ゲームボーイミーツガール
ケンコーホーシ
ゲームボーイミーツガール
公園でしか話さない女の子がいた。
遠藤早紀さんは屋根のついたベンチの上で8bitの音楽を鳴らしながら一心不乱に画面を見つめていた。
みんながドッチボールや缶蹴りに夢中になっている中で、僕だけが興味深そうにその様子を眺めていたのは、
ひとえに僕も同じゲームを持っていたからだ。
ヒーローモンスター
いわゆる当時はやっていたモンスターをボールで捕獲してバッチを集める人気ゲームのパチ物ソフトの一つで、
僕がそのソフトを手にしたのは偶然、夏休みにお婆ちゃん家に遊びに行った時にお婆ちゃんが買ってくれたのだ。
今これが流行っているんだってなぁ
ぶっちゃけ中身は一ミリも流行っていないパチ物商品だった訳だけれども、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして笑うお婆ちゃんを前にして子供心ながら文句を言うことはできなかった。
それに、案外遊んでみると面白かったのだ。
中身はヒーローモンスターと呼ばれるモンスターを育成して、各街にいる悪党どものアジトを成敗してメダルを集めていくという、どこかで聞いたような設定であった。
ただ豊富な種類のモンスターを集めてレベルを上げて技を覚えさせて戦うという、
面白くなるしかないテンプレートをなぞっていたお陰もあって、僕は家でちびちびと子供特有の無限に広がる時間をヒーローモンスターに費やしていた。
もちろんクラスではヒーローモンスターなんてゲームを知っている同級生は一人もいないし、僕から話すこともなかった。
皆は例のボールに入れたモンスターのゲームや、あるいは王道RPGのモンスターを配合したりするゲームや、もしくはクワガタやカブトを模した鉄のロボットを育てるゲームばかりしていた。
だから初めてだった。
ヒーローモンスターやっているプレイヤーに出会ったのは。
しかも女の子で。さらに言えば彼女は僕のクラスメイトだった。
遠藤早紀さん。
黒髪のメガネをかけた女の子で人前に出るタイプでもなければ自己主張を激しくするタイプでもない。
どちらかというと優等生的な落ち着いた図書室で本でも読んでそうな印象のある女の子だった。
だからあんなにも懸命にゲームを、しかも公園でドマイナーの極みとも言えるヒーローモンスターをやっていることに、僕は言葉に出来ない興味をいだいてしまった。
「ねぇ……遠藤さん」
「!」
最初に僕が話しかけた時。
遠藤さんは警戒心の強いうさぎのように僕をギョッと見た。
が、それでも僕がクラスメイトであることを数秒遅れて理解したのだろう。
「た、高梨くん……?」
語尾の抑揚が疑問符に近かったのは僕らはクラスは同じであろうとも一度も会話したことがなかったからだろう。
遠藤さんが積極的に男子と話すタイプでないのと同じくらい、僕も女子と話すのは普通に恥ずかしい性格の子供だった。
「それヒーローモンスターだよね」
僕がそう言うと遠藤さんはコクコクとシマリスみたいに頷いた。
「僕も持ってるんだそれ」
そう言うと緊張していた遠藤さんの表情が一変した。
いや、表面上はそこまで違いがなかったのかもしれない。
ただ、彼女の持つ雰囲気は明らかに柔らかく優しいものに変わった。
「ほんと?」
「本当だよ。今度よければもってくるよ」
「うん」
有り体に言えば、嬉しそうだったのだ。
次の日、同じ公園に行って僕はスケルトンカラーのゲームボーイを手に遠藤さんにヒーローモンスターのソフトを見せた。
遠藤さんはまるで砂漠でオアシスを見つけた旅人みたいに目をキラキラと輝かせて僕の方を見ていた。
「た、対戦しよっ」
「うん」
こうして僕と遠藤さんは公園だけの友達になった。
☆
通信ケーブルというものをご存知だろうか。
今の若い子供たちは知らないのかもしれない。
50cmほどの長さのあるゲームボーイ同士をつなぐケーブルであり、これをお互いにつなぐことでアイテムやモンスターの交換、対戦といったことができたのだ。
「初めて使う」
「僕も」
僕の持っていた通信ケーブルは安っぽいこれまたパチ物に近いサイズで15cmほどしかなかった。
お陰で慎重にゲームボーイ同士を並べておかないと、ケーブルがすぐに引っこ抜けてしまい、そのたびに通信エラーになってしまった。
「これじゃ対戦してもバレバレだね」
「うん」
ようやく繋がったかと思いきや、ゲームボーイを横に並べてるせいで相手の手のうちがバレバレになってしまった。
「私がいじる時は高梨くんは目をつむって」
「わかった」
