03-04-02:追走・ステラの戦い

 時は少し戻る。


 疾駆するステラはか細い糸をたどり、更なる悪意の坩堝へと差し掛かりつつあった。この継ぎ接ぎだらけでガラクタを積み上げたような町並みは、ここが同じソンレイルだとは露ほども思えない。


(明らかに場所だ……)


 鼻が曲がりそうなほどの汚臭、焼け付くほど苛烈な渇望の視線。混ざる意志はただ一つ、渇望という飢えだ。


 ああ、ほしい。それがほしい。ほしくて堪らぬ。


 だから寄越せとステラに訴える。


(くそう、シオン君と逸れたのが本気で痛いな……!)


 彼が迷子になった、などとはひっくり返っても言わない。まかり間違ってもそれはあり得ないし、逸れたならば己こそが迷子なのだとステラは胸を張って言える。


(それにしてもレヴィちゃん、なんでこんな所に来ちゃったんだ……?!)


 素人のステラでも解る、この場所は他とは違う異質だ。同じ街にあって、ここは街ではない。まるで異国で更に異界に紛れたように此処の空気は違うのだ。


 そんな街を走るステラは、遠く目端に鮮烈な赤を捉えた。


(レヴィちゃんの色っ、見つけたぞ!!!)


 足にさらなる力を込め前へ出る。


 高性能な目が、その耳が、肌が囲まれ怯え、嫌がるレヴィを捉える。粗野な男に捕まり、拳を振り上げ……その音を聞いたステラに煮えたぎるような怒りが沸き起こる。


(……野郎、やりやがった)


 ステラはいつの間にか走るのを止めて歩いていた。だが彼女を見る何者もそれを止めることはない。


 なぜなら彼女は笑顔であった。


 見た者を射すくめ、命を刈り取る審判者のそれだ。誰しもがその矛先が己でない事に安堵し、睨まれた蛙たるそれらを見て憐れみを向ける。


「―――なこだなァ……」

「ちっとあじみするか?」

「いいな……じゃあさっそく……」


 下卑た笑いを上げる彼らの股間は、山になって盛り上がっていた。向かうのはさらなる暗がり、帰ってこれない井戸の底にも似た向こう側だ。


 ステラの心が熱を通り越し、冷えていく。


「――味見とは?」


 声をかけた男が下卑た笑いを浮かべ振り返る。


「そりゃおめぇくっちまうにきまって――ヒイッ?!」


 ステラは男にやんわりと微笑む。


「そうか。つまりお前は人食いの魔物オーガと言うわけだ。……人じゃないなら、自重はいらんよな?」


 ひゅ、と風切り音と共にステラが足を蹴り上げ、レヴィを掴んでいた男の股間に吸い込まれて男が


「ひく゜ぇ――……」


 なにか潰れた感触がしたのは気のせいではあるまい。そのまま地面に落ちた男は、「カひ」と断末魔を上げ、そのまま痙攣して崩れ落ちた。同時にレヴィもペシャリと地面に倒れる。


「やぁ、安心したまえ。峰打ちだよ」


 その宣言どおり、たしかに男生きている。股間への強打は時としてショック死することもあるが、一応片玉は生きているはずだ。

 金的は効果的だが地獄の痛みなのは解るので、理性が許したギリギリの温情措置しななくてよかったねである。


 また戦闘不能にしたことで、彼をこの場で足を引っ張る要因にした。多勢に無勢である今、戦力を低減させた方が何かと都合が良い。……のだがあまりそういう事は彼女の脳裏にはない。

 事実はひとつ、友達が連れ込まれようとしているというただそれだけの事実だ。


「ギ……きひっ……」

「生きているだけ良いよねぇ。それとも、全部潰すべきだったかな?」


 にこぉ……と微笑むと、周囲に動揺が走った。この女、やると言ったらッ! そういう凄みがある! それを意識した男たちの玉がすくみ上がったのだ。


(まぁ、この先生きのこるのは彼しだいだが)


