青い果実のマイ・レボリューション
第221話 あの子の瞳に俺がいない。失意の俺が過ごす目まぐるしい日々のこと。
リーザロットから「依代」になってほしいと頼まれ、次いでフレイアにこっぴどく拒絶され、俺は意気消沈の極みにあった。
1日が過ぎ、2日が過ぎ、今日3日目の夕を迎えたにも関わらず、気持ちは一向に晴れない。
あの晩の雨は今もザァザァと、勢力をいや増す台風の如く俺の心をずぶ濡れにしていた。
フレイアは、あれからロクに口もきいてくれなかった。そもそも視線すら合わせてくれないし、この頃は俺の近付く気配を察するだけで、そそくさと部屋の端へ逃げていく始末だ。
護衛の仕事はちゃんとこなしてはいるが、よそよそしいというか、他人行儀というか、もう完全に業務上の距離感で俺の傍にいる。
深く惑わしい紅玉色の瞳も、凛と背筋の伸びた立ち姿も、颯爽と風にたなびく銀の髪も、薄く紅色に染まった白い頬も、相変わらず見惚れるほど美しい。
だが、彼女は前みたいに芯から嬉しそうに笑ったり、ぷんすかと怒ったり、頬をリンゴみたいにしてはにかんだりはしなくなった。
俺でない誰かに話しかけられて時折微笑むことはあるけれど、あくまでもコミュニケーション円滑用のビジネススマイルだ。
変わってしまった彼女に、俺はもうどうしたらいいかわからない。
正直ちょっと面倒くさくもなってきた。
いっそ「もう勝手にしろ!」と、突き放してしまいたい。
人の話をちっとも聞かないで、自分だけで決めつけて、傷ついて、少しは俺の気持ちも考えろよ!
と…………言えないのが、つらい所。
言ったら、本当に離れていってしまいそうだ。
ところで、ヤガミとリーザロットと一緒に回った交渉の協力者探しだが、これはテッサロスタ遠征の時以上に難航した。
というのも、今回はヴェルグの手回しが、すでに相当な範囲に及んでいたからだった。
彼女は今や、サン・ツイード全域の竜の運行を完全に掌握していた。
サモワールのオーナーの話によると(彼には真っ先に協力を頼みに行った)、ヴェルグはなおも規制の拡大に勤しんでおり、じきに竜の個人的な飼育自体が難しくなるとのことだった。
「サンラインの竜達が皆、彼女の竜になってしまう前に、私は竜達をスレーンへ帰すつもりです」
サモワールのオーナーは深刻な表情でそう語った。
かつて袂を分かった故郷に頼るのは忍びないが、他に当ては無いという。
竜の飼育に精通し、なおかつサンラインの統治の及ばない場所となると、そもそも指折り数える程しか無いのだそうだった。
「それこそ…………ほんの百数十年前までは、ジューダムという選択肢もあったのですがね」
オーナーはまじまじとヤガミの顔を覗き込み、肩を竦めた。
「王様のお父様の代から、本格的におかしくなりましてな」
「王様」というのは、ヤガミのことである。彼がジューダム王の肉体だと知ってから、オーナーはおどけてそう呼ぶようになった。
オーナーは腕を組み、溜息と共に語った。
「私の理想とは多少方向性は異なりますが、当時のジューダムの竜はスレーン人の目からしても決して悪くはありませんでした。いや、それどころか…………人竜一体となっての戦を追求した点では、あるいは先を越されていた部分さえ、あるやもしれません」
けれど、先王の代になってジューダムは一変した。
彼らは竜を生物ではなく、一種の兵器だと見做すようになった。
血と魔力が通う彼らの身体を、主の唯一の恵みと尊んでいた民は、こうして新たに見出した力を存分に行使し、ぐんぐんと領土を広げていったのだった。
「今のジューダムの竜は、我々からすれば、とても竜などと呼べた代物ではありません。…………気高き竜の血があれらに流れているとは、哀れで、憎らしくて、考えたくも無いことです。………悦びとは対極にある」
オーナーは大きく鼻息を吐き、首を振った。
シスイもかなり憤慨していたが、やはりジューダムのやり方はスレーン人には許し難いものであるらしい。
肝心の協力の打診については、オーナーは首を縦にも横にも振らなかった。
「私にできることがございましたら、喜んで協力させて頂きます。国が滅んでは、商売も何もあったものではございませんので。
