ドリームロックンファイター
麻倉サトシ
第1話
見たことのない部屋、大きな出窓。その向こうは少し暗い海の中で、スーパーの魚売り場で見かけるような青っぽい銀の魚がたくさん泳いでいる。岩がごつごつしていて、海藻がゆらゆらしていて、水族館の日本近海の水槽に似ている。
だけど……水族館には絶対にいないものも泳いでいて、どんどんこっちに近づいてくる。
岩よりもいかつい顔に、耳のほうまで裂けた口、いや耳はないのかも。でもそこはどうでもよくって、短い手をこっちに伸ばして胴体からそのまま続く長い長いぶっとい尻尾を器用にくねらせて、窓めがけてずんずん迫ってくる。
どうしようどうしよう、このままじゃきっと窓をやぶってこっちに来ちゃう。
きょろきょろとあたりを見まわす。白い壁に、本棚、何も置いてない机。シンプルな部屋。三周部屋が回ると、机の後ろにあーちゃんが現れた。
「……、…………」
机のむこう側の椅子に座って、偉そうに行儀悪く足を机に投げ出して何か言っている。そうこうしているとずん…、と重たい音がして空気が揺れて、ゴジラみたいな怪獣の頭が出窓一杯にぶつかってきた。
ややややだやだやだ、食べられちゃう!
声も出なくて、後ずさる。背中が何かにぶつかってびっくりして振り返ると、あーちゃんがアヒル口でにやっと笑ってわたしの両肩をつかんでいた。
ああどうしよう、ちっとも頼もしくない。アヒル口もアイドルみたいなのじゃなくて、悪だくみしてる悪者の口だよ……。
「くるよくるよぉ」
しかも楽しそうだ……。
ゴジラもどきよりもタチが悪いような気がする。
なんとなく姿があいまいなゴジラもどきがまた出窓に体当たりする。出窓どころか壁ごと崩壊して、絵に描いたような白波を立てながら海水とゴジラと美味しそうな銀のお魚が一気に流れ込んでくる……!
「きたきたぁ!」
わたしの右手をつかむと、あーちゃんはとんとんっと階段みたいに波を駆け上がり、ゴジラもどきの頭の高さまで登っていく。引きずられたわたしはふがふがと波にもまれながらモロにゴジラもどきと目が合う。というか、目の真横……!
ひいぃぃl! わたしなんか食べてもおいしくないです。ちびだし、食べごたえもないですからぁ……!
ゴジラもどきの口が大きく開き、ぱくんとわたしに食らいつく……寸前でひょいっと体が引き上げられた。空振りした巨大な口が、ホントにぱくんと音を立てて閉じた。
波に乗りながらあーちゃん、器用に片手でバランスを取り、食らいつこうとするゴジラもどきの頭に飛び乗った。わたしも頭に乗っかり、ごつごつのゴムみたいな肌にしがみつく。あーちゃんの手はどこいった?
「ハゲだと不便だね。毛があればつかまりやすいのになあ」
おっしゃる通りです。今にもスピードと水圧に引っぺがされそうになる。落ちる落ちる落ちる! つかむところがないよぉ、手が離れちゃう……!
手がつるっとゴム製の肌からすべって、その瞬間、何とかあーちゃんの足が目の前に現れてそれをつかんで……。
今度は前方からサメがやってくるのが見えた。
「だいじょーぶ! 怪獣の方が強いから」
そういう問題じゃなーい!
猛スピードで泳ぐゴジラもどきの頭の上で、わたしは強風にさらされる洗濯物みたいにばたばたばた、と無抵抗にもてあそばれて……。
ねえ、聞いてよ。
ことのはじまりはいつも通りの日曜日。目が覚めるまで寝て、わたしはさわやか―に目覚めた。
……おなかすいた。明るいなあ。もう朝だなあ、いやお昼かなあ。うーん……。
「のびぃぃぃー」
伸びながら口に出すのがわたしの癖。だってその方が気持ちいいし。
八時前。下を見ると、あーちゃんがいない。お布団もひいてない。
ベッドの柵を跨いで梯子を下りる。そっとリビングのソファをチェック……やっぱり!
