短編集その1

有刺鉄線

Forest

 わたしはいつから森にいたのだろうか。

 そう彼女は胸の内で問いかけるが、答えは当然返ってくるはずがない。

 彼女はしばらく、森の中を散策していく。

 森は暗く、蒼い。

 今宵月が顔を出していなかったら、間違いなく歩けないだろう。

 彼女の場合、そんなことは関係ない。

 なぜなら、一刻も早くこの森から抜け出したいのだから。

 ドレスを身に纏った姿で、多少歩くのに手間取りながら、真っ直ぐ、道なりに進む。

「ねえ、まって」

 突如、後ろから声をかけられ、驚き、振り返る。

 そこにいるのは、小さな女の子だった。

 その子は虚ろな瞳で彼女を見つめる。

 しかし、彼女はその子を見た瞬間、とても嫌なことを思い出したかのように、血相を変え逃げるように走る。

 走り疲れた彼女は足を止め、呼吸を整える。

 無我夢中で走ったせいか、どこにいるのか全く分からない。

 だけど、この距離なら、追いつけやしない。

 だが、しかし……。

「どうして、にげるの」

 彼女は背筋が凍ったかのように大きく震える。

 ゆっくりと、また振り返る。

 またあの小さな女の子だ。

 相も変わらず、虚ろな目で彼女をずっと見つめる。

「ねえ、どうして」

「い……、いや、こ……、来ないでぇぇぇぇ」

 彼女に近づく女の子。

 彼女は叫び声をあげ、さっきよりも増して全力で森の中駆け巡る。

 途中、大きな石に躓き倒れる。

 その刹那、彼女の脳裏に名案めいたものが浮かぶ。

 先ほど、躓いたあの石を両手で持ち上げ、思いっきり女の子の顔面に叩きのめす。

 その行いを何度も何度も、繰り返す。

 その度に、鮮血が吹き溢れ、頭蓋骨は粉々になる。

 もはや、原形なんて、留めていなかった。

「これで、終わりだぁぁぁぁ」

 女の子は血と肉になり果ててしまった。

 彼女は血まみれの石を投げ捨て、その子を置き去りにし、歩き出す。

 返り血で染まったドレス。

 ドレスだけでなく、両手や顔の一部も血で赤くなっている。

 それらを気にすることなく、彼女は笑っていた。

 女の子1人殺したというのに、どこか吹っ切れた表情。

 もはや狂っている。

 鬱陶しい木々から抜けると、彼女の前に巨大な門が待ち構えていた。

 彼女はありったけの力で、門の扉を押す。

 しかしその門は、頑丈で重く、とてもじゃないが彼女の細い腕では困難だろう。

「ねえ、誰か、お願い、開けて……開けてよ、ねえここから出して、誰か……」

 今度は一心不乱に叫び声をあげ、門を叩く。

 だが、誰のところにも届くことはない。

 すると背後から気配を感じ、後ろを向く。

 彼女は後悔する。

 まったく学習能力のない女だ。

「なにをしても、むだだよ。わかってるくせに

 それに、わたしは死なないよ。だってそうでしょ

 わたしは貴女の……」

 そこにいたのは、かつて女の子だったもの。

 その後、彼女はこの真っ暗な森に飲み込まれ、闇へと沈んでいく。



 過去を忘れ去ろうとしても、過去は追いかけてくる。

 じゃあ今度は過去を消し去ろうとしたらどうなるか……。

 過去は黒き怪物となり果て、今を襲いかかる。

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