第23話 歴史の破壊者
ヌルハチは南征の
北京から清の軍団が進発した。
満州八旗に蒙古八旗、漢人八旗を加えての大部隊だ。しかも、そのほとんどが騎兵で構成されている。
ヌルハチは馬を集めていたのだ。その結果が二十万にものぼる騎兵の大軍である。
前回の戦いの十倍の兵力が南下を開始したのだ。
日本兵、恐るるに足らずと見て、信長に決戦を挑むつもりだ。
陳博士は碧海作戦の失敗を口にした。中原を無視した信長は、滅ぶべくして滅ぶのだと。海王朝は短期政権に終わり、替わって清王朝が中華帝国を制圧し、歴史は復元されるのだと。
「ついに、来たなりね。」
戸部典子にしては珍しく静かな口調だった。
国境線の守備にあたっていた上杉景勝に、信長は交戦を禁じた、詳細な状況報告のみを命じたのだ。
景勝から、ヌルハチは湖北から漢水に至る道に進軍するだろうとの情報がもたらされた。
上海城では軍議が開かれた。
黙り込む各武将のなかで、黒田如水が発言した。
黒田如水の策とは、ヌルハチに揚子江を越えさせ、水路の入り組んだ南方で迎え撃つというものだった。水路が入り組んだ湖沼地帯では騎兵はその運動能力を十分に発揮することができない。
島津義弘がうなった。さすがは黒田殿という顔をしている。
他の武将たちも「それしかござらぬな」という顔をしている。
だが、信長の戦略は違った。
漢水平野にて、ヌルハチを迎え撃つというのだ。
騎兵にとって最も有利な平原で会戦するだと。何を考えているのだ信長様ぁぁ。
などというのは、日本史のイロハも知らないシロウトの考えだ。
私はお茶をすすりながら観戦を決め込むことにした。さすがは中国政府だ。研究室には鉄観音茶の最高級品が常備されている。苦味の後に口の中にほんのりただよう甘味がなんともいえない。このおかげで血糖値がどれだけ改善できたことか。
中国人の研究者たちの狼狽に比べて、戸部典子は冷静である。
おまえ、分かってるんだな。
「そうなり、信長様は勝つなり。」
信長の迎撃軍が上海を立った。
水軍が動き出す。信長は二十万の兵を軍船に乗せた。大船団が揚子江から、漢水を遡る。
赤壁の戦いの曹操の船団もかくやと思わせるような、膨大な数の船が
漢水平野に到達した船団は、兵を一人残らず降ろした。
信長は船から降りた大軍団を見晴らしのよい平原に配置し、陣を張った。
伊達政宗の精鋭部隊が偵察に出た。真田信繁も隊に加わっている。伊達の騎兵は速い。政宗は満州騎兵に対応するために、神速の騎馬部隊を編成していたのだ。具足を軽量化し、日々鍛錬に励んできた。
政宗から、清軍の襲来は三日後であるとの知らせがもたらされた。
信長は政宗に命じた。
一戦して、負けたふりをしてここに戻ってこいというのだ。
清軍を
これは命がけである。逃げ戻る際に満州騎兵が追いかけてくる。追いつかれれば踏み砕かれること必至だ。信長は踏み砕かれてこいと言っているのだ。それほど危険な任務なのだ。
その夜、伊達政宗と真田信繁は
伊達の部隊が出撃の準備をしている。。
島津義弘が合力を申し出た。少数の精鋭部隊を率いてだ。かつて政宗に助けられたことへの、この男らしい返礼だ。
「カッコいいなり。島津義弘君。」
陽動作戦開始である。
神速の伊達騎兵に、島津の武将たちは遅れることなくついて行く。
伊達・島津の騎兵たちは、蹄の音を残して地平線の向こうに消えて行った。
伊達政宗は清軍を見て圧倒された。騎馬の群れが巨大な塊と化して進軍している。
これでは命がいくつあっても足りぬ。だが、伊達政宗の名を残すには最高の舞台である。
政宗が号令を発した。
ライブ映像では音声は実に聞き取りにくい。人民解放軍の諸君の記録によると政宗はこう叫んだらしい、
「皆の者、名こそ惜しめ!」、と。
「名こそ惜しめ」、つまり栄達や富ではなく、名誉こそ惜しむべきものであるという日本の武士独特の思想である。私はこれを
恥ずかしいことをするな、弱い者をいじめるな、己を強く保て。後に武士道と呼ばれる思想の源泉がこの言葉に集約している。
伊達・島津の軍団が清軍に突入した。
「島津流突破の陣、伊達・島津バージョンなり!」
戸部典子が手に汗握っている。
両軍は一本の槍と化し、騎馬軍団の正面に激突し、清軍を切り裂いていく。
三十分くらい混戦が続いた。
「もうよかろうなり。」
戸部典子の言葉が島津義弘に届いたのだろうか。
島津義弘が合図を送る。これに答えて政宗が退却の号令を発した。
さあ、ここからが問題だ。逃げきれるか?
ここで伊達軍は逃げ
新兵器に清軍が
霞んだ地平の向こうを目指して政宗は馬を走らせた。
信長の陣まであと一息だ。
やがて伊達政宗は見た、地平線の向こうに鉄砲歩兵が整列しているのを。
地平線を埋め尽くすような、見たこともない物凄い数の鉄砲隊だ。
「やったー、やったなりぃ!」
政宗の合図で、伊達・島津軍は左右に散開した。
地平線の向こうから二十万の騎兵が疾風の如く押し寄せてくる。
大地は揺れ、風が巻き起こった。
信長は目を閉じている、兵は微動だにしない。
敵をぎりぎりまで引きつけたところで、信長は何事かを叫び、叫びは轟音に掻き消された。
十五万丁の鉄砲による三段射撃が開始されたのである。信長は鉄砲隊を三つに分け、火縄銃を順番に撃たせることにより間断ない連続射撃を実現したのだ。
そのうえ左右に百五十ずつ配置された合計三百門のフランキー砲が同時に火を噴いた。右の砲撃隊は浅井長政、左は明智光秀が指揮を執っている。信長は軍船からフランキー砲を取り外し、ここまで運ばせたのだった。
三十分足らずで、勝敗は決した。
武田勝頼の騎馬軍団を一瞬にして壊滅させた日本戦国史上の
残念にも歴史介入によって
砲煙で白く濁ったメイン・モニターは沈黙していた。
陳博士は成り行きを呆然と眺めていた。
李博士はその場にへたり込んだ。
この戦いの映像は一般にも公開され、世界中を戦慄させた。
「見たなりか!これが歴史の破壊者、信長様なりぃ!!!」
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