Unnamed Memory

古宮九時

Act.1

第1話 呪いの言葉と青い塔

 

 それは、青き塔に住む魔女。

 呪いを受けた王族。

 時を書き換えられるのなら何を望むのか。

 全ては塗り替えられる物語である。




          ※ ※ ※



「お前はもう子を為すことが出来ない。そこにいるお前の息子もだ。お前たちの血は女の腹を食い破るだろう……。ファルサス王家はお前たちを以って絶えるのだ!!」


 ―――― 魔女の吐くその呪いの言葉を覚えていたわけではない。

 記憶に残っているのは、月を背に窓に映っていた魔女の影と、彼を抱きしめていた父親の震える腕だけである。

「子を為すことが出来ない」と言われても、当時五歳だった彼にはその重大さが分からなかった。蒼白な父の顔に、ただぼんやりと何かよくないことが起きたのだ、と思っただけだ。


 彼は王の唯一の子であった。

 王家の存亡に直結する問題は、ごく一部の者を除いて伏せられ、 その解呪の方法を探す為に何人もの優秀な魔法士や学者が時を費やした。

 一方、彼は利発で豪胆な少年となって武と学を修め、その優秀さと整った容貌に、呪いのことを知らぬ周囲からは「歴代に名を残す王になるであろう」と期待に満ちた目を送られることになった。

 呪いの意味を理解できるようになった頃、彼は自身でも解呪の為の方法を探したが、いくら文献を調べ、また剣の腕を磨いて手がかりがあると思しき場所を訪れても、呪いを解くための糸口さえも得ることはできなかった。



 そして、あの夜から十五年が過ぎた。

 ファルサス王家に顕著な青い目に、黒に近い茶色の髪。整った容姿は、それだけなら王宮の中で過ごす王子として相応しいものであったかもしれない。

 しかし纏う隙の無さと鋭さから、彼にはむしろ若くして戦線に立つ覇者の印象があった。

 近い将来王となるべき彼は、だが今は一人の従者だけを連れて、国境を越えた西、魔女の棲むという青い塔の前に立っていた。

「殿下、やっぱりやめましょうよ……」

「殿下はやめろ。ここで怯んでどうする」

 完全に及び腰になっている従者を呆れ顔で振り向いてから、彼は馬を下りた。

「危ないですよ。呪いを増やされたらどうするんですか!」

「それはその時だ。もう他に手がかりもないだろう」

「まだ何か他に手段がきっとありますって」

 鞍に下げていた剣を取り、腰につけ直しながら彼は嘆息する。

「十五年も何も見つからなかったんだ。期待できないな」

「だからってこんな……」

「まず『青き月の魔女』に会って解呪の方法を聞く。駄目だったらこのまま呪いをかけた張本人の『沈黙の魔女』のところに行って呪いを解かせる。完璧じゃないか」

「全然完璧じゃないです」

 彼より二、三歳若いと思しき従者の男は泣きながらようやく馬を下りた。ひょろっとした細い体は、どう見ても肉体労働向きではない。武器も持っていないその姿は、とりあえず慌てて出立した為のものであろう。

「十五年間、魔女たちに接触しなかったのは、危険が大きすぎるからですよ! 『沈黙の魔女』は見つからないし、『青き月の魔女』に至ってはこの塔を登りきれた人間が誰もいなかったじゃないですか!」

