システム境界の形成
他律神経
第一部 日常の世界
1-1-1 第一の攻撃――池袋
社会は、その安定性に関わる原則における変化や、分化のパターンないしシステムの境界設定のパターンにおける変化を、カタストロフとしてしかイメージできない。
――ニクラス・ルーマン
拡がった死体の数多は、各々の孤独な最後を血の赤い糸で取り結んでいた。その上を陸上自衛軍の兵士たちが行き交っている。彼らは無数の死者の中から生者を探そうとしていた。
だが生者もまた、死の淵に触れている者ばかりだ。匍匐前進で自分の下半身を探す青年、視神経で眼球をぶら下げた婦人、腹から飛び出した臓器を掻き集める少年等々――等々。
ここは池袋駅東口。先進資本主義国の大都市、眠らない街、消費の楽園のターミナル駅。しかしこの今、そこは一個の沼と化している。命を捕らえて決して放さない、底なしの沼。
あるいは市街戦の夢のあと――。
駅前ロータリーに設置された交番もまた例外ではない。窓は破られ、中では制服警官三名が頭部を砕かれて横たわっている。
そのすぐ外、「昨日の交通事故 死亡32 負傷108」の表示の前に、少女がいた。子どもなら二人ぐらいは収納できそうな、巨大な長方形のトランクに腰掛け、一定間隔で船を漕いでいる。
陶器のように白い顔には気怠げな半眼、一輪の花たる唇、小さな鼻と口。少し癖のある長い髪がその輪郭を縁取り、頭の上には白いエナメルの鍔付き帽。胸も尻も隆起していないので、まるで棒のように華奢な体躯だ。それを包んだ、白いシャツ、白いスーツの上着、白いネクタイ。下もまた白一色で、踵の高いエナメル靴に、ニーハイソックス、右脚にだけレッグホルスター、そして短いスカート。
総合すると、まるで国家社会主義の党内武装組織のコスチューム・プレイといった出で立ち。
〈
抑揚のない、電子的に合成された音声が少女の名前を呼んだ。暗号化に特有のノイズが混じっている。
彼女の身体には骨伝導方式を採用した通信機が埋め込まれていた。ただ、それが何処に埋め込まれているのかを彼女は知らなかった。
〈移動です〉
眼前に半透明のスクリーンが立ち上がる。四恩の網膜上に設置されたスマートレティーナの実現する、視界の第二層。液状のコンピューターが点眼されたと同時に凝固し、コンタクトレンズよりもさらに薄く、外れることのないウェアラブルデバイスになる。
表示されたのは駅の周辺地図だった。ロケーションを頭に入れておけ、という程度のことだ。スマートレティーナが彼女の眼球の軌跡から地図が不要になったと判断、スクリーンが消え失せると今度は矢印が地面に表示された。矢印が明滅する。「急げ」のサイン。彼女はトランクを持って交番の前から移動することになる。
〈彼らは八人ずつのグループに別れて逃走しています〉
眠くなるほどに淡々とした説明の内容は以下の通り――事件が起きたのは四恩が交番に着く、三十分前のこと。一台ごとに八人乗り合わせた三台のジープが池袋駅東口のバス停留所に集結。テレビ撮影用の機材を持っていた彼らに野次馬が近づくと、彼らは始め、エキストラになりませんかと野次馬に呼びかけた。内容について誰かが尋ねると、たまたま予定時刻になったのか、あるいはそれこそが答えだったのか、カメラをジープの座席へ降ろすと、カラシニコフ自動小銃近代化モデルに持ち替えて腰だめに構え、乱射した。
ボリシェヴィキの夢は収容所群島という現実と化して、どんな思想財すら残さず、馬鹿馬鹿しい妄想そのものとして消え去ったが、その技術は資本主義が全面化してなお、生き延びたということらしい。四恩はテクノロジーの強さを完全に理解した。
〈四宮四恩は歌舞伎町方面に逃走したグループを無力化してください〉
スマートレティーナ上で八人の男の顔がスロットのように上から下へと流れると、これもまたスロットに似たアニメーションで視界中央に一人の男の顔写真と全身像が出てきた。軍服を着ている。
〈最優先事項はこの