 この不衛生な環境で傷を放置するなら、遠からず感染症に掛かるだろう。が、そうなるまで放置するのは自業自得だ。


 なお周りが眉をひそめるようなこの急所攻撃……この世界においては寧ろ推奨される打撃技である。これでゴブリンやオークも一撃で無力化、衝撃が通るだけで隙を生むのだから侮れない。


 レヴィの顔を撫でていた者がこちらを向いて、歯をむき出しにして熱り立った。


「てめえなにしやがるっ!」

「だあーまーれェーい……」


 声を上げた男に、抱えていた折れ直ちゃんを突きつける。布で巻かれているが、これが明らかな凶器で有ることは伝わっているだろう。


 確かに折れ直ちゃんはぼろぼろで戦うことはきっと難しい。だがそうと見せかけることはできる。


 異様なボロ切れにしかみえなくとも、そこに圧倒的自信をもって突きつけたなら。たとえそれがカシャカシャ引っ込むやつおもちゃのナイフとて牽制に足るカードとなりうる。


 少なくとも腰のヒイラギの杖よりは……単なる棒にしかみえないそれよりはよっぽど威圧効果が期待できるだろう。


(流れは掴んだ、あとは取り戻す……)

 

 潰した玉の感触で若干我に戻りつつあるステラの制圧がここから始まる。





 ただそれは男たちがであればの話だ。





 実効性を見せないそれに、彼らは脅威を感じない。なんかよくわからんものを突きつけられたぐらいにしか考えては居なかった。


 また最終的に自分が甘い汁を啜れればよいのだ。彼らは所詮仲間ではなく、ただ個人の集まりにすぎない無法者バンディッド達だ。

 そこによく見ればマブい女だ。あの馬鹿は『堕ちた』が、俺はそうはならねぇという根拠のない過信が、ステラを美味しい獲物として捉えた。



 つまり彼らは構わず突っ込んできた。



「なんとォーー?!」


 暗がりから手を伸ばされるが如く、狂ったように男たちがステラに迫る。ステラはたたらを踏んで下がり、数多伸ばされる手をなんとか打ち払うが……多勢に無勢だ。いつだって質量はパワーだし、何よりステラは戦闘者としてはまるきり素人である。


 いくらか運良く払えたとしても捌ききれる物ではない。払った手を掴まれぐんと振り回され転倒し、その豊満がぶるっと揺れて下着の肩ひもが弾け切れた。いつだって質量はパワーである。


「ぐおっ!」


 振動で揺れたそれに男の目が怪しく光る。


「へひっ、もうたまらねぇぜ!」

「なぁっ?!」


 一人が舌なめずりして覆いかぶさり胸元をひっつかむ。硬いものが太ももにぶつかり、これが何をしようとしているか理解した。

 男がそのまま服を引きちぎろうと力をかけ、


――バチュン!

「ギッ!」


 と破裂音に声を上げて、男はエビ反りになって勢い良く吹っ飛ぶ。背後に居た2人を巻き込んでドミノ倒しに倒れ伏した。

 仰向けのステラの手には折れ直ちゃん、折れた断面を天にむけられ、表面をパチリと電流が走っている。


 ステラは偽装の再現魔法以外にも、護身用の心象魔法を創り出していた。


 これは非殺傷ショックシリーズの1番、【電障】すたん・しょっくである。

 いわゆるスタンガンの模倣でるが、雷撃による行動阻害に加え、衝撃で相手を吹き飛ばす効果がある極近接専用魔法だ。

 難点は加減ができていない事と、極近接にしか効果がないため利用シーンが限定されること。


 逆に言えばこの様なシチュエーションなら効果は推して知るべし、である。


(切り札用意しといてよかったぁあああ……)


 顔の青いステラが安堵のため息をついて立ち上がる。勢いでリボンは持って行かれたが、一旦危機は脱したのだ。ステラは手の折れ直ちゃんをかまえる。


(ごめんよ、折れ直ちゃん……少しだけ力を貸してくれ……)


