03-17-04:ヘクラリトアス/インビジブル・エッジ

 すべての色がネガとなり、人は影と化して暗色のみを返す。


 昼は夜。朝は暮。すべては意味無きガラクタに過ぎず、その存在価値を示すのは魔核の煌きただひとつである。


「ここは……」

『驚きました。確かに緋想領域アストラルです。巫覡ステラのスペックを上方修正します』

「フフン、やるときゃやるのが、ステラさんだぞー!」


 そしてカスミが居たベッドの位置を見たシオンは、示された事実にショックを隠しきれなかった。


「……これ、が?」

「そうだ。カスミさんだよ」


 目の前に横たわる影、その胸元にあるか細いひび割れ。小指の先ほどに小さい石はいびつに歪み、また網目のように向こうが透けて見える。


「なんて、小さい……」


 シオンが知る魔核は少なくともこぶし大の大きさは在るはずだ。しかしこれはどうか、小さく鼓動するように光れど、消えかけの蝋燭の如く余りに頼りない。


 もし触れれば忽ち壊れそうな程にひび割れており、今以て崩れないのが不思議としか言いようがない。


 如何にすればこのような形が出来上がるのだろう。仮に之がカスミの魔核だとすれば、こうなってしまう苦痛は如何なるものか。身震いするシオンには、その全容すら見通すことが出来ない。


 そして魔核の側にそれより大きな繭状のものを見た。ゆっくり明滅するそれはボロボロの魔核に対して非常に綺麗で、絹のようになめらかな表面をしている。そこから『カチカチカチ』と一定のリズムを刻む音が小さく響き、まるで時計の魔道具が魔道具の動いているような音に聞こえる。


「それが、元凶だよ。蜘蛛の卵さ」


 脈打つそれは今この場においては邪悪なものには思えない。しかし一度孵ったならステラがあの日見た悪夢を、シオンも目の前で見ることになるだろう。


『これは……有り得ない。然し……』

「イフェイオン、何か知っているんですか?」


『……申し訳ございません、該当情報の機密階位セキュリティクリアランスレッドにつき開示できません』

「せ、せきゅ?」

「色々あって、言えない、って事だよ、シオン君」


『ただし。剣士シオンの願いがの除去であれば、此方こなたお役に立てます。

 現状休止状態と確認しました。今であれば特に障害無く切除できます。

 剣士シオン、此方こなたを存分にお振るいください』

「つまり、問題はない……ということでしょうか」

「そうみたい、だな?」


 ステラが珍しく顔色悪く返答する。


『剣士シオン、お急ぎ下さい。巫覡ステラは長く持たないようです』

「はいそうですゥ~ちょっと思った以上にきついっすゥ~へえっへっへっへェ~。

 ごめんこれ以上はそんなに動かれんと思って……」

「わかりました、すぐに始末します」

「そうして」


 未だ脈動する卵に霞の構えを取ったシオンが切っ先を向ける。深く深呼吸の後、ヒュゥと息を吐いて〘フィジカルブースト〙を発動。

 練り上げた魔力を同時にイフェイオンへ送り出し〘スパーダ〙を発動する。いつか見た銀光が抵抗なく刀身を滑り、青と混じり合って一層輝いた。


「すごい……ストレス無く魔力が通る」

ネアだけでなく、トレアの魔力で通したためです。此方こなたトレアの変換効率が1番よい剣となっています』

「ああ、〘トレア・スパーダ〙ならロスも少ないんですね。なら多少激しく動いても保ちそうです」


 とはいえ常時全力駆動で5分が限界と見た。切っ先まで輝く剣を一歩の距離まで近づけ突き出す。するりと空を切る刃が正確に魔核に寄生する卵へと伸び上がり、


 ――がきり


 と音を立ててその突きは阻まれた。


「これは?!」


 小さな卵から、巨大な機械の足が姿を表した。真新しい真鍮に似た表面はきらりと輝き、関節を動かすシリンダーから魔力が蒸気の如く噴出する。


『警告。対象が機動状態スタートアップ・シフトへ移行しました』

「シオン君下がれ!!」

「わかってます!」


 下がると同時に手のひら大の卵がばりと割れて、幾対もの足が立て続けに殻を破り身を捩ってその身を表す。現れたのは、シオンが見上げるほどの怪物蜘蛛である。


 左右18対の肢脚はその内10対が未成熟で短く、魔力の蒸気を垂れ流してぷらぷらと揺れている。反面前足4本は鋭く尖り、片刃の剣のように鋭利になっている。


 付け根のど歌はは岩石をそのまま持ってきたような暗色の物質で、腹は上面が蛇腹の装甲で覆われている。また下面はいびつに蠢くピストンやコントロールロッドがひしめき、せわしなくガチガチと音を立ててうごめいた。