「確かに歩いて上るには高いな」

 塔は何の材質で出来ているのか、うっすらと青みがかった水晶のような壁が空高く伸びている。彼はその先、よく見えない先端を仰いだ。

「まぁ何とかなるだろう」

「何ともなりませんよ! 罠がいっぱいらしいですよ! 貴方に何かあったらどんな顔して王宮に帰ればいいんですか」

「沈痛な顔して帰れ」

 軽く肩をすくめると、彼は塔の入り口に向かって無造作に歩き出す。

「待ってください。私も行きますって」

 それを見た従者が慌てて、二人分の馬の縄を木に繋いで後を追った。



「久しぶりの挑戦者がいるようですよ。マスター」

 小さな子供に似た声が塔の最上階の部屋に投げかけられる。

 そこにはマスターと呼ばれた者の姿は見えない。 が、返答はすぐに返ってきた。

「あらそう? じゃあ仕掛けを起動させてきて」

「かしこまりました」

 仕掛けを入れにいったのか、声を掛けた者の気配が消えると、 魔女は天井に逆さに浮いたまま、首を傾げた。

「さてお茶を淹れるべきかしら」



 吹き抜けになっている塔の中央を見下ろすと、そこは既にかなりの高さになっていた。気の遠くなりそうな風景を、しかし男は何の恐れも持たず眺めながら述懐する。

「落ちたら死ぬかな」

「そんな端に寄らないでください!!」

「ラザル、下で待ってればよかっただろう……」

 振り返ると彼の従者は壁伝いを恐る恐る歩いていた。 あの調子ではいつまで経っても最上階にはつかないのではないかと思える程だ。

「殿下一人を死なせる訳にはいきません!」

「誰が死ぬか」

 抜き身の剣を軽く振りながら、彼は答える。

 ここまで来る間にも、いくつかの仕掛けや部屋の守護獣と思しき魔物がいたが、彼はそれらを難なく切り抜け、既に塔の中ほどにまで登ってきていた。

 当初一番の心配であった「高さ」は、実際は仕掛けを解くと次の階に自動転送される仕組みらしく、さほど足に影響を与えないでいた。仕掛けは体力、瞬発力、判断力、頭脳を満遍なく必要とし、恐らくは試されているのだ、ということがありありと伝わってくる。

「本来何人かで組んで登るものなんだろうか」

「二人で登る物好きなんて居ませんよ……」

「最後の達成者は俺の曽祖父だったって?」

「記録ですとあの時は十人で登ったらしいですね。行き着けたのは当時の国王陛下だけだったようですが」

「ふむ……」

 彼は空いている方の手で顎に触りながら思案する。


 七十年ほど前、この塔を登りきった曽祖父、当時のファルサス国王は、「達成者」として魔女の助力を得た。しかし、そこにはそれなりの代償もあったらしい。今では御伽噺のように子供たちの間でのみ語られる話である。


