02-01-06:目覚める彼女とエルフの少年
ふわりと浮かぶ白い光が瞼の隙間から見え、彼女は目を覚ました。
「うぅー……?」
うっすらと目を開いて起き上がる。何かが肩からふぁさりと落ちて、胸に引っかかって止まった。
濃赤で厚手の布地はかなり使い込まれており、端の方は擦り切れて補修の後が見て取れた。
引っかかった布を外し、豊満をおもむろに掴んでふにふにとやる。当たり前だが現実の感触として帰ってくる。
ああ、そういえば女性になったのだと今更ながらに思い出した。
「あふ……んふぅーー、ん……」
こしゅこしゅと目をこすって、ぐぐっと前に伸び、上に延び。此処でふと体の気持ち悪さが無い事に気がついた。
体の埃はほとんど取り去られ、悪魔メイクと足の滑りは綺麗に拭われている。
何者が介抱してくれたのだろうか?
寝ぼけ眼で周りを見回すと、見覚えのある石レンガが見える。此処は未だ遺跡の中にいるようだ。
「はぁ~……」
額に手をやりうなだれる。余りに非道い夢だ、よもや矛盾塊を見ることになろうとは。いや、夢の菓子は夢のようで、もう1度食べたいと願わないでもない。
でも食べたかったのは焼き鳥だったのだ。
脳裏で食いそびれた串物がパタパタと天へと登っていき、コレジャナイ魔人が無表情で彼女を笑う様を幻視した。
(……あれ、ていうかもっと大事な事があったような気がする)
ぼんやりしつつ思案する。
まず死んで女性になった。しかもハイエルフ、推定ハイスペック。
脱出すべく遺跡を彷徨い、何か踏んだのだ。
それがどうにも嫌で泣き出してしまった。
恥ずかしい……いくら何でもあれしきの事で泣きわめくなんて。
何故感情を抑えられなかったのか、甚だ疑問だが……。
(それから……どうなった?)
何か重大なインシデントがあった筈なのだが、何も思い出せずぽあっと首をかしげる。
「あのー……」
「ほぇ?」
声のする方に視線を向ける。
円筒形の薬缶を載せた、小さな
瞳は赤の三白眼、細い眉を厳しく寄せて訝しげな目線を向けている。濡れた唇は真一文字に結ばれて、表情らしいものは読み取れない。
さらに少年の耳は短く尖ったものであるから、恐らくエルフだと思われた。
着ている服は上等な白地のシャツに、濃茶のズボンとシンプルなもので、上に銀色の胸当てをつけている。手には無骨な
装備は共通して蔦が巻くような装飾が施されており、恐らく同じ設えの品だと解る。幾多の傷が刻まれた装備には、補修痕がいくつも目に入った。
また少年の傍らには無骨なロングソードが携えてある。身の丈からすれば長い剣が少年の得物なのだろう。
衆目美麗の少年剣士が、じいっとと彼女を見つめていた。
「えーっと。まずは……おはよう、かな?」
「はい、おはようございます」
にこりともせず少年が応え、硬い表情が少し怖いと彼女は思う。明らかな疑いを向けられて、非常に居心地が悪い。
「ええと、じょうきょーをみるに……しょうせいは、けんしくんに、あの、たすけてもらった、のかな?」
「概ねそんな所です」
実際は自爆した
故に少年は様子を見ると決めて、彼女の様子を観察に終始しているのだ。
「ええっとぉ……まずは、ありがとう。すごく、たすかった。です!」
「っ? そ、そうですか……っとと」
ストーブの上の薬缶からカタカタと音がし始める。沸騰を知らせる音に少年は動き出した。
木製のカップに側の缶から取り出した飴玉大の丸薬を1粒入れる。夕日のような茜色は一体何であろうか。
タオルを手に薬缶を持ち上げ、丸薬をほぐすように湯を注いでいく。
「ふあっ?」
とたんアールグレイに似た強い香りが漂ってくる。丸薬はインスタントでお茶を作るもののようだ。少年は溶かしきった事を確認すると、カップを彼女に差し出した。
「どうぞ」
「えっ、いいの?」
「そのために煎れましたから。お口に合えばいいですが」
「おぉー……ありがとー!」
彼女は受け取って、カップをのぞき込む。
湯気がゆらりとくゆる先に、鮮烈な紅が広がっていた。よく見れば萎れた花弁が見て取れる。なんと豪華にも花茶なのだ!