顔写真と全身像が反転して一枚の写真に変化。表れたのは一個の肉塊だ。自動車爆弾で両手足と皮膚を失った、それが神平だった。観念の連合が働いて、四恩は昔の自分のことを想起した。一個の肉塊であった自分のことを。
喉元へ迫り上がってきた胃液が、その自動思考を停止した。
〈皮膚と筋肉の「再建」のために身体拡張者になりました。「高度身体拡張者」には分類されませんが、軍務経験のある身体拡張者であり、注意を要します。また、ここ三ヶ月間の通院記録もなく、低度の刺激でもバーストゾーンに移行する蓋然性が高いです〉
身体拡張者。大手新聞では有難くも人権上の配慮から「身体拡ちょう者」と表記される彼らのことを、四恩は大手新聞のどんな論説委員よりもよく知っていた。
分子機械「
四恩は、矢印の手前に展開した神平の映像を視た。彼は砂漠を背景に、その場で飛んだり跳ねたりしている。その跳躍力を示すために、横にもう一人迷彩服を着た男――恐らくは同僚を立たせている。彼はあまりにも跳躍するため、しばしばフレームの外へと消えてしまう。勿論、その足下には何も補助するものはない。そしてどんなSFXもない。彼はただ純粋にその筋力で跳んでいる。身体拡張者には容易なこと。
飛び跳ねる神平の、満面の笑み。歯茎を剥き出しにした、特徴的な笑み。まるで新しい玩具を手に入れた子ども。
「還相」は極微小の「機械」だが、重厚長大産業から想像されるような機械のイメージとはかけ離れている。それは疎水性と親水性の部分からなる分子が自己組織化することで作られるリボソームの膜を持ち、膜内にはデオキシリボ核酸から成る論理回路を備えている。つまり、それは一つの人工の細胞だ。
この人工細胞はその論理回路で人間の構造と機能の設計図を書き換え、人間を生成変化させる。究極の再生医療にして、身体改造技術。筋力の向上、視力の向上、その他諸々の諸機能の向上を可能にする。そして、新たな能力を付加することさえできる。
それゆえに、その使用者は身体拡張者と呼ばれる。
「還相」は、ジェネティクス・ナノテクノロジー・ロボティクスの三位一体の科学技術革命すなわち「GNR革命」の直接の産物だった。この革命は、その基礎研究と応用研究に膨大な費用を必要としたし、必要とし続けているが、政府はそのための費用を軍事費として計上し、立法府が介入できない聖域とすることでこの革命を実現し、革命を防衛した。
それは何よりも、超少子高齢化社会および低下する経済成長率と対テロ戦争のために増大する安全保障関連予算の狭間で、累積する債務に悩まされた政府の賭けだった。ハイパーインフレと同時に、生産性の向上によって諸問題を解決することにしたのだった。
かくしてGNR革命は政府肝いりで推進された。そしてその成果たる分子機械「還相」はこれまでは労働市場から疎外されていた者を労働市場に組み込み、さらには対テロ戦争に従事するという神聖な義務を果たすことをも可能にした。
日本は国難を乗り切ったのだ。社会保障費のドラスティックな削減も実行された。「還相」は老人すら労働力に置換する。あるいは兵士にさえ。「身体障がい者」も、同じだ。「身体拡ちょう者」になれば、今や彼は有能な労働力、最強の兵士だ。
例えば、重傷を負った神平――。
それから――。
矢印と神平の剥き出しの歯茎が砂と化して明け渡した視界を、直ちにモザイクが埋め尽くした。四恩は「東口五差路」と名付けられた巨大な交差点の一角に立っていた。建物に据え付けられた看板の全てに、スマートレティーナがモザイクを被せている。
だが数台の装輪装甲車とそこから吐き出される兵士の無数ははっきりと見えた。「それだけをはっきりと見よ」ということ。
それから四恩は銃声と怒声を聴いた。それは遥か遠く、海の彼方、無窮の国の戦争の音にも似ている。
タクティカルベストを着た男が四恩に近寄ってきた。スマートレティーナがその骨格からデーターベースの検索を開始する――顔写真とともに映される長い経歴―—今は特殊警察作戦大隊の副隊長。
「状況は」
四恩は言ってから、自分の声音の冷たさに驚き、続いて、驚いたことに驚いた。自分の身体にもまだ慣れていないのだから、声に違和感のあるのは当然のことだ。
