03-09-03:分不相応な祝福
調べ物を終えたステラは机に突っ伏すジンツウに、トドメとなる図書室構想を提示してから部屋を辞し、意気揚々と1階へと降りていった。
「おーい、ツァルトさーん!」
「あら、ステラさん? 調べ者はもうよろしいのですか?」
「うむ! 大変為になったよ、知ることはやはり偉大なことだよね」
フフンと腰に手を当て胸を張るステラにツァルトは苦笑する。やはり見た目と違って子供のように見え、なんとなく微笑ましく見えるのだ。
「ところで1つ聞きたいことがあるのだが」
「なんでしょう?」
「持ち帰り可能な屋台物、何かおすすめは知らないか? お弁当代わりにしたいんだが」
「オヴェント? ですか?」
おや、とステラが目を開く。この世界、どうやら『お弁当』という概念がないようだ。貴族という存在があるならば、外でお茶しつつ食事でも、なんてこともありそうな物なのだが……。
「えーと、なんていうのかなぁ。食べ物を包んで別の場所で食べようかと思っているんだ。
運搬可能な形にしたものがお弁当だね。古くは葉っぱに包んだり、箱に入れて持ち運ぶんだけど」
「ああ、それなら殆どの店でやってくれますよ。オーランフェブの葉でくるっと包んでくれますから」
オーランフェブはバナナの葉に似た大きく頑丈な葉であり、これを適当に切り分けたものを懐紙などに用いているらしい。
「その上でオススメは……そうですねぇ」
ツァルトがうーんと顎に手を当て考える。思考に合わせて耳がぴっこぴっこと揺れ、髭がゆわーんゆわーんと震えている。
その可愛らしい様子に未だぐだぐだとロビーにたむろしていた探索者――ツァルト押しの派閥――たちはほっこり笑顔を浮かべた。
やはり押し嬢最強……そう呟けば『おいおい冗談はヨシュアさんだぜ』と他嬢押しの一派が健やかな笑顔で答え、連鎖的に押し嬢問答が開始される。
なおヨシュアとはこの世界ならだれでも知っているおとぎ話の騎士である。彼は冗談が全く通じず、敵はすべて一刀両断であった。
つまり『お前笑えねーよ』という喧嘩の合図である。
基本武闘派である故に殴り合いの
彼らはそうして構ってくれるのが嬉しくてついやってしまうのだが……それで好感度が上がるどころかダダ下がることにまるで気づいていない。
その哀れな様子は女性探索者にも見られており、その視線は常に呆れを伴っている。
もはや右を向いても左を向いても行き場がない、男たちの悲しき現実であった。
徐々に険悪に傾きつつあるロビーに辟易しつつ、ふとツァルトの耳がぷるると震えた。
「そうだ。味はそれなりですが、ステラさんが好きそうな感じの面白い店主がいますよ」
「面白い? ……もしかしてネコが寝転んで寝言を語る……なんて凄く虚しい冗談で大爆笑する白熊店主じゃないだろうね?」
ツァルトが頬をかいて頷く。
「それです、矢張りご存知でしたか」
「その時は買えなかったけどね。主に『ごはんの聖女』のせいで」
「謎の聖女ですか。屋台食堂ではちょっとした特需で景気が良いみたいですが、正体は一体だれなんでしょう?」
「だれだろうと構わん。ヤツのせいで小生は食いっぱぐれたんだ……!!」
ぐぎぎ、と拳を握り『ぜったいゆるしまへんえ』と熱くアピールする。
「いい機会だ、そこに行ってみよう! これはリベンジマッチだよ!」
「フフ、頑張ってくださいね」
ニコッと笑うツァルトにサムズアップで応え、喧嘩腰で立ち上がる男達を背にロビをー背にギルドを後にした。
それを追う影が2つある事に、ステラは気づかなかった。
◆◆◆
フードをかぶったステラはスタスタと因縁の屋台通り、その入り口へとやって来た。右を見て左を見て、全てが開店している。これは高性能エルフアイ及び【鷲の眼】による観測の結果故に確実だ。
「ククク聖女め、今日は謳っておらんと見える……」
これは我が世の春が来た! ステラは軽くスキップしながら来る美味しい串焼きに思いを馳せながら、ごきげんにおべんとうの歌を歌った。
「おっべんと♪ おっべんと♪ うっれしーぃなぁん♪♪
たまごーにおーにくーにやっさいもつくよぉ♪」
鞄のグラジオラスが慌てたような悲色を返し、ステラはよくわからないが応援してくれているらしいグーちゃんをカバン越しに撫でた。
あゝ、それを表現するなら『ざわ』であろうか。
それは歌声。
まるで心地よい小春日和にちょいとパンとチーズとワインを抱えて散歩し、ぽかぽか日当たりのいい切り株にでも腰掛けて食べるかのような。
ちょっとだけお出かけしてご飯を食べよう。そんな明示された楽しいワクワクするイメージが波及する。
同時に屋台通りが身震いした。そうとしか表現できない。故に店主たちは理解した。
来た。あの方が来られた。
聖女! 聖女だ! 食の聖女がやってきた!