「今のところ楽勝だがな」

「帰りましょうって!」

「お前だけ帰れ。役に立ってないし」

 きっぱりと言われてラザルはさめざめと泣いた。

 そんな会話をしているうちに次の扉はもう目前である。

 彼が何のためらいもなくそこを開けると、人の二倍はあるガーゴイルの石像がニ対、部屋の中央に置かれていた。

 それを見たラザルは声に鳴らない悲鳴をあげる。

「近寄るといかにも動きそうだな」

「絶対! 動きますって! 帰りましょう!!」

「お前外で待ってろ……」

 彼が息を整えて剣を構えるのと、ガーゴイルの肌が徐々に石から艶やかな黒に変わり、その目に光が灯るのはほとんど同時であった。

 音もなく巨大な翼を羽ばたかせると、二体のガーゴイルは空中に浮かび上がる。

 ラザルが壁際に後ずさるのが気配で分かった。


 最初に飛び掛ってきたのは左のガーゴイルだった。

 猛禽類が獲物に飛び掛るように、彼目掛けて急降下する。その鋭い爪が彼の体を引き裂く寸前で、彼は素早く左に飛びのいた。

 しかし、それを予測していたかのようにもう一体のガーゴイルが彼の眼前に回りこんでくる。

「おっと」

 突き出される爪を剣で受け流しながら、彼は二体のガーゴイルの間をすり抜けて背後に回った。

 無造作に、しかし圧倒的な膂力を以って最初のガーゴイルの片翼を切り落とす。翼を切られたガーゴイルは耳を塞ぎたくなるような悲鳴をあげた。

 全てがほんの一瞬の出来事である。



「マスター、挑戦者はガーゴイルの間まで到達しました」

 子供の声が再び部屋に投げかけられた。 お湯を沸かしていた魔女は軽く微笑んで応える。

「それはすごい。何人?」

「二人……実質一人です」

 なかなか驚くべき事実に、彼女は片眉を上げた。

 ここ数十年、数人がかりでもそこまで到達したものはいなかったのだ。

 しかしガーゴイルの間を一人で何とかするのは無理であろう。 彼女はお湯が無駄になっただろうか、と思案しながら問いかけた。

「敢闘賞でも出しとこうか?」

「あっさり突破されそうですよ」

「……え?」




        ※ ※ ※ ※




 世界には五人の魔女がいるとされている。

『閉ざされた森の魔女』

『水の魔女』

『呼ばれぬ魔女』

『沈黙の魔女』

『青き月の魔女』

 この五つが彼女たちの通り名だ。


 魔女たちは気まぐれに現れ、その絶大な魔力を以って災いを呼び、そして消えうせる。大陸では畏れと災厄の象徴であった。

 その中でも最も強大な力を持つとされる魔女が『青き月の魔女』である。

 彼女はどこの国にも属さぬ荒野に青い塔を建て、その最上階に棲んでいる。この塔を昇り切ったものには、代償と引き換えに魔女がその望みを叶えると言われていたが、挑戦者が皆、塔から帰らないことが徐々に広まると、塔の近辺に近づく者さえ次第にいなくなっていった。



 彼が二匹目のガーゴイルの右目に剣を突き立てると、すさまじい絶叫が広い部屋に響き渡った。

 もう一匹のガーゴイルは既に床に伏している。最早動かない巨体は徐々に黒い粒へと分解され、その粒もまた宙に消え失せつつあった。

 残る一体は、潰れた右目から黒い液体を流しながら、左腕を振るうと彼の胴を狙って薙ぐ。傷つけられた怒りのこもる一撃は、熊さえ即死させられるものであったろう。

 しかしその腕は空を切った。

 彼は恐るべき反射神経で上に飛んでその一撃を避けると、そのままガーゴイルの首を一刀の元に切り落としたのだ。

 首が床に落ちる鈍い音。

 頭を失った巨体は一度左右に揺れ、しかしついに耐え切れず前に倒れた。

「やれやれ」

 彼は肩で息をつくと、剣を一閃して付着したものを落とす。 振り向くと壁際でラザルが安堵の表情を見せていた。

「ご無事で何よりです……」

「食らったら無事じゃ済まないからな」

 軽口を叩いて彼は前方を見る。

 ガーゴイルの死体が消えると同時に部屋の突き当たりの床がうっすらと光り始めた。 次の階への転送装置が作動し始めたのだ。

「行くぞ」

 転送装置に向かって彼は踏み出しかける。だがその時、突如部屋全体が激しく揺れた。

「何だ!?」

 素早く辺りを見回すと、部屋のあちこちの床がなくなっている。 残った部分も徐々に崩れ始めていた。

「ラザル、急げ!」

 そう叫んで肩越しに従者を振り返り、彼は愕然とした。

 部屋の角の壁際にいたラザルと彼の間には既にかなりの大きさの穴が開いており、ラザルは完全に孤立してしまっていたのだ。

 今、自分が跳べばぎりぎり届くかもしれない。 しかしラザルにこの距離を跳ぶのは無理だろう。そう判断した彼はラザルの方に向かって踵を返した。

「待ってろ!」

 部屋中の床はどんどん崩れ落ち、遥か下方に一階の床が見える。転送装置へ向かうための床も飛び石状態になりつつあった。

 しかしラザルは、自分の方へと向かってくる主人を、両手を前に出して押し留めた。

「殿下、先にお行きになってください」

「阿呆か! 落ちるぞ」

「いえ、平気です。私、申し訳ありませんが、先に帰っております」

 そう言ってラザルは蒼白な顔で、しかし微笑んで深く礼をした。

「どうか先に……。貴方が王になられる日を心より楽しみにしております」

 物心つく頃より、ずっと彼の傍に居た従者は、頭を上げぬままそう告げる。僅かに震える声音にはしかし、築き上げられた覚悟が込められていた。

「待て、ラザル!」

 焦りの滲む声。

 伸ばされた腕。

 だがその瞬間、激しい轟音と共にラザルの立っている一帯の床が崩れ落ちた。



 残りの階は五つ。

 どれも難解な謎解きや、強力な魔物が配されていたが、 彼はそれら全てを淡々と切り抜けた。

 元々一人で登ってきたようなものだ。 ラザルがいなくなっても戦力的には支障はなかった。ただ、何とも言えない虚脱感が彼を支配していただけである。

 七十年前、十人の仲間と共にこの塔を登り、 そして一人だけ辿りついた彼の曽祖父もこんな気分を味わったのだろうか。

 そんなことを考えながら、彼はついに最上階の扉の前に立った。



 扉を開けてまず目に飛び込んできたのは正面にある大きな窓から見える景色だった。

 塔の最上階だけあって、随分遠くの荒野の果てまで見通せる。落ちかけた日が赤く照らす自然は雄大で美しく、彼は言葉を失った。これほど高所から風景を眺めたことなど今までにない。外から柔らかい風が吹き込み、彼の髪を揺らした。

