2-2-3-8
「いいえ、必ずしもアレッポからの帰還兵だけではありませんわ。アレッポ帰りの人に照準を合わせる理由があります? 最初からそこまで監視する対象を絞れたら、わたくしも二足目のパンプスを買う必要もなかったでしょう。――お二人とも、同期して」
磐音の長い指が机の上で円を描く。1周、2周、3周――4周目に至って、円の軌跡が七色に輝いた。彼女の指が一本の絵筆になった。バッファリングによる、あの独特の不快感なしに、スマートレティーナによって共有された視界の第二層が現象していた。
〈ぼくって気が利くよね〉
〈さ、す、が〉
磐音もまた視界の第二層の共有を確認したのか、机を2回、小さく叩いた。その叩かれた一点に、人間のバストアップの画像が現れ、次いで、それは数十に分裂して机上の隅から隅にまで拡がった。
そのどれもが違う顔を撮った写真のデータであり、しかしまたいずれも制服から、自衛軍の兵士であると一目でわかる。
「鳥巣博士と接触があったと思しき人たち……わたくしたちが監視していた人々……」
「『たち』ね」八重歯を見せる東子。
「確かに靴底をすり減らしていたのはわたくしぐらいのものですが……。知りたいことをさっさと聞いてくださいな。――お洋服はまだ!?」上階に向かって怒鳴る磐音。
「アレッポ帰りの人は?」
机上から垂直に浮き上がっていくアニメーションの後で、アレッポを経験したはずの兵士たちの画像が四恩の眼の前でタイルのように並んだ。
「有意に多いとは言えませんね、これでは。どれだけの兵士が『アレッポ帰り』か、ご存知? 街中で男性に石を投げればイラクへ行ったことのある人に当たりますわ。やってみては?」
「『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が』――。貴女が監視していた人間で、もう死んでしまった人たちは?」
アニメーション、なし。
溶けた氷がグラスの底を打つ音が、大きく響いた。
からんころん――。
「有意に多いですわね……。何故かしら?」
「少なくない人がテロに参加してるのよ」
タイルの大部分が脱落して残った顔の中には、神平忠継の顔もあった。〈還相〉によって生成変化した身体の、しかしなお彼との連続性を証す顔面のつぶらな瞳を、四恩は思い出す。地下室は息苦しい、と彼女は思う。それでも、三縁が終身の地下室暮らしであることを思い出し、強いて息苦しくないと思うことにした。
「それで? 他にご質問は?」
「鳥巣博士と連続テロの間に繋がりがあるのか。貴女、どう思う?」
「連続テロ? 一体なにを仰っているのか、さっぱりわかりません。連続テロなど起きていません。まず用語法について確認する必要があるようですわね」
「お望みならテロリズムの定義から始めてもいいけど?」
「テロリズムの定義? はっ」
腕を組み、東子から顔をそむける磐音。
ちょっと演技過剰――。
それでも――。
「『政治的、宗教的、あるいはイデオロギー的な目的を達成するため、暴力あるいは暴力の威嚇を、計算して使用すること。これは脅迫、強制、恐怖を染み込ませることによって行われる』――最初に『対テロ戦争』を言い出したアメリカの公式文書では、そういうことになっています。でも、こんなこと、誰もがやっているでしょう」
「誰もがやっていたら何なのよ」
「つまり、テロリズムは、ただ観察者によって――」
どかっ――。
エナメル靴の踵が机を打ち、グラスが床へと身を投げる。灰が巻き上がり、先端科学によって改造された気道と肺を持っているはずの少女たちが咳き込む。咳き込んで涙目になった少女たち、今や机に足を載せながら煙草の煙を燻らせている四恩を見つめる。
〈《人は芸術家になれない時に評論家になる》〉
「『人は芸術家になれない時に評論家になる』」
〈なにを恐れているの、磐音?〉
「なにを恐れているの、磐音?」
〈後はもう自分で言葉を紡ぐことができるね?〉
〈ん――〉
煙草を持った手を八の字に動かす。灰色のキャンバスに絵を描き始める。他人を操作する快楽を、四恩は確かに感じている。
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