聖女が従えるのは
雄々見やれ! 来るは怒涛。足音。腹の音。
目についた美味そうな肉汁を、朝露が如き清水滴る野菜を、太陽を浴びまるまる太ったその果実を。
よこせ、よこせ、我ら腹ペコのしもべなり!
あっという間に
(おのれえええィ!! 機を計らっておったというのか?!)
なぜだ! 自分はただ串焼きを買いに来ただけである。あわよくばおべんとにする腹づもりだけれど、それは悪心ではない。よしんば悪があったとしても可愛らしい童心ではないか!
故に彼女に二心無く、とても純粋な気持ちでここに居る……!
だというのになぜピンポイントで邪魔をするのか!! エジプト在住のカリスマ吸血鬼だってこんなゲロ以下の酷ぇことはしないだろう。
(まずい、まずいぞ!)
すでに人混みで通行するにも難儀する有様で、目的の屋台までかなり時間を食いそうだった。
(くっ、このままでは……また食いっぱぐれる!!)
ステラは人混みをかき分け前へと進む。進むごと周りの商業活動が見て取れる。まさに世は大屋台時代、店主たちは左団扇で笑いが止まりませんなぁ! といった様相である。
そうしてステラは人の海をかき分け、ついに白熊店主の姿を認め、最後の力を振り絞って声を張り上げた!
「おっちゃあああん! 串焼き1つおーくれえええ!!」
「あ、すいやせんたった今売り切れまして……」
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛!!!」
すてらはまっしろになった。
隣を見れば旨そうに串を齧るリザードの姿。野郎ォ旨そうに食いやがって……! 睨むとふっと目をそらした。相当怖かったらしい。
もはやステラの中で聖女は『おめぇにやる串焼きねぇから!』とルビが振られている。にやにや笑う未確認聖女物体がステラをおちょくり廻っていぢめるのだ。
聖女ッ! なんてヒデェやつなんだ!!
