第27話 病床

◇◇◇―――――◇◇◇


 宇宙空間においてデベルに搭乗し高機動を要する作業を求められる時、パイロットにかかる強烈な荷重を軽減するため、パイロットスーツの着用は必須だ。そうでなければ最悪の場合、内臓が破裂して死に至ることだってあり得る。



 あの戦いの後、〝ラルキュタス〟のコックピットから意識のないソラトが運び出された時、ソラトはパイロットスーツを着ていなかった。確かに、あの時アカデミーにあったパイロットスーツはどれも民間用・デブリレース用のブカブカとしたもので複雑な端末操作に合うものは無かったのだが………



 ソラトは今、この医療センターに収容されて治療を受けているという。部屋番号も、レインは月雲大尉から教えてもらっていた。

 外傷はほとんど無いらしいが、内臓の損傷が酷く、全治には何ヶ月もかかるとか。ベッドで横たわる痛々しい姿のソラトを思わず想像してしまい、半ば駆け足でレインは病院のエントランスに足を踏み入れた。

 なのだが、



「いけません! 外傷はともかくまだ内臓の傷は治ってないんですよ!」

「普通に動く分には問題ないです。退院を認めてください」

「ダメです! 病室に戻りなさい」

「でも………」



 入って早々、聞き慣れた声音が含まれる騒ぎにレインはふと目を向けてみると、そこには看護師らしい女性と何やら揉めている………



「俺たちステラノイドは、人間より早く傷が治るから。それに苦痛への耐性も………」

「普通の人間だったら間違いなく即死している状態だったんですよ、ソラト君は! 3日で治るなんてあり得ません。現に………」



 ソラト? とキョトンとした表情のままレインが近づくと、「あ……」と黒髪に青い瞳の少年、ソラトが振り返る。前に贈った、あの私服を着ていた。



「何してるの?」

「病院の人が出るなって………」

「あなた、ソラト君のお知り合い? この子ったらさっきからずっと退院するって聞かなくて。まだ内臓のダメージは治りきってないのに」

「でも、俺もう大丈夫です。普通に動く分には、苦痛も許容できますから」



 無表情で、これ以上言うことは無いとばかりに踵を返そうとするソラトを「ちょ、ちょっと!」と看護師さんが引き留めようとする。

 レインは小さくため息をついて………ソラトの前に立ちはだかった。


「レイン………」

「ソラト。病室に戻って」

「でも、俺………!」

「戻りなさい」

「もう、大丈夫だから………」



 気まずそうに目を逸らしている割にはあくまで頑強なソラトの、その胸の辺り目がけ、レインは黙ったまま………軽く小突いた。

 その瞬間、ソラトは「いづっ………!」と、ビクリと一瞬震えて身体を折り曲げてしまう。



「やっぱり! 全然治ってないじゃない! 病室に戻りましょ」

「だから! 俺は別に………!」


「戻れっつってんのが聞こえなかったの?」



 少し声音を低くして睨むと、「うう………」と観念したのか、だが、看護師さんの方に救いを求めるような目を一瞬向け、………やはり孤立無援であることを悟ったのか、


「わ、分かった………」


と少し肩を落とした様子で通路の方へと戻っていった。


 看護師さんは感心した様子で、


