ヒキコモリの異世界成長記

鬼怒川鬼々

プロローグ

(……)


  美袋枝みなぎし里織さおり。引きこもり歴五年。22歳。

  内職をやるわけでもなく、自営業を始めてるわけでもない。ましてやどこかに嫁いでる訳でもない。二十歳を過ぎた今でも親におんぶにだっこ。悪霊が取り憑くように両親に取り憑き、家計を圧迫し続けている。


(……)


  始まりはいつだっただろうか。実際に引きこもり始めたのは高校二年の時だったが、もっと前から。それこそ幼少期の頃には既に将来こういうダメでクズでグズな典型例のような社会不適合者になる兆候は出ていた気がする。


  他人が。人間関係が。周囲の評価が。社会が。苦しみが。辛さが。悲しみが。痛みが。昔から何もかもが怖かった。生きてる限り伴う……人生の対価とも代償とも言うべきそれら苦痛や苦悩が嫌で嫌で仕方なかった。


  自分はそういう人間だった。臆病で小心者で被害妄想が激しくて疑心暗鬼に陥っている、無駄に余計に多くのことを考えて勝手に深みに嵌まり破綻し自滅するような。肉体面精神面共に軟弱な正真正銘の弱者だった。


  だからきっと時間の問題だったのだ。いつ限界が来るか。いつ許容量を超えるか。そういう話でしかなかったのだと思う。たとえ無事に高校を卒業していたとしても、就職活動が成功し晴れて社会人になっていたとしても。根底が。性格や性質が変わらないならば、遅かれ早かれ破綻していたに違いない。


(……)


  故に。現在自分が引きこもっているのは。現実から逃避したのは決定事項であり予定調和であり規定路線であり。もっと言えば絶対に変わらぬ運命であり覆せぬ決定付けられた宿命だったのだ。


(……)


  ぺらぺら。簡素な部屋に小説の頁を捲る音だけが空しく響く。

  目は動いているが読んでいるわけではない。視界に映っているが脳に届いてる訳ではない。それは単なる作業。時間を潰すための事務的行為であり毎日繰り返す惰性的なものでしかなかった。


(……)


  いつからだっただろうか。不可視の壁一枚を隔てて世界を見てるような感覚に陥ったのは。読書をしていても、テレビを見ていても。ネットを観覧していてもどこか現実味を感じられず面白味がなくなったのは。

  医学的知識など皆無なためこの症状が何を意味するのかは欠片もわからないが、自分が取り返しのつかない場所にまで辿りついているのだろうことはなんとなく理解できた。


(……)


  でも、変わろうとは思わなかった。

  だっていまでは全てが面倒臭くて全てが億劫だったから。

  いつからだっただろうか。初めはまだ残っていたやる気は気付けば根こそぎ失われていて。いまでは起きているのすらダルかった。


(……)


  そもそも労働意欲どころか生きる気力すら皆無で、自分と世界に絶望し自殺を頭で考えていても実行する活力すらない自分に自分を変える余力が残っているはずもないのだ。


(……寝よう)


  ふとスマホを見ると時刻は既に23時を回っていた。

  里織は小説を本棚に戻すと毛布をかけ、目を閉じる。



  このまま静かに永眠することが望外の喜びだが、悲しきかな運動神経と反射神経は零で物覚えが悪く馬鹿な癖に無駄に持病を持たぬ健康体だ。何事もなくまた朝日を拝むことになるのだろう。

  そしてまた無気力に無価値に無意味に無責任に無駄に時間を浪費する一日が始まるのだ。両親に迷惑をかけ続ける、不安と恐怖に怯え自分自身に嫌気が差しながらも何も変わらない、変えられない人生の一頁が。


 この時はそう思っていた。そう、この時は。


「……」


  夢の世界に旅立った里織は知らない。

  否。たとえ起きていたとしても気付けない。

  シャッターが下ろされ電気が消された暗闇の中。

  かの者がベッドへ腰掛け壊れ物を扱うように優しく頭を撫でていることを。その瞳と表情には慈愛が宿っていて愛し子を見つめるような眼差しを自分に向けていることを。自分がこれからどうなるのかを。


  里織はなに一つ知らない。

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