03-17-02:ヘクラリトアス/ファシル・トラップ
ステラが抜いた2剣をぷらぷらと振りながら廊下を歩く。
「色々思うところはあるよ? でもさ、これはちょっと酷くない?」
「いいんですよ、仕掛けなんてそんなもんですから」
「でもさぁ……あ、ストップ」
中空の何かを払うようにグラジオラスを揺らし、ロスラトゥムで選り分ける。ステラの目にしか見えない魔道具由来の述線……触れることをトリガーとする魔法的なトラップワイヤーである。なお起動する罠は飛針であり、刺さると意識を奪う非殺傷の毒が塗られている。
「はいどうぞ~」
「有難うございます」
ステラが押し開けた領域を、のれんを潜るが如く抜けて進む。
「あ、糸ありますね」
「ホントだ。うわー、わかり辛いな」
「2本ありますからね?」
「えっ? あ、ホントだ。危なっ」
暗がりに伸びる糸が1本。踏み越えた辺りにもう1本配置してある。油断を誘うあくしつなわなである。勿論触れないように飛び越えればもう意味をなさない。
ちなみに此方は催涙ガスの罠だ。吸い込めば忽ち気を失う非殺傷の煙が辺りを満たす。
このようにシオンの言及通り、通路にはトラップがいくつも仕掛けてあった。
だがキッチンからむこう、仕掛けられたあらゆる罠が意味をなしていなかった。唯一足止めの効果はあるだろうが、それも微々たるものだ。
「……一個ぐらい引っかかってあげたほうが良い気がしてきた」
「だめですからね」
「そうだよねぇ……あ、ここスイッチ」
「ん、確認しました。お手柄です」
「むっふふーそうでもな~い♪」
探索者由来の洞察力と、魔力を可視化する魔眼。2つが合わさると余程巧妙でなければ看破出来ぬわけもない。例えば何時かの『神殿都市』の如く、注意が向いてフラフラ歩いてしまうようならその限りではないが……勝手知ったるお屋敷で、その可能性は百に一つもない。
そもそもアルマリアのお屋敷にこのような仕掛けはなかったのだ。蛇足たるトラップを仕掛けてしまえば、どうしても違和感が目立つ。
「いや……逆に見つけて欲しいのか?」
「そうかもしれませんね」
こうして障害が意味を成すこと無く、サクサクと階段を登って3階へと登っていった。カスミの部屋へ向かおうとしたで、2人はピタリと足を止めた。
「誰かいるな」
ステラが足を止めて廊下を見ると、暗闇に人影が佇んでいるのが見える。月の光に歩み出た彼を見て、シオンはふぅとため息を付いた。
「ああ、やはり貴方ですか……」
「君、庭師のデルフィ君じゃん?」
仏頂面の|魚人属ゼルマーフは黒いオーバーオールを着て、日差しもないのに黒い麦わら帽をかぶっていた。手には漆黒の草刈り鎌が一丁、そして漆黒のスコップが一丁の2刀流で佇んでいる。隠密たる彼の、決戦装束であるがどう見ても庭師である。
ただステラはその黒尽くめぶりに『トゥーニ症』『逆三角の聖域』『かりんとう』と謎の呪文を唱えた。あと日中作業の深刻な熱中症が心配される。水分補給は重要なのだ。
「若様、大人しくして頂きたい。そこの雌狐めを捕えますゆえ」
「自分が何をしているか、分かっているんですね?」
「ええ……重々承知しております」
デルフィは暗闇の仲で爛と輝く目をステラに向け、彼女はその意志に少しだけ慄き、そして眉根を潜めた。
「……奥様が危ういのです。ならば早く医者に見せねばなりますまい」
「医者だって? 魔喰らいを見られる医者がいるっていうのか?」
「……」
ステラの指摘に押し黙るデルフィは彼女を睨みつける。ただ彼は落ち着いた様子でデルフィを問い詰める。
「……誰に言い含められました?」
「若様は知らずとも良いこと」
「魔喰らいに医学、薬学は通じない。それは君も重々知っているはずです」
「……しかして奥様を追い詰めたるはかの雌狐、不吉の賜にて」
確かにそれは事実だが、希望を開く鍵もまた彼女である。事実そのためのカードはすべて手元に揃えることが出来た。あと一歩踏み込めばこの事態を切り開くことが出来る、そう信じた結果がここにある。
だがボロボロになったカスミの有様を見た彼はそれを信じられなかった。余りに悲痛であり、余りに苛烈であり、故に原因たるステラを悪と断じたのだろう。
