黄昏時に
西城西
微睡みと煎茶
乾いたノックの音が部屋に響いて昼の微睡みから覚めました。樫の木のドアは心地良く音が響くので微睡みから覚めても不快ではありません。もう一度聞きたいなと思いまして、ゆり椅子から立たないでいると再び心地よい音が部屋に響きます。
「はい。今出ます」
ゆっくり立ち上がると私の後ろで名残惜しそうにゆり椅子が揺れていました。
どんな客人でしょうか。なんとなく気の弱そうなノックですので、女性でしょうか。少しばかりの期待を胸にドアを開けると蝶番が鳴りました。昼さがりの射抜くような太陽に目が眩みます。ドアの前に立っていた私より一回り小柄な人影がおずおずと口を開きました。
「ええと、谷を越えたいのですが」
残念ながら髪の薄い気の弱そうなおじさんでした。
◆
とりあえず部屋に上がってもらい、煎茶を勧めました。一口飲むとひどく苦そうな顔をしていました。この手の飲み物に慣れていないのでしょうか。
「ここは、関所、なんですよね?」
おじさんはきょろきょろと部屋を見回しながら、不審そうに尋ねました。
「ええ、そうですよ。とは言っても簡単な手続きがあるだけですから、私一人で十分なんです。」
おじさんが不審がったのも無理はありません。谷に続く尾根伝いに来てみれば、質素な小屋に冴えない若者が住んでいて、それが関所だと名乗っているのです。このすぐ近くの(とはいっても4マイルは離れているのですが。)都市の市長から任命されたのが一昨年の末なのでここでの暮らしも随分板について参りましたし、こういった反応にも慣れました。
「私はシモンと申します。東文字ですと士紋です。底知れぬ深みに出入りするかたの管理を行っております。」
底知れぬ深み、という単語が出るとおじさんの顔が少し引きつりました。先ほど谷、と申しましたが下に降りればわかる通り、両側に聳え立つ険しい山脈の間は進めば進むほど深くなっていき、その果てがどうなっているか知っている人はいないのです。確かめようにも戻って来る人はほとんどいませんし、戻って来るときは大概遺体になっています。そのため、人々は畏れを含めて底知れぬ深みと呼びます。そこに入ろうなどという酔狂な人はあまりいませんが、ときおりこの様に訪ねてくる人がいるのです。
「わ、わたしはマルクです。祝福の帝都に行商に向かうつもりです。」
私は内心、またかと思いました。この底知れぬ深みを抜けた先には豊かな土地の広がる祝福の帝都というものがある、という言い伝えがあります。そこは鉄と銅で出来た都市で、食べ物に溢れていて、蠢く機械が通り一杯を埋め尽くしているというのです。そういったものにロマンを感じる冒険家や、一発当てるための商売人、若しくは自殺志願者なんかがたまにいます。そういった人々を説得してお帰り頂くというのが私の主な仕事です。私に言わせれば、何人たりとも寄せ付けない極めて厳しい山脈に対する畏怖とここではない何処かに憧れる気持ちが生んだ幻想のために角狼や屍漁りの棲む谷に下るなど、命を粗末にしているようなものです。とても悲しくなります。
「とりあえず、谷に降りる体力、知識、装備があるかどうか見極めさせていただきます。お食事と寝床はご用意致しますので、三日ほどこちらで宿泊してください。」
「み、三日ですか」
そう言うと彼はため息をつきました。なんだか訳ありのようです。だとすると厄介です。この三日でどうにか説得出来れば良いのですが。そんなことを考えながら私はぬるくなった煎茶を啜りました。そのあまりの苦さに顔が歪みました。
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