 部屋は広く、しかし雑然としていた。

 壁際にはよく分からない物が無造作に積まれている。それらは剣や箱、壷や像など、年代がかったものが多く、一つ一つが魔法の品であるようだった。

 しかしその雑然とした部分を端に寄せて残った部分はごく普通の、人が住む部屋である。

「ようこそ」

 笛のように細い声が、彼の耳を打った。

 その声は風と共に穏やかに、自然に部屋の中に響く。声の主は、入り口から死角になる奥の部屋にいるようだった。

「お茶を淹れてあります。こちらへどうぞ」

 腰の剣に手を掛けたまま、彼は慎重に足を進めた。奥の、入り口とあまり変わらぬ物の多い部屋の様子が徐々に視界に入る。

 左手奥の窓際に、小さな木のテーブルとそこに置かれた湯気の立つカップが見えた。彼は深く息を吸うと、全身を緊張させて更に一歩を踏み出す。

 彼女はそこに、彼に背を向けて立っていた。

「あなたの連れは一階で眠ってます。怪我はありませんよ」

 魔女は、そう言うと振り返って微笑んだ。



「初めまして。私の名はティナーシャといいます。もっとも私を名前で呼ぶ人はほとんどいませんが」

 彼女に勧められ、椅子に座った彼は、うさんくさそうに問いかけた。

「お前が『魔女』? そうは見えないな」

「『魔女』に見かけを問うなんて愚問ですよ」

 おかしそうに小首を傾げたティナーシャは どうみても十六、七歳の美しい少女に見えた。

 黒いローブを着ているわけでも、皺だらけの老婆でもない。 質のよい生地で出来た、しかし動きやすそうな平服で向かいの椅子に座っている。

 ただ特筆すべきは、彼女が類稀な美貌の持ち主であるということだろうか。

 長い黒髪と陶磁器のような白い肌、夜を映し出したような深い闇の両眼は今まで見たどんな姫君よりも印象的だった。

「その外見は魔法で変えてあるのか?」

 素朴な疑問に、ティナーシャは呆れながらも答える。

「失礼なことを聞く人ですね。地です地」

「何百年も生きてるそうだが。皺がないぞ」

「人の数倍は生きてますね。体は成長を止めてあるだけです」

 彼女は赤い花弁のような口をカップにつける。 想像していた『魔女』との余りの落差に、彼はかなり拍子抜けをしていた。

 その反応が予想の範疇だったのか、ティナーシャは苦笑して先を促す。

「それで? 次は貴方がお話する番じゃないですか? ほぼ一人でここまで上ってきたのは貴方が初めてなんですよ。折角だから名乗ってください」

 その言葉に彼は気を取り直して、軽く姿勢を正した。 自然と高貴さと威厳が彼の纏う雰囲気を変える。

「ああ、失礼。俺はオスカー・ラエス・インクレアートゥス・ロズ・ファルサスという」

 その名前の末尾に、彼女は軽く目を瞠った。

「ファルサス? ファルサス王族?」

「第一王位継承者だな」

「レギウスの子孫?」

「曾孫にあたる」

「へええええええええええええええええ」

 ティナーシャはじろじろとオスカーの全身を見回した。

「そういえばちょっと似てる……かも?  レギウスの方が人の良さが顔に出てましたけど」

「人が悪そうで悪かったな」

 平然とかわすオスカーに、魔女は声を出して笑った。

「御免なさい。でも貴方の方がいい男ですよ。レグは純真すぎて幼いところがありましたから……」

 そう言って窓の外を眺めた彼女の瞳に、瞬間懐かしさ以上のものが溢れるのをオスカーは見た。

 長き時を生きてきた者が見せるその目には確かに、この少女こそが『青き月の魔女』その人なのだと確信させる感傷があったのだ。



「ここに一人で住んでいるのか?」

「使い魔がいますけどね。リトラ!」

 主人の呼び声に答えて、部屋の入り口に五、六歳の子供が音もなく姿を現した。整った顔立ちをしているが、表情にとぼしく性別が分からない。 魔女の使い魔はオスカーに向かって一礼した。

