03-13:死歿きたれり

03-13-01:死歿きたれり

 その日は朝から土砂降りの雨だった。


 屋根を打つごおごおという雨音が聞こえて、日の開ける前にステラは目を覚ましてしまった。寝付きもよければ寝起きも良い。目を覚ますのは何時も夜明けと同時なので、珍しいなと首を傾げた。


 窓を見やればまだ外は暗く薄明にはずっと早い時間である。どうしたことかと首を傾げたステラが、その長耳をぴくりと揺らして身を固めた。


「嘘だろおいィ!!」


 瞬間ベッドから飛び起きて、取るもの取らず駆け出した。朝だから静かに、などとは欠片も考えない。寧ろ事態が起きているのだ。


 寝間着の裾を翻し、シオンの部屋のドアを荒々しく叩いて『起きろ!』と声を上げる。駆け抜けざまのそれは果たして届いただろうか。いやそう信じるしか無い。何より彼には赤ヘビくんが付いている。


 ステラが成すべきはただ【式神】れぎおんの白ヘビくんが切実に告げる、に従いただ駆けるのみ。


 だが一歩進む毎にステラは青ざめる。


 高性能な耳は嫌でも彼女の詳細を聞き取ってしまうのだ。あと数秒でたどり着くその部屋、もはや誰の耳にも聞き取れるそれは、



「――〜〜!」



 女主人カスミ・アルマリアの声にならぬ悲鳴である。


 ぶち破る様にドアを開き、暗い部屋を【光源】ライトで照らせば、果たして彼女はそこに居て、しかし同じ彼女とは到底思えぬ姿であった。


「う……」


 瞳孔の開ききった彼女は見を悶え胸を掻きむしり、爪が剥がれるを厭わず切り裂くように血を流す。枯れ木のようにひび割れる腕をめしりと軋ませ、食いしばる口元からはめぎ、と骨が割れる音がした。ごぼりと漏れる赤い泡が、叫びの度に吹き出し止まらない。


 何よりステラの目が捉える黒霧はいつもの漏れ出るようなそれではない。まるで、


「貪り、食われている……ッ?!」


 ようにしか見えないのだ。明らかな異様なは坂を転がる林檎のように、いつ砕け壊れてもおかしくはない。


 紛れもなく魔喰らいの発作症状……魔核の蜘蛛が目を覚ましたのだ!


 ステラは首裏の結び目を解き、はらりと白雪のような肌と乳房をさらけ出しして前に一歩進む。カスミが自らをかきむしる腕をがっしと掴んだ瞬間、【身体強化】ふぃじかる・ぶーすとをかけて膂力を強化した。


(なんて力だ……!)


 ツーハンドソードすら投げ飛ばす力で、ようやく拮抗する膂力である。このか細い腕のどこにそんな力があるのか見当もつかない。そもそも彼女は魔力の循環クレアールすらおぼつかないのだ。抱きつくために腕を押し広げようとして、瞬時にとめる。


(まっ、不味い……このままだと折れる!)


 既に掴んだ時点で『みし』という響きを耳で聞き、触れた手が骨の軋みを伝えるのだ。そもそも弱っていた体、骨も相応に弱っているのは当然のことだ。だがこのまま腕を抑えたままでは、魔核へリソースを供給することが出来ない。


 血を流して死ぬのか、魔核を喰われて死ぬのか。少なくとも見ているだけなんてできるわけがない。


 ステラは覚悟を決めて手を離し、枯れ木のようなカスミの体を抱きしめた。


「っっぎ、ぐううううッ!!」


 万力の様な力がステラの柔らかな背を貫いた。都合10ある鋭指が骨すら引っ掛け引き裂かんとし、激痛に気が飛びそうになるそれを歯を食いしばって耐える。


(なあに、カスティーリャさんのッ、よかはまし、ましッ! だから痛くない、い、痛くない!!! いたくない!!!)


 あれはホンマまじホンマ……全身砕けるかと思ったので之ぐらいは訳ない。だって腹にドリルが天元突破、アレは実際キツかった。だから眼から流れるのは心の汗だし、海水である。なあんてこったいハイエンドエルフは眼から海を垂れ流すというのか。


(ちくしょう痛いぃいいッッくないいイイイYYYYYY!!!!)