「さ、さすがね………」

「ソラトって、頑固そうに見えて中身はヘタレなんで、少し脅したら言うこと聞いてくれるんですよね」


「そ、そうなの………」



 大変なのね、彼も。という看護師さんの心の声はレインには届かないまま、レインはソラトの後を追った。














◇◇◇―――――◇◇◇


 結局、病室へと連れ戻されたソラトは、着ていた服も取られてしまい、また患者服に着替えさせられて………しぶしぶベッドに横になった。


 レインは一人用の病室の中をウロウロしながら、



「へぇ、結構広いのね。ベッドはちょっと硬めだけど。あ、ちゃんとご飯食べれて………ないか。内臓にダメージが行ってるんだから」


「内臓自体はほとんど治ってる。まだ、神経が過敏になってるだけで。………だからもう大丈夫って言ったのに」

「………いや、全然大丈夫じゃないでしょ。とにかく! 今のソラトの仕事は、しっかり横になって、お医者さんの言うことをよく聞いて休むこと! 分かった?」

「でも、本当に………」


「分かった以外の返事をしたらどうなるか分かってるのよね?」


「………分かった」



 よろしい! と満足げにレインは頷き、「あ、そうだ」と持っていたバッグの中をまさぐった。



「入院中は暇かなって思って、色々持ってきたから。………えーと、お菓子と、観葉植物と………」


 バラバラとベッドの上、毛布越しの足下にどんどん乗せられていくものを、ソラトは、思わず好奇心の方が優って、一つ一つ手に取った。


「こんなに、たくさん。いいのか?」

「もちろん! 他の子たちもいたら分けて配ろうかなって思ってたんだけど、もうソラト以外は退院しちゃったんだっけ?」


「うん。生きてるステラノイドは」



 ふと、視線を落としたソラトに、レインは沈鬱な表情を見せた。。

 先の戦いで、戦いに投入されたステラノイドが多く死に。デベル戦での戦死者の大半がステラノイド兵だった。

 その中には、〈GG-003〉でずっと一緒にいた仲間たちも含まれている。遺体も回収できなかった彼らには、もう会うことができない。


 しばらく、気まずい沈黙が流れる。


「えっと、その。………辛いよね」


 沈鬱な表情でそう問うてしまうレイン。ソラトは視線を落としたまま、


「分からない。でも、死んだ奴の大半がステラノイドって聞いて、良かったって思う。人間の代わりに死ねたのなら………」


「やめて! そんなこと!」



 ソラトはハッと顔を上げる。

 レインの、今にも泣きだしそうな顔、それに瞳を目の当たりにして………ソラトは直視できなくなってまた俯いた。



「ゴメン………」

「ううん。私の方こそ。………ソラトたちは……ステラノイドって〝そう考えないといけない〟んだよね?」




 ステラノイドの遺伝子に刷り込まれた命令は大きく二つ。


『人間の役に立つこと』

『自分を犠牲にすること』



 製造された時点から、これがソラトたちにとっての正義で、倫理なのだ。

 だからこそ、人間の孤児であるステラノイド第2世代たちを庇いながら、資源小惑星のような過酷で危険な環境で働き続け、助け出されてもリベルターに志願し、望んで兵士になって………死んだ。