 たとえひび割れて使い物にならないとしても、その重みは彼女に勇気をくれる。向かうべき勝利への導べである。

 未だ悲しげなそれを酷使することに歯噛みしつつ前を向いて、残る男達に相対する。


 続けて使うのは更なる札である。

 

【水障】うぉーたー・しょっく[想備]セット


 非殺傷ショックシリーズの2番。手のひらに乗る程小さな水球が3つ、折れ直ちゃんを構える手の上に浮かんで踊る。


 先程より難を逃れた男が3人、目の色を変えてやってくる。


 ステラは折れ直ちゃんを男たち向けて狙いを定め、


[奏行]アクト


 立て続けに3度、水玉が高速で射出される。キュンと音を立てて飛翔するそれらはバラけること無く固まりのまま男たちに向かい、到達する寸前で肥大し弾けた。


「ぐあぁ?!」

「ぶぎぃ!」

「ぎぐぅ!」


 小さな弾丸と化したそれらが面攻撃となって男たちにぶち当たり、衝撃で後ろへと吹き飛ばす。


 【水障】は所謂ゴム弾頭のショットガンに近い。瞬間的な面制圧を可能とし、何より防御がしづらいのが特徴だ。剣の腹を盾にしたのでは面積が足りず、盾受けをしてはその衝撃を殺しきらない。

 無論属性ある攻撃と言うよりは、単なる物理的な打撃攻撃なので幾らでも対処は可能だろうが、今持ってそれは問題にはならない。


 男たちは重装歩兵でも兵士でも、ましてや魔法使いですらないのだから。


「さて、残ったお前はどうするのかな?」

「ひっ……」


 残った1人にニッコリ笑顔を向け、折れ直ちゃんを構える。


 男は怯えて後ずさり、脇目もふらず逃げ出した。遠くに走る姿を目端に捉えつつ、ステラはフゥとため息を付いた。


「……っぐ」


 同時に足が震えて、立っているのも難しい。


(……ッああああ、こっ、こわ、かった……)


 知識としては知っていた、しかし『襲われる』というのは此処まで怖いものだったのか。特に伸し掛かられるのは生理的恐怖を催した。


 とっさに体が動いたのは、ほとんど奇跡と言っていい。


 ステラは深く深呼吸して気持ちを落ち着ける。


「ダメだ、まだ気を抜いちゃいけない」


 視界の先に倒れるレヴィが居る。ここで自らも足を止めては意味がない。


「シオン君……」



 ステラが小さくつぶやき、髪を結っていたリボンをしゅるりと解いた。それを両手でぎゅっと固めるように握りしめると、はらりと地面へと放り落とす。ふわふわ揺れるそれを見つつステラは息をつき、その手の得物をひと撫でした。


「折れ直ちゃんありがとう。だが、もう一寸頑張ってくれ」


 ぽんぽんと叩いたステラは、そのまま倒れたレヴィに駆け寄ってその頬を撫でる。

 見た目はぐったりしているが、しかし気絶しているのみで命に別状は無いようだ。


「でも、ちょっと腫れちゃうなぁこれは」


 ここでは治療も出来ないし、何よりそれが出来る道具を持っていない。申し訳ないと謝りつつレヴィを肩に抱える。


「……ハァ、一息いれたい。アルエナ茶キめたい」


 よっこいせと持ち上げた彼女の耳は、多数の雑多な足音を耳にしていた。ここで領軍の兵士諸君が現れたなら格好良いのだが、しかし聞こえるそれはガニ股で刷るような、規律のまるで無いものだ。明らかにスラムの住人のそれであり、此方に向かってきているようだ。


「ああ、アイツ逃したのはまずかったのだようか……」


 乾いた笑いを浮かべたところで、己の頬をペチペチと叩く。


「よッしゃあァァ!! もうちょっと逃げますかね!」


 ステラが立ち上がり駆け出した。

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