第23話 虹色の街

 長旅で疲れがたまった。午前中くらいはふかふかのベッドでゆっくりしたい。

 ベッドの中でまどろんでいると、部屋の電話が鳴った。内線だ。戸部典子の部屋からではないか。

 なんだ、と電話に出ると

 「パレードが来るなり!」

 いつもの能天気な声が聞こえてきた。

 窓から通りを見下ろすと、街は虹色の旗であふれかえっている。レインボー・フラッグだ。

 そういえば六月、ゲイ・プライドの季節だったな。毎年、ニュー・ヨークの街はゲイ・プライドに占拠される。街をあげての大騒ぎになるのだ。

 最近では、L・G・B・Tプライドという名称になっている。レスビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字である。

 マイノリティー、少数派の事である。少数派は常に虐げられる側にいる。サンフランシスコの市会議員だったハーベイ・ミルクは、初めてゲイであることをカミング・アウトして議員に当選した。ゲイ・コミュニティーだけでは票が集まらない。ミルクはマイノリティーたちの団結を呼びかけ、その声を議会に届けたのだ。LGBT、それは団結の証だ。

 これもアメリカ見学だ。パレードを見に行こう。


 私は戸部典子とともに街へ出た。レインボー・フラッグがはためくなか、目指すは五番街である。パレードは五番街を縦走するのだ。

 翼を広げた虹色の鳥の山車が行く。トラックの荷台に乗ったラッパーたちが、激しくリズムを刻んでいる。レインボー・フラッグを掲げた鼓笛隊が街を行進していく。消防車だ、消防車が行く。消防隊にもゲイの人たちがいるということなのか?

 ムキムキの男たちが踊っているぞ。これはゲイの一団か。おっと、次はレズビアンたちだ。人目もはばからずチュッチュッしているぞ。なんだか開放的な気分になってきた。

 沿道の人々はレインボー・フラッグを振っている。ニュー・ヨークは街自体がリベラルなのだ。あらゆる人種、あらゆるマイノリティーが暮らす街なのだ。

 野次を飛ばしている奴らもいる。キリスト教福音派だろうか。

 「おまえらは神に背いている!」

 レズビアンたちがディープ・キスで野次に応える。

 天使のコスプレをしたゲイのおっさんが、福音派に抗議だ。

 「おまえたちの不寛容を、神はお許しにならん!」

 寛容、いい言葉だ。寛容さがこの街の多様性を生んでいる。

 「We resist」(私たちは抗議する)

 そう書かれた横断幕を広げた一団が、私たちの前にやってきた。

 戸部典子が「ウイ・レジスト!」と叫ぶと、一団のなかにいた女性が私たちに目を止めた。

 「ノリーコ!」

 忘れていた、こいつは「ニューズ・ウィーク」の表紙を飾った有名人なのだ。愛と平和の使者なのだ。

 アメリカの田舎の人は「ニューズ・ウィーク」なんか読まないから、これまでの旅では気遣うことはなかったが、ここはニュー・ヨークである。

 「ノリーコ、ノリーコ!」

 ホットパンツにタンクトップ。露出度の高い女性だ。いや、女性とは限らないぞ。

 女性に手をひっつかまれた戸部典子はパレードのなかに吸い込まれていく。

 おいおい、これ以上騒ぎをおこすな。戸部典子を引き留めようとした私も、パレードのなかに引き込まれてしまった。

 こうなったら、LGBTプライドに参加してやるぞ!

 戸部典子はレズビアンたちにモテまくりである。にまにま顔が多少引きつっているが、レズビアンのお姉さま方に囲まれている。私だって負けてはいない。マッチョの黒人が私の後ろをぴたりとついて来るぞ。勝ったと思うな、戸部典子!

 戸部典子が自由の女神のコスプレをさせられている。そして自由の女神の格好のまま、かつぎあげられ、どこかへ連れていかれてしまった。

 しまった、はぐれた。大都会とはいえ、ここはアメリカだ。何が起こるかわからない。私は必死になって戸部典子が連れていかれた方向に走った。パレードの流れに逆らいながらだから、人波に押し返されてしまう。まずい!

 呆然と顔を上げた私は、見たこともないようなシュールな風景を見た。

 ピンクのバスの屋上に乗った戸部典子が、自由の女神のコスプレをしたまま、五番街を進んでいくのだ。たかだかと松明をかかげた、にまにま顔の自由の女神だ。

 シュールだ。私はドラッグというものを使用したことは無いが、ドラッグでラリった人には、こういう風景が見えるのではなかと思った。

 私は頭をぽんと叩いてから、ピンクのバスを追った。


 パレードの終点はグリニッジ・ビレッジだ。

 ピンクのバスが止まっている。ようやく追いついたようだ。

 バスの屋上では、戸部典子がマイクを手渡されている。何か演説するようだ。マイクのハウリングがビルの谷間にこだました。

 「あたしは中国の歴史改変実験に携わってきたなり。そして理解したことがあるなり。すべての人種、すべての民族、すべての性別に、優劣は無いなり!」

 そして、戸部典子は体中から振り絞るような声で叫んだのだ、

 「ゆにばああぁぁぁぁぁぁぁぁす!」

 聴衆が歓声を上げた。ユニバース、「世界よ」と彼女は言ったのだ。「アメリカよ」ではなく「世界よ」である。

 聴衆たちが、「ワオ!」と歓声をあげた。その中のひとりが拳をあげた。

 「ユニバース!」、男が叫ぶと、人々も叫んだ。

 「世界よ!」、人々のコールに応えてにまにま顔の自由の女神が両手を振っている。

 「ユニバース」は世界をつなぐ言葉としてグリニッジ・ビレッジから世界へと配信された。

 後で戸部典子にユニバースという言葉の真意を聞いた。

 「ロボット・アニメの主人公が、最終回でラスボスをやっつけるとき『ユニバース!』って叫んだなりよ。それを突然思い出したのだ。」

 なんと、出典はアニメだったのか!


 アメリカを離れる日が来た。この国で多くの事を学んだ。上海に帰れば再び碧海作戦を続行しなければならない。

 J・F・ケネディー空港から日本の成田経由で上海である。もちろん、ビジネス・クラスだ。

 戸部典子が夕食とワインを楽しんでいる。食い物を与えておけば、おとなしいものだ。

 「夜食と明日の朝食も食べたいから、あたしが眠ったら起こして欲しいのだ。絶対なりよ!」

 そう言った尻から、戸部典子は眠ってしまった。疲れているのだろう、もう少し寝かしておいてやろう。それにしても、眠ってもにまにま顔なのか。ボールペンでほっぺたをつついてみた。

 あっ、笑った。

 そうこうしているうちに私も眠ってしまった。気が付けば日本上空である。戸部典子が怒り心頭だったことは言うまでもない。

 成田でエア・インディアに乗り換えた。機内にただようカレーの匂いが食欲をそそる。

 「べジ、オア、ノンべジ?」

 インド航空の機内食はベジタリアン用の野菜カレーかチキンカレーである。

 「久しぶりのカレーなり!」

 カレーで機嫌が直って、やれやれである。

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