ステラは潤んだ瞳を白熊店主に向けるが、彼はすまんなと首を降る。
「あぁ……」
欲しくても
ないもんはない
串焼きは
ステラ心の
「あれ、アンタもしかしてこないだの?」
「……やあ、やっぱり今回もだめだったよ。聖女は空気を読まないからな……うふ、うふふ」
もはや半泣きである。それほどショックなのかと言われたら思わず天地開闢が出来ちゃうほどのショックである。
「まあ、仕方ないな……うん仕方ない」
「ほんとワリィな……」
「いいんだぁ……へへへ、へぇ……。やること沢山あるもの……ふぅ。青空市場で背負子をだねぇ……ハァァ。
そういえば店主は見たことあるかぁ、背負子って背負える籠なんだけど……ふぅぅ」
「し、しらねぇな……なんだいそりゃ?」
「ないならまぁ、ねぇ? バスケットでもいいんだぁ~アハハーハァァ……。品物を傷つけず運びたいだけだから。ふぅ……」
「そ、そうか」
あからさまに落ち込むステラに、店主はだんだん罪悪感を覚えてきた。屋台の店主とて商人である。たとえ聖女の導きがあったとしても、物を売れない商人などあってたまるものか。
「じゃあねぇおんちゃん。良い商いを……」
しょんぼりとぼとぼ歩く背中に、店主はぐうとうなり頭をガシガシとかいて呼び止めた。
「まった、嬢ちゃん!」
「ふぁ……なんだい……?」
「……あー、なんだ。その。売ってやれんこともない」
「まじで?!」
「うぉ??!?!」
がばあと顔を上げたステラが一瞬で店主の前に現れ、食い入るように店主を見る。近い! じいと見つめるそれで、店主はフードの中の顔をよく見ることができた。
潤んだ瞳、染まる頬、ゆるり弧を描くぷくりと膨れた桃色の濡れた唇。まるで恋する乙女のように、それは店主を見つめていた。
独り身の店主は思わず頬を染めるが……残念な事にステラが恋しているのは一分の隙もなく串焼きである。
店主は少し上ずった声でステラに声をかける。
「お、お嬢さんに売るにはちょっと、端切れだったり、なん、ですけど……」
「構わん、売れ! おいくらですか!」
ステラは鞄をゴソゴソして、財布――勿論色気も何もない無地で無愛想な麻の巾着――を取り出し紐解き、硬貨を取り出そうとするが、店主がそれを止める。
「こ、こんなもんタダでいいですよ」
「ふぉおおマジか、ありがとーー! あ、押し付けがましいけど葉っぱに包んでくれると嬉しいなっ!」
「はっ、ハイ!! 勿論ですとも!」
店主は過去最速で端切れの肉を柔らかく大きな葉っぱに包み、蔦でしゅるると縛ってステラに差し出した。
「これを、熱いうちに食べてくださいね!」
「ありがとう! しかしもらうにもタダでとはいかんよな……」
「な、なら名 「効くか解らんが幸せをお祈りしてみようか!」 まぇ?!」
包みを受け取ったステラが機先を制して提案する。そう、彼女はこっそり心象魔法を使う腹積もりであった。なんたって店主はまことの
屋台通りを惑わす
聖女は早く見習ッテ、この世紀の快男児!
(とはいえやりすぎない程度に。幸運を想起、祝福を心象……)
「このおっちゃんの行く末に
ふと、そよ風が吹いた。
空を見よ、小鳥たちが歌う。
地を見よ、若草が萌える。
生きとし生けるものよ、幸いなれ。
汝望まれしもの。
汝求められしもの。
ああ白く柔らかき毛の熊の男よ、汝に祝福あれ。
煌めく星の輝きを放つ屋台のおっちゃんが、目を見開いてこちらを見ていた。ステラの顔は真っ青で、凄く引きつった笑顔をしていた。
「……」
「め、女神、さま?」
「あっ、【なんだあれは!】!!」
ステラは
何事?! と周囲の人が振り向いた瞬間、ステラは自重無し全力全開【身体強化】でその場を一気に駆け抜け離脱した。
あまりの加速に、人によっては掻き消えたように見えるだろう。
少なくとも店主が振り向いた時、彼女の姿は其処にはなかった。ただ端切れの肉の包みは確かに消えており、また残り香のように風がふわりと舞うばかりだ。
「……」
なんというか、夢でも見ていたかのようだ……。
「……」
「あのー」
「へぇい?!」
「わっ?!」
ぽやんと店主が考えていると、いつの間にか店の前に魔族の女が立っていた。コウモリの翼と羽を模した耳を持ち、革鎧を着ていることからどうやら探索者のようだ。
「びっくりしたなぁもう」
「あっ、ああ。わ、わりぃ。ちょっとボーッとしててよ」
「まぁいいやー。やっぱ此処も串焼き売り切れなの?」
「あっ、おお……そうなんだよ。聖女様がいらっしゃったみたいでな」
「むぅ。じゃあ、持ち込みのお肉有るんだけど、焼いてくれない? お金は出すからさ」
「へっ? そりゃ良いけど……」
「やったっ♪ じゃあお願いするよー」
そう言って魔族の女は鞄から一抱えほどの肉を受取り、店主が手早く捌いて焼き始めた。ニコニコしながらそれを見る彼女に、なんとなく店主も嬉しくなってしまう。
後に嫁となるこの娘との出会いが、歴史に名を刻む食王クラウリー・ポール・マルティナスの覇道の始まりになるなど……この時の店主は思いもよらなかった。
◇◇◇
……
明らかにやらかした事について、シオンの痛烈にきつい視線を見ないことにしたいステラは途中から上手く方向修正して話をした。
「というわけで、おまじないにポカンとする店主を置いて去ったというわけだハハハハハ」
「結構悪どいですねステラさん」
結局タダで肉をせしめた系の話にまとまったらしい。ステラは右手人差し指で前髪をくるんと弄んだ。
「言うなよ、シオン君が見てる……。
いやシオン君本気で怖いんで、その睨むのをやめよう? ねっ? ねっ?