ですが、先にお話いたしました通り、いくらお姫様と王様と「勇者」様のお願いとあっても、竜は差し上げられません。先だっての遠征で、竜達は非常に良い戦を経験させて頂きました。琥珀様のお乗りになられていたギオウは誠に惜しいことでございましたが…………。セイシュウに至っては、オースタンの気脈をも身体に巡らせるという、非っ常~に貴重な経験を経て帰って参りました。本当に、頂戴いたしましたお代を遥かに超える記憶でございました。いやはや…………。
…………ですがね、先のヴェルグ様の規制の件、これはいかに私共といえども、もうお手上げ、どうっっっしようもないことでございます。
ならばせめて差し上げた竜達の治療をとも考えたのですが、彼らが負いました傷と疲労は浅くはございません。あれを決戦までの短期間に治療できる者は、スレーン本土にもまずおりません。頼みの綱のシスイはスレーンに連れ戻されておりますし…………いやいや、大変申し訳ございませんが、竜に関しましては、全くもって、お手上げでございます」
そんなわけで、彼に最も大きな期待を寄せていた俺達は彼の竜を諦めて、別の人物を頼らざるを得なくなった。
ただ、代わりと言ってはなんだが、いくらかのオースタン製品(要は、前にあげたコーラだ)の提供を条件に、サモワールの魔術師を何名か貸してもらえる約束はできた。
彼らがこの国では珍しい、ヴェルグに属さない手練れであることを考えると、まずまずの成果というべきなのかもしれない。
次いで俺達が面会したのは、霊ノ宮の変態宮司・ロドリゴだった。
彼はストーカーまがいの変態ではあるが、サンラインきっての呪術の使い手であり、ツーちゃんやグレンと並んで、リーザロットが最も親しくしている人間の一人でもある。
その彼に協力の約束を取り付けるのは、簡単だった。むしろ、元々手紙で、向こうから願い出ていたそうだった。
「謹んで尽力させていただきます…………」
リーザロットに会うなり、彼はそれはそれは慇懃に礼をした。
俺やヤガミには一切目もくれず、粘着質を少しも隠さない深緑色の沼じみた眼差しで、一心に彼女を見つめていた。
相変わらず目の下の隈が黒々としている。行き倒れの死体もかくやという顔色は、リーザロットの前では早春のゾンビ程度にはマシになる。
明らかに季節外れの瞳と同色のラシャのローブが、青空の晴れ渡る日にはことさらに暑苦しい。
彼はしかし、続けて恐るべきことを口にした。
「ですが、一つ申し上げておかねばならぬことがございます。…………現在、わたくしの下にはヴェルグ様からも再三の協力要請が届いております。これまでのところは様々に理由を付けて躱してはおりますが、いつまでも続けられはしないでしょう。筆頭呪術師として、「太母の護手」の対応をと乞われている以上、強く拒否はできませぬ。
よって誠に遺憾ながら、決戦前には、私はヴェルグ様のお傍に控えることと相成りますかと」
おい、おい、おい、おい。
ヴェルグに呪術のエキスパートとか、冗談にもなっていない組み合わせじゃないか。
そんなものが後ろに控えているだなんて、これは交渉に失敗したら、本当にマジで真剣にただじゃすまないことになる。
リーザロットは「わかりました」と頷き、冷静に受け入れた。半ば予想はしていたのか、それ程思い詰めた様子ではなかった。
こちらの手がヴェルグに筒抜けになる可能性を孕んでいるという話なのだが、リーザロットには宮司を疑う素振りは全く無い。
宮司は、度し難く救い難い真性の変態ではあるのだが、それでも…………否、それが故に、リーザロットへの忠誠は固い。リーザロットもまた、少女時代より自分を支えてきてくれた(俺からすれば、そこにこそ多分に問題が潜んでいるわけなのだが)相手を心より信頼しているようだ。
ここにクラウスがいたらどんな文句を言ったことか。
…………っていうか、アイツって実はこの宮司とよく似ているよな。言ったらブチ切れそうだけど。
ともかくも、宮司は呪術関係の問題について、全面的にサポートすることを無条件で約束してくれた。
そしてさらに凄まじいことには、長旅には使えないものの、エズワース―サン・ツイード間を移動するだけならばと、竜を1頭、また譲ってくれた。
「霊ノ宮の
守子というのは、お墓をさまよう幼い魂のお守り役のことを言うらしい。
