第276話 拡散する廃墟とメリーゴーランド。俺が新たな境地へと至ること。
浮浪者じみた風体の男は、片足を引きずりながらゆっくりとこちらへ歩んできた。
伸び放題の髪に覆われて顔は見えない。クラウスとヤガミが剣の柄に手を添える。男は意にも介さず、じりじりと迫ってくる。
俺は陽炎のように歪み始めた周囲の景色に身を強張らせた。
何だ? 何が起ころうとしている?
「止まれ! 何者だ!?」
クラウスが険しい口調で呼びかけるも、男はなお歩みを止めない。
ヤガミの目が据わっていく。
明らかに人ではない。異様な気配…………魔力の気配と呼ぶには、あまりに異質な悪寒が全身を駆け抜けた。
恐怖が肺を急激に圧迫する。
魔力の味が全くしない。何か巨大な手が頭から俺の全てを押さえつけているようだ。
老人が、何かぼそりと呟いた。
どこかで耳にしたことのあるような言葉。
同時にクラウスの詠唱が空へ上る。無数の星が瞬くのと機を重ねて、ヤガミが前へと踏み出した。
フレイアそっくりの斬り込みで、老人へとかかっていく。
――――――――…………急に、景色がメリーゴーランドのように回転し始めた。
「!?」
よろめいた俺の身体がぐにゃりと溶けたガムみたいに歪む。
クラウスが何か叫んだ。ヤガミの振り抜かれた剣が老人を斬り捨てたかに見えたが、老人は血の一滴すら零さずに、手品の如くボロの服だけ残して消えた。
景色が回る。
ユニコーンのような生き物が素早く目の前を横切り、景色はアニメーションの如く走り出す。
「どこへ行った!?」
ヤガミの声がする。姿は追えない。
俺の耳元では、何者かの場違いに呑気な声が囁かれていた。
「君は、豚になる、豚になる…………。
否、否…………。
グゥブになる…………」
ぐわんとメリーゴーランドが速度を増して回る。
四つ足の感覚がじわりと這い上ってくる。
気づけばメリーゴーランドと全く同じ速度で、俺はとっとこ駈けていた。
いや、今回はヤバい。
抗えない。次元が違う。
扉の力も何も、そもそも魔力も気脈もサッパリ感じられない。
回る回るメリーゴーランド。
景色が目についてくる。遠くのレーンで、ヤガミとクラウスがなぜか互いに剣を向けあっていた。
ピーン! と、俺の頭の中で何かが弾ける。
マズい。
頭が。
あっ…………。
……………………――――――――。
メリーゴーランドがゆっくり止まって、俺達は街の広間に放り出された。
「ブヒー」
…………俺は可愛い子ブタ。
いや、子グゥブ。
まだちっちゃいけど、竜ともトカゲとも違う、どっしりとしたお尻の感じがなんとも誇らしい。
ひづめだってちゃんとある。
歩くと石畳に当たってカチャカチャ音を立てる。
誰に何をされたかサッパリわからないけど、意識はしっかりと残っている地獄。
哀れな俺をやっと発見したクラウスが悲痛な声を上げた。
「って、ああっ!? コウ様がいつの間にかグゥブに!?」
「何だと!?」
振り向いたヤガミ達に、俺は元気いっぱいに挨拶した。もうヤケクソだ。
「ブヒッ!!」
「一体なぜ…………? 何の魔術の発動も感じられなかったのに…………。よもや、ご自分で!? 何か意図あって変化なされたのですか!?」
「フガーッ!」
んなわけあるかい!
