03-13-02:死歿に覚悟せよ

 雨は降り続く。分厚い雲が中天の太陽を隠し、薄暗い食堂は意気消沈した人々により尚更暗く見える。


 テーブルに付くのは嫡子シオン・アルマリア。彼は手を組み顔を伏せていた。震える手を握りしめて抑え、母の事をただ想う。

 側に仕えるのはハシントを除く使用人の全て、料理長ヴァグンと庭師のデルフィのただ2人だ。


 何れの面持ちは固く、そして鎮痛である。原因は今朝方起こった女主人カスミ・アルマリアの持病、魔喰らいの発作なのは間違いない。


 夜も明けぬうちから始まった魔喰らいへの抵抗ちりょうは昼すぎまで続いた。酷く長く、そして重い時間だった。いつ壊れてもおかしくないその峠を、辛うじてカスミは乗り越えた。



 だが一夜にして骨と皮の如く痩せ衰えた彼女は、何故生きているのか分からぬ程に、また全身を包帯に包まれてまるでミイラのような有様だ。


 微笑めばエクボの出来る頬は痩けて、柔らかさの一切が失われている。綺麗な青髪が水分を失って軋み、ボサボサになって櫛を通さない。

 まるで枝のような手足は触れたら折れてしまいそうなほど、余りに細すぎる。呼吸は聞き取れぬほどか細く、注視しなければ止まったのかと不安になる程に弱々しい。



 だが生きている、ただそれだけが良い知らせだった。



 今彼女はハシントが付きっきりで看病している。魔喰らい以前に、容態が崩れてもおかしくは無いのだ。


 これに医者を呼ぶことは出来ない。そもそも魔喰らいは不治の死病、手をつくしたとて死んでしまうのだ。例え受け持ったとしても、ただ己の無力さを痛感するだけに過ぎない。


 それでも診療を受け持つ医者はいるが、その目的は須らく『金』である。貴族家の係累がかかった場合などがこれにあたる。カスミもそれを望むなら掛かる事もできるだろう。


 だがカスミは自らの意志で断っている。不治に医者は不要だと、彼女は声をあげたのだ。

 故に彼女を治療したのはハシントやシオンといった、多少の心得がある者だけである。それだって常備する薬草類で包帯を巻くくらいの、応急手当の域をでない。



「あ……」


 シオンが顔を上げれば、何時もの衣装を着たステラが食堂入り口に立っていた。髪は珍しく結われておらず、ストレートに流すままだ。不安そうな彼女はシオンと目が合うと何か言いたげに口を開き……しかしそれを閉ざした。


 彼女はおずおずとシオンの前の椅子に静かに座って、目を合わせることなく俯く。


「……怪我は、大丈夫ですか?」

「ッ!」


 びくりとステラは震える。目が怯えて揺れ動いており、その身も小さく震えているようだ。彼女はそっとシオンを見ると、小さくコクリと頷いた。


 シオンは彼女が回復術を使えることを知っているが、それでも目をつぶりたく成るほどの重症だったのだ。

 つい先程まで見ていた彼女の背中。その深い傷の合間に見えた白は、果たして肌のそれであろうか? 正気さえ失っても不思議ではないほど深く、あとに残りかねない傷である。


 だが【応急処置】ふぁーすと・えいど【基礎治療】きゅあは彼女の傷を正しく治癒し、運良く跡も残らなかった。失った血も貧血となる程でもなく、ほぼ万全な状態へと戻っている。


 ならカスミにも施すべきだろうが、それはできない。魔法に耐えうる体力がないのだ。この魔法は自己治癒の延長にある。なら元本と成る体力もなく衰弱したカスミに使えば、そのまま死んでしまい兼ねない。


 魔法のような魔法は、しかし己の想定する概念にしか添うことは出来ないのだ。


 暗い顔のステラは出されたお茶にも手を付けず……話を切り出した。


「……次、発作が起きたら……間違いなく彼女は死ぬ」

「――ッ」


 全員が息を呑む。分かってはいた、何時かはそうなるとは知っていた。でも、今この瞬間までそうなるなどと思っていなかった。


 発作は最低でも月に一度。つまり彼女の余命は……。


「ごめん、小生の、所為だ」


 ステラが顔を伏せり、震える声で紡ぐ。


「魔喰らいは魔核が目減りするだけじゃない……、なんだろう。普通なら常に、飢餓状態で、あって……一定以上は、成長しない。

 だから、ジリジリと、悪化するもの、だとおもう。そこに……そこ、に………」


 ステラが肩を震わせ、ぼろぼろと涙をこぼす。


「十分量、与えて、しまったっ……から、悪食に餌を……て、しまった……だから、急成長した、んだ……」

「それは……」


「信じられるか、ハハ……カスミさんに、憑いた蜘蛛、もうカスミさん並みに、大きいんだぜ……?」

「それって……」


 これは日常的に行っていた診察も悪い方向に働いている。


 もし活動時、つまり発作が起きている間だけ供給していれば一時の物と思われただろう。だがそれ以降ステラによる診察は続行された。カスミの魔格は長らく、潤沢な魔力で包まれていたのだ。


