03-01-08:アルマリア家と女主人カスミ
アドミラシオン公爵家別邸、アルマニア邸の3階、日当たりの良い南向きの部屋にカスミ・アルマニアの居室がある。
全体的にシックな作りの部屋は無駄がなく質素である。端的に面白みのない部屋であるのだが、こと彼女の部屋に限ればそれが正しい。
ベッドの上で上半身を起こす女性。シオンと同じ濡れたような長い青髪の、翡翠色の目をした小柄な乙女。病的に白い肌、そして少しこけた頬は、シオンの言の通り身体が弱い故だろう。
ゆったりとした白のネグリジェにケープを羽織る彼女は、この平坦な世界に咲く唯一の彩りであり、だからこそ眩く映える。
深窓の令嬢の体現、彼女こそシオンの母であるカスミ・アルマリアの人である。
シオンとステラはベッドの脇に小さな机を用意して、其処にちょうど三者が三角形になるよう椅子を並べて座っている。
「――」
触れれば壊れてしまいそうな美貌の彼女に、ステラは息を呑んだ。カスミは『シオンの姉』と言っても通るほど若く見え、とても一児の母だなどと信じられない。
彼女は対面するステラに対し嬉しそうに微笑んだ。それもまた絵画を見ているように美しく、なるほど美少年剣士の母というのも納得である。
黙っていれば美人な
(ううむ……)
ステラは何とも言えない気分で彼女を見る。それは儚げだから、病弱だから、ましてやシオンの美しき母だから、女子力的に完全敗北だから等という理由ではない。
彼女の体から漏れ出る、見慣れた濃い黒霧を見てしまったからだ。
「母様、こちらは暫く身を預かることに成りました、ステラさんです」
「その……はじめまして、カスミ様。ご紹介に預かりましたステラと言います。ご子息にはお世話になっております」
「――初めましてステラさん、こんな格好でごめんなさいね?」
「いえ、とんでもない! こちらこそ無理を言ったようで……」
「――だいじょうぶ。私が話したかったのよ、気になさらないで?」
「そ、そうですか……」
優しい笑顔、だが吹き出るような漆黒はその者の死の予兆である。
彼女は遠からず……いや、近いうちにその命を散らすとステラは直感した。霧が形を作り、まるで死神が抱きしめるようにまとわりついているのだ。
心配そうに母を労るシオンと、心配かけまいと微笑むカスミ。この事実は伝えるべきだろうか……いや、伝えることなど出来はしない。
どこの馬の骨とも知らぬものに『明日死にますよ』等と言われて、信じるかと言えば甚だ疑問である。
ハシントがカチ、カチとお茶の用意をする中、話を切り出したのはカスミである。
「――ステラさん、でしたか」
「はい、なんでしょうか?」
「――貴女は……シオンとどんな関係なのかしら」
「関係、と言いますと?」
カスミは可愛らしい顔を首を傾け、笑顔で爆弾を投下した。
「――もしかして、恋人さん?」
「母様?!」「ブふぁッ?!」
ステラは吹いてシオンは慌てた。
たしかに我が身は女で女神に連なる(黙っていれば)超美人である。これを
カスミが困惑して首を傾げるが、二人はそれどころではない。
「――孫の顔は早く見たいわ?」
「ち、違いますよ! 彼女とはなんの関係もないです。暫く面倒を見るだけですから」
「ええそうです。小生とシオン君とはバラ色ハッピーな関係ではないのです。ただ面倒見てもらっているだけなのですよ」
「――そうなの? すこし残念だわ……」
納得したのかしないのか、ほんわか笑顔を浮かべる彼女は頬に手を当てている。
「――シオンが誰かを連れてきたのは初めてだから……少し期待してしまいました」
「初めてつれてきた、だって?!」
ステラがシオンに目線を向ける。彼は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「シオン君。君、もしかして友達居ないのか……?」
「いますから大丈夫です」
「…………大丈夫だよ、シオン君。小生もハシントさんも友達だから。ほら二人もいるよ、長耳なフレンズが!」
「何ですかその生ぬるい笑顔は」
訝しむ目線に耐えかねてシオンが、ちょうど用意された黄のアルエナ茶を一飲する。
「ステラさんもお茶を戴きましょう」
「……それもそうだね」
これは一応お茶会の体で開かれている。歓談も良いが、供されたそれに手を付けないのも野暮であろう。
そうして一口飲んだステラの眉根がピクリと動き、考え込むようにじっとカップを眺める。
続けてクッキーをサクサクと齧り、にまりと笑った所で再度カップを一口かたむける。
途端ステラの顔に朱が指し、太陽のように満面の笑みへと変わった。
「むふふ……♪」
クッキー、クッキー、お茶。ため息。笑顔。ぴこぴこと動く耳に、くるくると回るその表情を、カスミは楽しそうに眺めている。
「――ステラさん、美味しい?」
「むぅ? むっく……はい、とても!」
「――喜んでもらえて何よりだわ」
笑顔に対しはふんと鼻息荒いステラは捲し立てる。
「いやー、筆舌に尽くし難しとはまさにこの事ですよね。
特にこの渋めのアルエナ茶が良い。ただ甘いだけだと思っていたところ、良い意味で裏切られました。“甘さ”とは確かに強い味覚です。故に安易に使っては下品とされることもままあります。
そこでこの“渋み”はどうでしょう。不味いか? 飲むに値しない? いいや違う、これは“旨い”茶だ。本来の旨味を強調し感じるために敢えてそうしているのでしょう。
ただそれだけでは矢張りくどいし、飲むごと渋みが舌に残って一口ごとに舌が劣化してしまう……そこでクッキーですよ。
サクリとした内に在るもちりとした生地、そしてほんのり優しい素材由来の甘み。これが舌をうまく洗ってくれるのでしょうね。そうすればまた新しい気持ちで茶を一口……あ~旨ひ」
そうしてふはーとため息をつく。
「――フフ、美味しそうに食べますね」
「実際美味いのだから仕方な……なんかデジャヴュだね? シオン君」
「貴女をみてそう思わない人のほうが少ないでしょう」
「えーそうかい? 之ぐらい普通だよ普通」
全く存外だとむくれるステラに、やれやれとシオンが息をつく。それを見たカスミは楽しそうに笑っていた。表情を消しているハシントですら柔らかい雰囲気をしていた。
まるで小春日和のコンクリートの上のように、ぽかぽかと心地よい空間である。
ただ立ち上るその黒さえなければ、ただの日常の一幕で済んだはずだ。
「――ふぅ……」
「母様、お疲れですか?」
「それはいけない、ご自愛ください」
ハシントがするりと動いてカスミの様子をうかがう。振り返ってシオンに頷いた。
「母様、あまり無理は……」
「――ごめんなさい。とても楽しかったからつい……」
「ならまた機会を作りましょう。ステラさんもそうですよね?」
「いいですとも」
ステラが目を輝かせてぐっと拳を握った。流石にここで『だが断る』等と言う度胸はないし、クッキーを食いっぱぐれるなどありえない話だ。
「――二人共、ありがとう」
少し顔色の悪いカスミをハシントに任せ、二人は邪魔ににならないよう手早く退室した。
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