 頭は無数のパイプが縦横無尽に行き交い何らかの制御弁がカチ、カチと一定の速さで伸び縮みして蠢いた。


 そこに取ってつけたような円筒形の赤い8ツ目がシオン一瞥した後、ステラを捉えて怪しく光る。


 ああ、その様は笑ったように見えるのだ。



『RAAAAAAAAA!!』


 叫ぶ機械蜘蛛は円筒下部の顎がカチンと音を立てて開き、掻き啜る口吻と得物を砕く球形の異形鋸が高速回転を始めた。


「やべえ、小生の正体に、気付いてる! シオン君、頼んだ……!」

「分かってます!」


 正眼に構え攻撃に備える。蜘蛛が後ろ足2対を踏ん張り、4足を持ち上げて振り下ろす。順に来るそれを剣で弾く。


 ひとつ、剣の腹で刃を打払い。

 ふたつ、払う様に刃を合わせ。

 みっつ、叩きつける一撃がタイミングをずらし

 よっつ、受けつつその力を押し返すように相手へ返し壁へ叩きつけた。


 その衝撃に蜘蛛がたたらを踏んで距離を取る。


『警告。脚部節足の先端に論理構造ノルン・ギアを観測。形質は割断機構ディバイダーです』

「どういうことですか?」


『剣士シオンが言う所の〘スパーダ〙に相当します。しかし対象は未成熟状態で緊急機動したため、当初のスペックを発揮できていないようです』

「それは朗報です、ねっ!!」


 だん、と一歩を踏み出し前に出る。都合4本の剣を持つ相手だが、しかし脚部の構造によりその動作は限定される。


 例えば押し出すような突き。

 例えば抱えるような切り。

 例えば広げるような払い。


 同時に動けば脅威であり、また蜘蛛であればその素早さもあっただろう。


「だが余りに遅い」


 確かに蜘蛛の足撃は鋭く重い。仮に騎士が相対して受け止めようものなら、その鎧毎刺し貫くに足る威がある。一度受けるとなれば機械由来の正確さか、まさに必殺として相手を穿ち砕くだろう。


 だがシオンが持つ風属性の身体強化ネア・フィジカルブーストの前に、それは蝿が止まるほどに遅い。


 アクチュエータが軋みを上げて迫り、半歩のステップでそれを回避。同時に刈り取るに振るわれる剣を切っ先を向けて突き立て機先を制す。


 ギチリと音を立てて剣が衝突し、引っ張られるようにシオンが前進した。


 同じスパーダでは単純に魔力の削り合いとなるが、切れぬ事実は利用できる。反動で瞬間的に加速し、しかし追撃の振り下ろしが鋭くシオンに振るわれる。これを上段に構える剣で防ぎ、押し負けぬよう受け流し踏ん張りつつ前へ。


 根本、腹、切っ先へと刃を滑り、それが離れた瞬間。剣に押しとどめられた膂力のすべてが最速の一閃となって解き放たれた。


「っせい!!」

『GRRRR?!』


 〘スパーダ〙を纏う剣は蜘蛛足1本の根本を穿つ。それはシオンも目を見開くほどにするりと足を切り離し、切断面からぷしりと可視化できる濃い魔力が吹き出し溢れた。


 そのままいざ腹の中へと飛び込まんとした所、開いた顎がシオンの頭蓋を狙う。これがガチンと閉じる前に回るように横へ移動し、距離を開けて襲い来る鋭脚の流れをすり抜けて離脱する。


 去り際にはらりと舞う青は彼の髪の幾つかだろう。引っ張られる感覚もなく切断された顎は、やはり断ならない威力がある。



『RRR……』


 蜘蛛は立ち上がるのを止め、身をふせて前腕を構える。遠くでギシギシと動く足から察するに警戒を強めたようだ。


 ボタボタと流れる魔力雫をそのままに、シオンは両手で静かにイフェイオンを構える。王道たる騎士剣は隙のない守りの剣だ。故にその攻撃にいち早く反応することができる。


 ぐいとふせた蜘蛛がその腹を掲げ、先端から球状の魔力が放たれる。小弾として放たれるそれはまるで大粒の散弾のようにシオンに襲いかかるが、的確に己に向かうものを切り払うなら問題はない。


 ただべしゃりと床に落ちたそれを見て考えを改める。へばり付くそれは粘着性のようで、想像通りの蜘蛛糸のようだ。そのものが魔法なのか消えること無くぷるりと留まっている。


 この粘着く糸は踏んだら最後、きっとその場に磔となってしまうだろう。


 事実ステラが手元に食らってしまい、手錠でもかけられたように動きを制限されている。


「ひぃいい、これするううう!!」


 涙目だろうステラを背にシオンは歯噛みする。撃たれる小弾をより的確に読んで振り払い、ステラに行かないように注力する。幸いイフェイオンの刀身は〘スパーダ〙を纏う事で蜘蛛糸の張り付きを免れているようだった。であれば後は数を熟すのみ。


