外宇宙第三会議室
鶴見トイ
キャンディーアップルよさらば
キャンディーアップルよさらば-1
会社員であるセン・ペルの朝は、いつもの通り最悪だった。いつもの通り最悪というフレーズは矛盾していると思う向きもあるかもしれないが、この場合に限ってはそうではない。なぜなら毎朝毎朝その最悪具合は更新され続けるばかりであり、昨日より今日、今日より明日がより悪化しているからである。
今朝はどう最悪だったのかというと、まず目が覚めたのが八時三十分だった。家庭管理用人工知能にこの時刻からでも職場へ間に合うルートがないかとたずねたところ、ここから歩いて五分かけて博物館へ行き、一分かけて入り口を破壊、二分で警備ロボットの間をくぐり抜けて大砲までたどり着いて発射準備を行い、三十四秒で会社の八階に飛び込むというルートを示されたのだが、タンパク質類の耐久力を考慮していないルートだと思えたのでそれはあきらめ、愚直にいつもどおりのルートで向かうことにした。
センは可能な限りの速度で身支度をし、通勤用ポッドの駅まで全力で走った。かばんから取り出した定期券を読み取り部に当てて、改札を走り抜けようとすると、ばんと行く手がフラップドアに阻まれ、センの身体は跳ね飛ばされた。見るとこの日に限って定期が切れている。
センは急いで券売機へ向かい、定期券の更新をしようとしたが、券売機は一つ画面を進めるごとに『あの伝説のE92型ポッドが模型で復活』だの『駅まで五分(ヒト型生物の場合)の邸宅』だの画面の上や下に動くタイプのバナー広告を出してきて、誤タップを誘導すること甚だしかった。間違ってタップすること四度目にして、ミニシェルターの動画広告(組み立て簡単! 隕石が直撃しても大丈夫!)の再生が始まったとき、センは今日は切符を買って通常運賃で向かうことにした。
センはなるべく階段に近い場所を選んで乗り込み、会社の最寄り駅についてポッドの扉が開くか早いか飛び出した。あと一秒というところでなんとか会社に滑り込み、地下の狭い部屋にある自分の職場――メロンスター社バファロール星支社庶務課第四書類室――の自分の椅子に座ろうとしたのだが、その椅子は空中に投影された映像で、大砲に発射されずともセンの身体はそれなりのダメージを受けた。
なぜこのような行為に及んだのか、センは主犯と思われるロボット――センの職種はシュレッダーマネージャーなので、かなりの数のシュレッダーロボットがセンの管理下にある――に問いただしたのだが、彼らに言わせるとセンは一日の三分の二は会社に居らず、その上紙を裂くこともしていないし、それにこの椅子があるとハンカチ落としで遊ぶことができないので邪魔だから分解して隅に置いておいたとのことだった。そのため朝から椅子を組み立て直す羽目になり、一度組み立て終わったと思ったらなぜだかネジが一本余っていて、組み立てている間に宇宙の不思議により偶然ネジが二本に分裂したという説を取ってそのまま座ってみたのだが、その結果として現在のセンは湿布のにおいを周囲に撒き散らさざるを得ないはめに陥っていた。
センの勤務しているメロンスター社は、銀河全体に営業拠点をもつ大企業である。従業員数は三百億人を超え、人工衛星の開発からぬいぐるみ読み聞かせ会の開催、扇風機の製造から惑星温暖化対策まで多岐に渡る事業を行っている。公式サイト内の事業案内ページは特別に圧縮され、その圧縮ファイルをダウンロードして閲覧するようになっている。しかしいくら高度なアルゴリズムを用いてもそのファイルはやたらめったらに重く、愚直にダウンロード完了を待つと一日の三分の二はそれに費やすことになる。ユーザーエクスペリエンス向上のため、メロンスター社公式サイト担当者はそのファイルをバックグラウンドでこっそりダウンロードさせるように変更した。そして事業案内ページのURLを嫌いな相手に送りつけ、相手の通信費を攻撃することが大変な流行になったため、メロンスター社公式サイトのページランクはロケットのように打ち上がり、ありとあらゆるキーワードの検索結果で一番上に出てくるようになった。そのためSEO業者は自分の手がけるサイトのサイズを恐ろしく重くすることに熱心になり、検索結果に出てくるページがすべて使いものにならないページばかりになった。アルゴリズム変更によりそれらのページはすべて最低ランクまで追いやられたため、職を失ったSEO業者は次の仕事を探そうと『転職』で検索したが、うっかりメロンスター社事業案内ページを開いてしまったために次の仕事にありつくまで飢えに苦しむことになった。
センはメロンスター社でシュレッダーマネージャーとして働いている。シュレッダーマネージャーの主な仕事は紙をシュレッダーにかけることで、世間一般にはその重要性はまったく認められていないのだが、センのほうではその評価もいつか改まることだろうと密かに考えていた。なにしろ会社の書類の九十七パーセントは最終的にはシュレッダーにかけられるものなのだし、それはどんな重要な書類でも同じである。ならばそれを管理する人材の必要性が高まるのは自明の理、というのがセンの理屈なのだったが、もちろん紙をシュレッダーにかけるだけならロボットだけでも済むだけで、そこにわざわざ人件費をかけてまで人間を置くのは完全にメロンスター社の人事制度のあやなのだった。すなわち絶対に処分してはいけない書類を処分してしまったような場合に庶務課に直接責任をかぶせず、書類室という部署にそれを移譲するためこのような構造になっているのである。センはそれを知らないので、いつか職業図鑑にシュレッダーマネージャーが乗ることを密かに楽しみにしていた。
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