この国では裁きの主のことは竜を象って表すのが習いだが、守子は彫像ではなく、生きた形そのままで模したものだそうだ。
「いいんですか? そのような大事な竜を」
興味深そうに話を聞いていたヤガミの質問に、宮司は淡々と答えた。
ちなみに宮司は、まるで元から存在を知っていたかの如く、ヤガミには全く動じなかった。
「というより、もうこうした特別な竜しか自由に動かせません。ヴェルグ様は厳しく国内の竜の出入りを見張っておいでです。ですが守子は、名目上はあくまで主の竜。私が世話をしておりますが、未だ規制の及ぶところではないのです」
「そういうものですか?」
「そういうものでございます」
一拍置いて、ヤガミは問いを付け加えた。
「…………バレたら、貴方はどうなりますか?」
「主への反逆罪で、牢塔に送られるでしょう。主の財産を私的に利用した
「…………人が人を裁くのですか?」
「元老院の裁きは、あくまで主の眼差しの下で行われる仮初のもの。真の断罪は主のみが成せる御業です」
「なるほど」
ヤガミは何を心得たものか、シニカルな笑みを浮かべて黙った。
俺が持っているのと同じ指輪をリーザロットから貰ってからコイツは、今まで以上に好きに喋るわ、黙るわ。
ジューダム王の姿を直接見たことがある人にとっては、見た目のインパクトのみならず、このあけすけな物言いにも驚かされるらしい。
宮司は全く動じないが、後に面会した西方区領主・コンスタンティンと教会総司教は、かなり面食らっていた。
オースタンで何の仕事をしていたのかは、何となく気後れして聞いていないのだが(だって俺、フリーター時々ニートなんだもん…………カウンターが怖いよ)、サモワールのオーナーとの交渉を臆面も無くやってのけていたあたり、普段の有能さが窺えた。
俺の立つ瀬は最早、どこにも無い。
宮司との面会の際には、俺はせいぜい去り際に、こう彼に声をかけられただけだった。
「…………「勇者」殿」
「はい?」
「…………「カメラ」」
完全に忘れていた…………!
そうだった。前に会った時に、超小型カメラを持ってくるよう要求されていたのだった。
やむを得ず承諾してしまった、あの悪しき契約…………。
どうして主はコイツを裁かないんだ?
俺はヤガミとリーザロットにバレないよう、こそこそと平謝りに謝り(でも、そんなものを取りに行く時間も余裕も無かったって!)、次の面会の約束があるからと、とそそくさと逃げ出した。
彼の次に会ったのは、魔術師会長にして魔術学院長・アーノルド。
この人との顛末は、あっさりしていた。
彼はキッパリと、協力を拒否した。
そもそも多忙であること、加えて、すでに魔術師会員、魔術学院の学生達の多くがヴェルグに与しており、いかに己が道を行きたい彼でも動くことはできないというのが理由だった。
もっとも、彼個人としては、紅の主の実家であるツイード家との確執から、ヴェルグ陣営には本当は加担したくない様子ではあった。
彼にはヤガミをお披露目はしなかったのだけれど(会長は疑り深いことで有名で、ヤガミを見ればまず間違いなくスパイだと見做すに違いないという話になった)、最終交渉という手段については、意外にも肯定的だった。
「ヴェルグや商会連合といった似非「賢者」共がこの戦で勢いづき、これ以上権力を持つのは許し難い。何より、この下らん争いで国土が疲弊するのはあまりに馬鹿げておる。
蒼姫様の試みは、正直に申し上げて、無謀そのものだと思われますが、それでも「奉告」には正しくあろうとした貴女の歴史が、どのような形であれ、刻まれるでしょう。…………私は反対しません」
言葉以外には何も得られなかったが、歴史が味方だと言われれば、何となく心強い気分にはなる。歴史は勝者が作るとは言うが、この世界にはアカシックレコードなんてものもあるわけで。
まぁ、気休めでも無いよかマシなのか、どうか。
かくして俺達は忙しなく3日間を過ごした後、一つの鬼門である西方区領主・コンスタンティンとの面会に赴いた。
俺達がサンラインへ戻ってきてから、もう4日が過ぎていた。
フレイアは相変わらずだった。
護衛として一緒の馬車の中にいる彼女は、ずっと窓の外ばかり見ていた。
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