第14話 知の体系

 クルーたちが異国情緒を楽しんでいた時、ひとりの男がその群れから離れていた。諸葛超明である。彼はパドヴァ大学にガリレオ・ガリレイを訪ねていたのだ。パドヴァはベネツィア近郊の都市国家であり、十五世紀からベネツィアの支配下に入る。パドヴァ大学はイタリアで二番目に古い歴史を持つ大学であり、ガリレイはここで教鞭を執っている。

 諸葛超明はガリレイの講義に通いつめ、天文学、物理学、数学など、最先端の知識に心をときめかせた。ガリレイは教室の後方で黙々とノートをとる異国の男がいるのに目を止め、研究室に呼んだ。超明はうやうやしくガリレイに跪き、教えを乞うた。超明を驚かせたのはガリレイの知識が様々な分野にまたがっている事であった。物理や天文学の範疇を超えて神羅万象あらゆる知識が結び合わさっている。それは超明が初めて学んだ「知の体系」だった。

 自然科学はこの時代の西欧で生まれている。

 「ルネサンスの三大発明、羅針盤、火薬、活版印刷ももともと中国で発明された物を、改良しただけですわ。それなのに中国に自然科学が生まれなくて、西欧で生まれたのは何か理由があるのかしら。」

 李博士の素朴な疑問だ。

 「江戸時代の日本の和算だって西欧に負けないくらい優れたものなりよ。」

 確かにそうだ。知識のひとつひとつならば東アジアは西欧に負けていない。技術力でも西欧よりも優れていたかも知れない。だが、知を体系化することは無かったのだ。

 「西欧で知の体系が生まれたのは何故なりか?」

 ここにもキリスト教の秘密がある。

 「また宗教なりか。なんか胡散臭いのだ。」

 宗教を胡散臭いというお前だって、宗教を信じているはずだ。

 「あたしは無神論者なり。」

 そうか。お前は愛を信じていないのか?

 「愛は信じてるなり。愛が無ければ人間は生きられないなり。」

 じゃあ、愛の存在を証明してくれ。そんなもの何処にあるんだ。

 「愛は見えないけど、絶対にあるのだ。」

 ほら、それが宗教だ。


 さて、話を戻そう。

 宇宙人、つまり神様は宇宙の彼方に去ったわけだ。人間は神の再臨の日まで取り残された。神様からのメッセージはもう無い。そこで彼らは考えた。神の残したもの、それは神が創造した自然だと。自然の中に神のメッセージがあるのだと。

 神のメッセージを知るには、まず自然の観察し、そして自然の中に法則を見つけること。数学がいくつかの定理を発見する。例えばピタゴラスの定理だ。直角三角形の三辺のうち二辺の長さを知ることができれば、残る一辺の長さを知ることができる。何故なら、神はそのように自然をお創りになられたからだ。自然こそ神が残されたテキストなのだ。

 科学者たちは自然というテキストを研究し始めた。神の意志に近づくために。そして神羅万象委に張り巡らされた神様のメッセージを読み解こうとしたのだ。だから、西欧では数学も天文学も物理学も、時として哲学や経済学もが神が残した設計図を知るための行為になる。そこに生まれたのが「知の体系」なのだ。

 「つまりテキスト・クリティークスなりね。」

 そうなのだ。日本の江戸時代には西欧以外の国には珍しくテキスト・クリティークスが発達した。

 「その話は大学時代に先生の講義で散々聞いたなり。」

 「私はお聞きしたいですわ。」

 じゃあ、李博士に説明しよう。

 日本には武士という階級がある。彼らは本来、戦闘者なのだが、平和な時代が来ると官僚にならざるを得ない。徳川幕府は儒教を武士の行動規範として推奨した。朱子学である。朱子学は北宋で生まれた皇帝と官僚の思想なのだ。武士の存在理由は何処にも書かれていない。儒教を研究する者たちは孔子や孟子に立ち返り、新しい解釈を試みようとする。つまりテキストを読み込むことによって、本来の儒教の教えに迫ろうとしたのだ。これがテキスト・クリティークスである。

 この作法が国学を生んだ。古事記や源氏物語を読み込むことにより日本古来の思想にたどり着こうという試みである。ただ日本の古代は天皇と貴族の世界であり、武士は存在しない。

 水戸学という学問がある。この中では武士は天皇を奉じて戦う者という定義を与えられ、これが明治維新の原動力となる。

 「テキストを読み込むことによって価値観の転倒が生じたわけですのね。」

 そうです。このテキスト・クリティークスの下地があったことこそ、日本が西欧の近代化をすんなり受け入れられたのです。西欧の書物を読めば、西欧のことが分かると、日本人は知っていたんです。書物から得た知識だけで反射炉や蒸気船を作ってしまった。

 「不思議な国ですわね、日本は。」

 西欧から輸入した「自由」や「平等」という概念も全て日本語に置き換えてしまった。外国語を学ぶことなく、西欧の学問を可能にしたのも日本の特殊性です。

 「先生が英語ができない言い訳にしか聞こえないなりよ。」

 うるさい、黙れ!


 諸葛超明は「知の体系」に触れた。それが自らが学んできた学問とは次元が違うことを思い知ったのだ。

 ガリレイはこの頃、不幸な境遇にある。彼は敬虔なカトリック教徒だったが、彼の唱える地動説が教会の不興を買っていた。場合によっては異端審問にかけられる可能性もあるのだ。異端審問となれば、最悪の場合、死刑もありうる。

 諸葛超明は慌ててベネツィアへ取って返し、石田三成に懇願した。

 「我が師を見つけました。私などよりはるかに優秀な頭脳を持った人物です。このままパドヴァ大学にいては、ローマ教皇庁から災いをもたらされることになるやもしれませぬ。」

 いかなる時も我関せず。そんな超明が何事かを頼んでくるなど、今までなかったことである。

 三成はイギリスやオランダで西欧諸国の学問が質的に中華帝国それとは異質なものであることに気づいていた。

 「ならば、そのガリレイとやら、我らが帝国に迎えるか。」

 「ありがとうございます。ガリレイ先生には私の禄を与えていただきとうございます。」

 超明は拱手の礼をして三成の元を去り、再びパドヴァ大学の門をくぐった。

 ガリレイは超明の提案に戸惑ったが、ローマ教皇庁の手が既に伸びていることを知り、家族ともども玄徳丸に亡命した。

 「これで三成君は世界の頭脳を手に入れたなり。」

 さすがの私もこの展開には呆気にとられたが、これは面白いことになるかも知れない。海帝国は「知の体系」を輸入することになるのだ。

 上海に戻った諸葛超明はガリレオ・ガリレイを学長とする上海大学を設立した。三成はガリレイに十分な俸禄をもっってその労に報い、大学の発展に助力した。後世から見れば、ガリレイの招聘は、この航海の最大の収穫であったかもしれない。

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