 ソラトにとって、死は死、苦痛は苦痛。それは人間と変わらない。

 だけど、人間が死ぬ代わりにステラノイドが死ぬなら。人間の代わりにステラノイドが苦しむなら、そっちの方が『正しい』。いつもそう思ってきた。


 それがステラノイドにとっての正義。そして倫理。



 でもそれが、ステラノイドとしての生き方そのものがレインを傷つけていると、ぼんやりとソラトも分かっていた。



「ゴメン………」



 ソラトは、謝ることしかできない。どうしたらレインを傷つけずに済むのか、分からなかった。

 また、沈黙が流れる。

 レインは、窓際に近寄って、外の景色に目を向けていた。どんな表情をしているのか、ソラトからは見えない。



「レイン、俺………」



 最初に沈黙を破ったのは、ソラトだった。

 目をこするような仕草を見せて、レインは振り返る。ソラトは、手に取っていた観葉植物の小ビンに視線を落としながら、



「戦うのは辛くない。死ぬのも、辛くない。でも………もし俺が死ぬことでレインが少しでも傷つくなら………それは、嫌だ」


「ソラト………」



 それ以上何も言えず、ソラトは俯いたまま黙りこくる。

 だがその時、ふいに包み込まれるような感覚………レインに抱きしめられて思わず驚いて顔を上げてしまった。



 目を瞑ったレインの、悲しげな表情がすぐ横にある。



「これで、もうこれで戦いが終わっちゃえばいいのに。そしたらソラトが知らないこと、見たことがないもの、もっともっと教えてあげられるのに………」



 戦いは、リベルターと地球統合政府・UGFの争いは、おそらくまだ終わらない。

 UGFはニューコペルニクス市を何としても制圧・破壊しようとするだろう。リベルターはNC市のみならず月面都市や宇宙植民都市の独立のため、戦い続ける。


 そしてその戦いでステラノイドは、さらに大勢が死ぬ。

 でも、やっぱり人間が死ぬぐらいなら………


 だけど、



「知りたい」

「え?」

「もし俺が知らないことがあるなら、知りたい。見たことがないものがあるなら、見てみたい」



 死ぬまで〈GG-003〉のアルキナイト鉱山で働き続けるはずだった。ステラノイドとして、消耗品として。

 だけど、助け出されて、見たことも無いようなリベルターの大きい船に乗せられた。


 人間が食べる食事を、食べた。


 リベルターの整備部門に入って、境遇がずっと良くなってから、レインと行った街。

 見たことも無い景色。

 食べたこともない食べ物。


 楽しい、とか、おいしい、とか。


 知らないことだらけで、ずっと体の中が温かくて、ずっとこんな状態が続けばいいと、いつの間にかそう思っていた。



 思い出して、ソラトは自然と………



「俺たちステラノイドは、別に何も欲しくない訳じゃない。死にたい訳じゃない。ただ人間より、欲しいとか何かしたいとか、そういうのを制御するのが、得意なだけなんだ」



 ソラトはそう言って、目の前にいるレインの瞳を真っ直ぐ見つめた。

 レインは、しばらく驚いたように何も言わなかったが、ふと、いつものように明るい笑みを浮かべて、



「そっか………そっか!」



 ソラトから離れ、レインは窓際で、また向き直った。



「じゃ、今は身体を治すのに専念しなきゃね、ソラト!」

「い、いや身体は本当に別にもう………」

「ね!」


「………そ、そうだね」

















◇◇◇―――――◇◇◇


「遂に、始まるのですね………」



 会議テーブル上にホロ投影された〈チェインブレイク作戦〉の概要に、シアベル以下リベルターの重鎮たちは、こぞって息を呑み、表情を強張らせた。



 NC市から遠く離れた地点に、ただの月面クレーターが一つある。

 だが、この場所こそが、地球圏・月面においてその独立運動を物理的に遂行する私設軍隊〝リベルター〟の月本部。クレーターの地下には逆ピラミッド状の広大な軍事施設が建造されており、宇宙港や工廠施設等を備え、高度な防空システムも張り巡らせた結果、UGF宇宙艦隊の猛攻にも十分耐えられる堅牢さと自給能力を誇る要塞と化した。


リベルターの主戦力は常時ここに集結しており、宇宙港内には、NC市防衛戦に参加できなかった新造マーレ級〈マーレ・クリシウム〉や〈マーレ・フェクンディターティス〉が停泊している。



 そして、リベルターの『王』、アデリウムの宮殿もこの月本部の一角に築かれていた。

 宮殿と言えど、施設の一角の内装をアデリウムの品格を保つために改めたに過ぎないが、上質な絨毯や品の良い調度品、壁に並ぶ絵画は、軍事施設には似合わぬ、少々異質なものだ。


 その宮殿区画の一室、上品に設えられた会議室に居並ぶは、NC市市長シアベル、ルアラン少将、バグレイ少将他リベルターの中枢幹部たち。



 会議テーブル上にて、立体的かつ詳細に〈チェインブレイク作戦〉の部隊配置、戦略、戦術が展開されていた。



 玉座に腰を下ろすアデリウムは将官たちの表情を一つ一つ見やりながら、



「既に皆、この作戦の概要を把握しているとは思うが………シオリン中尉。改めて説明を」



 アデリウムの呼びかけに、玉座の傍らに控えていたリベルター士官……参謀本部所属のシオリン中尉が一歩進み出た。



「御意に、アデリウム様。………〈チェインブレイク作戦〉、それはご存じの通り、地球による宇宙への支配体制を打破するべく、UGF宇宙艦隊拠点の撃破、地球の宇宙への渡航・通信手段を破壊することにより地球を孤立化及び疲弊させることを目的としたものです。第1目標、UGF地球軌道上基地、通称〈オービタル・ワン〉。第2目標、地球・シドニー宇宙港。第3目標、地球・太平洋上集中通信管制システム………」