世界的にも『睨む』という行為はコワイ事だということは確定的に明らかだよ。子供だって知っている。
特にいまステラって言う長耳さんがすごい怯えてるんでホントマジ、はい。ごめんなさい。ほんとごめんなさい」
シオンがとても深い溜め息をついた。
「そういえばシオンさん、先程あの屋台に行ったんですよね?
どうでした、何かご利益的なものは見て取れましたか?」
「ご利益って……そう言えば、魔族の女性が一緒に働いてましたね」
「!!!」
ツァルトの目が怪しく光り、ステラに向き直ってその手を握った。
「ステラちゃん!」
「は、はい?」
さらにぎゅうと手が握り締められる。
「私にも是非祝福を……祝福をお願いします!!」
「ゑっ?」
「私も……私だって、彼氏の1人ほしいのよ!」
「「!!!」」
ツァルトが懇々と受付嬢の悲哀を説いた。この探索者という業界、ごく普通に恋愛結婚をしようと思えば
ツァルトに寄ってくるのはご存知の通り、好感度最底辺の最低野郎ばかりである。
比較的、いや、特級にまともなシオンはその点受付嬢達格好の得も……的だったのだが、彼にその気がないのか全く靡かない。特にあまりに残念でも
(まさか男が好……いやいやいやいや)
ツァルトはその発想を即座に封じた。どうにも開いてはイケない扉、そんな気がしてならなかったのだ。なんとなく口からよだれを垂らす白いバケモノの影を見た気がする。
「とにかくお願い、いくら美人って持て囃されるからって……限度があるのよ!!!」
「ッッッ!!」
その叫びは正に魂の悲鳴である。ステラはシオンを見た。その悲痛な願いをはねのけるには、ステラの心はあまりに弱く、そして脆かった。
シオンはため息混じりに頷けば、ステラがぱぁっと笑顔になった。
「……えー、ツァルトさん。祝福と言うか……これはそう、ジンクスめいたおまじないです。
出会うも八卦出会わぬも八卦。うまくいってもその後は自分次第。それでもよいだろうか?」
「ええ! そもそも出会いがないのよ!」
ステラは泣きそうになった。
「ぐすっ……じゃあ、目をつぶって欲しい。良いと言うまで目を開いちゃいけないよ? おまじないが解けてしまうからね」
「もし開いてしまったら?」
「一生独し 「絶対開かないと誓うわ」 はやあぃ!」
ツァルトが目をぎゅうと閉じて、握った手をそのままに、今度は大分ぬるく……『あっコンビニいこ』ぐらいの心持ちで魔法を行使する。
ただ呪文詠唱が無いのは問題なので、適当な形にでっち上げることだけは忘れない。
「フー……
汝我がトモガラ。
汝彼がハラカラ。
娘、ツァルトの行く末に、
ギュッと目を閉じたツァルトの身体がカッ光ってすぐに止む。ふとシオンを見れば……ジト目で見ているがまぁ、概ね、いや、ギリギリ、あるいはグレーで宜しかったらしい。
「もういいよ。これで少し運の向きが良くなった、んじゃないかなぁ?」
「ええ、かまわないわ。なんせ実績があるし……私、がんばるから!!」
ツァルトの猫目がギンと光って輝いた。彼女にこの祝福の効果が現れたかどうかは……また別の話だ。
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