第227話 死神と王の一片。俺がスレーンの掟に震えること。

 ヤガミは大きく目を瞠り、肩をぐっと強張らせた。


 今、彼の灰青色のまなこを黒々と埋め尽くしているのは、肉朽ちてなお彼を上回る身丈を誇る骸の騎士だ。

 使い込まれた甲冑を擦り切れた漆黒のマントに包み、装飾の一切無い武骨な曲刀を腰に2本、差している。その柄には、白くほのかに輝くような骨の手がじっとりと掛かっていた。


 何がどれだけ浸み込んでいるかわからない死神の黒衣から、風に乗って何とも言えない野性的な香が漂いくる。

 砂塵と泥土と、雨、血肉。鉄錆。そして複雑で刺激的な薬草の匂い。それはそのまま、魔力の感触となって俺の舌に突き刺さる。


 虚ろな眼窩でヤガミを捕えたまま、タリスカは流れるような所作で抜刀した。

 気付いたリーザロットとフレイアが何か言う間もなく、彼はヤガミの喉元に切っ先を突きつけていた。


「…………ジューダムの王」

「…………っ!」


 タリスカの放つ威圧感に、誰も身動きができない。

 さすがのヤガミも頬を引き攣らせていた。悲鳴を上げなかったのは、ただ単に萎縮して声が出せなかっただけだろう。

 タリスカは暗く重たい眼差しで獲物を窒息寸前まで締め上げ、禍々しく息を吐いた。


「…………その瞳、まさしく彼の国の人柱に代々受け継がれしもの。テッサロスタの地で相見えた瞳よ。…………お前が、彼(か)の者の覚醒の一片となるか」


 風が漆黒を揺らし、また鎮める。

 タリスカはそびえ立つ身体を一切揺らがさず、言い継いだ。


「汝に問う。…………死を恐れるか?」


 一体何を…………!

 動かぬ身体を無理くりにでも引き摺って割って入ろうとした時、ヤガミが挑戦的に声を発した。


「なぜ、今更そのようなことを? そのつもりなら、貴方はいつでも俺を斬れた。違いますか? …………死神の剣士」


 タリスカが切っ先をヤガミの咽喉へピッタリと付けると、目の覚めるような赤い血がじんわりと滲んだ。


「左様。刃は常に添えられている。…………今、最も近く」

「タリスカ! 何をして…………」

「コウ」


 俺が口を挟みかけたのを、ヤガミが遮る。

 彼はわからないぐらいに小さく一呼吸すると、落ち着き払った眼差しで骸の騎士を睨み、言葉を続けた。


「恐れなければ、俺は向こうの俺…………ジューダムの王にたちまち飲まれるでしょう。彼の力は日に日に強まっている。渦巻く潮の如く、水面の内へと俺を引き込もうとしている。

 …………だが、跪くつもりはない。…………貴方の刃はもう一人の俺へも向けられている。それは俺にとってむしろ、心強い事実です。

 …………俺は、貴方を恐れない。貴方は俺を斬らないから」


 タリスカがわずかに腕を浮かす。

 地獄から湧き出たような声が、風をドス黒く染めた。


「…………とも限らぬ」


 フレイアの紅玉色の瞳が動揺を見せたその刹那、タリスカの刃が宙を舞った。


 ハラリ、とヤガミの栗色の髪が抜け落ちた羽毛の如く、ゆっくりと地面に散った。

 切っ先を突きつけられていた彼の喉から一滴、堪らずに血が滴り落ちる。


 タリスカは剣を鞘に納め、静かにヤガミと俺とを見て言った。


「…………良かろう。

 なれば、ジューダム王の獣型魔力への対処法をお前達に伝授する。修行は道中、機を見て行う。…………心せよ」


 ヤガミは顔色を変えず、黙って喉の血を拭った。

 タリスカが背を向けた後、彼は俺を振り返って大きく息を吐いた。小声ながらも熱のこもった口調に、興奮が窺えた。


「…………マジで、マジで死ぬかと思った…………! 怖過ぎるだろうが! 何なんだよ、あの人?

