竹を取りつつ
見渡す限りの雑草。
ビルの谷間の小さい寺の、時間によっては日陰ばっかりの境内の庭によくぞここまで生えたなぁー生命の力強さだなー、と言う感心はほどほどにせっせとむしり取る。
季節は8月に向かって行く7月で、いい加減蒸し暑いのに、
なんで阿字観に来てる寺の庭の掃除まで任されたのかねぇ。
SEが5年も続いたのは今となってはこの我慢強さがあったからにも違いないと思うけれども。
燐太郎の奴、体よく今日は急な葬式の打ち合わせだとかいって親父さんから逃げやがって。
とかなんとか思いつつも、せっせとむしり取る。
「ふぅ」
と、あらかた雑草をむしり終えて、腰を上げると、
「秀さん、お疲れ様でした」
と声がかかる。あの不思議な柔らかい声音だ。
最初の頃の華美な服装では無くて、所謂普通目の、抑えめの、いややっぱりどことなく清楚な品のあるお嬢様のような佇まいで、彼女はお寺の日陰からこちらに向かって手を振ってくれていた。
彼女の名前は
なぜかあの後から比較的お隣席同士で話すタイミングがあって、
微妙に距離が縮まっている。
俺の名字である
雑草の山をゴミの袋に詰めてから彼女の方に行くと、
「あの、お仕事されてるのずっと見てました」
明るい表情でそう告げた。
「雑草抜いてるのなんて見て無くても良いのに」
「頑張ってお仕事されてたので、その、ちょっと素敵で……話しかけ辛くて」
素敵なんて女性に評してもらえたら雑草抜きなんて地味な作業も素晴らしく思えるが、嬉しい! と手を取るわけにもいかないどろんこだったので、
「あ、ありがと、俺、手洗ってくるね」
首から提げたタオルで汗を拭いつつそういうと、彼女は
「はい、待ってます」
と言ってくれた。
家の方向が同じなわけでも無いだろうに、
阿字観が終わってからの帰りの道で、地下鉄の駅までのほんの数分、
最近いつも一緒だった。
こちらから何か切り出すわけでも無ければ、彼女から問われることもなくて、
ただ帰り道が一緒というだけだった。今日までは。
「あの、秀さん、この後少しお時間ありますか?」
少し意を決した勢いが籠もりすぎたのか、やや声が緊張した感じで彼女がそう切り出した。
どどど、どうしたの急に。という内心の大慌ては半分以上隠せなかった。
「ええ、日曜の昼は暇ですけど、ど、どうしたの急に?」
「その、ご迷惑じゃ無かったら、阿字観を、どうして始めたのかとか、お聞きしたいなって思って」
そうとう勇気がいったんだろう胸に当てていた手は拳を握っている。
「いいですよ、大した話じゃ無いですけどね、あっついですし、そこらの喫茶店でも入りましょうか?」
地下鉄入口の近くにくれば、ドトール、スタバに、エクセルシオール、なんでもござれな大都会だ。さっきまで緑に紛れて雑草抜きをしていたとは思えない風情である。
「はい、ご迷惑じゃ無いですか? いきなりこんな……」
不安気な表情をしているので、
「いえいえ、俺もそろそろ誰かに話せる頃かなーって思ってたし」
阿字観をやってて気づいたことでもないけれど、自分からつらいことを話すことは必要だな、とは最近思っていたことだった。その先鋒が牡留さんなのは出来すぎだけど。
できるだけ賑やかそうな喫茶店を選んで入って、
お互いアイスコーヒーを頼んで席について、
「どうして俺なんかの?」
と全く気も利かない質問を投げかけてしまった。
女性の扱い、と言うことを少し意識するべきだったと言ってからはっとした。
「え、――えと。その、秀さん、女性に混じって唯一の男性で。
阿字観なんて、よほど信心深かったりしなきゃしないのかなとか思ってたんですけど、そのあなたの人柄を見る限りそうじゃなくて……」
答えづらい質問を投げかけられた、というよりはどこか恥ずかしそうな素振りでアイスコーヒーのコップの結露した水滴を指でつつきつつ彼女は答えた。
はて、これはどういうリアクションだろう、と思いもしたが、話したいのは自分なんだよな。と思って小さな覚悟を決めて、
「うーん、俺は前に勤めてた会社を病気で辞めて――……」
一気に話した。
膿がどばっと出たような話し方をしたつもりでは無かった。
自分の情けない話と言うことは解っていたから。
でも話したいことは話せていたように思う。
話し終えたとき彼女は少し心配そうな顔で、
「そうだったんですね。大変でしたね……」
と、静かに受け止めてくれた。
「ごめんこんな話で。暗くなるような面白くもなんともないのに、
聞いて貰っちゃって。ありがとう」
「ううん、わたしが知りたかったんです。
