを確認したシオンは出口から外の様子をうかがう。相変わらずクラーケンは至近距離で暴れており、海は渦巻いて船体を飲み込まんとしていた。
(不味いな……出るタイミングがない)
タイミングを誤れば暴れる触腕に叩き落とされかねない。また海面も船の残骸と渦潮で動きが読みにくく、風で海面を踏むにしても少々危険を伴う。
此処は多少のリスクを飲み込んで飛び込むべきか……そう思った時にクラーケンの動きが突如止まった。
「よくわかりませんが好機! 口を閉じてください!」
「!!」
エーリーシャが目を瞑ってシオンにしがみつき、彼は荒れる水面へと躍り出た。理由は不明だがクラーケンの動きが止まっているならやりようはある。パシンと水面を弾いて着地した彼は全力で海面を走りその場を離脱する。
軈てクラーケンがゆっくり動きを再開し、シオンの背で船は海の藻屑となって消えていった。
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