「あーちゃん! 朝だよ」
電気も多分ゆうべっから点けっぱなしだよ、ホント困ったおとなだねえ。
「んーがっつり寝ちゃったなぁ」
あーちゃんは、のそのそっとソファから起き上がった。しょっちゅうリビングで寝ちゃうんだから。しょうがないなあ。
「もちょっと寝てくるわ」
だめだめお母さんはそう言うと、わたしのベッドに行っちゃった。
ラッキー。よーし。テレビ見ながらこの前借りた本読もーっと。だから日曜の朝って好きなんだよね、あーちゃんお昼まで起きてこないから、自由時間。ドラマの録画見るんだもん。お腹空いたから、おせんべも食べちゃえ。
「ベッドせまーい。てか何でこんなヌイグルミ散らかってんの。ゆうべきれいにならべたじゃーん」
ひとのベッドに勝手に潜りこんでモンクですかい。まったく。
「寝てる間に蹴飛ばしまくったね。ほんっと寝相悪いんだからなぁ。よしよし、ぱんだ子、痛かった? カワイそー」
なんか言いながらも……すぐに静かになった。あーちゃんはのび太もびっくりの寝つきの良さが自慢なんだもんね! さあ! 今日も張り切ってぐだぐだするぞーっと。
……そしてお昼前、あーちゃんはようやく起きてきて、手抜きブランチを食べて「生まれた時から見続けてる」だそうな「アタック二五」で真剣にクイズに答え、今日もあたしがトップ賞だな、とかって鼻を鳴らす。それからやっとわたしの頭をくしゃくしゃっとなでながら、
「今日何して遊ぶ? 」
と聞いてくれた。
「家でごろごろしよう。あーちゃんとうだうだしたい」
だって普段いーーーっつも留守番なんだもん。あーちゃん仕事で遅いから、帰ってきても急いでご飯食べてすぐに寝る時間。休みの日ぐらいは家でのんびりしなきゃね。
「うーん、じゃあ、うだうだして買い物行ってあとはお風呂ね」
そうだ! 日曜日はお風呂の日。
「うん! お風呂だね」
何にもしないいつもの日曜が一番楽しい。
今日も、あーちゃんと二人で夕方家を出て、銀座商店街でおでんコロッケとたい焼き片手にちょっと食べ歩きして、近所の天然温泉「銀の湯」に行った。
あーちゃんが言うには、このあたりは東京でトップクラスの温泉地らしい。だからうちの近所には温泉のお風呂屋さんが何軒かある。四年生から六年生限定のスタンプラリーなんかもあってもちろんわたしも参戦中だ。「銀の湯」は家から一番近いし、お風呂上りにがらがらーって回すくじ引きができて、三等でも「うまい棒」がもらえる。二十三週連続でうまい棒の記録更新中ですが今日こそは一等の赤玉を出してラムネをいただきますから。まずはお風呂上りの一杯の為にばっちりしっかりどっぷりと温泉につからなきゃねー!
「とォおォきょォブギウギーリズムうきうきィココロずきずきわくわくうゥ」
公共のお風呂でもあーちゃんはマイペース。よく響く声でご機嫌に歌う。あーちゃんが楽しいとわたしも楽しい。一緒になって
「世紀のうたぁ心のうたあぁと、お、きょブギウギ、へいっ!」
ばしゃん。
ノリノリでお湯をとばした。
「こら。やりすぎ」
あーちゃんが眉間にちょっと皺を寄せた。
それから、
「すみません、うるさいですね」
影を集めたみたいな隅っこの方に向かって頭をちょこんと下げた。
屋上露天風呂の岩で囲まれた端にかかるように、背の低い葉っぱの多い木が植えてある。そのすぐ横に、おばあちゃんが一人、座っている。
……びっくりした。人がいるのはわかってたけど、なんだかおばあちゃんは木となじみすぎてて、むこうの木の横にあるタヌキの置き物みたいにさりげなかったから。
「なかよしねえ。ご姉妹? 」
予想外に明るくて若い感じの声。。
っておい。姉妹?