 蜘蛛が『餌が常在する』と判断するのは当然のことであろう。

 

「……あの蜘蛛は、既に繭を作ている。特大の、繭だ。次に孵るのが何時になるか……」

「っ……」


 前例を見れば一ヶ月前後、だがそれは希望的観測であり……既に蜘蛛は異常な成長を遂げている。それはもう参考にならない可能性が高く、早くて明日にでも孵化することもありうるのだ。


「……ごめん、なさい」


 ステラは泣く。か細く、小さく、ただ謝罪し続け嗚咽を漏らす。それに対する反応は三様だ。引導を渡したのはく彼女であるが、しかし一抹の夢を見せてくれたのは間違いなく彼女である。それに思う所がない者が、居ないはずもない。


「……ステラさん」

「……」

「ステラさん!」

「ゔぇい?!」



「うわ汚っ……」



「ヱ゛ヱ゛ィ゛?!」


 声をかけようとしたシオンはつい本音が出てしまった。


 顔を上げ震えるステラの顔はグッチャグチャだったのだ。美人でもなりふり構わないとこうなるんだなぁと、あまりの衝撃に一周回って冷静になった。


 だってパスタ顔である。何を行っているかわからないと思うが……パスタ顔だ。それ以外に表現のしようがない。あまりにパスタだ。


 いやいや何を考えているのかと首を振って、とりあえずステラの側に向かい、手持ちのハンカチで顔を拭……効果がない。むしろとめどない涙とかなんか液体が混ざって悪化する。


(まずい)


 ちょっと口に出せない有様である。人は落ち込むとき、またショックを受けた状態ではそのパフォーマンスを著しく落とす。シオンも平静を装っているが、拭う手に震えを隠すことが出来ていない。

 故に手元が狂っっても仕方がないのだ。このシッチャカメッチャカな顔の始末はとシオンは目をそらした。


 だが慌てる事で落ち着く者も居る。


 シオンの冷や汗は、一歩遅れて動いたヴァグンによって用意された蒸しタオル3枚で解決する。パスタ顔は去り、またその酷い顔は各自の胸中に固く封印されたのだ。


 緊張していた空気があっさり緩む。顔芸1つで場を変えてしまうあたり、もう彼女は彼女というほか無い。


「あー、誰も責めませんので。誰もこんな事になるなんて思いませんし」

「でも……でゔぉおおお……」


 一瞬収まったかに見えたが、再度タオルを口に当てて号泣する。


 彼女にとって数少ない『役に立てた』点である。それが無為だと解ったショックは計り知れない。それ以上に自らが親しい人の死に直接起因した、その事実が受け止められないのだろう。

 シオンは腕を組み、トントンと指を弾いて思案する。


「……『――気にしないで』、か」

「ゔぅ゛?」


 こしゅこしゅと目を擦るステラが顔を上げる。


「母様からステラさんへの伝言です。件の六花の剣の予言が在りましたよね。それを聞き取るときに頼まれたんです、『彼女が泣いていたら』そう伝えるようにと」

「ぞ、ぞれっでぃ、だういうごどだぃ……?」


 シオンがぴっと指を立てた。


「……母様は知って居たと思いますよ。自身の死期について」

「ヱ゛ヱ゛ィ゛?!」


 キレイとキタナイで天秤が傾くステラが奇妙な声で悲鳴をあげる。


「見たいものだけではない、見たくないものも見えてしまう。それは自身の寿命すら同じことです」

「そ、そんなん、諦めてるのと一緒じゃないか!」


「未来が見えるとはです」

「そんな……」


 事実、彼女の予言はある時を堺に言及が無くなる。過去の巫女も同じく特定期間から先を見ることはできなかった。見えない先と見える先、その境界線上に在るのが巫女の死である。