「お初にお目にかかります、リトラと申します。お連れ様は術が効いてよく眠ってらっしゃるので、毛布を掛けてまいりました」

「ああ、悪い」

 オスカーの言葉を受けてリトラはもう一度お辞儀をすると壁際に下がった。

 カップに口をつけると上質のお茶の香りが顔をくすぐる。 彼はふと素朴な疑問をそのまま口に乗せた。

「この塔に挑戦して帰ってこない連中はどうなったんだ?  集団埋葬でもしてあるのか?」

 その質問にティナーシャは露骨に顔を顰める。

「人の住居の周りを勝手に墓場にしないでくださいよ。塔の中で死体を出したくないんで、死なないようにはしてあります」

「ガーゴイルに殴られたら普通死ぬぞ」

 オスカーがそう指摘すると彼女は笑って手を振った。

「致命傷は、当たったと判定された瞬間に一階に飛ばされます。失格者はその後、記憶を適当に弄って大陸のあちこちに転送しましたよ。ほとんどが腕試しや名声を上げたい人たちですし、これくらいの代償は覚悟の上で居てほしいですね」

 嫣然と微笑む彼女には、この塔の主人としての威風があった。その仕草の上品さと美貌もあいまって、場所が場所なら王族と言っても通っただろう。


「でもマスター、子供の病気を治して欲しいとかでいらした挑戦者には、失格しても治してあげてましたよ」

「余計なことを言うな」

 壁際の使い魔の言葉に、彼女はばつの悪い表情になるとオスカーから目をそらす。先ほどまでの威圧感は一瞬でその鉾を収め、その時の魔女は、まるで外見通りの幼さの残る少女のように見えた。一向に定まらない印象に、オスカーは何だか可笑しくなる。

「掴み所がないな」

「なくていいです」

 不貞腐れた返事が、かえって可愛らしく聞こえる。

「街に下りたりしないのか? 他の魔女はもっと人前に現れているようだが」

 オスカーはテーブルの上に置かれた陶器の人形を弄りながら尋ねた。それは少女が買い物籠を持っている人形で、非常に精巧な作りをしている。

「自分で買い出さなければいけないものがあれば下りますけどね……。あんまり無闇に人に干渉したくないんですよ。私の力は気紛れで揮っていいようなものじゃないですから」

「なるほど。その姿勢は『沈黙の魔女』にも見習って欲しいものだ」

 突如出てきた別の魔女の名に、ティナーシャは首を傾いだ。

「それは貴方がここに来た目的に関係することですか?」



「そういう訳で、呪いを解いて欲しい」

 彼女の先ほどの疑問に答えて、オスカーは十五年前の夜の出来事を軽く説明した。

 彼が話す間、ティナーシャは腕組みをし眉を顰めて聞いていたが、話が一段落すると深い溜息をつく。

「何でそんな呪いをもらったんですか」

「父が話したがらないからな。原因は突っ込んで聞いたことは無い。その前に亡くなってる母に関係してるらしいが」

「……そうですか」

 彼女は瞬間、何かに気づいたように目を細めたが、オスカーが怪訝に思う前にすぐ表情を元にもどした。腕組みを解くと、人差し指で自分のこめかみを軽くつつく。

「先にお断りしておくと、『呪い』というのは必ずしも解けるわけじゃないんです」

「というと?」

「『魔法』は共通の法則に基づいて構成、発動しますが、『呪い』には法則がないんですよ。言語……それは言葉だけじゃなく、身振りなど伝達方法全てを含みますが、任意の言語に自分で定義した意味を持たせ、力を込めるのが『呪い』なんです。当然かける人間によって異なってきますから……極端な話、かける時に解呪の存在を定義していないと、術者にも解けません」

「……解けない?」

「解けません。ただその代わり『呪い』というのはそんなに強力な力を持てないんですよ。自然の力の流れを個人の意志によって遮ったり曲げたりするものですから。人を直接殺したりする力はないんです。精々間接的に働くくらいで……それも避けられないものではありません」