 空元気全開、痩せ我慢ようそろ。流石に傷口が抉られ等意識してはいられない。気絶できないのはその痛みの苛烈さと、また目の前に在るカスミの姿が目に入るが故だ。


 ここで倒れることは即ち彼女の死を意味する。その決して譲れぬ一点が彼女の意識を保っていた。


 苦しむはふんわりした美人で、優しい人で、たまに絵本を読んでくれたりする。まるで母親のような人だ。それを自らの努力が足らない所為で死なせたなどすれば、決して己を許せるはずがない。


 そして蜘蛛、奴は何故彼女をこんなに責め立てるのか。カスミの表情は柔らかさを失い、もはや悪魔付きのそれだ。うなり声は獣のようで、しかし声色は聞きなれた彼女のもので、それがどうしようもなく悲しくて。


(覚悟しやがれ蜘蛛野郎ォオ!!!)


 様々な痛みや辛みのすべてを追いやり、ステラは魔核へ導く力を最適化して叩き込む。


 既に一度は実経験し、また日々の診察でその許容量は理解している。魔核への供給は1秒たらずで実施可能である……


(な、なんじゃあ、こりゃあ?!)


 発作が起きている事はつまり、かの機械蜘蛛が活動を始めたということ。だがいま見えているそれは、果たして同じなのだろうか。


 大小合わせて18対の機械じかけの足はそのままに、1回り……いや、2回りも大きくなっている。こぶし大の魔核に対して、蜘蛛の腹がバスケットボール程度の大きさになっている。真鍮のようなタンクは蛇腹にぞるりと蠢き、スリットから白い蒸気を振りまいてギチギチと揺れ動いている。


 隙間からボタボタと漏れる魔力が機械脚をぬらし、ギリギリと動く足を含めれば更に巨大だ。それはもうカスミの体躯とと変わらぬ程の大きさを誇っているのだ。


 そんな化物が足りぬ足りぬと美味そうに魔核を啜り貪っている。


(なんで、そんな……ッ供給が均衡しなのか?!)


 ぶつける力を増やしても、増やした分だけ蜘蛛は啜る。いや、それ以上の速度で杭進めている。ステラが対処しても、事態の悪化を留めることが出来ないのだ。


 もっと流量を増やしたいのにこれ以上はカスミの身体が耐えられない。なのに蜘蛛はよこせと貪り食らう。


 未だ苦しみを返すカスミはとどまる事無き叫びをあげて、嘆き悲しみ苦しみ呻き恨み怒り、やがて呪いすら吐き出そうとしている。


「だめだ、だめだ! それ以上、は、いけない!! だめだよ!」


 だが届かない、正に見ているから解る。生きながらに喰われるなど、正気であれるはずがない。悔しくて悲しくて唇を噛む。辛酸の味が口に広がり、涙がこぼれて止まらない。


 しかし求めた者が来るまでの時間は稼ぐことが出来た。


「ステラ様?!」「ステラさん!」


 2人はベッドの上の惨劇に硬直した。赤、赤、赤。恐ろしいほどの赤が其処に広がっている。ステラはやって来た2人を一瞥し、惨状に固まる2人に指示を飛ばす。


「ハシントさんお湯! シオン君は、手ェ握ってあげて!」


 ハシントは聞くが早いか飛ぶように廊下を駆けていった。


 シオンは震える足でベッドの側の椅子に座り、ステラの背をみて目を見開く。余りに酷くかきむしられた背中はずたずたに引き裂かれており、雪のような肌に、悍ましき彼岸花の園である。


「ステラ、さん?! これは、一体……?!」

「いいからさっさと言うこと聞けぇ!! 死んでもいいのか!!」

「ッ!」


 震える手でステラの背にカスミの手を、無理やり引き剥がして握る。ぐじゅりと成る音に耳をふさぎ、ぬめるその感触から目をそらし、異常な母の赤濡れた手に口をつむぎ……ただその温もりが消えぬことを祈る。


「声かけてあげて! 小生じゃ、届かな、い、から!」


 顔はステラの顔の向こうにあって覗き込むことは出来ない、ただ今まで聞いたことのない悲鳴が、心臓を締め付けるように響いてくる。


 シオンはただ手を握り母の名を呼ぶ。彼に出来るのはもう、母を思い祈ることだけだ。


 ステラは泣きながら蜘蛛を睨み耐え続けた。こんな所で負けてたまるか、まだ話したいことがたくさんあるのだ。


 だから2人は必死でつなぎとめる。



 ああ、何故こんなことになったのか。

 いや、これは分かっていたことだ。何時か来るべきものだ。

 

 ただ、少しだけ夢を見てしまっただけで。


 此処数日が余りに穏やかで。

 忙しくとも楽しかった日が続いてしまったから。


 乱れ髪の向こうで、食いしばり泣くステラがシオンを見た。


「……最悪、覚悟し、てくれ。今も魔核が喰われてて……間に合うか、わかんな、い……」

「ッ!!」


 シオンはその運命を呪った。

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