ヤガミが辺りを見回しながら、声を投げてきた。
「ったく、次から次へと…………。俺は確かに、あのジイさんに斬りかかったはずだ。なのにどうしてクラウスと戦っていた? コウは一体何でブタなった? 何者なんだ、あれは!?」
「ブタ…………? まぁいい。ともかくも、今は何もわからない。魔物かどうかすら判断がつかなかった」
「ンゴゴーッ!」
「コウ、何喋ってるかわかんねぇぞ! 早く元に戻れ! っつぅかコレ、本当にコウなのか?」
「ピギィーッ!」
「コウ様の魔力は知っているだろう。大体、こんな珍妙な振る舞いをするグゥブなんて、コウ様の他にいるわけないじゃないですか!」
珍妙とは何だ! お前達の周りを必死で駆け巡って、匂いを嗅いでいるだけだろうが!
いつまたよくわからない化物に入れ替わっているか、こっちは気が気じゃないんだ。
認めたくないことだが、こういう姿の時の方が魔力がよくわかるのだ。
「フンッ、スンッ…………フン、フン、フンッ!!」
ヤガミがさも嫌そうに足をもつれさせる。クラウスは寂れ果てた街を眺めながら、やはりちょっと嫌そうに入念に確認する俺を跨ぎ越した。
ふむ。
ひとまず調べた限りでは、どうやら2人とも本物らしいが。
「気が済んだか、ブタ野郎?」
「ブゥ」
会話する俺とヤガミから、クラウスが耐え難いものを見るように目を逸らす。
それにしても、これでは埒が明かない。どれだけ地団太を踏んでも、ドン引きの眼差しを浴びるばかりだ。
あーあ。これがフレイアやリーザロットだったら、きっととっても心配してくれたのにな。
とにかく、早くこの力場を攻略しなくては俺の沽券に関わる。
何だかお腹も減ってきたし。
ここはやはり、俺が扉の力を駆使して突破口を開くしかないのか。
と、勇んで街へ乗り出そうとした俺を、誰かがヒョイと抱き上げた。
「プキャッ!?」
小さなおててとあんよを一生懸命バタつかせる俺を、誰も見ていない。
ヤガミとクラウスが呆然として見上げているのは、俺を胸に抱え上げた女性…………頭に当たる豊かな胸の感触でそうだとわかる…………であった。
「蒼姫、様…………?」
クラウスが呟く。
女性は肩にまで流れる豊かな黒髪をはらりと掻き上げ、優しく、しかしどこか果てしなく冷たく、話した。
「…………私について来てください」
俺は身体をねじり、女性の顔を見ようと努める。だがしっかりと抱きすくめられた小さな俺は、彼女の顔を確認することができない。声と魔力の感じは、間違いなくリーザロットなのだけど。
何か…………何かが、違う。
「リズ…………なのか?」
ヤガミが問う。
クラウスは即座に彼を睨みつけたが、何も言わなかった。親愛と戸惑いとが空色の瞳に入り乱れている。
女性は軽く笑って、彼らに返した。
「そんなに警戒しないでください。私は彼女の欠片。…………ここに住んでいるの。もう長いこと。あの子自身は、もうすっかり忘れているけれど」
トレンデ、あの夕日と影の国で出会ったリーザロットのことが頭によぎる。
彼女の体温や肌の湿り気、ベッドの軋み、埃の匂い。生々しい記憶がいっぺんに蘇ってきて、俺は気恥ずかしくなった。
この人も、あの人と同じ霊体の欠片か。
だとすれば、ある意味危険といえば、危険なのだろうが…………。
クラウスとヤガミが視線を交わしあう。
二人はちらと俺と目を合わせ、リーザロットに近寄ってきた。
「…………わかりました。タリスカ様のもとへ、ご案内いただけませんか?」
クラウスの言葉に、リーザロットが頷いた。
「ええ。私も「久しぶりに」あの人に会いたいですから。…………さぁ、こちらへ」
歩き出すリーザロットについて、ヤガミ達が街の路地へ入っていく。
俺は頭にふにょんとした柔い心地を感じながら、おとなしく前を見ていた。
焼き払われた家々の間に張られたロープに、ボロ布と化した洗濯物がいまだに掛かっている。
家の前に捨てられた子供のおもちゃの上を、虫人間が這っていた。
ゾッとする程個性の無い眼差しが、じっとこちらを見ている…………。
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