 オスカーはそれを聞いて怪訝そうに首を捻った。

「しかし、この呪いは結構強力じゃないか」

「そう貴方の呪いはその域を超えてますよね。それは掛けられているものが実は『呪い』じゃなくて『祝福』や『守護』と言われる類のものだからなんです」

「は?」

 唖然としたオスカーを見て、ティナーシャは、白い両手を広げて肩をすくめた。

「『祝福』です。基本的に『呪い』と同じ方法でかけるんですが、力の方向が違います。元々ある力を後押ししてやるんです。だからこちらは、術者の力量によってはかなり強力なものがかけられます。貴方にかけられているものは、それを逆手にとって、おそらくは胎児に非常に強力な力を纏わせて守護させるようになってるんでしょう。普通の母体はまず耐えられません」

 オスカーは、彼にしては非常に珍しいことに意表をつかれて呆然としてしまった。

 向かいでは魔女が、気の毒そうにそんな彼を見つめている。

「えーと、つまり、結局、解けない……と?」

「かけられているものが解析できれば魔法で軽減することもできますが、二十くらい絡み合ってかけられてますからね……。さすが沈黙の魔女」

 ティナーシャは彼の胸元を、見えにくいものに目を凝らすかのように、両眼を細めて焦点を合わせながら答えた。

「非常にお気の毒ですが……」

「おーい……」

 気まずい沈黙がその場に流れた。



 その空気を打ち破って、ティナーシャは立ち上がると両手を軽く叩いた。

「折角来て頂いたのにこれでは何なので、私も出来るだけのことはしますよ」

 そう言うと彼女は部屋の奥から水盆を持ってきてテーブルの上においた。 水盆の中には魔法の紋様が刻まれており、薄く張られた水が落日を受けて煌く。

「何か手段があるのか?」

「単純な対策があります」

 ティナーシャは椅子に座りなおすと、右手を水盆の上にかざした。 風もないのに水面に波紋が生まれる。

「胎児の守護力に母体が耐えられないのが問題なので、それに耐えられるくらいの強い女性を選べばいいんです」

「……確かに単純だが。そんな女がいるのか?」

「きっと、大陸に一人か二人はいるんじゃないかと……多分。魔力と魔法耐性を重視して探してみますから、他は目をつぶってください」

 水盆にどこか遠くの森の景色が映し出される。

 オスカーは頭痛をこらえるように額を手で押さえた。

「人妻や老人子供だったらどうするんだ」

「人妻は人道にはずれるのでどうにもできませんが、老人は魔法で何とか……。子供だったら自分好みに育てられてお得ですよ!  王族なら二十歳差の婚姻とか普通ですし」

 ティナーシャは作られた笑顔で、意識的に明るく答えた。

「とにかく探すんで、前向きにお願いします」

「おーい……」

 本当に頭痛がしてきた気がして、オスカーはついに両手で頭を抱えた。

 最強と言われる彼女でこうである。

 しかもかけた当の魔女でもおそらく解けないとは、他に手段がないもいいとこだ。

 これはもう『前向き』とやらにならなければならないのか……と考えて、ふとオスカーはあることを思いついた。

「ティナーシャ」

「うわ、吃驚した! 何ですか」

「何で吃驚するんだ」

 水面がティナーシャの驚きに呼応してか、手を触れてもいないのに跳ね上がってテーブルを濡らした。

「名前を呼ばれることが滅多にないので……」

「名乗っておいて何を言う」

「すみません」

 ティナーシャはリトラから布を受け取って飛び散った雫を拭き取った。布を畳みながら問い返す。

「で、何ですか?」

「ああいや、お前はどうなんだ」

 質問の意図が掴めないティナーシャは、自分の顔を指差して怪訝な顔をした。それに応えてオスカーは尋ねる。

「お前は、『沈黙の魔女』の魔力に耐えられるのか?」

「そりゃ、余裕で耐えられますけど……って……」

 ようやく理解したティナーシャの顔色がみるみる青ざめていくのが分かる。

「じゃあ決まりだな」

 オスカーは椅子に深く座りなおすと、お茶を最後まで飲み干した。対面にいるティナーシャは真っ青な顔で腰を浮かしている。

「ちょ、ちょっと待ってください」