仕方ないのでお互いに交互に目をつむりながらヒーローモンスターで戦うことになった。
僕はぎゅっと目をつむると涼しい夏風と汗に混じった遠藤さんの香りがした。
「高梨くんのターンだよ」
「うん」
目を開けると、そこには強く両目を閉じた女の子の顔があった。
僕は何故か真っ赤になり緊張した手でゲームボーイのボタンに触れた。
そのせいだろうか。
強くボタンを叩きすぎた衝撃で通信ケーブルがすっぽり抜けてしまった。
「わぁ」
「わっ!」
8bitの音楽が不協和音となって二人の間に鳴り渡った。
どうしようどうしようと混乱しながらも電源をブチッと落とす。
おそるおそる電源を再起動すると、ヒーローモンスターのタイトルが表示され「つづきから」の文字が表示される。
「よ、よかったぁ」
「ご、ごめん」
「だいじょうぶ。つづきからの文字でたし」
この頃のカセットタイプのゲームは今よりも脆弱で、当たり前のようにセーブデータが消えてしまう。
幼いながらも僕たちはその恐怖を十分に理解していた。
「対戦じゃなくて交換にしよう」
「そうしよう」
僕らはふたたび15cmのケーブルを使って接続を開始した。
遠藤さんの持っているモンスターは僕と趣向が違っていて、育てているモンスターも違えば、ゲットしているモンスターの傾向も違かった。
「このマントのモンスター見たことない」
「これはハイカラタウンでたまに出てくるんだよ」
「すごい! この子進化するんだ!」
「うん。何か分かんないけど進化した」
インターネットが普及する少し前の時代だった。
この数年後、個人ホームページ全盛時代が到来し、僕のうちにもパソコンがやってきてメジャーゲームの攻略サイトなんかも現れはじめる。
だけど、この時の僕らは本当にヒーローモンスターの情報を自分のプレイングでしか知り得ていなかった。
だから本当にビックリした。
僕の知らないヒーローモンスターの世界が、遠藤さんのゲームボーイにはつまっていた。
それは遠藤さんもそうだったのだろう。
「この子どうやって手に入れたの!?」
「最初の洞窟でさ。変な落とし穴があったと思うんだけど、そこで出てきた」
「本当!? 行ってみる!」
遠藤さんの知らない世界が、僕のゲームボーイには存在していた。
たかが15cm弱のケーブル一つで、僕と彼女の大好きなゲームは接続を果たした。
それはパーソナルに閉じているだけでは決して見えなかった世界だった。
その日、僕らはゲームの画面が見えなくなるまで遊んでいた。
☆
教室にゲームを持ってくることはご法度だった。
僕らのクラスではアクセサリー型のちっちゃいゲーム機が流行っており、先生がこれを問題視していた。
「学校は勉強をするところです。こうしたゲームを持ってくるのはやめましょう」
今にして思えば奇妙なルールだったと思う。
アクセサリー型のゲームがダメなら、対戦可能なえんぴつはOKなのか。
トレーディングカードがダメなら、手書きのカードはOKなのか。
もちろん高価なものを学校に持ってきてはいけない、ということだったのだろう。
ともかく僕らにとって教室はゲームが禁止された空間であり、そのせいもあってか僕と遠藤さんが教室で話すことは一度もなかった。
「なー高梨、昼休みケイドロしようぜ」
「うん」
僕は休み時間は校庭にでて遊んでいたし、遠藤さんは机で本を読んだり可愛い手帳に落書きとかをしていた。
席は別々でなんとなくお互いに話す必要もないかなと思っていた。
僕らの舞台は教室ではなく、放課後の公園にある。
そんな風に思っていた。
「高梨くんこれ見てこれ」
遠藤さんと出会って数ヶ月が経ったある日、彼女は新品のゲームボーイを僕に見せてきた。
それは前までの彼女が持っていた分厚いホワイトカラーのゲームボーイではなく、スマートに洗練された水色のゲーム機であった。
「買ってもらったの?」
「うん、しかもこれ見てカラーだよ」
そう言ってヒーローモンスターを見せてもらうと、確かに画面がモノクロではなく着色がついていた。
「おおー」
「しかもこれ最初に色を選べるんだよ」
そう言って電源を入れ直す遠藤さん。
ピコーン、という音と同時にボタンをガチャガチャと押すと、色がいきなり真っ黒になった。
「うわっ!」
「あはは、見にくいよねー」
どうやら起動時のボタンの入力方法で着色が決定するようだった。
おそらくヒーローモンスターがゲームボーイカラーではなく、ゲームボーイのソフトだからなのだろう。
「これでヒーローモンスター2が遊べるよ」
「2?」
「うん。この前ゲーム屋さんに行ったら売ってた。一緒に遊ぼうよ!」
そう言って期待した目をしている遠藤さん。
僕は二つ返事でOKと頷いた。
「うん、やろう!」
「約束だよ」
指切りをして僕らは誓いを交わした。
ただし、残念なことに2を一緒に遊ぶ願いは叶わなかった。
☆
遠藤さんが福岡に転校することが決まったのは、もうすぐクリスマスを控えた12月末であった。
僕はサンタさんへのプレゼントにヒーローモンスター2をお願いして、遠藤さんと一緒に遊ぶつもりであった。
だが、年末を待ち遠しくしていた僕に告げられたのは、遠藤さんの転校と、もう二度と会えないという悲しい現実であった。
「ごめんね……ごめ、ごめんね……」
冬の公園は寒くて子どもたちもほとんどいなかった。
遠藤さんはしゃっくりを上げながら何度も「ごめん、ごめんね……」と僕に対して謝っていた。
遠藤さんが悪いことなんか何もない。
謝る必要なんかない。
僕はちっとも怒っていない。悲しくないといえば嘘になるけど、でも遠藤さんが謝る必要なんてどこにもないんだ。
「ごめん、……ひっく、ごめん高梨くん……」
「遠藤さん」
僕はどうにかしたかった。
遠藤さんが転校してしまうのは変えられない。
ならばせめてこの場の空気を変えたかった。
辛いことなんて嫌だ。悲しいことなんて嫌だ。
僕たちはこれまで何をしてきた。ゲームだ。ヒーローモンスターという最高のゲームをしてきたんだ。
もちろんこのゲームは誰も遊んでなんかいない。攻略本も存在していない。きっと将来は有象無象のゲームの歴史の中に埋没していくだろう。
それでも僕はこのゲームを楽しんだ。
誰に褒められるわけでもなく誰に自慢するでもなく、ただ楽しいから遊んだ。
そしてそれは遠藤さんも同じだったはずだ。
ただ純粋に楽しいから遊んでたのであって、だからこそ同士を見つけて嬉しかったんだ。
僕らをつなぐ絆は間違いなくヒーローモンスターなんだ。
そしてヒーローモンスターで遊んでいる以上、泣いたり悲しんだり謝ったりする必要なんてどこにもない。
だから
「遠藤さん、通信交換をしない?」
僕はいつもと変わらず彼女にゲームの誘いを持ちかけた。
☆
「サーベルキングをあげるよ」
「私はスマイリーヒーローをあげる……」
泣きじゃくったあと落ち着いた遠藤さんは僕と一緒にゲームボーイを並べていた。
お互いに膝の上にゲームボーイを置いて、通信ケーブルをつなぎ合う。
いまだにケーブルは短いままで、距離は15cmに満たない。
おかげでピッタリと肩を寄せ合いながら、座って接続が安定するのを待つ必要があった。
「大事にするね……」
「僕も」
「2買ったらいつか遊ぼうね」
「うん……」
冬の空気は澄んでおり発した声は空へと吸い込まれていった。
聞き慣れた8bitの音楽も同様だった。
通信交換のSEが世界中に響き渡り、この音がいつまでも終わらければいいと本気で思った。
だがシステムは無情にも完了を告げて、モンスターの交換は無事に完了を迎える。
「私……高梨くんに会えてよかった」
「うん」
「少しだけ期待してたんだ。ああやってゲームしてれば誰かが声をかけてくれるんじゃないかって」
遠藤さんはゆっくりと話しはじめた。
ヒーローモンスターはお父さんがプレゼントに間違えて買ってきたものだって。
それでも好きなモンスターが何体かいてどんどんハマっていったって。
でも教室の子は誰も知らないし、自分からオススメする勇気もなかった。
だから、ああやってゲームしていた。
別に高望みをしていたわけじゃない。
同じプレイヤーが現れたりだとか、友達に買ってもらおうという気はそこまでなかった。
ただゲームをやることで、面白そうだね、と誰かに言ってもらいたかったのだ。
自分の好きなゲームが、本当に自分以外にも面白そうに思ってくれるのか気になったのだ。
もちろん一人で淡々とゲームをやる楽しさを忘れたわけじゃない。
それでも確認したかったのだ。
自分が好きなものが、他人も好きになりえるものだって。
「高梨くんが話しかけてくれたとき、私嬉しかった」
「僕も……」
会えてよかった。
遠藤さんが、行動してくれてよかった。
自分と同じように共感する人物がいないか、探しはじめてくれて良かった。
だから僕は見つけられた。
教室内でもバラバラで一切関わり合いのなかった僕らをこうしてつなぎ合わせてくれた。
その後も僕と遠藤さんは何度も通信交換をして、モンスターを交換し合った。
12月の夜空に電灯がついても、僕たちは帰ろうとしなかった――。
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