もう一度――。
「状況は」
「状況? 状況は自ら作り出すものだよ、お嬢さん。アンガジェしろよ、アンガジェ」
「なにをいっているのかよくわからない」
男の口角が上がる。振り返る。四恩も彼の視線を追う。首都高速五号池袋線の下を潜るようにして、大きな道路が真っ直ぐに伸びている。生命保険会社や銀行のオフィスビルが並んでいた。取り分け大きなビルの一つがその一階から煙を噴き出していた。銃声と怒声もそこが発生源のようだ。
「一分前に突入済み。君の出番はない」
〈四宮四恩はその場で特警大隊副長と待機してください〉
無線通信に従い、四恩は彼と並んで騒乱を眺めるに留めた。ビルの中頃の階あたりで爆炎が上がり、道路にガラス片を撒き散らしている。状況が作り出されていた。
それでも四恩が考えていたのは、今日はもしかしたら何もしなくていいかも知れないということだけだった。制服を汚すのが嫌だからだ。この制服は秋葉原かなにかの劇場で活躍するアイドルグループの衣装デザイナーがデザインしたもので、四恩も気に入っていた。
「大隊に入るための試験は地獄だ。一週間かけて選別を行う。腐敗した警官を排除するためにな」
大隊副長の語言の意味するところが四恩にはよくわからなかったが、その唐突さに彼女の視線は彼の顔に釘付けされた。
「なんのはなし」
「俺の時は合格したのは三百人中三人だった。地面に撒き散らした家畜の餌を食ったり、深夜に突然、漢文の暗記をさせられてできないとピンを抜いた手榴弾を持ったまま一夜を明かすように命じられたり、先輩隊員にリンチされて『お前には無理だ』って怒鳴られたりする」
「それで」
「ガキは帰れという話だよ。ナチスの売笑婦みたいな格好しやがって。けったくそ悪い」
彼の顔からはもうすっかり笑みが廃棄されている。
「なるほど」
静けさが、電撃的に訪れた。彼も何かに気づいて四恩を睨むのをやめたが、それよりオフィスビルの最上階から壁を破壊して通りへと何かが降り立つ方が早かった。彼のヘッドセットから悲鳴とも指令ともつかない声が流れ出て、通りに響き渡る生音と重なっていく。
たいっひいいいいいいいい。たっいっひいいいいいいいいいいい。いいいいいいいいいいいい。
破壊されたビルの壁が粉塵となって舞う。地獄の試験を勝ち抜いた勇者が唾液を飲み込む音を、四恩は聞き取った。
状況が、作り出されていく。
微粒子のカーテンの向こうで、それは咆哮を上げていた。
おおおおおっおおおっおおおっおおおっおおおおおおおおお。
果たして、重力に従ってカーテンが取り払われた後、そこに立っていたのは巨人だった。頭の大きさだけは普通の人間と同じだが、それ以外の全てが肥大化、巨大化して、三十二頭身くらいになっている。四恩が巨人の顔を視界に収めると、スマートレティーナが即座に分析を始める――顔面の諸特徴の神平忠継との一致99.99999%。つまり「神平です。無力化しなさい」ということ。
〈対象のバーストゾーンへの移行を確認〉
状況から超然とした電子音声が告げた。
バーストゾーンとは「還相」の暴走現象によって発現する身体拡張者の異常のことだ。神平は長く医療機関に通っていなかった。とすれば、「還相」抑制剤の処方も得られず、彼の身体がバーストゾーンへ移行するのは時間的必然ではあった。その時間が、優秀な特警大隊の隊員たちの的確な射撃が彼の身体を傷つけるにおよんで短縮され、このように結果したのだろう。
「君ならあれをどうにかできるわけか?」
副長が胸ポケットから煙草を取り出して咥える。火を点ける。目の前の阿鼻叫喚を吹き消すようにして、煙を吐く。もちろん、「状況」には副流煙など何の意味もない。ニコチンと、何よりも神平との距離が、彼に諦念と、それに由来する落ち着いた振る舞いを可能にしているようだった。
「それがわたしたち『一三七』のしごとだから」
「お前たち『一三七』の仕事は『わたしたちの街でテロは許しません』というポスターの写真だけかと思っていたよ」