「いるかどうか分からない女を捜すより確実じゃないか。俺の達成者としての望みは、お前がここを下りて俺の妻になること、でいこう」

「受け付けられません!」

 彼女は小さな両手でテーブルを叩いた。 カップに残ったお茶と、水盆の水が激しく波打つ。

「出来るだけのことはすると言ったじゃないか」

「限度がありますよ! 無理です無理」

 蒼い顔で目を丸くしてむきになっている魔女を、オスカーは面白そうに見返した。

「実は結婚しているとかか?」

「結婚歴はありません」

「恋人がいるとか」

「いたことはないです」

「老人は何とか出来るそうだが」

「確かに老人だけど、老人よばわりは腹立たしい! とかそういうことじゃなくて!!」

 ティナーシャは身を乗り出して、引きつった笑いを浮かべた。

 額には冷や汗が浮かび始めている。

「『魔女』の血を王家にいれようなんて、正気じゃないです。重臣たちが揃って吐血しますよ」

「それはちょっと見てみたいな……」

 必死の抵抗をのらりくらりと交わすオスカーに、魔女は脱力して椅子に崩れ落ちると頭を抱えた。

「レグに似てるんだか似てないんだか……すごい性格ですね」

「人が悪いんだな」

 しれっと答える彼をねめつけると、彼女は頭を振って呼吸を整える。

「とにかく駄目です。そんな望みが通るなら、私は今頃あなたの曾祖母ですよ」

 その言葉にオスカーは内心、かなりの驚愕を覚えた。

 が、それと同時に不思議と納得するものもある。

 彼の純真すぎたという曽祖父はおそらく、七十年前この魔女に魅了されたのだ。

 しかし彼女はその申し出を受けなかった。

 ファルサスに伝わる王と魔女の話とは、大分違う過去の出来事にオスカーは少しだけ興味を抱いた。



 リトラが新しいお茶を入れたポットを持ってきた時、二人はまだ押し問答をしていた。

 オスカーはしれっとしているが決して引かず、主人である魔女は精神的にかなり疲労してきているのが見て取れる。

「あーもう、あんまり聞き分け悪いと、記憶弄って王宮に戻しちゃいますよ」

 ついに限界に達した彼女は、溜息をついた後、投げやりに言った。

「鬼のような発言だな」

「貴方が鬼です」

 ティナーシャは立ち上がると、にっこり笑いながら右手をオスカーの方にかざした。何かがその手の中に収束していくのが、空気の流れが急に変わったことで彼にも感じ取れる。

「おいおい、反撃するぞ」

 さすがに悠長に構えていたオスカーも腰を浮かして剣を抜きかけた。その柄を見て、ティナーシャは露骨に嫌な顔をする。

「何で、そんなの貴方が持ち歩いてるんですか。国宝扱いでしょう」

「こういうものは実用した方がいいからな」

 両刃のよく磨かれた剣身はティナーシャの視線を受けて鏡のように煌いた。柄には年代物の装飾が多少ほどこされている。


 ファルサス王家に伝わるアカーシアは、絶対魔法抵抗を持つ世界で唯一の剣である。その昔、人ならざる者から与えられたとの伝説もあるが詳しくは定かではない。

 従来はファルサス王が公式の場で帯剣するのみで、実戦に使われた記録はここ数十年なかったが、オスカーはその剣を普通に自分の剣として取り扱っていた。

 当然ながら魔法使いには「天敵」といっていい代物である。それは魔女であるティナーシャにとっても例外ではなかった。

 彼女は苦い顔をしてしばらく躊躇すると、右手を軽く振って構成しかけていた魔法をかき消す。

「うー。もうちょっと話し合いますか」

「まったくだ。落ち着け」

 二人が座りなおした隙に、リトラはお茶を注ぎなおした。



「頑固ですよ頑固。ちょっと譲ってください」

「お互い様だと思うが……」

 オスカーは思案顔でお茶を飲んでいたが、ふとあることを思い出した。

「そういえば、お前は七十年前、ファルサス王宮でしばらく暮らしてたらしいな」

「半年くらいですね。戦線に立ったり魔法教えたり花育てたりしてましたよ。結構面白かったです」

 想像できるようなできないような暮らしにオスカーは首を捻った。

「それが曽祖父の望みだったのか?」

「いいえ」