 それを分かったのか蜘蛛の目が光り、弾幕がより一層苛烈になった。


「ちぃ……」


 切り進めなければ戻ることも出来ない。射撃と切り払いの我慢比べが始まった。だが時の経過はシオンに味方しない。

 〘ネア・フィジカルブースト〙の全力展開は残り2分を切っている。それが焦りをウムのかじり、じりとシオンが押され始めた。背後のステラまで気遣えばその消耗はやはり速い。1つを撃ち漏らし、2つを撃ち漏らし、嗤う蜘蛛の表情が憎たらしくギシギシと歪む。


 その腹に極太の槍が突き刺さるまでは。


『ARRRRRRR!!!』

「フフフ、でけぇ的だ……はず、すわけも…………」


 ステラの【石槍】ストーンランスである。飛翔体として設定された石の槍は螺旋を描き、突き立つと同時に真鍮の装甲を削り食う。蜘蛛が身を捩り振り払おうが、一度噛み付いた槍を振り払うことは出来ない。

 寧ろ身を捩ることで槍が動き、その大穴を抉るように広げてしまっている。


 そうして踊ること数秒で槍は貫通し、地面へと突き立った。


 がちんと床に打つかれば槍は砕け割れ、同時にステラが膝から崩れる。だが身までは倒すこと無く、耐えるように押し黙り俯いた。無茶をしたのは明らかである。


『好機と推測します』

「分かってます!」


 そう言ってシオンが剣を担いで風を纏う。


 蜘蛛は痛みを感じるのか暴れ狂い、煮え立つ魔力を周囲にぶち撒ける。そのものが熱を持つようで、触れればただでは済まないだろう。だが一直線に突き進む彼にそれは届かない。飛沫は纏う風に弾かれて、肌に触れる前に脇へとそれていくのだ。


 即座に間合いに入ったシオンは地が沈むほどに踏み込むと同時に、イフェイオンを蜘蛛の頭上へと振り下ろす。


「セイアアアアアアアアアア!!」


 暴れる蜘蛛が見るのは銀光、青より眩い流星である。咄嗟に気付いて身を捩るもその一手は余りに遅過ぎた。それでも脳天をそれた剣戟は頭の右側を削ぎ落とし、蜘蛛の肩口を薙いでそのまま地面へと突き刺さった。


 致命であれどいま一瞬においては存命である。不退転の一撃はシオンにとって致命的な隙となった。


 それは蜘蛛にとって好機と見えたろう。故に残る鋭脚を振り上げ、眼前の敵を貫かんと叩きおろそうとして……おかしいことに気付いた。


 己はを見ているのに、を見ているのだ。


『A……』


 どういうことか理解する前に蜘蛛は、蒸気をしゅうと吹いて地に倒れた。その頭は、都合十字に切り裂かれていた。


 切れ目よりとぷり、とぷりと魔力の雫を漏らし、しゅうしゅうと煙をあげて消えていく。


 何時かステラに見せた奥の手である。これは〘スパーダ〙の一閃に隠れるよう放つ忍ぶ一撃。振るう剣圧の幻に風を乗せることで実体を持つ、〘ネア・スパーダ〙の奥義『不可視の秘剣インビジブル・エッジ』である。


 くしゃりと潰れて崩れていく蜘蛛を前に血糊を払うがごとく〘スパーダ〙を解いて剣を振るう。同時に蜘蛛が溜め込んだ魔力が爆発的に広がっていき、周囲の蜘蛛糸も光になって散っていく。


『対象活動停止を確認。お見事です』

「他愛ない……と言いたいところなんですが。これで良いんでしょうか?」


 シオンが手にある六花の剣イフェイオンを掲げる。静青なる刃にはこぼれの1つもなく、また打ち合いによる傷の一つも見当たらない。すべてを切り裂く、というのも成る程納得の神剣であった。


「……」

『剣士シオン、巫覡ステラが限界です。領域が閉じます、ご注意を』

「っ?!」


 振り返ったシオンがぐらりと傾くステラを見た。慌てて近寄り、倒れる前に抱きかかえる。同時に反転世界が揺らいで色を取り戻し、元の霞の部屋に戻る。


「……うまく、いった?」

「ええ、万事」

「へへ……よかっ……」


 抱きとめたステラがか細く呟くと、そのまま気を失って倒れてしまった。あの時抱えたときと同じ軽さが手にとまる。だが委ねた重さはそれ以上にずっしりと手に乗っている。


「お疲れ様です、ちゃんと約束は守りましたよ」


 とんとんと背を叩くと窓から光が差し込んできた。開けぬ夜が無いように、昇る日はあまねく世を照らすのだ。


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