第1章 レイン・アークレア
第1話 レイン・アークレア
『ハーイ! レイン、元気してる?
今、私たちエリクスベイにいるのよ。世界一のリゾート! あなたも月留学を遅らせて一度こっちで遊べばよかったのに。
そうそう。同じゼミのベルナールとクアリンが付き合い始めたの。前々から結構いい雰囲気かなって思ってたんだけど………ベルナールって意外とアプローチが上手いのよね。最初にあった時には暗い子かと思ってたのに。
そういえば前の決勝戦………残念だったわね。応援にいけなくてごめんなさい。どうしても外せないパーティがあったの、おばあちゃんの120歳記念パーティよ。あなたの銀メダル、見たかったわ。ロシアのスジャワコーナに負けたのは悔しいと思うけど、3年連続で表彰台に上がるのはすごいことよ!
月に着いたら、また連絡ちょうだいね。
あ、追伸っ! あなたのナビバイス、いい加減新しいのに更新した方がいいわよ。前もそれで、ニューヨークで迷子になってたんだから。覚えてる?』
地球と月を結ぶ、全長100メートルを超える巨大なスペースプレーン。地球の大気圏内を飛行する超音速旅客機とほぼ似通った形状で内部も、そう目新しさはない。だが快適な宇宙旅行のため、全てのクラスの座席は完全にコンパートメント(個室)化され、乗客はプライベートが確保された空間で思い思いのひと時を過ごすことができる。
そのプライベート・エコノミークラスで、レイン・アークレアは地球にいる親友の動画メールを開いてクスッと笑った。………リアーナったら。3日前に別れた時にはお互いワンワン泣いてたのに。元気そうでよかった。
地球から月まで、地球・USNaSA(南北アメリカ合衆国)が誇るナショナル・スター社のスペースプレーンに乗っておよそ3日。秒速50キロ以上で加速できると言われるスペースプレーンだが、USNaSAも加盟している地球統合政府が厳格に定めた安全航路を航行しなければならず、さらに中継ステーションを経由しないといけないのでそれだけ時間がかかるという。
「お飲み物は、いかがですか?」
にこやかな表情でレインのコンパートメント席に近寄ってきた色白の客室乗務員に、レインも笑い返して、
「アップルジュース、いいですか?」
「もちろん。ストレートドリンクになさいますか? それともソフトミックス?」
「ストレートでお願い」
人工重力装置が一般化する前は、提供される飲み物は全て密封されストローで飲むタイプだったとか。
スペースプレーン機内においても1G重力環境が保たれている現在では、注がれるアップルジュースの自然な色合いを楽しみながら、喉を潤すことが可能だ。
ありがとう、と差し出されるコップを受け取り、一礼して立ち去る彼女を見送りながら、レインはふと腕に取りつけてある装着型端末…〝ナビバイス〟を起動した。レインの持つそれは少し型落ちしていて、ちょっとゴツゴツした見た目。今は、皮膚に張り付けるような超薄型が流行りだ。
「中継ステーションまであとどのくらい?」
『およそ25分です』
ナビバイスからホログラム映像が投影され、到着までに楽しめる簡単なゲームや音楽が紹介される。レインは、よく聞くアーティストの最新曲を選んだ。
超指向性音声技術の進歩で、ヘッドフォンやイヤホンが無くても周囲に音を漏らすことなく一人だけで音楽を楽しむことができる。爽やかなクラシックバラードに身をゆだねつつゆったりと座席に沈み込みながら、レインは少し休むことにした。
その時、ポーンというチャイム音が、音楽をかき分けて耳に飛び込んできた。続いて低い男性の声が放送される。
『おはようございます。現在の時刻、地球標準時午前8時15分。機長のフレデリック・ワトソンです。申し訳ございませんが、中継ステーション側のトラブルにより到着が約2時間遅れる状況となっております。それに合わせ乗り換え便時刻も変更となりますので、表示されますデータをご確認の上………』
機長のアナウンスに、仕切り越しであってもざわつきが耳につきはじめる機内。
だが、特に急いでいるわけでもないレインは柔らかいシートの感触に沈み込みながら、少しずつまどろんでいた。
レインはすっかり夢心地だが客席窓越しには既に、〈GG-003〉の少々歪な姿が見え始めている。
ふと、どこかのコンパートメントで流れているニュースが、意識を手放しつつあるレインの耳に入ってきた。
『………次のニュースです。地球統合政府軍〝UGF〟は、月面を拠点に活動する武装組織〝リベルター〟によってラグランジュポイント1にあるスペースコロニー群〝アイランズ7〟が襲撃を受けたことを発表しました。駐留軍兵士の他、民間人にも犠牲者が………』
◇◇◇―――――◇◇◇
『こちら〈アングイス〉。月雲大尉、応答を』
「こちら月雲。どした? 作戦開始にゃまだ早いだろうが」