「いいの? こんなたかいもの……」
「高い……? いえ、一般の品ですが」
「ふむん……」
この世界、思ったよりずっと文明は高いらしい。彼女はふぅふぅと少し冷ましてから一口含む。
「ふぉッ! はふぅ~……」
暖かく優しい味が舌を撫でる。
(……香りだけかと思ったが存外に甘い。少しだけほろ苦いけれど、うん。美味しい)
いわゆる甘茶、微かにある苦味は茶葉固有のものか、または製法に依るものか。目にも舌にも優しいお茶である。
(これ、花も食べられるのかな?)
ちゅるりと吸い込んだ花弁が口の名でくしゅくしゅと溶け崩れる。目を瞬いて、再びつるり。まるで寒天を崩すようで、ふにふにとした触感が旨い。
一口飲む毎食べる毎、寝ぼけ眼がシャッキリと覚めていく。
夢中ではふはふちびちびとやっていると、少年がまじまじとこちらを見ている。途端気恥ずかしくなって、彼女はにかんで笑った。
「あー、その、ハハ。これはじめてのんだけど、とてもおいしいね。なんてなまえだろ?」
「え……普通のアルエナ茶ですが……」
「ふむ『アルエナちゃ』というのだね? よし、おぼえたよー」
むふーと満足げに笑う彼女に、少年は首を傾げる。
アルエナは五枚の花弁を持つ、色彩豊かな種を持つ花だ。花弁を使ったハーブティーがアルエナ茶と呼ばれ、色毎に味わいが異なる一般的なお茶だ。
特に保存の効く丸薬に加工した品は、市井に広く普及している。
気軽に飲めるアルエナ茶は国民ならば1度は口にするものであり、また貴い身分の者でも茶葉から淹れる一般的な飲み物だ。
故に初めて飲んだと言う主張は何とも不思議な話であった。だがおっかなびっくり飲む様は確かにそう思える。
「本当に飲んだことがない……?」
「うんっ……ふへぇ~おいしいなぁ」
更に不思議なのは見た目に反して辿々しい口調だ。まるで子供ではないか。違和感の正体を見極めようと、睨むように見つめている。
そのように見られては気づかぬ訳もなく、彼女は何ともやりづらい。そんなに飲むのが珍しいのかと思いつつ、彼女はふっと思いついて質問する。
「そういえば……たすけてくれた、とのことだが。
しょうせいはどうなっていた、のだろうか? さっぱりきおくがないのだが」
「うーん……」
問いかけに少年の表情はぴくりとも動かない。彼は山賊ではないが、しかし斬ろうとしたのは事実である。
驚いた彼女が転んだのは想定外だが……忘れているなら面倒がなくて良いだろう。
少年は知らぬふりをすることに決めた。
あとは真実を織り交ぜつつ誤魔化せば大安定だ。素晴らしいプランである。
「どうも頭を打って気絶していたようですよ?」
「えっ。なにがあったの……?」
「さあ……僕には良く解りませんか。ええ、よく解りませんが」
「そ、そう……こわいなあ……」
彼女はぶるりと身震いし、こうして優しい人に助けてもらったことを感謝した。少年は気まずさに目線をそらす。
「うーん……そうなるとこまったな」
「何がでしょうか?」
「いやね、しょうせいしゃれいが、できそうなものを……もってなくて」
「それはまぁ……見れば解ります」
彼女の持ち物は着ているシャツ一枚きりだ。流石に脱いで渡すことは出来ないし、とても見合うとは思えない。
肌を晒す……と言うのも無駄だろう。もし身体目当てなら気絶している間に襲えば良かったのだ。今無事なのはその気が無いことの査証である。
つまり彼は非常に常識のある理性的な紳士だ。だからこそ返せるものがなくて困っているのだが。
「うーうー……どうしよう」
「それぐらい気にしませんが……?」
「いやだめだよ。おかえしはしないと」
「大したことをした訳ではありませんよ?」
物言いに聞いた彼女がむっとして少年に言う。
「きみは、なにをいっているんだ! ひとをたすけることはたいしたことだよ。
なまはんかで、できることではない、とてもとうといことだよ!」
「えっ……」
真っ直ぐな金色が少年の赤を射抜く。戸惑うように揺れ動いた光は、すぐにうなだれた彼女からは見えない。
「はあぁ……よーくかんがえれば、ここがどこかもわからん。
わがみすらあやふやだ。しゃれいどころじゃーなかったな~……」
「……もしや、記憶が無いのですか?」
「んぇ?」