 淡々とした説明の中、テーブル上の立体戦略図が動き始め、リベルター艦隊の展開、想定されるUGF艦隊の展開等の情報が続けざまにホログラム映像で表示される。これまで何度もリベルター将官らの間で議論され、組み立てられてきた戦略・戦術だ。

 と、ふいにアデリウムは片手を軽く挙げて、シオリンの説明を制した。



「だが………諸君らも知っての通り、先のUGF艦隊の攻撃により、リベルター艦隊は少なからず打撃を被った。これから練られてきた計画の一部を、残念だが変更せねばなるまい」



 立体的に映し出される配置図が、アデリウムが傍らのホロウィンドウ上のコマンドをいくつか叩くと、次の瞬間その表示が続々書き換えられていく。

 その内容は………



「こ、これはっ!?」

「何と………!」



 驚愕したシアベルが立ち上がり、将官たちも当惑するようにざわめき、顔を見合わせた。


 更新された作戦。ホログラムによって浮かび上がる一つのスペースコロニー群。名は、〝アイランズ21〟。まだ正式名称の定まっていない、ラグランジュポイント4の建設中コロニー群だ。


 そこから、長く矢印が伸びている。地球へ向かって………



 シアベルは震える声音で、



「ま、まさかアデリウム様………!」


「この件については、余は皆に一つ謝罪せねばならない。すでに作戦の第一段階を前倒しで開始し、〈マーレ・アングイス〉及び所属デベル隊、ステラノイド兵及びそのデベル部隊を〝アイランズ21〟に向かわせている。間もなく、駐留するUGF艦隊との間で戦端が開かれるであろう」


「コロニーを………地球へ落とすおつもりなのですか!?」



 ごく一般的な楕円シリンダー型スペースコロニー。

 直径8.23キロメートル。全長50キロメートルで、人工重力発生装置によって地球と同様の重力が確保され500万人の人間が居住・生活可能なその巨大な人工空間は、当然莫大な質量をその内側に抱えている。


 あらゆる宇宙事故を想定した頑強な構造は、当然大気圏との摩擦程度では小揺るぎもしない。そしてもし、スペースコロニーの1基でも、その一部でも地球に落下するような事態が発生した場合………それだけで人類史上最大最悪の災害が発生することは明白だった。



 将官らの一人、日頃は日和見主義的なルアラン少将でさえ、恐る恐る挙手し、



「………お、恐れながらアデリウム様。人道上の問題もさることながら、おそらく事態を察知して展開すると思われるUGF艦隊を突破しつつ、スペースコロニーを艦隊で牽引・落下させるなどは………現状の我等リベルターの戦力では到底………」


「地球落下軌道に乗せるコロニーは一つではない。アイランズ21で建設済み、建造中合わせて16基のコロニー全てを……プラズマ核爆弾の電磁位相効果を使って地球へと押し出す」



 プラズマ核爆弾。ビーム兵器を用いた迎撃システムやAPFF技術の普及・進歩、それに核原料の枯渇化のため供給が細くなった結果完全に廃れた、旧時代の戦略兵器だ。


 会議テーブル上のホログラムがその後映し出すは、アイランズ21スペースコロニー群のある一点で核爆弾を炸裂させ、その衝撃波や電磁位相効果によってスペースコロニー群が地球目がけて移動。展開するUGF艦隊によって半数以上のコロニーが破壊されるが………最終的には4つのスペースコロニーが地球軌道上に到達。これによって地球は………



 キッと唇を結んだシアベルは、アデリウムの玉座に詰め寄る。玉座の傍らに控えるシオリン中尉が怪訝な目を向けてくるが構わず、



「お考え直し下さい、アデリウム様!! そのような大量虐殺、リベルターの信念に沿うものでは………!」

「無論だ。余とて、徒に無辜の市民を犠牲とするのは本意ではない。………これは陽動である」



 地球へ向けて移動するスペースコロニーのホログラムが、突如として爆散し、消え去った。



「よ、陽動………?」

「どういうことなんだ………?」



 すっかり混乱しきっているシアベルやリベルター将官らに、アデリウムは静かに微笑んだ。



「では語ろう。〈チェインブレイク作戦〉、その真にあるべき姿を………」






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