あの、良かったら、わたしの阿字観を始めた理由も聞いていただけますか?」
後から考えれば、彼女は自分が話し出す決意を固めるために俺の話を聞きたかったのかも知れないと思った。
「はい、もちろんですよ」
「ありがとうござます」
深々と礼をして、長めの黒髪を耳にかけてから、
「わたし、もう三年ほど前になるんですけど、子供を流産したんです」
思わずひゅっと息を吸い込んでしまった。
まさか、俺の自己破綻顛末のお話の返事がそんな話なんて思いもよらなかった。
「わたし、当時付き合ってた彼が居て、結婚も約束してたんですけど、妊娠二ヶ月目くらいで早期流産してしまって」
ああ、なんて悲しい話だ。
「あの、無理して話してくれなくても……」
思わず口を挟んでしまうと、
「ふふ、大丈夫です、あなたになら。たぶん」
と優しく御されてしまった。
「問題は、そこからで……」
もっと酷いことが続いてしまったのかと身構えた。出産も妊娠も遠い世界の独身男性なのにもかかわらず、腹部に冷たい重石を載せられたような感じがした。
「――その、彼が、流産したわたしを責めたんです。
どうしてくれるんだ! よくも俺の子供を! って。
わたし、それまで男性にそんなこと言われた経験なくて、
どうしたら良いか解らなくて。
彼の叱責は日に日に激しくなっていって、
終いには暴力……DVにまでなってて、
彼の親御さんがそれに気づいてわたし達を引き離してくれたんです」
彼女は呆けている俺の目線にたまに目を合わせながら、自分のコーヒーの、氷が融けて水になっている面と、コーヒーの混ざり合う面の、揺らいでいるところを見つめていた。
そして、息をふう――と長めについてから。
「良かった、やっぱり話せた!」
ぎこちない笑顔を作ってコップを手に取って一口コーヒーを飲んだ。
俺はどう返せばいいのか正直全く解らなかった。
藪から棒というより藪から100㌧ハンマーで頭をぶん殴られたようだった。
自分の退職して云々なんて話は霞んでしまうくらい、
重くて辛い話じゃないか?
「――その、そんな大変な事があったなんて知らなくて、俺、軽い感じで話し聴いちゃって、ごめん、なさい」
平身低頭、頭を下げるしか選択肢がなかったのだが。
「やだ、やめて下さいよ。秀さんだってつらいお話してくれたんですから!」
「俺のなんてそんな、とてもじゃないけど――」
彼女は髪がさらさら鳴るほど必死に頭を振って、両手を前に突き出して、
「ちがうの。
あのですね、わたし、そんなこんながあってから、
男性恐怖症っていうんですかね、
男性と目線が合うだけで震えが来ちゃって、汗が噴き出て、
ぜんぜんお話すら出来なくなってたんですよ。
この三年間」
「はぁ……」
「でも、でもですね、阿字観に伺ったあのお寺で、あなたの隣の、そう、
ほんのこれ位――」
両手で15センチくらいの隙間をつくって見せて、彼女は柔らかな表情になる。
「――これ位しか離れて居ないところに座ったとき、わたし、全然震えが来なかったんですよ。それにあの後、あなたによろけて掴まってしまった時も。
最初は、阿字観の効果なのかなぁって思ったし、
その次に、あなたが特別な人なのかなって思ったし、
でもいまでは両方だったのかなって思ってて。
それでどーしてもお話したくて。
話せる自信は無かったんですけどね?」
彼女は自分でもやはりつらい過去には蓋と思っていたらしかった。
でもそんな重い過去でも俺に打ち明けてくれるなんて。
すごい強い人だな、と思ったが。
「私が強い人だとかは無いですよ、あなたのおかげなんだと思います!」
表情からまんまと見透かされてしまったようだ。
俺はなんにもしてないし、そんな立派な人間でも無いんだけどなぁ。
「俺はそんな、人の役に立つようなことが出来る人間だなんて事ありませんよー」
彼女の笑顔にほだされて、俺もつられ笑顔で顔の前で手を振って否定したが、
「あら、お寺の草むしりなんて人の役に立つどころか、神様のお役にまで立ってるのにー。そうだ、それで、もし、こんなお話を聴いてでも良かったら、わたしと、お友達になっていただけないでしょうか?」
優しい声音で懇願されてしまえばもちろんうんと頷く他なかった。
彼女のつらい過去の話を聞いて、俺の過去の話もして、
俺はちょっとだけ彼女に深く踏み込んでしまったが、
この話をしてからも彼女はごく自然に接してくれるのだった。
思えば女性の友達なんて全く居なかった。
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