03-11-05:心の鏡/カフレスディア
「――んぁ?」
目が覚める。
天高き空は青く、雲が白く綿菓子のようで……ああ、なんかお腹すいたなと考えていたら、覗き込むシオンがなんだか近くて泣きそうな顔をしている。
「起きた! 大丈夫ですかステラさん!」
「ぅぇ?」
大丈夫? そう言われて気づいたが、なんだか全身軋むように痛い気がする。
特に腹だ。腹が痛い。
それなのになにかフワフワ浮かんだような気分なのは、アドレナリン的なものがガンガン出ている故だろうか。
「めつちやいたい……ぽんぽん」
「ああ、そりゃそうでしょうよ……」
覗き込むのはシオンだけではない。クリスと……あわあわと慌てるカスティーリャの姿も見える。心配そうな子供達が輪を作ってステラを囲んでいた。
はて、何が起こったのだろう?
この構図、天に召される系パトのラッシュ攻撃その瞬間のようにも思える。何だこれ、死ぬのか自分。だが天使はみえないし、黒い霧もまたみえない。
つまり死なない。死なないけど死ぬほど腹が痛くて辛い。
「しようせい、どしたん?」
「……その。腹に一撃もらって、壁を3枚ぶち抜いて庭に転がって止まったところです」
「へあ?」
どういう事だシオバヤシ、と身を起こそうとしてピシぃ! と鋭い痛みが走った。思わず唸ってぽろぽろ涙がこぼれる。
「いだうえぇぇ……」
「動かないで! ボロボロどころじゃないんですから!」
シオンの苦渋を飲んだ表情が逆に怖い。お腹の辺りどうなっちゃってるのだろう、よもやミンチよりひでえとかないだろうが。
見たいのに見たくない。とりあえず早く対処したほうが良いということをステラは理解した。
「……する」
「え? なんですって?」
「かいふくする」
「!?」
痛いのを我慢して鞄のグラジオラスを知覚。悲色を返す彼女は、つまりこの状態でもパスがつながっている事を示す。泣きだしそうな彼女を経由して、
前回黒猫に使った経験が有るためか魔法は即座に起動した。ぽわりと若草色の光がステラを包み、外傷がちりりと治っていった。
見ていた皆がその奇跡に息を呑む。そうとしかいいようのない、暖かな光だったのだ。
「あ゛ぁ~……だいぶラクになヴェエエエイ!!」
と起き上がろうとして再度刺すような痛みが走る。体の中がグッチャグチャにかき混ぜられたかのような感覚。まるで腹の中でドリルが暴れ回っているような痛烈な感覚である。しんどいどころではない。ただ痛い。めっちゃ痛い。すこぶる痛くてなお痛い。
「グワッーーーー!!」
「ステラさん?!」
【応急処置】が完全に入ったのに……痛みの叫びがお腹に響いてなお痛い、ちょっと黙ろうそれが良い。
叫んだり静かになったりするステラを見て青ざめる子供達が震えているが、痛みで其処まで気が回らない。後で挽回しなくてはならないだろう。
「ひっひっふー……ひへぇっ。ひっひっふー……ぐすっ」
「ステラさん……」
我慢しつつ理由を探る。
痛みの位置は内部であり、しかし表面的には治ったように見える。つまり応急処置の効果のある若草色は、患部の深い部分に染み込む前に効果を失ってしまうのだろう。
つまり外傷には効くが、内的な物には及ばない。
なお最初に【応急処置】した黒猫は、体の大きさが小さい故に問題なかったものと思われる。
「もっかい、ぐすっ……やりまっ、ふぐぅ……」
「あ、はい……」
中の痛みを例えるなら少しぼやける意識の中、ステラは自然とそれを行使した。
(【応急処置】を想起……内的治療を心象……)
「なおれぇ~
「?!」
それは魔法から魔法を
新緑色が薄く包むように光ったあと、乾いた大地に染み込むように消えていく。【応急処置】の健康復帰の力がステラの内部に向けて効果を表しているのだ。時系列に併せて驚くほど痛みが消えていく。
程なく痛みもなくなった時点で、ステラはと息をついて起き上がった。
「だ、だめですよ横になって――」
「いや、もう治ったっぽいし大丈夫だぞ?」
腹のあたりを擦っても痛みがない。ただ細い腰回りに刻まれた、丁度右まわりの螺旋痕はもしや……見なくてよかった気がする。
ステラは『よっこいしょう!』とジジ臭い掛け声で立ち上がって、ううん背伸びをする。先程の憔悴とは打って変わった様子に、皆が驚いて注目している。
(なんか信じられてない感)
ここはちょっと無事なことを示すパフォーマンスの1つでもするべきだろう。軽くストレッチをして、
「ほーらご覧の通りだぁ!」
とぴょんぴょんジャンプすれば……はてな、どうにも視線が刺さる。特に子供達の首が上下に揺れてヘッドバンギングしている。何だこのグルーヴ感、ちょっと楽しくなってくるではないか。
ぴょんぴょん。 ゆっさゆっさ。
ぴょんぴょん。 ゆっさゆっさ。
(あれ、ちょっと胸が苦しい……な、っておいィ?!)