既に危篤状態のカスミの死期は近い。しかしそれでも死期を伸ばすなら……あらゆる手を打つも1つであるし、また余計なことをしないのも一つの手だ。
アルマリア家の使用人たるハシント、ヴァグン、そしてデルフィ。何れも儚い女主人に心を救われた者ばかりで、真の忠誠を誓う使用人である。特にデルフィのそれは信仰とでも言うべき深さであり、その忠義は慕情とすら言える領域に在る。
ステラがふと暗闇の輝きに目を留めると、ふむりと唸って問いかける。
「デルフィ君。君の行いでカスミさんが笑顔になってくれると思うか?」
「思わぬ。だが、最早笑うことも出来ぬではないか」
「ヴァグンさんも、ハシントさんも悲しむと思うよ?」
「協力せぬ薄情者に情は無い」
「へぇ。所でサンドイッチに毒盛ったの君だよなぁ?」
「成る程、一筋縄では行かぬようで……しかし私も引けぬのですよ。さあ観念してくだサマーッ?!」
「夏?!」
勿論夏ではない。一歩踏み出そうとした彼は何かに躓いて転倒したのだ。隠密庭師らしからぬ失態である。ただ一部始終を見ていたシオンはその原因をつぶさに捉えていた。何より暗闇に映えるその白を見逃すはずもない。勿論ぱんつではない。
「む?!」
デルフィが起き上がろうとする身を捩るが、しかし何かに掴まれたように動きが取れない。見れば真っ白なリボンが彼の足に巻き付き結ばれており、彼は目を見開いて驚いた。見覚えのあるそれは、たしかにカスミの部屋で箱に閉じ込めたはず……。
彼は気配もなくいつの間に迫ったのであろう。目を見開いて驚く彼は即座に草刈り鎌で切断を試みるも、刃がすり抜けて斬ることが出来ない。
「うーんもしかしてー……捕まえて隔離したのかな。もしかしてクローゼットにでも閉じ込めたのかな? だとしたらまるで意味が無いぞ……」
「何……?」
「蛇ってのは水と深ぁい関係のある存在なんだよね。箱に詰めたぐらいじゃ閉じ込めたとは全然言えない。
ましてや白蛇なんて神の使い、あるいは神そのものだ。園芸用品じゃあ格が違って切れないよ」
「……いやそれリボンですよね?」
「いあいあ白ヘビ君だよシオン君?」
思わず突っ込んだが、ステラの中ではもう違う存在らしい。事実そのように動いているし、ハイブリットヘビっぽいリボン生命体である。しかもお手伝いが大の得意な頑張り屋だ。
白ヘビ君が必死に抑えている間、歯噛みしたデルフィがスコップを投擲する。しかしそれは瞬時に前に出たシオンが抜き打ちで切り払い、また隠しで放つ草刈り鎌も同じくガキと音を立てて天井に跳ね飛ばした。カン、と音がなってそのままなのは、突き刺さったからだろう。
「『天の時は地の利に如かず』という言葉がある。タイミングを得ても、地の利が無くば事も無しってやつだね」
ぱちりと指を弾くと同時に、ステラの足元から色とりどりのリボンがするするとデルフィへ向かう。予備に入れておいたリボンだ。
「君は確かに地の利を得て、正に天の時を得たのだろう。だが地の利を得たのは君だけじゃあないんだぜ?」
色取り取りのヘビたちはデルフィの全身に群がり纏わり付き、あっと言う間に全身を拘束してしまった。なんとか抜け出そうと足掻くも、そうする度に締め付けられて遂にはグッタリ身を横たえておとなしくなる。おまけに猿ぐつわまで噛まされては何もすることが出来ない。
それに歩み寄るシオンが、膝をついてデルフィの鋭い瞳を覗き込んだ。
「デルフィ、母に忠誠を誓うのは良いです」
「……」
「救えないと皆が知っています。だから目先の希望に縋るのは愚かではない」
「……」
「その上で、僕はそんなに頼りないですか……?」
「……」
デルフィが目を伏せる。
如何なる誑かしであれ、デルフィは2人を……シオンを信用できなかったのだ。進んで
「僕らはこれから、母様の蝕みを下しに征きます。お前は其処でおとなしくしていて下さい」
「……」
見開いた目を細め、デルフィは観念したように目を閉じた。
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