まだ新品の匂いが取れていないコックピットでくつろいでいた男……月雲はホロモニター上に映し出される女性、母艦〈アングイス〉オペレーターのシェナリン・イールシドア少尉に怪訝そうな表情を向けた。アジア系の精悍な顔つきにはブルーのサングラス。だがサングラスの濃さはさほどでもなく、目を凝らせば彼の黒い瞳を見ることができるだろう。
『作戦開始時間を3時間延期とします。《GG-003》の鉱山区で事故があり、その影響で民間機の到着が遅れるとのこと』
「ふぅん。ま………民間人の被害は最小限に収めないとな。了解した。それまでのんびりしてるさ」
『作戦の再チェックを行ってください。この宙域において私たち〝リベルター〟が注目されるかどうかはこのミッションにかかってるんですよ?』
お堅いねぇ、と月雲は呆れ顔でモニターのシェナリンを見やったが………氷点下のように冷めきった瞳で返されてしまう。
「………ゴホン。この〝シルベスター〟もいよいよお披露目か。これでようやく、このクソッタレな世界も動き出す」
地球から遠く離れ、故郷も、本当の名前すら手放して〝月雲〟……という中々アメイジングな偽名で今日まで〝リベルター〟とUGFの間で繰り広げられるチンケな小競り合いに身を投じてきた。
それがようやく、結実しようとしている。
『〈チェインブレイク作戦〉発動まで間もなくです。私たち宇宙移住者が地球統合政府の支配を打ち破るため、前哨戦であるここで挫けるわけにはいきません』
「分かってるよ。………お前らも少し休んどけ。場合によってはUGFとの戦闘もありうるからな」
資源小惑星兼中継ステーション〈GG-003〉から2000キロほど離れた地点にポツリと浮かぶ3つの影。
それを俯瞰する者がいるとして、近寄ってみればそれが戦闘用デベルであるとすぐに気づくだろう。ビーム・実弾複合ライフルを片手に持つ、機動力重視のシャープでスマートなフォルム。それが3機。
LAD-15〈シルベスター〉。それがこの機体の名だった。
〝リベルター〟の次期汎用戦闘用デベルとしてバランスの取れた機体であり、旧世代機の骨のような姿でもなく、かといって重装デベルのような重厚さもない。眼球型の頭部アイ・センサーはフードのような装甲で守られ、時折目まぐるしく動いては、周囲のあらゆる情報を収集し続ける。
機体の基本色は青。
月雲の機体には隊長機としての風格を表すために肩に金色のラインが走っている。
月雲はヘッドセット型B-MI(Brain-machine Interface )ユニットの感度をチェックした。良好。問題なく機内外の情報がダイレクトに頭に流れてくる。デベルが発明された時から続く、この全高17メートル以上の巨体を自分の身体の如くコントロールするのに必要な機器だ。
ニューソロン炉も異常なし。周囲の星間物質を収集してはニューソロン粒子に変換、核融合して莫大なエネルギーを機内に巡らせ続ける。
「アメイジング小隊。2番、3番聞こえてるよな?」
『ああ。それとあたしたちは〝第1小隊〟だろうが。変な名前付けんじゃないよ』
『アメイジング、は隊長の口癖ですからねぇ』
「るせえな。はねっ返りどもめ」
アメイジング2、ジェナ・マーレーン中尉。月雲がまだUGF……地球統合政府軍に所属していた頃からの相棒で、訳あってUGFから抜けざるを得なくなった時、物好きにも一緒にくっついてきた仲だ。口が悪いのがネックだが、なかなかの美人で、デベルの操縦もエースの領域。こいつなら背中を任せられる。
アメイジング3、トモアキ・イサル少尉。元は月資源採掘労働者だった若者で、ピヨピヨの新米。だが過酷なヘリウム鉱山で作業用デベルを駆り、鍛え上げられてきたこともあり、腕は確かだ。プライベートで絡むと意外と話題豊富で面白い。
「………んじゃ、一度作戦を整理してみるか。えーと、作戦時間開始後、小隊は直ちに………」
『おいおい、こっちはプロだぞ。トモだけ聞いときな』
『隊長が読むと子守歌になっちまいますよ。目だけ通しとくんで』
「………ったく、とんだ不良隊員どもだな」
『どの口がそれを言うんだい?』
通信だけでもこんな様相ではあるが………作戦遂行への不安は一切ない。
〝リベルター〟が満を持してロールアウトした新型機に選ばれたこの3人だ。並みの部隊なら、これからのミッション、10機以上は投入する必要があるだろう。
それを3機で完璧にこなす。それは〝リベルター〟所属機の性能の高さ、そしてパイロットの腕の良さの証左となる。
失敗は許されない。というかあり得ない。
『………あの、秘匿回線での私語は慎んでいただけますかね? いい加減』
ジトっとした母艦オペレーター、シェナリンの視線。
おっと………、〈アングイス〉からの回線がまだ繋いだままだったか。
「悪い悪い。………だが、待ちきれないぜ」
大きく深呼吸し、胸いっぱいに人工の空気を吸い込んで吐き、月雲はコンディションを最大限保つために息を整えた。作戦開始が近づくにつれヒートアップする緊張感すら、今は心地よく感じられた。
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