「あれはあんまり成績のよくない子たちのしごと」
「『彼らの熟練が新しい生産様式によって価値をうばわれるために、プロレタリアートに転落する』……」
二本目の煙草に震える手で火を点けようとしている副長の横で、ずっと持ち歩いていたトランクを開ける。中には一振りの剣が収まっている。柄に対して刀身があまりにも大きなそれは、切るもの、突くものというよりは撲るためのものだ。四恩がそれを手に取った時、副長はスキットルから液体を飲み始めていた。現実の不幸が廃棄されない限りは阿片が要請されるのだということを四恩は理解していたので特に何も言わなかった。言ったのは、彼の方だ。
「おっ、かっこいいなー。名前とかあるのか?」
「――ない」
「ナイか。そりゃ良い名前だ」
かつての勇者の目は、既に赤く充血している。
「お前とあの化け物の差異は、なんだ? 剣を持っているか否か、か?」
尋ねる声は震えている。
「彼は身体拡張者。わたしは――」
無線通信が〈四宮四恩、対テロ戦争の要諦は?〉と聞いてきた。四恩は会話を中断して、即答する。
「殲滅あるのみ」
〈四宮四恩に伝達。部長命令である。然りは然り、否は否とせよ〉
「承知致しました」
自分が何者なのかということへの答えを、ただ彼が表出の背後に読み取ることに委ねて、四恩は四十頭身に近づきつつある神平の下へと地面の一蹴りで、跳んだ。
神平はその皮膚を守る布切れの一枚、もう身につけていなかったが、キチン質の外骨格を新たに身に着けていた。光り輝くその皮膚は神々しくもある。それは「還相」の素晴らしき論理回路の賜物だ。自身が分裂、増殖する培地である神平の生存率を僅かでも上げるために、負傷箇所を瞬く間に再生、更なる負傷を防ぐために同箇所を「拡張」していく――。
少女を拒絶するようにして、神平は絶叫しながら、その場で駒のように回った。
丸太のように太く長くなった二本の腕を振り回す。
いいいっいいいっいいいっいいいいいいいいいいいいい。
体術も何もない。だが、それだけで、彼は場を支配する。
「拡張」された爪が、コンクリートで舗装された道路を、ビルの外壁を、仲間のために銃を撃ち続けた特警大隊員の数人を引き裂いていく。その力は彼らの身体を二つに分割したに留まらず、彼らを空中に打ち上げた。花火として、彼らは血を撒き散らしながら飛翔し、壁に叩きつけられた。彼らの人生の結末は幾つかの肉の塊となることだった。――残念無念、また来世。
それらのことを観察しつつ、四恩は神平の右腕に、立った。
いいいいいいい、いいいいい、いっいっいっいっ。
彼が彼女のことを認めて再び腕を振り回そうとする前に、彼女はその腕に大剣の一太刀を加えた。
剣それ自身の重さによって、そして剣が放っている高周波が原子間結合を緩めたことによって、その一太刀はキチン質の皮膚を易易と突破し、神平の腕を彼から切り離す。
神平から離れ、自由落下する腕を蹴り、彼女は地面に降りた。
いっひいっひいっひいっひいっひひっひひひひひひひ。
既に声帯も「拡張」されているため、神平が何を言っているのか、四恩にはさっぱりわからなかった。それでも彼が痛みに苦しんでいることだけは、解釈できた。いっひいっひいっひ、と彼は空に向かって咆哮していたからだ。その咆哮の間に、四恩は剣を水平に振って、彼の足を切り落とした。
おおおおおおおおおおおおおおおお。
次いで、駄々をこねるように地面を叩くばかりの左腕を肩の部分から削ぎ落とした。
ついに彼はバランスを失って道路に倒れ込む。四恩はその頭を潰すべく、彼の後頭部を踏みつける。
その頭に僅かに残った髪の毛の感触と彼の、ひいいいんひいいいんひいいいんという鳴き声を「泣いている」と解釈したことが四恩の決定的な間違い。踏みつけてから、頭蓋骨を砕いて脳味噌と混ぜ合わせるまでのタイムラグは「還相」には無限にも等しい時間なのだから。
神平の腰が急速に膨張を開始。その速度は皮膚の生成変化を越えている。皮膚と脂肪と筋組織等々を噴き上げながら、腰から黒色の骨が飛び出す。骨が四つに分かれる。肉が骨を包む。