 ティナーシャは目を閉じて微笑む。

 きっぱりとした口調からは、 本当の望みは何だったのか、教える気がないことが伝わってきた。

 オスカーは軽く片眉を上げたが、彼女の意志を汲んでそれ以上重ねて問うことはしない。代わりにしたことは、思いついた自分の望みを口に出すことである。

「じゃあこうしよう。一年間ここを出て、ファルサスで、俺の傍で暮らす。これが達成者としての要求だ。これなら受け入れられるか?」

 言われたティナーシャはその予想外の要求にきょとんとした。

 しかし考えてみればかなりの譲歩であろう。

 一年は決して彼女にとっては長くない。かつて瞬きするほど短い間、 人と共に暮らしたファルサスの懐かしい風景が目に浮かんだ。


 魔女は無意識に深く息を吸い込む。

 そして、それを全て吐き出したとき、彼女の心は決まった。

「いいでしょう。私は貴方の守護者として塔を下りましょう。今日から一年間、貴方が私の契約者です」

 ティナーシャは、すっと腕をあげると白い人差し指をオスカーの額に向ける。指先に淡く白い光がともると、それは彼女の指を離れて空中をすべるように動き、オスカーの額の中に吸い込まれた。

 彼は不思議そうに自分の額を指で探ったが、特に分かるような変化はない。

「目印です。とりあえずの」

 魔女は微笑んで立ち上がると、両手を頭の上にあげて伸びをした。 座り続けで硬くなっていた体をほぐす。

「塔を出るなら入り口閉めないとねー。リトラよろしく」

「かしこまりました」

 リトラが部屋から立ち去るとオスカーも席を立った。

 日はすっかり落ち、遠くの山間に残光が見える。 彼はティナーシャの横に立つと、自分より大分背の低い彼女を人の悪い笑顔で覗き込んだ。

「途中で気が変わったらファルサスに永住してもいいぞ」

「変わりませんよ!!」

 こうして『青き月の魔女』はおおよそ七十年ぶりにファルサス王子の守護者として、歴史にその姿を現すことになった。

 彼女自身の運命を覗き込む物語は、これより始まる。




「ラザル! 起きろ!」

 彼が主人の声に反射的に飛び起きると、そこは塔の前、馬を繋いだ木の陰だった。

「あれ、殿下……私は塔を……登ってたんでしたっけ……もう夜?」

「いいから帰るぞ。起きろ」

 はっきりしない頭と記憶に、首を捻りながらラザルは立ち上がった。馬をつないでいた縄をほどく。

「お戻りになる気になられたんですか?」

「ああ、もう用は済んだからな」

 不思議に思いながら馬を引いてオスカーの元に戻ったラザルはその時初めて、彼の主人の影に誰か立っているのに気づいた。

 年若く美しい少女は、ラザルの視線に気づくと花のように微笑む。どこの国の出か分からない黒い髪と白い肌、力を帯びた闇色のその両眼にラザルはすっかり飲まれてしまった。

「殿下、この方は……」

「魔女の弟子の魔法士で、塔を出るからしばらくファルサスで暮らすことになった。よろしくしてやってくれ」

「ティナーシャと申します」

 少女が丁寧にお辞儀をしたので、ラザルも慌てて頭を下げた。塔を出るという割にはその身一つで何の荷物も持っていないことを不思議に思いながら、ラザルは馬を引く主人に近づいて耳打ちする。

「魔女の弟子ってことは魔女に会ったんですか?」

「ああ、会ったぞ」

「とって食われませんでしたか」

「お前、殺されるぞ……」

 オスカーは鞍上に飛び乗ると、ティナーシャに手招きをした。 心配顔のラザルに何か言いかけて、不意に苦笑する。

「まぁ色々、面白かったな」

 そのままオスカーは何故か苦い顔をしている少女の手をとると馬上に引き上げた。

 日はすっかり落ちて夜が足早に訪れようとしている。

 ティナーシャが手を一振りすると、馬の鼻先より少し前方に 白い光が浮かび上がって前を照らした。

 自分も馬に乗ったラザルは、こわごわ塔の方を振り返る。

 見ると薄闇の中、確かにあったはずの塔の扉は消え、そこには周囲と同じ、ただの青い壁が続いているだけであった。

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