3歳の息子

水波形

3年目の誕生日プレゼント

梅雨の朝。

雨がしとしととアスファルトを叩き、ジメッとした不快な湿気が目を覚まさせる。

隣に寝ていた妻はもうベッドの中にはいなかった。


窓の外に目を向けると、通学する小学生や自転車で子供を幼稚園に送るお母さん達で溢れている。

様々な色のランドセルを背負い、和気藹々と楽しそうだ。

そんな姿を見ていると溜息がこぼれた。


いつもは仕事の支度をする時間ではあるが、今日は有給を使ったため休みになっている。

今日は3歳になる息子への誕生日プレゼントを買いに妻と出かける約束だ。

着替えようとすると、キッチンの方から妻の声が聞こえたので、返事をしつつ素早く着替え、仏壇に手を添え、部屋を出た。


「おはよう」


料理をしながら挨拶をする妻。


「ああ、おはよう」


挨拶を返し椅子に座ると、机には子供用のおもちゃや洋服などが多く掲載されているチラシが数枚おいてあった。

息子が喜びそうなものには、赤色のペンで丸がつけてある。


「……残念ね、今日」


「……ああ、生憎の雨だな」


空は重く灰色に陰っている。

もう7月半ばだ。

そろそろ梅雨の季節も終わってくれていいと思う。


「……せっかくのあの子の誕生日なのにね。」


「ほんと、今年はついてない」


苦笑をしながら朝ごはんを運んで来てくれる妻。

そのまま『いただきます』をして朝食を食べ始める。


「何時頃から出かける?」


「そうね……お昼前には出たいかな?」


「キミは選ぶのに時間がかかるからな」


「女性の一つの特権!買い物は女の子の楽しみの一つってことを、理解してくれないかな?」


誇らしげに胸を張る妻を見て、苦笑する。

そんな部分が好きで結婚をしたのだから、理解はしている。

買い物は確かにいつも時間がかかるが、その間の表情の変化を見ている時間がボクの幸せな時間のひとときだ。


しかし、残念なことに今日は話が変わってくる。

外は相変わらずの雨で、少し憂鬱になる。


「……はぁ~」


窓を見ながら、つい、ため息を付いてしまう。


「……もう、そうやってため息ばっかりつかないの。

こっちまで暗くなっちゃうじゃない。」


「そうは言ってもなぁ……」


「気持ちはわかるけど……

どうする?今日は辞めとく?」


「いやいや、冗談でもそういう事は言っちゃいけない」


「あら、失敬失敬。

じゃあ、ため息ばかりつくのも辞めてちょうだいな」


「まあ確かに……」


妻の言葉に反省しつつ、また苦笑をしてしまった。


朝食を食べ終え、食器を片付ける。

料理が下手なボクは、家にいるときはいつも後片付けを担当している。


「そういえば今朝、蒼汰くんのところが幼稚園に蒼汰くんを送った後に、キレイなお花を持ってきてくれたよ」


「………そいつはまた……ありがたいことだね……」


「本当、嬉しかった。

ちょっと泣きそうになっちゃったもん。

…………玄関にでも飾っておく?」


「そうしよう」


「と、聞きつつすでに置いておきましたとさ」


「……じゃあ聞くなよ」


洗い物を終え、皿を吹いて片付けてシラけた目で妻を見ると、『えへへ』とおどけた表情で笑っていた。


「……全く……とりあえず買い物に出ちゃう?」


「えー、11時って言ったじゃん。この時間混むからあんまり好きじゃないの」


「ボクなんて、毎朝通勤電車ですし詰めなんだけど?」


「それとこれとは話が別!

何?か弱い女性の私にそんな過酷な体験をさせようて言うの??」


「……キミだって会社員のときは毎朝満員電車で通勤してただろうが……」


「そんな昔のことは忘れましたー!」


「全く……結婚してから調子がいい奴め」


「ふっふ~ん!アナタという頼りになる男の人がいるからね!」


「…………はぁ~…………」


照れくさい。

自分のことを、『俺ってちょろいなー』と思いつつも、そう言われると悪い気はしない。


「で、どうする?もう行く?」


「……んー……もうちょっとゆっくりさせて?」


「はいはい、仰せのままに」


確かにこの時間は電車が混む。

毎朝の通勤よりかは遅い時間だけれども、遅い始業の会社員であれば、まだこの時間での出勤も頷ける。


「とりあえず、洗濯をしましょう!雨だけど!!」


「洗濯しても乾かんだろ……」


「でも、気分は晴れやかになれるはず!

洗濯して、干し終わったらちょうどいい感じの時間になる気がする!と言うかなる!!」


「分かった分かった!

じゃあ、その予定で行こう。

隣町のデパートでいいんだろ?」


「その予定!っていうか、さっきチラシを見てたでしょ?

行かなところのチラシなんて見るわけないじゃん」


「あー確かに」


机の上に広げられているチラシには丸がついていた。

行かないところのチラシにそんなことする必要ないわな……


「よっし!洗濯物終わり!!行きましょうか!!」


憂鬱な雨を吹き飛ばすかのように、元気よく腕を上げる。

玄関でお気に入りの傘を嬉しそうに開き、ボクたちは隣町に向かった。



………………………

………………

………



「ねえ、何が良いかな?」


妻は色々なコーナーを回りながらボクに問う。

チラシにはたくさんの丸がつけてあったため、結局ショッピングセンターに来ても悩むのだ。


「さあなー……何が喜ぶだろうか?」


「そうね…………」


「……まだ悩むだろうから、一度休憩しない?」


すでにショッピングセンターについてから、数時間が経過している。

足がなかなかに痛くなってきた。


「もう、体力ないね!……っと……」


「ん?」


妻の視線の先を見ると、子供用のスニーカーが並んだ店があった。


「……あの子、走るの好きだったよね」


「そういえばそうだね」


「よし、とびっきり軽くてかっこいいもの、選んじゃいましょ!」


意気揚々と靴屋に入っていく妻。

結局休憩は無しになった。



………………………

………………

………



「晴れたんだ」


ショッピングセンターを出ると、青空が広がっていた。

妻の手には、大切そうに子供用の靴が抱えられている。


「……じゃあ、行きますか?」


「……そうね」


二人で再度電車に乗り、別の目的地に向かう。

目的地は、駅の近くにあった。


「……なんでかなぁ~」


ボソリと、丘を登りながら妻がこぼす。

ついた場所は、墓地だった。


「本当なら、楽しいところに行きたかったのにね」


ポロポロと涙を流しながら、お墓の前に靴を添える。

今日は息子の3歳の誕生日。

本当ならどこかに遊びに行く予定だった。


「……車って、怖いね」


たまたまだった。

偶然うちの子だった。

他人の子だったら、どれだけ気持ちが楽だっただろうか。

最低な思考だが、今となっては本当にそう思ってしまう。


ゆっくりと泣きじゃくる妻を抱きしめる。


強がるために空を見上げると虹がかかっていた。


本当はこの虹の下を、3歳になる息子とキミと、手を繋いで走りたかった。


この15センチの靴を履かせて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

3歳の息子 水波形 @suihakei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る