パイの果てへの旅-10

「危険なので、部屋から出ないでください」

「いいんです。私にはもう誰もいないんです」

「そんなことないですよ。あなたがいなくなったら悲しむ人はたくさんいますよ」

「じゃあ、その具体例を挙げてみてくださいよ」

「……たくさんいすぎて挙げられませんよ」

「いいから一人二人挙げてみてくださいって」

「えーと、あなたは今興奮状態にあります、これを飲んで少し落ち着いてください」


 経験豊富なカウンセリングロボットは、センにブランデーを差し出した。それを飲み、ソファーに倒れるようにして座り込むと、センは天井を見上げた。蛍光灯が白っぽく光っている。


 先ほどの狙撃があってから、わけもわからぬままセンはこの社内カウンセリングルームに押し込められた。安全のためだとかなんとかで、窓には急ごしらえの目隠しにダンボールが貼り付けてある。扉の前には重そうな本棚でバリケードがつくられていた。本棚には『ケイ素生物心理』だの『無重力状態でのカウンセリング手法』だの『夢診断(未成年向け)』など分厚い本が詰められており、重しとしての役割をせっせと果たしていた。これらの本は普段はカウンセリングルームのカウンセリングルームらしさを盛り上げるという役しか担っていなかったので、この新しい仕事を大いに楽しんでいた。


 しかしその楽しさはセンのほうには伝染しなかった。ウスキイロアヒルを失った悲しみにかきくれていたからだ。まだ新しい環境になれていなかったようで、先代のキイロアヒルちゃんに比べると無口だったけれども、それでも少しずつ落ち着いてきていたようだった。さっきだって外の風にきもちよさそうに吹かれていたのに――センはその最期の様子を思い浮かべ、わっと顔を両手でおさえた。


 カウンセリングロボットは時間を使いその豊富なカウンセリング手法を駆使したが、センにはまったく関係ない雑音のようにしか聞こえなかった。しばらくしてから、カウンセリングロボットは部屋の隅の充電ステーションに向かい、部屋の中は静かになった。


 一人にされたセンは目をつぶった。そうしているうちに、少し眠っていたらしい。気がつくと、窓に貼られたダンボールの隙間から差し込む光が夕日の色をしていた。カウンセリングロボットは、まだ充電中のランプをちかちかさせていた。センは机の上にあったレモンの香りのペーパータオルを取り、ゆっくりと顔をぬぐってから立ち上がった。




 会議室の使用状況を調べ、センは固い意思をもってそちらへ向かった。念の為窓のない通路を選び、頭にはそこらにいたシュレッダーロボットを乗せてヘルメットがわりにした。


「わーい、たかーい」


 よろこぶシュレッダーロボットがあちこちの部品をぱたぱたと動かしたので、一度も使われていなかったシュレッダーロボットの機能のうちの一つであるバーベキュートング入れから緩衝材が飛び出してきた。片手でそれをおさえ、もう片方の手で携帯端末を操作しながらセンは歩みを進めた。


 目的の会議室の前に着くと、センは扉をノックもせずに開けた。中では、『有価証券相場状況に関する緊急会議』が開かれていた。座長の席にエリアマネージャー、周囲には高そうなビジネスファッションで身を固めた、見るからに上級職らしい面々。しかし、今のセンはそれにも何らの重圧を感じなかった。量販店のセールで買ったそろそろ老齢年金を要求してきそうな服も、壁に映し出されている助詞部分しか意味のわからないスライドも、いまのセンの気後れの原因にはならなかった。


「どうしました?」

「ご提案があるのですが」



 この広い銀河には、しょっちゅうそこかしこの星で知的な生命体が生まれている。知的な生命体とそうでない生命体を分けるのはどこなのかという議論は繊細で論議を呼ぶテーマだが、今のところその文明が将来的に他の惑星の文明と交流を持てるかどうかは、ビンゴマシーンを作り出したかどうかが境目ということである程度の一致をみていた。


 ビンゴマシーン以降、惑星がどのような発展をとげるかは、それが置かれた自然条件ならびにその惑星を支配している生命体の性質によって多種多様だが、ここに一つの不思議な事実があった。それは、銀河にはこれほど様々な惑星が存在しているのにもかかわらず、自由や平等や友愛といった理念を実践し、隣人を愛するような思いやり深く高潔な文化を持つ惑星は、過去にも現在にも銀河文明中には存在しなかったというものだ。


「そういう友愛の精神に満ち溢れた文明であれば、そもそも金融商品など存在しなそうですしね」


 リンゴをそのままでかじりながら、エリアマネージャーが言った。


「そういうもんでしょうか」


 センは部屋中にちらばった書類を取り集め、かたっぱしからシュレッダーロボットに食わせながら答えた。アップルパイ・トラスト・ファンドをターゲットにした仕手筋との戦いを終え、会議室にはおそろしい数の不要になった紙が積まれているのだった。


 戦いのためにセンが提案したのは、アップルパイ製造ラインにベニイロリンゴモドキを紛れ込ませるという手法だった。ベニイロリンゴモドキと本物のリンゴを区別するのは大変難しい。今回の実行計画は極秘裏に進める必要があったが、この区別の難しさから計画はどこからも嗅ぎつけられることなく進めることができた。そして表向きはマイナス材料などないように見せながら事業を進め、アップルパイ証券の買いがつのったところで、ベニイロリンゴモドキの混入のおわびを出す。高値掴みした仕手筋は、メロンスター社の調査部によれば、その大半が損害額に耐えられなかったという。


 暴落の後処理も終わり、今日でこのアップルパイ・トラスト・ファンド対策室となっていた会議室は開放されることになっていた。センの役割は、最初の提言と、期間内になるべく外に出ないで身を守るようにすることと、今日こうして紙をひたすら処分することだけだった。他の役割は他の社員が担っていて、それらの他の社員はもうこの荒れ果てた会議室を後にどこかのバーへ繰り出していった。しかし後にこうやって残されていても、センの心には不思議な安らかさがあった。ウスキイロアヒルちゃんの敵をいくらかでも討つことができたということは、ある程度のなぐさめにはなった。


「しかし最近聞いた話なんですがね。そういう、思いやり深く慈悲に富んだ傾向を持ち、かつ他の惑星と交流できるほど知的レベルの高い文明というのも、確かに存在はするはずだということなんですよ。統計的には」

「そうなんですか」


 センは『インシデントコマンドシステム 後方支援部補給支部ブリーフィング資料』と書かれた分厚い紙束をシュレッダーロボットに細断させながら相槌をうった。


「それなのに、なぜ我々がその文明を観測できないかわかりますか?」

「さあ……」

「二つの説がありましてね。一つは、そのような文明は他の野蛮な文明を忌避し、なるべく接触の機会を持たないように注意を払っているというものです」

「はあ」

「二つ目は、そのような傾向を持つ文明は、彼らの精神レベルに現在の宇宙のレベルが追いついていないことをどこかの段階で悟って、もっとマシな宇宙へ向かうというものです」


 紙束を飲み込ませ終えてから、センは顔を上げた。


「たしかに、この宇宙はもうちょっとマシでもよさそうなものですよね」


 エリアマネージャーはこくりと頷き、もう一口リンゴをかじった。


「私もそう思います。ただ、別の宇宙にもアップルパイはあってほしいですね」

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