飛ぶのを止めてステラは気づいた。そう、この不安定な感覚には覚えがある……都合二度目のそれなるは、
「シオン君大変だ! 怪我は治ったが下着がまた壊れてしまった……!」
「いや寧ろそれで済んだことが僥倖なんですがね?!」
肩紐が千切れた事で拘束が解かれた豊満は、重力に従いゆっさり垂れる。硬いカップが申し訳程度に胸を支え、さらにコルセットスカートの端が辛うじて堰き止める形だ。
おお、なんということだ。胸部がより強調される必勝系である。なるほど皆盛大に揺れる豊満を見せつけられて唖然としていたのだろう。
カスティーリャの押し込められた胸も大概であるが、今のステラは相当目に毒な状態になっている。しかもちょっと重いと腕を組んで胸を支えるようにすると、シオンがなんとなく目をそらした。
「おねーちゃんだいじょうぶ?」
「大丈夫だけど大丈夫じゃないんだけど、やっぱりステラは大丈夫です!」
「??? よくわかんない」
「つまり元気ってことさ」
そうして全く盛り上がらない力こぶを主張すると、本当に問題ないらしいと気づいた周囲も安心してため息をついた。そしてこれ幸いにとステラに抱きついたり、掴みかかったりしている。
アスレチックパーク・ステラの開園である。
ステラも『し、しかたないなぁ!』と付き合うあたり、子供達も取っ付きやすいお友達なのだ。ただ不安の反動でスキンシップが少し過剰で、正にこどもドレスとでも言う状態である。
持ち上げた腕に常時4人はぶらさがるのだ。そうなるとここだけ人口密度300%である。新宿よりひでえや。
こうなると端的に重い、重すぎる。【身体強化】を併用するが、子供1人30キログラムとして……少なくとも見えている範囲で8人はしがみついているのではないだろうか。
ステラは震えていた。
これはくだらない見栄である。だがここで意地を張らずになんとする? ステラは……ステラは
ちなみに一般的な魔法使いはこんなことしないのはご存知のとおりだ。
「ステラさん……その、無理しなくていいのよぉ?」
「だっ、だっ、だいじょっ、うッ、グ、オオオ……ウオオオォォ!!」
「「「キャー!!」」」
雄々しすぎる叫びに子供達がキャッキャと喜ぶ。だが流石に辛いと見とったのか、クリスとカスティーリャの号令でなんとか引き剥がされた。
「はふぇ~……びっくりしたぁ」
「ごめんなさいねぇ……みんなだめよぉお客様に」
「「「はぁーい……」」」
「じゃあ、先生はお話があるからあっちに言っていてねぇ。でもお家は危ないから入っちゃだめよぉ?」
「「「わかりましたー……」」」
納得した子供達は名残惜しそうにしていたが、やがて手を降って散っていった。恐らく泥の街をバージョンアップして市庁舎か大学でも建てるのだろう。道をビャッと引く楽しみは、覚えてしまうと癖になる。気をつけよう、街の長はとっても楽しい仕事なのだ。
「しかし何が起きたんだ? 気づいたら空が青かったんだが。そも術は成功したのか?」
「あ……」
と言う、カスティーリャに視線が集まる。そういえば一番動揺していたのが彼女だった気がする。
「成功はした、のかしら? 契約はされていなかったし……」
「そりゃ良かったけど……小生何で殴られたのこれ?」
問えばカスティーリャが凄く申し訳なさそうに身を固くする。その答えはシオンから得ることができた。
「隷属契約の〘コントラクト〙が成立した瞬間、院長先生から半透明の分身が現れて……その」
「小生のお腹にボディブローを見舞ったと?」
「ま、まあそうなるのかしらねぇ……」
気まずそうにカスティーリャが頬に手を当てるが、ステラは別の意味で驚愕していた。
分身? あるいは
