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「それでは人々の不満を解決し、あらゆる国際秩序の敵を歴史の肥溜めへと葬る方法は何か? 反緊縮か? 潤沢な社会保障か? ベーシックインカムか? 否! 否であります。もちろん、それは共産主義などではない……。この点が私とマルクスの重大な差異であります」

 見て、ケースを閉じる。足元に降ろす。それから、足を組む。組んだ足と足との間に熱が籠もり始める頃、奥崎の耳へと遠く離れた所から聞こえるようにして炸裂音が届く。隣の男の顔を見る。頬が裂けている、と錯覚するほどの満面の笑み。

「フレデリック・ジェイムソンは『アメリカのユートピア』で、仮にユートピアが実現しても社会対立はなくならないと指摘しています。何故なら――彼はラカン派の精神分析を引いているのですが、社会対立の原因は『私の享楽を誰かが不当に盗み、楽しんでいる』という羨望にあるからです。それで、私はこう考えているのです――我々の敵は永遠に消え去ることはなく……なく……」

 講壇の向こう側の男、ついに会場に奥崎の姿を認める。歯を食いしばる。目を見開く。脂汗が流れる。歯と歯を擦り合わせながら、どうにか彼は口を開く。講演は予定時刻のずっと前に終了することになる。

「お前は……!」

 会場のざわめき。片足だけ、半歩のみ後退。殆ど蹌踉めくようにして。

「僕は自由になったんです。だから、何処にでも行くことができるし、何処にでも居ることができるんです」

 言って、奥崎は今一度ケースを取る。開ける。弾倉のセットからコッキングまでの流れるような動作の後、片手で突撃銃を持つ。その、あまりに無造作な射撃姿勢のためか、この場に存在してはならない者が存在しているということの矛盾による混乱のためか、講演者は原稿を見つめて自分の仕事を再開しようとしていた。奥崎はもう退屈な話を聞かされるのにはうんざりしていたから、引き金を引いた。

 奥崎の拡張された視力は、銃弾の軌跡を一つ一つ正確に捉えている。空気と重力の、あまりにも儚い壁を易易と乗り越えて、まずは講演者の額に到達する銃弾が一つ。それは彼の額を引き裂いて、大脳へ侵入する。だが、それでもなお力は消費し尽くされておらず、ついにそれは後頭部を内側から食い破って舞台奥へ消えていく。血液と脳漿を後光のように飛散させながら、彼は後方へ倒れる。彼の背後の赤と黒に、奥崎は名言名句を探すが、それらはやはり単に人間の体液だ。人間の記憶はどのように保存されているのか、という不思議に奥崎が魅せられている間にも、さらなる銃弾が倒れていく人間へと殺到する。結局、講演者は脳味噌を失って床に倒れるまでの間に、喉と腹部にも穴を開けられ、空中で一回転した上でようやく寝ることができたのだった。

 短い沈黙。座面が跳ね上げられていく。講演会は中止、中止。奥崎は興奮から堪らず呟く。「中止、中止」会場の出入り口は左右と後方にしかない。人々は殺人鬼を避けて会場から出られる幸運に、後方の扉近くへと殺到する。だが、その扉は外側から開けられるということを、奥崎は知っている。未来が現在となる。花束を抱えた男たちの3人が、新たに会場入りする。逃げ惑う人々は、その場違いさ、情勢認識の甘さに怒声をあげる。「どけっ」「邪魔だっ」「逃げろっ」声の波の中で、なお穏やかな表情を崩さない男たち、花束を水平に持つ。人々の恐慌を宥めるような仕草。

 そしてそれは本当に、間違いなく、なのだ。死こそ、永続する享楽であり、救済だからだ。あの花束の中には、コルト社製M4A1モデルのカービンが隠されているからだ。西部開拓時代より蓄積された技術が90年代に実現した、フルオートモデルの突撃銃が毎分950発の死を与えるからだ。

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