3-2-11-10
エレベーターを降りる。短い廊下を滑るように進んでいく。人間の動作に不可避な揺れというものが、東子にはない。
さらにまた扉。横に指紋認証用のパネル。上に虹彩認証用のカメラ。いずれも、やはりまた恭しく、東子に通行許可を出す。
その向こうで、巨大なスクリーンが待っている。一種の精神的な症候をすら感じさせる、スクリーン、スクリーン、スクリーン。出入り口のある壁以外の3面全てがスクリーンになっている。
部屋の中央、複雑怪奇な入力装置の前、2人の男が椅子に腰掛けている。振り返って、こちらを見た。1人はすぐにスクリーンに向き直った。もう1人はまだ彼女たちを見ている。
「どうやって?」
彼は立ち上がって、椅子を空ける。当然のことのようにして、東子はそこにカムパネルラを降ろした。それから東子はライダースジャケットを脱ぐ。ライダースジャケットの下はノースリーブのシャツだ。胸の前に下がったネクタイでは無数のトイプードルが寝ている。彼女はジャケットをカムパネルラに羽織らせた。
「どうやって?」と、もう一度、全く変わらぬ声量で男が聞く。
「こうやって」
言った東子の両の腕が指の間から肩にかけて裂けていく。彼女は瞬く間に8つの腕を持つことになった。
「なるほどなあ」
答えを知って満足したのか、彼は扉へ向かって歩いていく。もう1人の男も気づいて、その後ろに付いていく。
「先輩、ルーチンの時間ですよ」
「8本腕の女の子が訪れたら、もうその日の仕事は終わりだよ」
「なるほどなあ」
東子の丸く、艶やかな肩から伸びた産業用ロボットのマニピュレーターを想起させる8本の腕がこの施設の全機械設備をコントロールする操作盤の塊へ襲いかかった。カバーを剥ぎ取り、内部を露出させた。それは実に一瞬のことだった。4つに別れた腕の隙間から、さらに細長い金属の針が飛び出して、操作盤の中の中の中、奥深くに入り込んだ。彼女はこの施設の管理端末に、いかなるコンソールをも介さず、電気の信号を用いて直接に意思疎通を取り始めていた。
〈これがここの管理端末。他にも数台あるみたいだけど――〉
その内の1台を図らずも、あの男は教えてしまっていた。カムパネルラに両手脚を折られ、東子に頭を踏み潰された彼。この星の終わりを見た彼。奥崎謙一と直接に無線通信できた彼。
〈中にはアプリケーションが入っている。ここから沖縄においてあるサーバー上に構築されたデータベースにアクセスして、この施設の全ての電子的設備、特に出入口の状態を確認できるように。ソフトウェアの更新もできる。それから、新しく作った施設、新しく設置した扉のセキュリティを有効化する作業も。つまり――〉
東子は口も閉じ、半眼で床を見ていた。それは直立したまま瞑想しているように見えた。
〈管理者パスワード〉とだけ東子。
〈Root135792468。頭文字は大文字〉とだけ三縁。
〈馬鹿なの?〉
〈ぼくはそんな風に言う気にはなれないな。これがシステムの運用と保守を人月商売で行う社会の論理的帰結ってだけで〉
スクリーンが一斉に暗転。少女たちの姿が反射する。瞑想していたはずの東子の表情の微細な変化を見た。僅かに上がった口角。忽ち、カムパネルラの全身に、誰から奪うこともなくエネルギーが満ち溢れる。
彼女は来た道を辿り、吹き抜けのあるフロアにまで戻った。金網越し、遥か真下にいる群衆はもとより、別の施設にいる群衆、いや、この終わった星にいる全ての群衆のために、肺に可能な限りの空気を取り込んだ。
「 『最後に「無秩序」がやってきた』!」
「『彼は白い馬に乗って血を跳ねつける』!」
「『唇に至るまでが青白く、まるで「黙示録」の「死」のようであった』!」
「『また彼は王冠を被り、笏を握りしめて見せている』!」
「『私は見た、彼の額にこのような印を――「私は神であり,王であり,法である」』! 」
〈君が名前を教えてくれるまで、傍受を許すつもりだったけど、もう全てが台無しになった。《137》の子たちを全員殺さないといけないようだ。さよなら、カムパネルラ。川に落ちて死にな〉
クソ野郎の恨み言、捨て台詞を聞きながら、カムパネルラは〈活躍の園〉にある扉という扉が解放されていく音を聞いた。そのために生まれた空間を埋めるべく、閉じ込められていた人々が雄叫びとともに飛び出していく音も、また。
この世には収容所が多すぎたのだ、と彼女は思った。この世自体がでっかい収容所なのだから、もうこれ以上、収容所は必要ない。
3-2-11 終わり
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