「あー……たしか、すごい露出の多い鎧着たカスティーリャさんが小悪魔的に笑いつつ、ドゴォとやられた気がする」
「うッ……」
それにひくりとカスティーリャの頬が引きつる。その姿は正に〈
探索者のランクアップは通常、人格やモラルも重視される。だが時折飛び抜けた
嘗て血塗と呼ばれたカスケードはまさにそれで、また調子に乗っていた彼女は完全にスケバン系
それがどうして孤児院の院長に落ち着いたかなど、七不思議より奇怪な縁としか言いようがない。
ちなみに現れた鏡像の装備はカスティーリャの秘密収納に今なお保管してある。捨てるに惜しいし、表に出すにはあまりに恥ずかしすぎた。ちょっと、色々際どいのだ。
羞恥で震えるカスティーリャに、そっと手を差し伸べるものがいる。
「俺、そんな先生も好きだから」
「ぅ……」
爽やかな笑顔で答えるのは、またフードで角を隠したクリスの姿だ。すきあらば甘い空間を作りおる。このままでは世界が砂糖菓子で埋め尽くされてしまうだろう。
そうならなかったのはステラが疑問を口にした故である。
「……そう言えばカスティーリャさんは、カスケードって方をご存知だろうか」」
「「?!」」
孤児院の2人が驚いたようにステラを見た。姉妹も何も正面の院長こそ本人である。
「あの、それがなにか……」
「名前が似てるし姉妹なのかなーって。単なる類推なんだけど」
「……」
唖然と黙るカスティーリャだが、ステラも一騎当万の古兵がこんなところで
なおちゃんとした修道服はゆったりして扇情的でない点、重く留意していただきたい。全ては貧乏、貧乏が悪いのだ。ああっ、貧乏なためにえっちなふくを着なければいけないとは嘆かわしい、とても嘆かわしい!
孤児院に寄付が集まらない理由の1つである。
「あー、間違ってたらごめんよ? 一寸気になっただけなので」
「え、あ、その……そっ! そんな所、かし、らぁ?」
咄嗟に付いてしまった嘘。ただそれを真と見て、目を輝かせる者も世の中には居る。
「やっぱりそうだったのかー! もし会えたらサインくれるかな?」
「さっ、サイン?」
「うむ。だってかっこいいからね!」
「か、かっこいい……」
ぱぁっと笑顔で答えるステラは、見てくれだけは夢見る乙女のようだ。
彼女の認識上のカスケードは無双英雄である。画面左上に君主が出てきて『お主こそ万夫不当の英傑よ』とか言われるアレだ。敵を倒すとまんじゅうがでる都合の良い世界である。つまり英雄はおまんじゅう食べ放題なのだ。いい生活してやがる。
ただ顔をそらすカスティーリャを見る限り、ステラがカスケードにまみえる機会はないだろう。
「まーしかしなんだ。リスクはあると思ったが、よもや鏡像が実体化するとは予想外だったなぁ」
「結婚できないとか全く関係なかったですね」
「それな! でもまぁかっこいいからいいじゃないか!」
「あの、之ってどうにかならないのかしらぁ? ちょっと、酷いことになりそうなのだけれど……」
具体的にはミンチよりひでぇことになりかねない。また運が良かったとは言え、正に酷い目にあった者が目の前に居ればその懸念も致し方ないだろう。
「それなんだが、1つ試してもらいたいことがある。心の中でその鏡像をイメージして、自らの前に立つように念じてもらっていいか?」
「えっ? それって……」
「良いから良いから! 小生を信じて!」
「むぅ……」
言われたカスティーリャが両手を組んで祈るように念じると、隣のクリスが『ぐふぅ』と悶え苦しんだ。
意図しているのか解らないが、とてもあざといのだ。髪で隠れた目がギュッとつぶられて、口元は真横に引き絞られて力がこもっている。押し込められた胸が押しつぶされてはち切れそうだし、何より唸り声が『うーうー』と小動物めいた鳴き声で可愛らしい。
