兄がゾンビになったので

雪虫

第1話

 子供の頃は、寒いからとしょっちゅうストーブの前に陣取っていた。特に記すべき事もない白く四角い電気ストーブ。その前に兄さんと二人で並んで座るのが、その当時の幼い僕の幸福の形の一つだった。

 青と赤の炎のリングに腹の脇を炙られながら、兄さんの背中に僕の腹をぺったりと押し付ける。二人を隔てる布の壁が邪魔臭くはあったけど、兄さんの背中に抱きつける、その時間が好きだった。

「偲は本当にお兄ちゃんが大好きねえ」

「お父さんの方に来てくれてもいいんだぞ」

 母さんはそう言って笑い、父さんはそう言って両腕を広げていたけれど、僕が兄さんの背から離れて父さんに行った覚えはない。今思えば親不孝だったのかもしれないけれど、でも、僕は父さんの腕より兄さんの背中が好きだった。この世界の誰よりも、兄さんの事が大好きだった。


 テレビを付けると、名前まで覚える仲となったアナウンサーがニュースを読む。映画の試写会が行われた。芸能人が結婚した。新しいCMが発表された。

 どこかの国のサッカーチームがみんなでガッツポーズをした。

「今朝の午前二時頃、腐敗化症候群感染者の男性が、自宅で何者かに殺害されました」

 テレビの液晶画面に映る、何処かの誰かの民家の外見。マイクを手に握る女性と、その後ろにたくさん映る長い棒を持った人々。

 彼らは世間にマスコミと呼ばれ、事件が起これば昼夜を問わず事件現場に急行する。

 中には彼らを非難する者もいるそうだが、彼らのおかげで僕らは世界中のどんなニュースも知る事が出来る。

 会った事もない人が何処かで死んだ情報も。

 殺人事件のニュースはすぐに終わり、最近流行のスイーツの特集へと取って変わった。殺人事件自体は至極ポピュラーな事件だし、腐敗化症候群だってこの世界に現れてからもう二年が経過している。

 大騒ぎする事じゃないし、もう誰の興味も引かない。

 それでも八時からのワイドショーならきっと取り上げるだろうけれど、どうせ二年間使い古したお決まりの台詞が並ぶだけ。

 どちらにしろ興味は持てないし、どちらにしろ見れない。

 僕は学校があるのだから。

 一度テレビから離れて、台所の電気を付け朝ごはんの準備をする。昨日作っておいた煮たまごに、シリアルと食パン、豆乳と牛乳を適当に混ぜたもの、これが僕の朝ごはんだ。

 人がどういうかは知らないけれど、割とお腹は満たせるし、準備するのも楽だ。時間は有効に使いたい。有限の時間は大事な事に。

「兄さんはウインナーでいいよね」

「うー」

 尋ねると答えが返ってきたので、ウインナーの袋を開けて皿の中に入れてやる。聞かなくてもきっとイエスが返ってくるのは分かってる。

 でももしかしたら今日は違う気分かもしれないし、何より兄弟のコミュニケーションは大切にするべきだ。

 親しき仲にも礼儀あり。丁寧なコミュニケーションを取る事で兄弟の仲が一層深まると言うのなら、もちろんそうしたいじゃないか。

 大好きな兄さんと更に仲良くなれるなら、その労力を惜しむ理由が弟にあるはずもない。

 僕の分の朝食をテーブルの上に並べていき、その後で兄さんの皿を僕の食事の隣に置く。そして僕は隣に座る。兄さんが右。僕は左。

 並んでいると言うよりも、それよりもっとずっと近く、僕は兄さんの背中にぴったりとくっついているのが好きだ。

 今でも。

「はい、兄さん、あーん」

 箸でウインナーを器用に挟み、兄さんの口元へ持っていく。フォークを使って兄さんの柔らかい口の中を傷付けてしまったら大変だ。開いた口の中に入れ、咀嚼を始める様を見守る。

 兄さんの口の中で豚の腸詰めがにちゃにちゃと音を立てながらやわらかいものに変わっていく。

「おいしい? 兄さん」

「あー」

 兄さんが嬉しそうに声を上げる。僕もそれを聞いて心の底から嬉しくなる。朝の光が曇りガラスを通して兄弟二人の姿を照らす。兄さんの白濁した瞳が、ぬるりと光を反射する。

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