 勿論カスミにもそれは見えていたのだろう。


「だから、こうも頼まれました。『――ごめんね』と」


 それにステラがピクリと肩を揺らし、震えが止まった。ロングヘアがざわりとゆれて風もないのに揺らめく。テーブルに乗った手が握りしめられ、その力でブルリと震える。


「……ざけるな」


 彼女は勢い良く立ち上がり、ばんとテーブルを打って立ち上がる。


「ふざけるな、そんな伝言受け取れるわけ無いだろ! 『気にしないで』とか馬鹿なの?! そんなんなぁぁ―――」


 あ、まずい。とシオンが思った時にはやはり遅かった。


 「

  「気にするに決まっとろうがァアアAAAAA!!」

 」


 痛烈な【大喝】ハウリングが屋敷をビリリと揺らす。慌てて耳を塞ぐも、ぐわんぐわんと少し目が回ってふらついた。


「それともなにか、小生そんーなに薄情な無礼者とでも思われとったのか?!」

「い、いやそういう事では無 「黙りゃ!!」 はいっ!」


 珍しくシオンの背筋がしゃんと伸びて固まった。有無を言わさぬ決断的な叫びなのだ。

 彼女は右手の指をズビシとシオンに突き出し、左手を開いて額に翳す、奇妙な前傾姿勢で巻くし立てる。


「あまつさえ『ごめんね』だとォ? しかも人づてにィ? はぁ~~~? それは小生舐めくさってるンですかねェエエエ?!」

「そ、それはこの状況を予知 「戯けぇ!!」 すみませんっ!!」


 珍しくシオンが丸め込まれる。彼女の背にはメタトロンめいた軍閥天使が揺らめいて、シオンを睨んでいるように見えなくもないのだ。つまり怯えが生み出した……幻覚である!


「本気でと思うのならなぁ! 本人が自ら頭を下げるのがってもんだろォォ?!」

「いや、母様は今臥せって 「シャラップ!!」 ごめんなさいっ!!!」


 こんな威圧を受けるのは幼少の砌、彼のに怒った母カスミ以来である。あれは今みたいに怖かったことを、シオンは今でも覚えている。


「カスミさんが起き上がれねーならさぁ! 謝れないってんならさあ! 出来る様にすりゃあいいだろうがよォ!!」

「何を言って――」


 だん、とステラが机を叩いた。


「うるせえぇぇぇ! 小生はぞああ解くとも! そんでもってヴォーパルが蜘蛛でぶった切ったら文句を言ってやるのだ! ああ言うのだとも!!」

「ステラさん……」


 若干支離滅裂だが、言わんとする事は伝わった。ぜぇぜえと息をつくステラは、そのまま肩をいからせて早足にその場を後にする。


「え、どこに行くつもりです?」

「調査へ繰り出すに決まってるだろ! 諦めちゃってるお馬鹿さんを救ってやるんだからな!!」


 だんだんとステラは不機嫌そうに床を叩く。今にも駆け出しそうな彼女に、シオンは頬をかきつつ待ったをかけた。


「あの……少し待ちませんか?」

「はぁぁぁぁぁン? 君何言ってんだ今動かずしていつ動くってんだよ!」


「いやまあ、そうなんですが……今動けば必ず後悔しますよ?」


 それにステラが顔を真っ赤にして怒る。瞳には溢れそうな涙がたまり、食いしばる歯がぎりりと音を立てる。耳などピンと立ってブルブルと震えだしているではないか。


「もういいばーかばーか! トウフヨウのカドにあたまとかぶつかってしまえ! しおんくんのあほーーーー!!」

「あっ! まって!」


 そう言ってステラは駆け出した……。


 ちなみに豆腐餻はマジ臭いので飲ん兵衛以外は買ってはいけないし、頭にぶつけるのはテロ行為なので絶対に許されない。気をつけよう!



◇◇◇



 ……ところで外は酷い土砂降りである。


 昼間とは言えバケツを引っくり返した雨は視界もおぼつかず、ステラの知覚魔法はことごとく意味をなさない。また中流街に敷き詰められた石畳は川のようなってとても滑りやすく、アルマリアの屋敷の庭ですら湖のようになっている。さらに舗装もアスファルトではなく石畳であり、その隙間から泥が浮かび潤滑剤のように表面を流れているのだ。


 こんな日に外に出る者は相当な物好きか、畑を気にするご老人方だけであろう。


 つまるところ――。


「何で雨降っでんでずが……やだぁ……」


 全身ずぶ濡れ泥だらけ、膝はすりむきカクカク震え、打った額は一筋の血を垂らす。髪は乱れて何かの葉っぱがくっついて、裾は破けて無残だ。濡れそぼる白いブラウスはステラの肌に張り付き、その胸の形を強調するようにしわを作る。なお下着も肌も白い故に、濡れ透けてもあまり気にはならなかった。これがもし黒など付けていれば危なかっただろう。


 そう、一言でいえばステラは満身創痍であった。癇癪起こして5分後の出来事である。


「だから言ったのに……」

「ゔぇえ」


 そもそもローファーは森歩きはもとより、泥沼を歩くようにはできていない。これで転ばぬ奴は相当な曲芸士であろう。


 ひっくひっくと泣くステラは、この散々な目にぐったりしていた。朝っぱらから災難ばかりである。さすがのシオンもこのあんまりな有様には苦言を言うも失せる。

 シオンは懇々とステラに言い聞かせ、翌日以降の計画を相談するのだった。



 もちろん目指すはヴォーパル、そのつるぎ。シオンだって母を食らう蜘蛛公ばけものなんざ生かしておく価値の一片も見いだせないのだ。


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