「わーい、そう見えます? 親子ですよー」
ほぉら。あーちゃん調子に乗るから。
「あら、若いお母さんね」
「そんなことないよ。これでもこの人オバさんだも……っ! 」
笑顔のあーちゃんに、両方のほっぺをつままれて口を引っ張られた。
「いやー、普通ですよ」
「ずいぶんと古い歌を知ってるのね」
「ええ。わたしの祖母とも一緒に歌ってるんですよ。古いの好きで」
「まあ。うらやましいわねぇ」
いつもお風呂で会うほかのおばちゃんたちより、のんびり、優しい感じで話す。薄暗いからあんまりはっきり見えないけど、顔も優しい感じがする。知らない人は何となく苦手でなかなか喋れないけど、このおばあちゃんは怖くなかった。
「うちのおばあちゃん八十過ぎなんですけどね、去年までは四世代で温泉旅行なんかも行けたんですよ」
「あらすごい。いいわね、ひいおばあちゃんとご旅行なんて」
おばあちゃんはわたしに笑いかけた。
「でももう旅行はキビシイかなー。食事くらいなら行けるでしょうけど」
「それでもうらやましいわ。うちはだあれも構ってくれなくて」
「勿体ないですねぇ、みんなで出かけると楽しいのに」
「ねえ」
二人は親しげに話し、笑い合って、何だかどんどんなじんで、ついにあーちゃんは見知らぬおばあちゃんの肩をもみ始めた。
「ルカ、あんたは手」
「あら嬉しい。ルカちゃん? どうもありがとう」
わたしも、おばあちゃんの右手をもみもみした。握力十一しかないんですけど。気持ちいいのかな。あーちゃんには苦笑いしかされないんだけど。
「ああ気持ちいい。ぜいたくねえ、温泉でマッサージなんて」
「ゼイタクいいねぇ。ゼイタクしなきゃです」
おばあちゃんの手は、あーちゃんよりずっと頼りなくって、肌に弾力がなくてふわふわしていた。握力十一のわたしでも強く握ったら壊してしまいそうだった。
「どうもありがとう」
おばあちゃんは、お湯から上がる時、不思議な動作をした。隅のタヌキの置き物の方へ行き、タヌキのおなかに触れたように見えた。暗くてよくわからなかったけれど……振り返ったその手には、細い、ロープのようなひものようなものが握られていた。
「ルカちゃん」
そのひもをわたしに差し出す。
「これをお母さんと手首に結んで寝てごらんなさい」
「……え? 」
それだけ言うと、おばあちゃんはささっと上がって行ってしまい、わたしの手に紐が残された。
「帯締め? すご。どっから出てきた? 」
……タヌキからです。
その後、おばあちゃんは見当たらなかった。
「あらあ、ちょっと痩せたんじゃない? 」
「この年で痩せても貧相になっちゃって」
「なによそんなこと言っちゃって、最近楽しそうじゃない、ちょっとぉ、再婚でも企んでるんじゃないのぉ」
「今からじゃハカトモよねえ! 」
脱衣所には笑い声があふれていた。いつものおばちゃんたちがにぎやかにおしゃべりしていたけど、あの弱い不思議な手はどこにもなかった。
そしてわたしは二十四本目のうまい棒と、見かねた仲良しのおばちゃんがごちそうしてくれたフルーツ牛乳と、タヌキから出てきた謎の帯締めを手に入れたのだった。
そしてそして。
言われたとおりに、あーちゃんと手首に帯締めを結んで寝たら……寝たら。
そう、これは夢だ。
夢だって自覚する夢のことを、明晰夢とかいうらしいから、今からこれは明晰夢だ。感覚がリアルで、だからサメとか、ホントに怖いんですけど!
「だいじょーぶだいじょーぶ! 」
ゴジラもどきを乗りこなすあーちゃんの片手には武器が。……ピコピコハンマーね。はい。夢でよかった。
「だって傷つけるわけにはいかないでしょ」
ぶん、と足にしがみつくわたしを払いのけて、あーちゃんは高く高く跳んだ。その反動でわたしはゴジラもどきの頭から落っこちて、下へとどんどん沈んでく。遠ざかるあーちゃんがはるか上でピコピコハンマーを振り上げて巨大なサメに向かっていき――ぱっくり食べられた。
うそでしょ! あの人無敵みたいな顔して、ものすごくあっさり負けてる。
ゆらゆらとわたしを追うように黄色いじゃばらのハンマーが落ちてくる。サメより強いはずのゴジラもどきは素知らぬ顔でそのまま過ぎてゆき、サメが……サメが猛スピードでこっちに向かってくる!
やめてよー! このまま食べられたらホントに痛いでしょ、絶対痛いよこれ。
サメが迫る。口が開いて白い歯がのぞく。赤黒いその歯のむこうがどんどん近づき、視界が一色になって――。
サメの口の中であーちゃんがくつろいでいた。いつのまにかわたしの左手首とあーちゃんの右手首は細い鎖でつながっていて、あーちゃんがくい、っとそれを引っ張り――。
目が覚めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます