第40話アンデット×レジグネーション2

「俺がこの忌書……【妖祖の秘密】と契約することになったのは、だいたい一年前のことだ。当時、俺は大学で海外の民俗学を専攻するゼミに入ってた。そこの教授が相当のオカルトマニアでな、海外から怪しげなものを蒐集するのが趣味みたいな人だった。ある日、教授が〝とっておき〟のブツを手に入れたから見に来ないか、って俺を含めたゼミのメンバーを誘ったんだ」

 久遠は昔を懐かしむように、僅かに表情を緩ませる。

 しかし、それは一瞬のことで、その顔はまたすぐに陰りを帯びていく。

「教授が取り寄せたオカルトグッズを俺らに自慢してくるのはいつものことだったんだけど、その時はいつもと様子が違ったんだ。熱に浮かされたみたいに興奮しながら、『これは四大魔道書(フォース・グリモワール)の一つだ』って言っててさ。その時は俺たちも怖いもの見たさで、教授の誘いに乗ったんだ。話の種に見といてやるか、ってくらいの気持ちでな。でも今思えば、これが一番の間違いだったのかもしれない」

 手のひらに爪の痕がクッキリと残るほどに拳を硬く握って、淡々と言葉を続ける久遠。

 表情からは血の気が引けていて、このあとのことを思うと久遠は今でも苦しくなっていた。

「結論から言えば、教授の見せてくれたものは正真正銘の本物だった。【死霊の掟】、【無名祭祀書(ネームレス)】、【象牙(エイボン)の書】に加えて四大忌書に数えられている呪われた魔道書――【妖祖の秘密】がそこにはあった。教授には真贋なんて分からなかったんだろうけど、偶然……本当に奇跡みたいな偶然が重なって手に入れられたんじゃないかな、って今は思うよ。もちろん、教授には魔術の知識なんてなかったから、宝の持ち腐れだったんだけどな」

 魔術の知識のない一般人が、魔道書を手に入れられる可能性は限りなく低い。それは魔術の露呈を恐れる魔術協会によって、それらの知識を記した書物は管理されているからだ。一般に出回っている書籍は協会が検閲し、当たり障りのない内容まで情報をそぎ落とした写本である。

 しかし、忌書においてはそれは当てはまらない。遙か昔にその存在が消失し、協会の情報網かにすら掛からないこれらの書物は、忌書の蒐集と管理を司る組織である聖央(せいおう)教会府教皇庁禁書目録聖省(インデックス)でしか預かり知らないのだから。しかも、専門家である禁書目録でさえ、その所在を突き止めていない忌書は数多く存在する。妖祖の秘密もその一つだった。

「気づいた瞬間、俺は胴体を真っ二つにされて床に倒れていた。俺以外の連中はみんな、即死だった。教授やゼミの仲間も、友達も、ほとんど原形をとどめていなかった。その時は忌書の存在を察知した魔術師が、襲撃してきたんだと気づかなかった。俺も他の奴らと同じようにすぐ死ぬんだ、そう思ってたら頭の中に声が聞こえたんだ――『汝、死を恐れるものよ。死に怯え、嘆き狂うものよ。我を手に取れ、我こそは遍く死を否定するもの也』ってな」

 久遠たちが襲撃を受けたのは本当に一瞬のことだった。無力な一般人を鏖殺(おうさつ)するには、たったそれだけの時間で事足りた。魔術師にとって、それはとても容易いことだった。

「声は目の前の本から聞こえていた。朦朧とする意識の中、俺は必死に手を伸ばしたよ。その瞬間、全身の組織がすげ替えられていくような感覚だった。思えば、あれが契約だったんだな。忌書と契約するためには、書の象徴する渇望と同じ想いを抱かなければならない。【妖祖の秘密】の象徴する渇望は死の否定。この時の俺はただひたすら、生きることを願っていた。死を恐れていた。だから俺たちを襲撃した魔術師には契約することができず、その場で唯一の生き残りだった俺が契約を結ぶことができたんだ」

 奇しくも瀕死に追いやられることによって、久遠は契約の条件を満たした。忌書を求めた魔術師は、自らの行為によって獲物を掠めとられたのだから、これはなんたる皮肉だろうか。

 力を求めていなかったはずの人間が異形の力を手に入れ、力を求めていたはずの人間がその機会を失う。需要と供給は一致せずに、こうして誰も望まない形で【契約者】としての不死川久遠が誕生したのだった。

「【妖祖の秘密】と契約した俺は、どうにか魔術師を撃退することができた。でも偶然、遅れてやって来たメンバーの一人は、俺を見てこう言ったんだ。『化け物! 人殺し!!』ってな」

その時のことを思い出すと、今でも久遠の胸は引き裂かれそうになる。かつての友人から、共に笑い合った人間から叩き付けられた罵詈雑言。怪物を見るような、醜悪な異形を目の当たりにして怯えるようなあの表情を。久遠はきっと忘れはしないだろう。

「まあ、冷静に考えりゃそうだよな。俺以外のやつはみんな挽肉(ミンチ)になってんのに、俺だけが生きてるんだから。しかも血塗れで、魔術師との戦闘で身体も損傷が酷かったしな。言い逃れできないって」

自虐するように久遠は笑う。しかし、その心に残った傷跡はまだ癒えていない。

 例え願いが叶って生き残ることができても、もう今までいた場所には戻れないのだ。

 不死川久遠は一夜にして、ぬるま湯のように心地よい日常から転落していった。

「そこから俺の生活は一変したよ。逃げるように大学を辞めて、人目を忍んで働いて。でも、忌書絡みのいざこざに巻き込まれて、バイト先も定着しなくて。最初に会った時、バイト先を転々としてたって言ってたのは、それが原因なんだ。最近はようやく落ち着いてきたけど、今もこの【妖祖の秘密】を狙って魔術師や禁書目録やら、そんな連中に命を狙われてる」

 教授たちの殺人現場は通り魔の犯行、ということで決着がついた。現場で久遠を見た友人も、事件のあとに久遠を追うように大学を中退したらしい。自分では知り得ない不可視の圧力が、真実を闇に葬ったのかもしれない。だが結局、彼にはそれを知る術はなかった。

 久遠は大学中退後、就職活動をしながらバイトを始めたが、彼を狙う人間は度々現れた。

 バイトの遅刻や欠席も襲撃に巻き込まれたからであり、彼は日常と非日常の狭間で揺れながら必死に生きてきた。漠然とした未来に希望を抱いていた、大学生活との落差(ギャップ)に打ちひしがれる日々が始まりを告げたのだ。

「だから、天華さん。お願いがあります――今日限りで、会社を辞めさせてください」

 自らの事情を語り終え、久遠は真剣な表情になると、静かに頭を下げた。

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