うわあなんだこれ、ちょっと抱きしめても悪いことはないのでは? 一歩踏み出そうとしてそれは現れた。
「っ……!!」
カスティーリャから漏れ出る霧がうねり形となって、一瞬で人形を造る。同時に対面するステラに一気に迫り近づいた。その速さは韋駄天のごとく、嗤う姿は鬼神の如く。振り抜く拳がゆっくりステラに近づ、近づいて……迫らない。
「っ……??」
すごくスローモーで怯えるような拳がゆっくり人差し指の形を作り、
ぷに。 ぷにぷに。
と、ステラの頬を突いた。薄く光るカスティーリャ(若)が一心不乱に頬を突いている。表情こそ鬼神であるが、しかしステラはその視線が不安に揺れていることを察した。
「あの、腹パンは気にしてないので……」
『!!!』
問いかけるとびっくりして鏡像は消えていった。後には唖然とそれを見ていたカスティーリャが残された。
「……うーむ、やはりか」
「矢張りって1人で納得してないで説明してくださいよ」
「ああ、スマンスマン。
基本効果は効果は本心が望まぬ魔法契約に対抗することだな」
「なら今のは何です? 明らかに自律的に動いていましたよね」
「副次的に発生した効果だ。
鏡の姿は己の心、現れる影はその人の本質を表す。だからその動きは本能に近い形で現れるのだよ。
今カスティーリャさんの影がああしたのは、『やってしまったこと』をどこかで悔いているからと思われる。転じて強固な意志があれが操作可能だろう。とどのつまりは――」
「「「つまりは?」」」
「自身が投影する超強力な守護霊だな!
ああ汝は我、我汝なり。影のペルソナ、傍らに居る力。名付けるならば『
守りを固めたら
其処にクリスがおずおずと手を上げた。
「ねーちゃん、その場合俺ってどうなるんだ?」
「クリスくんの場合か……うーん、分からんな。ただ少なくとも竜は出るまいが」
「そうなのか?」
ただカスティーリャは過去の姿で現れた。なら自分は? 少なくともミアズマから開放された今、竜体が出ないとはどうにも言い切れないようだ。
「安心したまえ、カフレスディアは心の姿。
君はどこまでも人で、その上でカスティーリャさんを好きになったのであれば……その心が
「そ、そうかな……」
「そうとも!」
サムズ・アップすればクリスの暗雲も少しは晴れたようである。
「でも自信がないうちは止めたほうが良いだろうな。先程も言ったが心に起因する魔法だから、不安を抱えると制御がうまく行かないと思う」
「……解った、気をつけるよ」
「うむ、精進し給えよ」
さて、とステラが手をパンと叩いた。
「取り敢えずこれで、無為に契約を迫られても問題ないと思うが、どうだろうか」
「そう、ねぇ……でもどうしましょう。お礼に出来るものがないわぁ」
「いや、お代は結構。むしろ此方の落ち度なのでもらえないよ」
……という言葉にステラが違和感を覚えた。はてなんだろう? 答えはいつだって胸の中にある。でもそれを上手く引き出せないときは、優秀なバディが手を差し伸べてくれるのだ。
「……ステラさん」
「何かな?」
「話をまとめたい所非常に申し訳ないんですが……」
「見事な指摘だと感心するが何処もおかしくはないな」
「孤児院のは壁どうします? 落ち度で言えば、明らかに我々に責が有ると思いますが」
「「「あっ……」」」
このあとメチャクチャ頭を下げて石壁で修理した。元より頑丈になった壁にむしろ感謝されたが、やらかした結果に比べたら些細なものだ。
こうしてシオンはしめやかに保護者責任を果たし、ステラは彼が居てくれて本当に良かったと胸をなでおろすばかりであった。
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