これが実に、四恩が思わず彼の頭から足を離して距離をとったその間のこと。
神平は今、四足歩行する生物へと生成変化して、四恩を見下ろしていた。
おっおっおっおっおっおっおっおっおっおっおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。
神平の絶叫。生きんとする盲目の意志の発露。
四恩は声が空気をメディアとしていることを体感した。
建物が、地面が、そして彼女の身体が風圧に揺れる。
彼は、その身体との対照でつぶらにも見える瞳で四恩を捉えた。
いよいよ人間の特徴を放棄した彼だが、頭部はまだ彼が純粋なホモ・サピエンスであった頃のままだった。頭部の最大部分である脳の細胞分裂が遅いがために、「還相」の影響もまた遅くなる。
その頭部には神平忠継の顔が残り、その顔には神平忠継という人間の面影が確かに残っていた。
その瞳の奥に、四恩は誰かを見た。
誰かはわからなかった。
わかってはならなかった。
それでも四恩は、もう剣だけでは彼を殺し尽くせないということ、そのことだけはわかった。
彼女がそれを悟ると同時に、神平は彼女の姿を見失って、周囲を見回す。
四恩はまだ、彼の目の前に立っている。
だが彼は彼女を見つけることができない。
網膜の拡張をしない限りは。
四恩は、自分が反射して彼の網膜に入る光を感覚し、それを操作していた。
それは彼女の光学操作能力が現象する、完璧な迷彩だ。
網膜の可視域を越えて光を感覚し、空間を捻じ曲げて自分に到達するはずの光を操作する。
四宮四恩は「高度」身体拡張者であり、それこそ彼と彼女の決定的な差であった。
彼は腕を振り回して、彼女に触覚でアプローチしようとするが、何もかもがもう遅い。もう、遅い。
剣を投擲する。
無造作に放り投げただけのそれも、「高度」身体拡張者によるならば、神平の身体を貫いて、地面と縫い付ける。
うひひひんうひひひんうひひんうひひん。
神平が唸りながら身体を地面から引き剥がそうとする。
「部分的移行の申請」
〈本部、申請を受理しました。本部、四宮四恩のバーストゾーンへの部分的移行を許可します〉
部分的、とは。考えながら、四恩はレッグホルスターから小型拳銃――ではなく注射器を抜き出し、針のシリコンカバーを外すや否や自分の胸に突き立てた。
要は――四恩は結論した――要は自傷行為の許可を取ることだ。
押子が沈んでいくのに従い、マーカー分子が四恩の身体へと入っていく。それは「還相」への緊急指令だ――「お前の宿主は死にかけているぞ!」。
全ての物が彼女から遠ざかっていく。
身体そのものも、また。
彼女は彼女自身を観察した。
その果てで四恩は天空を満たす光を感覚した――思いのままに操作することのできる対象として。
光の柱が神平を閉じ込めた。その柱は空を支えるようにして、立っていた。
急激な加熱で膨張した空気が荒れ狂う。つまり、爆風。
それでも、溶解して道路に貼り付いた肉が神平の柱の外への逃亡を許さない。
流動体と化しつつある肉の上にキチンで、カルシウムで、炭素で皮膚が作られていく。彼の内部で蠢く「還相」の、最後の悪あがき。
だが三千度の熱線の前で、どんな自助の余地があるというのか。
高度の身体拡張の極北たる太陽炉が瞬きの間に神平の肉を削ぎ落としたことで、彼は骨だけとなり、そしてその骨もまた、直ちに気化した。
そこまで見果ててから、四恩はあの副長に彼女が何であったかわかったどうか確認しようと彼の立っていた場所へ振り返ったが、いるのは目を押さえてのたうち回る迷彩服姿の男たちばかりだった。
〈四宮四恩、そのまま次の指定場所へ移動し、戦闘支援を行ってください〉
「承知致しました」
何も承知致してはいなかったが、四恩は機械的にそう答えた。自分より仕事の遅い子の存在など、彼女には信じ難かった。
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