顔をあげると、少し眉根を寄せた彼が此方を見つめている。彼の様子に彼女はティンと来た。
(記憶喪失! なんて
この世界への無理解と記憶喪失、持ちうる情報が不安定という点にシナジーがある。なら『記憶喪失』という属性は彼女の背景にはとても都合がよい。
あとはテキトーに真実を織り交ぜつつ誤魔化せば大正義だ。まるで隙のないプランに彼女は内心でほくそ笑む。
「そうっぽい、のかな。じっさい……んー、じぶんのなまえも、さだかではないよ」
「名前もですか?! 大変ですね……」
「うむ。ここまでくると、もとのなまえがあってもいみがないだろうなー」
「それは……」
ふむふむと首を傾げる彼女に、少年は沈痛な面持ちで見やる。
「ななしのごんべ、ではかっこがつかない。あたらしく、かんがえようと、おもうのだが……。いみなのがいねんは、あったろうか?」
「いみな? ……ああ、
「おお、きいてよかった。ならええっと……」
少年はうんうんと唸る彼女を憐れむように見る。
名前とは魂に通じる非常に重要なものだ。真の名を知られてしまえば、最早命を掴まれたも同じこと。故にもし本当の名前が失われたというのなら、存在そのものが不安定になる。記憶すら失ってもおかしくはない。
なるほど彼女が辿々しく話す理由を察し理解した。
同時に真名を失うような事態に陥った彼女の境遇に顔を顰める。名前の重要性は子供でも知っていることだが、その上で失うなど尋常のことではない。
少なくとも彼女が抱える因果は手に余る程大きなものに違いない、少年は眉を厳しく歪めた。
もちろんそんな重っ苦しい背景など存在しない。彼女はとてもお気楽であった。
あくまで注意点を聞いただけで、左様な深刻な事態だとは思いも寄らない。
彼女は残り少ないカップの中身をちろちろと飲みながら、どの様な名前が良いだろうと虫食いの記憶をひっくり返した。
すると白い部屋での出来事が思い浮かんだ。
『女神』が例として指し示した彼が好きな本。エルフの英雄が記された物語は、彼女がこうなった原因の1つだ。
なら英雄にあやかるのも良いだろう。朧な記憶を手繰り寄せ、彼女は2つの名前を閃いた。
「きめた。しょうせいは『ステラ』を名乗ることにするよ。宜しく剣士君?」
「ステラ様ですね、解りました」
「す、ステラ様だって?」
ぽかんと口を開けて驚くステラは、あわてて手を振って否定した。
「ま、待て待て! 小生は『様』なんて柄じゃないし偉くもないぞ。普通に『ステラさん』で良いって!」
「ステラ様は
「ハイ(エンドな)エルフだとは思うが、令嬢だなんて天地がひっくり返ってもありえん事だよ。
せいぜい野良猫ならぬ野良エルフがいいところだ」
ふふん、と凡であることを語り鼻を鳴らす。その様は道化のようで、確かに令嬢らしさは欠片も見当たらない。
実際中身は『蝶よ花よ麗しき、世界は愛にあふれたりや』等と語れるタマではないのだ。
「と言うわけでさん付けでよい。イイネ?」
「……わかりましたステラさん」
「宜しい! あと剣士君と呼ぶのもなんだから、君の名前も教えておくれよ」
「なら、シオンと呼んでください」
「シオン君か。ふむ」
聞き覚えのあるそれに、既に空になったカップを名残惜しげに見ながら、彼女は虫食い記憶のタンスを引っ張り出す。
「あぁ~……
「追憶ですか?」
「偶然覚えている中に『紫苑』という花があってな。花言葉が『追憶』なのだよ。過去を示す言葉ではあるが、転じて現在が在る事の証明でもある。
親御さんが何を願ったかは解らないが……地に足ついたいい名前だとおもうなぁ」
「そうですか……」
「シオン君?」
シオンが少し寂しげに目線を下げている。名前について何かあったのだろうか。
「その、大丈夫かい? 気に触ったなら謝るよ……」
「いいえ、問題ありません。いい話を聞けて良かったです」
シオンが薄く微笑んだ。ただ仮面に描いた柄のように見えて、ステラはピクリと震える。この少年……如何なる人生歩んできたんだろう、年相応には見えぬ苦労に、戦々恐々と震えた。
そんな彼がまた自然な笑みを──自然かはさておき──浮かべられるように成るのは、もう少し先のことだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます