全力カーテンライザー

「……学園祭?」

 目の前に差し出された紙に大きく書かれているのは『志津同大学・学園祭』の文字。

「……大学?」

 成瀬さんはもちろん俺と同じ高校三年生のはず。ハルさんは大学生には見えない。ならば……

「彩音さんって大学生だったんですか?」

「なんでそうなるのよ」

「音楽関係無しに遊びに行くって事? そういうなら事なら……」

 俺は要らない気がする、そう思って立ち上がろうとする俺を成瀬さんが引き止めた。

「あのね、彩音の知り合いがこの大学にいてね、その人たちのステージの手伝いをする事になってね」

「あたし達が先にライブをするの」

 ようするに前座というわけか。

「じゃあその日は聴きにいこうかな」

「え? 何言ってるの?」

 彩音さんが本当に驚いた顔をする。何か間違った事言ったか……?

「貴重な男手を放っておくわけ無いじゃない」

「……は?」

「機材運搬に会場設備、マイク運びに荷物持ち」

 つらつらと並べられたのは完全に雑用。まさか……

「手伝ってほしいなー」

 ハルさんが可愛らしく首を傾げる。その手には乗らない。

「……やらんぞ」

 彩音さんとハルさんは顔を見合わせて嫌な笑みを浮かべて、示し合わせたように成瀬さんの背中を押した。

 成瀬さんは戸惑いながらも俺を見て

「……ダメ?」

 と、首を傾げた。ハルさんと違って無邪気だ。

 と、いうより……

「お二方、これは卑怯じゃないか?」

「君が悪いと思いまーす」

 ハルさんが悪戯っ子のように舌を出した。


 *


 地元の駅から数十分。俺たちは志津同大学の前にいた。

「俺はなにをすればいいんだ? 今日はリハーサルだろ?」

「雑用」

 彩音さんの辛辣な一言。雑用って……

「まぁ……いっか」

 俺は溜息をついて三人と共に大学に入っていった。


「わざわざご苦労さん、ありがとね彩音」

 彩音さんの知り合いのバンドチーム『シッドバンド』は大学のサークルらしくメンバーは五人らしい。

 彩音さんの知り合いと言っていたけれど……

「いえ、お久しぶりです。先輩」

 彩音さんの反応を見る限り、特別仲の良い関係というわけではなさそうだ。

「さて……始めるよ!」

 癖っ毛で髪の長い大学生、リーダーでボーカルの和賀さんが手を叩いて皆に号令をかけた。


 *


『……ふう』

 マイクを通して和賀さんの息遣いが仮ステージに響き渡る。

『あやねー、最後の方スピーカーおかしくなかったー?』

 マイクを通して問いかけられた彩音さんは頷いてステージに上がる。

 それにしても……暇だ。

 仮ステージの設置を手伝って以来何もしていない。いや、俺が暇なのは別にいい。問題は……黒服バンドの三人も殆ど何もしていないという事だ。

 黒服バンドはいわゆる前座、盛り上げ役である。

 しかし彼女らが歌う事には変わりない、それなのに……

『よし、じゃあ最後にいつものやついくよ!』

 和賀さんの合図で皆が楽器を持つ。

 俺たちは……見ているだけだ。

 そう、見ているだけ。彼女らはステージに上がるどころか練習すらしていないのだ。

「……歌わなくていいの?」

「うん……流れはわかったから」

 少し不満気そうな成瀬さんの横顔を見ている間に演奏が始まった。

『……いくよ!』

 和賀さんの声と共に演奏のボリュームが上がる。迫力はある。

「いつものやつ」和賀さんはそう言っていた。恐らく一番得意なやつなのだろう。しかし……

「うーん」

 俺は苦笑いを浮かべる。

 これは……厄介な事になりそうだなぁ……


 *


「ごめんね、私たちばっかり歌っちゃって」

「いえ、大丈夫です」

 本気で謝っているとは思えない和賀さんに彩音さんが淡々と返す。

「では、これで」

「本番はよろしくねー」

 こうして黒服バンドは一曲も歌う事なく、リハーサルが終わったのだった。


 *


 彩音さん、ハルさんがそれぞれ違う道に分かれ、残るは俺と成瀬さんのふたりとなった。

「…………」

「…………」

 無言が辛い……いや、成瀬さんは本来こうなのだ。

 授業中は黙々とノートを埋め、休み時間は人の言葉に相槌をうつ。

「私は裏舞台で産まれ、裏舞台で死ぬ」そんな心情があるかと思わせるくらい大人しく、前に出なかった。

 少なくともクラスが同じだった中学二年生まではそうだった。

 やっぱり性格自体が変わったわけじゃないのか。

 音楽の事になると性格が変わる、といったところだろうか。

「……あ」

 思わず声が出る。そうだ、音楽。

 成瀬さんは音楽に対しては異様な程熱心で真っ直ぐ、そんな気がする。

 そんな成瀬さんだから……今回のライブは厄介な事になりそうなのだ。

「ねえ、成瀬さん」

「な、なに……?」

 俺が突然声を出した事に驚きながらも、成瀬さんは返事を返した。

「その、今日の……シッドバンドの演奏の事なんだけどさ」

「うん」

 音楽の事と分かったからか、成瀬さんの返事が変わる。相槌では無く、会話のソレとなる。

「言ってしまえばさ。 成瀬さんたちよりシッドバンドの演奏は……その……」

 少し言いにくいな、そう感じたのを分かってか成瀬さんは言葉を被せてきた。

「うん、分かってる」

「え?」

「シッドバンドの演奏には纏まりが無かった」

 俺が言いにくかった事を成瀬さんは俺が考えていたより細かく指摘した。

 その言葉に頷いてから本題に入る。

「で、さ。 今回成瀬さんたちは……前座なわけでさ」

「うん、大丈夫」

 また被せてきた。中学の頃ではあり得ない事だ。

「大丈夫、分かってるから」

「……そっか」

 心配の必要は無かったようだ。成瀬は成瀬さんで、根本が変わっているわけでは無いのだ。

 俺は安心して、成瀬さんと別れた。


 *


学園祭当日。

 ステージから響く演奏と歌。成瀬さんたちは今日も好調だ。

「…………」

 甘かった。成瀬さんの音楽に対する姿勢をなめていた。

 彼女らの演奏は本気だ。前座だからと主役に気を使う気配なんて微塵も感じない。

 会場の盛り上がりは最高潮。そう、前座の時点で最高潮。

 予想していた面倒な事が、今まさに起こってしまったのだ。

 しかもよりによって成瀬さんをメインに残りの二人が所々で歌を重ねるという……和賀さんたちの弱点部分が目立つ曲だ。

 それにいつもの『ギター、ベース、ボーカル(タンバリン)』の構成じゃない。

 成瀬さんと彩音さんが楽器を変えた『ドラム、ベース、ボーカル(ギター)』の構成だ。

「完全に本気じゃん……」

 俺の呟きと共に黒服バンドの演奏が終わった。今回は名無しのゲストバンドという扱いだったが……なんで今回は黒服じゃないんだよ。

 ステージが暗転し、素早く黒服バンドと和賀さんのバンドが入れ替わり再び暗転。

 数秒の間の後、演奏が始まる。

 言ってしまえば黒服バンドの方が明確に上手い。そんな黒服バンドがシッドバンドの弱点を強調した物を演奏したのだから……弱点が際立つのは当然だ。

 盛り上がりは最高潮から徐々に下がっていき、何人もの人が会場から出て行く。

 和賀さんたちの友人であろう人が精いっぱい盛り上げようとしているが、かえって痛々しい。

「…………」

 段々と観客が静かになっていく中、なんとか最低点に到達する前に演奏は終わった。

 黒服バンドの時とは違うまばらな、申し訳程度の拍手と共に幕が下りる。

 シッドバンドのライブは……失敗だったといえる終わり方をしたのである。


 *


「しんっじられない!」

 片付けが進められるステージ裏に和賀さんの声が響いた。

「ほんとほんと」

「あんたたちの所為で失敗よ!」

 他のシッドバンドの人たちも和賀さんに続いて言葉を投げつける。

全員自己主張の強い人のようだ。演奏が上手く纏まらないのはそのせいだろう。

「…………」

 成瀬さんとハルさんはもちろん、さすがの彩音さんも反論をしない。

「何も言わないのね……もういい、帰って……」

 和賀さんが諦めたように言い捨て、他の人も大人しくなったのだった。


 *


「…………」

 大学からの帰り道、誰も口を開かずに時は過ぎていく。

「じゃ、じゃあ、あたしこっちだから」

「そうだったわね」

「ん、じゃあな」

 最初にハルさんが別れる。

「……私は次の十字路で左に行くわ」

「そか。 俺と成瀬さんは真っ直ぐだよ……ね?」

 成瀬さんが力なく頷いたと同時に十字路に差し掛かる。

 別れ際、彩音さんは俺にだけ聞こえる声で小さく言った。

「あの子……今は何も耳を貸さないかも。 何か伝えたいのなら時間を置いた方がいいわ」

「……そっか、わかった」

 そして……二人になる。

「…………」

「…………」

 無言、無言……二人して口を開かずに足音だけが鳴り響く。

「……じゃ、また」

「うん……」

 成瀬さんと十字路で別れる。

「……くそ」

 好きな相手が明らかに落ち込んでいるというのに……何も出来ないなんて。

 自己嫌悪と怒りに身を任せて道に転がる石を蹴る。

 それにしても何故あんな事を……成瀬さんは分かっていたと言っていたのに……

 一人歩きながら歩いているとポケットの中で携帯が震えた。

 画面に映された名前は……彩音さんだ。

「……はい」

『もしもし、彩音です』

「おう、どうした?」

『そろそろあの子とは別れた頃かと思ってね……あってる?』

「うん、ちょうど別れたところ」

 なんかこの別れたって心臓に悪いな……