 いや、人…………じゃないよな? 明らかに…………。いや、それより、修行…………? 修行って何だ…………?」


 俺は額から垂れる汗と手についた血をハンカチ(この世界風に言うと、余った布)で拭う彼に、


「ひとまず、お疲れ」


 と声をかけ、それ以上はあえて口を閉ざした。疑問は、どうせ程無く解消する。


 それから俺達は、リーザロットとタリスカが何やら言い合っているを横目で見守りつつ、フレイアの傍にいる2頭の地竜…………武竜(ぶりゅう)という種類の竜だ…………の方へと歩いていった。

 フレイアと一瞬だけ目が合ったが、彼女はすぐに目を伏せてしまった。


「…………。この子達に乗るんだよな?」


 俺が聞くと、フレイアは淡々と応じた。


「コウ様は蒼姫様とご同乗ください。ヤガミ様は、私がお連れいたします」

「そう…………か。…………タリスカは?」

「お師匠様は、先に行って露払いをしてくださいます。私達はその後を辿って参ります」

「そっか。…………」

「…………」


 ギクシャクとした会話は中途半端に途切れ、続かなかった。

 ヤガミが斬られた前髪をちょいちょいと流しつつ、俺を見ている。


「…………代わるか?」


 耳打ちに、俺は「いや」と力無く首を振った。



 武竜というのは、話に聞いていた通り、真っ茶色な竜だった。

 ややマイルドな焦げ茶色とでも言おうか。鱗の一枚一枚が程良く滑らかで艶やかなせいもあり、まさにチョコレート細工みたいな見た目であった。爪の先まで、余さず茶色い。


 くりくりとした黒いアーモンド形の目に、ラクダみたいに愛らしく優雅な睫毛がたっぷりと掛かっている。口角が常に上がっていて、真顔でも笑っているみたいだった。

 気性の荒いヤツも穏やかなヤツもいるそうだが、今回の旅に連れてきたのは、どちらも至極穏やかで、ともすると乗り手が眠たくなってしまうぐらいにのんびりとした竜だそうだった。


 リーザロットは彼らが大層お気に入りらしく、乗りながらニコニコと機嫌良く紹介してくれた。


「私達の竜がテンテンで、フレイア達の竜がトントンというお名前です」


 パンダみたいな名前だ。意味を聞いたら、特に無い、響きが可愛いからじゃないかしらと返ってきた。


 リーザロットはテンテンのたてがみ(トウモロコシのひげみたいな触り心地だ)を愛おしげに撫でながら、旅の目的地について語った。


「スレーンはお茶と織物と、竜の産地です。最後のは、もうすっかりご存知ですよね」


 そうそう。関税がどうのこうので、直に竜を取り寄せることができないみたいな話をしたのを覚えている。

 それでなくとも、サモワールのオーナーがそれはもう自慢げに長々と演説していたし、それについてはもう大分訳知りだった。


 何より、あのシスイの出身地である。人と竜との交わりが深いことは想像に難くない。

 そう言えば、オーナーはシスイは今、スレーンに帰っていると言っていた。もしかしたら、今回の旅でも彼に会えるかもしれない。


 考えるうちにも、リーザロットは話を続けていった。


「スレーン人の子孫は、サンラインの民よりも先にこの地に住んでいたとされています。時空の扉から流入してきたサンラインの民が住みつくようになってから後も、彼らは自分達の血統と信仰を頑なに守って、独立して暮らしています。

 …………あっ、あれはクロワ蝶!? こんな低地の森まで降りてくるなんて、珍しい」


 話の途中、変わった色の蝶を見つけたリーザロットが嬉々としてそちらの解説へと移る。

 サン・ツイードの外へ出たのが久しぶりではしゃいでいるのだろうが、聞いている側としてはちょっと忙しい。


 一通りクロワ蝶の生態とそれにまつわる寓話を語った後、リーザロットは再びスレーンの話に戻った。


「ああ、そう。スレーンのお話でしたね。…………スレーンの人々は、そんなわけですから、私達サンライン人とは少し違った形で「裁きの主」を信仰しているんです。

 彼らは「裁きの主」を、「竜王」と呼びます」


 りゅうおう、と繰り返すと、リーザロットはぽんぽんとテンテンの頭を撫でながら答えた。


「はい。竜の王で、竜王。…………もっとも、サンラインでも主の象徴は竜です。竜はその美しさと気高さから、主に最も似ている生き物として崇められています。

 けれど、コウ君も知っての通り、実際の主には決まった形がありません。全てを遍く見守る大きな瞳…………それが、我らが主の姿です。ですので、サンラインではあくまで竜は象徴でしかないのです」


 また色鮮やかな蝶々がヒラヒラと俺達の周りを巡って森の奥へと去っていく。あれはササラ蝶だから珍しくないとリーザロットが言う。俺はへぇ、とだけ答える。


 小川沿いの坂道は細く荒れて途切れがちだったが、テンテンもトントンも迷いなく進んでいった。

 タリスカの姿は全く見えなかったが、きっと向こうからは俺達が見えているのだろう。あの人には森抜けも山越えも訳無いらしい。

 リーザロットはテンテンの手綱を自然に操りながら、話を継いだ。


「ですが、スレーンではそうではありません。スレーンの人々は、自らの祖である聖なる白竜と、「裁きの主」を同じものであると信じているんです」

「自らの祖? え、ちょっと待って。じゃあ、スレーン人って竜なの?」


 俺が尋ねると、リーザロットは振り返って微笑んだ。


「そんな伝説が、スレーンにはあるんです。遥か遠き日、清泉のほとりで白き竜と乙女が交わり、最初のスレーンの子が産まれたと」

「ロマンチックだね。でも。さすがにお伽噺じゃないの?」

「真偽は主以外、誰にも与り知れないことです。ウィラック先生などは、割と本気で調査したいと考えているようですけどね。スレーンの人達は、そういった外部からの調査を一切受け付けないんです。

 スレーンの人々は、ここ数百年で、これでも大分外交的になりましたが、本来は過激なまでに閉鎖的なんです」


 先行するトントンに続いて、テンテンも沢の難所をやすやすと乗り越えていく。

 武竜の足は不思議なもので、どんな場所を歩いても、足音をほとんど立てなかった。

 時折、彼らに踏まれた礫がコロコロと山の斜面を転がっていく以外は、彼らの気配を示すものは何も無い。

 俺の声が一番大きい。


 木立を風が抜けると、白い花飾りのついたリーザロットの髪からふんわりと良い香りが漂ってきて、束の間うっとりとする。

 と同時に、すぐ目の前の彼女が急に意識されて慌てる。


 真珠のような肌。桜のような頬。

 温かく柔らかな彼女の背中の感触に、ドキドキする。


 何を考えているんだとすぐさま己を叱りつけるも、リーザロットには俺の心が読めてしまう。

 どうしようもない内なる動揺を、リーザロットはサラリと流して話を続けた。


「…………ふふ、コウ君って本当に面白いのね。

 スレーンの人々は、厳しい掟に従って生活しています。一族とスレーンの伝統を守るために、親から子へと連綿と受け継がれていく掟です。掟は彼らを堅く守り…………縛ります」

「例えば、どんな掟なの?」

「そうですね。中でも厳しいのはやはり、婚姻や交友に関するものでしょうか。彼らは祖先から受け継いできた血統を守るため、一族の者以外とは結婚も交際もしません」

「えぇ、付き合うのもダメなの?」

「ええ。そもそも、頭領の許可無く里を出ること自体が固く戒められています。さらには、異国の本や魔具、食品なども、頭領の許可を無くしては里に持ち込むことができません。独自の魔術の純粋性を維持するためです。

 こうした禁を破った者には、厳しい処罰が下されます。村八分や投獄、鞭打ち、水責めなど…………」

「ひぇ…………」


 言いつつ俺は、知っているスレーン人達の顔を思い浮かべて首をひねった。


「あ…………でも、シスイやサモワールのオーナーは、そんなに厳格に暮らしているようには見えなかったよ。あの人達は、どういう扱いなんだろう?」

「…………実は、その辺りの事情は私もあまり把握していないの。私の知る限りでは、都下りは一族追放の刑であったはずなのですが」


 ギョッとする俺に、リーザロットは気遣うように付け加えた。


「ああ、ですが、この戦況ですから。それでなくとも、元々スレーンでは時代の流れに合わせるべきか否かと揉めていたそうですから、鉄の掟といえども、色々と変わってきているのかもしれません」

「はぁ…………。そんなもんかなぁ…………」


 何となく嫌な予感がして、俺は言葉を濁した。


 …………サン・ツイード住まいのサモワールのオーナーや魔術師達はともかく、シスイは帰って大丈夫だったのだろうか?

 俺とフレイアを助けるために、彼がジューダム王と何か重要な約束を交わしていたのを覚えている。

 確か、ジューダムにスレーンの竜を渡すとか何とか…………。


 そんな厳しい掟のある国で、彼は果たして許されるのだろうか?

 酷い刑罰を受けているのでなければいいけれど…………。


 そうこう話すうちに、最初の休憩地点へと辿り着いた。

 鬱蒼とした森の中にポツンと開けた、ちょっとした広場だった。


 雷に打たれたような朽木の傍に、死神が鎮座して待っている。彼は俺達がやって来るのを認めると、颯爽とマントを翻して立ち上がり、宣言した。


「来たか。

 …………姫、勇者をこちらへ連れてきなさい。フレイアは王の一片(ひとひら)と共に、ここへ。

 これよりフレイアを相手に、ジューダム王との戦を想定した修行を行う。…………覚悟せよ」


 フレイアが即座に返事をし、トントンに乗せたままヤガミを連行していく。戸惑い身を固める彼を哀れに思うが、俺もまた例外ではない。

 リーザロットは肩を竦めて振り返り、


「…………ごめんなさいね」


 とだけ言った。


 俺は


「いや、助かる」


 と強がり、胸の内だけで首を振った。


 「休憩」って言葉は、どうも古代語では違う意味らしいなぁ…………。

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