『今日はごめんなさい、貴方にも居心地の悪いようにして』

「それは別にいいけどさ……」

『言いたい事があるなら言ってちょうだい』

「……わかった」

 俺はずっと持っていた疑問を口にする。

「彩音さんなら……分かってたんじゃないか? こうなる事」

 少しの沈黙の後、彩音さんはハッキリと答えた。

『その通りよ……流石にあそこまでとは思わなかったけどね』

「じゃあ……」

 なんで止めなかったのか。その問いは言葉にするまでもなく伝わる。

『みのりの目に負けたのよ……』

「え……?」

『あの子は真っ直ぐ、純粋な目だったわ。 あの子が優先したのはライブの成功じゃなくて互いの上達だったのよ』

「……よくわからないな」

『私もよ、私もあの子の事はよくわからないの』

 吐き捨てるように言った後、咳払いをして彩音さんは

『私から言えるのはそれくらい……じゃ、今日は本当にごめんなさいね』と言って通話を終了した。

「…………」

 彩音さんと成瀬さんは相当仲が良かったみたいだけど……それでもわからないのか……

 ポケットに入れると同時に携帯が振動した。

 母親からのメールだ。どうやら今日は仕事で遅くなるらしい。

「晩飯買わなきゃな」

 呟いて回れ右。

 ふと見上げた空は黒い雲で覆われていた。


 *


 傘が壊れそうな程軋んでいる。土砂降りじゃないか。

 小さな折りたたみ傘だから肩の辺りには雨が直撃している。惣菜も冷めてしまっているだろう。

「……はあ」

 ため息をついた時、どこか遠くからよく知っている旋律が聞こえてきた。

 パッヘルベルのカノン。

 俺の足は音のする方に向いていた。

 大きいわけではないのに激しい雨音を無視して俺の耳に届く。それはまるで黒服バンドと出会った時のような……

「成瀬……さん?」

 雨の中、公園でカノンを奏でていたのは成瀬さんだった。楽器は恐らくトランペット。

 音に少し聞き惚れた後に気付いて成瀬さんに駆け寄る。

「成瀬さん、濡れてるよ」

 差しだすが流石小さい折りたたみ傘、二人は入らず俺が濡れる。

「……成瀬さん?」

 成瀬さんは反応を示さない。まるで俺の存在に気付いていないかのようにカノンを奏でている。

 耳を貸さないとはここまでか……いくら呼びかけても反応は無い。

 風が吹き、雨が横殴りになる。折りたたみ傘では防げない……このままでは成瀬さんが風邪を引いてしまう。

「成瀬さん!」

 俺は叫んで成瀬さんを揺する。

 揺らされた事でカノンの旋律に雑音が混じる。その雑音が公園に響くと成瀬さんはゆっくりとトランペットを下ろした。

「カノンが……乱れた」

 その言葉は誰に発したわけでも無さそうで、目はどこか違う世界を見ているように見えた。

「乱れちゃ……だめ」

 抑揚なく呟いてトランペットをまた上げようとした成瀬さんの腕を掴む。

「成瀬さん……風邪ひくよ」

「あ……」

 成瀬さんの目が戻った。その目が俺を捉える。

「やっと気付いてくれた」

「忠紀くん……」

「どうした? こんなところで一人で……」

 戻った目に涙が溜まる。成瀬さんは俺の手を強く、痛いほどに掴んだ。

「わたし……どうすれば良かったのかな……」

「…………」

「わたしだってわかってる。今日は前座、わたしたちは目立つべきじゃないって」

「じゃあ……」

 成瀬さんは俺の言葉に被せる。

「でも! わたしは音楽に対してわざと手を抜くなんて出来ない……そんな事をしたら……保てない」

「……保てない?」

 俺の質問に答えず成瀬さんは続ける。

「だからあの人たちが苦手な所を中心にした曲で……互いに上達できるように……」

 言葉が途切れたのをきっかけに目に溜まっていた涙が成瀬さんの頬をつたる。

「成瀬さん……」

「わからない……わからないの」

 好きな人が泣いているのに、助けを求められているのに何もできない。

 かける言葉が見当たらないのだ。

 彩音さんと同じだ。

 何故成瀬さんがここまで音楽に入れ込むのか、さっぱりわからないのだ。

「……とりあえず帰ろうか、雨も風も強くなってきた」

「…………」

 成瀬さんは無言で頷く。

 いつの間にか放っていた傘を拾って成瀬さんの方に突き出す

「もう意味ないかもしれないけど……」

 成瀬さんは首を横にふって俺の方に押し返す。そして……

「……これで」

 と、俺に近づいて傘の中に入ってきた。

「……じゃ、これでいこうか」

 成瀬さんと同じ傘に入って歩き出す。なんとも幸せな状況だというのに全く嬉しくない。

 雨風は段々と強くなっていき、傘を押し付け合う俺たちの身体を冷やしていくのだった。

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