第10章

枝分かれする我がカントリー・ロード

第193話 故郷への帰還。俺が妹と劇的な再会を果たすこと。

 猫の爪のように細い月が昇っていた。

 フレイアが駆るセイシュウに乗って、俺はひんやりとした夜空に飛び出した。

 こんなにも明るい夜は久しぶりだ。

 一目でそれとわかる大都会の明かりが、広大なオースタン…………地球の、日本の…………横浜の夜を、底から煌々と照らしていた。


 赤、

 青、

 緑、

 …………


 一際華麗なあの光の花火は、観覧車のライトアップか。

 一瞬の暗転の後、また鮮やかな大輪が咲き乱れる。

 数え切れない程の数のビルの合間に埋もれた遊園地が撒き散らす懐かしい人工の光と愉快な悲鳴が、胸を一杯にさせた。


 人の気配が物凄い。

 途轍もなく濃い魔力が煮え滾っている。

 膨大で多彩過ぎる魔力の数々は、たちまち俺の感覚をパンクさせた。

 心の中で何かがプツンと弾けて滲んで、意識の視界がみるみるぼやけていく。

 俺は「魔法から解けたみたいに」、この世界に戻ってきたことを実感した。


 時空の扉での移動の後、少しばかり(時に大いに)気分が悪くなるのは常だったが、今回は違っていた。

 眼下に飛び込んできた衝撃の光景が、帰還の感動も、戸惑いも、移動の疲労も、一気に吹き飛ばしてしまった。


 俺達の真下には、公園が広がっていた。街の明かりをチラチラと映す、せわしない海に沿って、緑の豊かに生い茂る遊歩道が見える。

 そこでは明らかに異様な魔力が渦巻いていた。


 ふいによぎった強い血とザラメの味、そしてプラスチックに触れた時のような生ぬるい感触が、けたたましく俺に警告する。

 忘れたくても忘れられない魔力だ。


 魔力の湧く源である公園の一画に、視線が吸い寄せられる。

 見ると、長い二股の尾を美しい弧状に伸ばした三毛猫が宙を舞っていた。

 月と同じ、長く伸びた鋭い爪が白く、眩い。毛羽立ち、ささくれた毛の刺々しさが妖しさをいや増す。


 彼の襲い掛かって行く先には、毒々しい化粧にまみれたメイドがいた。麻の如く乱れたおさげ髪に、血やら泥やらで汚れきったエプロン。片目に嵌まったひび割れたモノクルの奥の紫色の瞳は、ほとんど飛び出していると言えるぐらい大きく見開かれていた。


 そして――――――――…………。



「――――――――…………あーちゃん!?」



 メイド服の女、イリスのすぐ後ろには、俺の妹がいた。目を真っ赤に泣き腫らして、力無く膝を崩している。

 彼女は今まさに、リケの凶爪の餌食となりかけていた!


 俺は咄嗟にフレイアからセイシュウの手綱をひったくった。

 驚いたフレイアが俺の名を叫ぶ間に、俺はセイシュウに呼びかけた。



(――――降りろ!!! 全速力だ!!!)



 セイシュウは直ちに応えた。


 身体に満ち満ちていく、セイシュウの魔力。

 キャンディのように甘ったるい魔力が、俺の全身を羽根みたいに軽くした。

 不思議だ。サンラインにいた時より、力に対する感覚が鮮明になっている。


 翼をたたみ、急降下。

 フレイアが火蛇の1匹を俺から解いて、セイシュウに先んじてイリスの下へ走らせた。


 突如として火蛇にまかれたイリスの耳障りな金切り声が夜空に響き渡る。

 セイシュウはなおも突っ込む。



「うおぉぉぉぉぉ――――――――ッッッ!!! いけぇぇぇぇぇ――――――――ッッッ!!!!!」



 蘇るサモワールの悪夢。リーザロットの顔の痛ましい傷跡。

 俺は苦い記憶を叩き潰すべく、セイシュウと共に全速力でリケへ体当たりをかました。



「ブギィニャアァァァァァアゥゥゥ――――――――――――ッッッ!!!!!!!」



 リケがこの世のものとは思えぬ叫び声を上げて吹っ飛んでいく。小さな身体は見事な放物線を描き、地面にぶつかって激しくもんどり打った。


 安堵したと同時にセイシュウとの同調が切れ、バランスが崩れる。

 すかさずフレイアが手を貸してくれた。


「コウ様! …………一旦着陸しましょう! セイシュウは、ここではあまりに目立ち過ぎます!」

「ああ、サンキュ!」 

「さん…………?」


 首を傾げるフレイアをひとまず置いて、俺はセイシュウから下竜して後ろを振り返った。


 信じられないものを目の当たりにした時、人はこんな顔をするんだなぁ…………としみじみ思う。

 特に目元が、意表を突かれた時のタカシと瓜二つだった。

 俺はこれでもかと目を見張ったまま、子ウサギみたいに震えている哀れな女子高生に、微笑んだ。


「ただいま、あーちゃん」



 あーちゃんこと、俺の可愛い妹・水無瀬朱音ミナセアカネは完全に茫然自失状態だった。

 口をポカンと開けっぱなしにして、一向に何も言わない。俺と同じ焦げ茶色の円らな瞳は、俺と仲間達にひたと釘付けにされていた。


 まぁ、無理もない。

 文字通り、空から降って湧いて出てきた真っ赤なドラゴン。

 燃える蛇を自在に操る、紅玉色の瞳に銀髪の美少女剣士

 そして、恐らくはかなりの長期間行方不明になっていたはずの俺。


 体長18センチの小さなフレイアに驚いていた俺が馬鹿みたいに思えるラインナップだ。しかもあーちゃんはその前に、メイドコスプレ魔女イリス凶悪な猫又リケにも襲われていた。

 というか、何であーちゃんがアイツらに?


 俺は色々と尋ねたいのを堪え、妹に手を差し伸べた。


「驚かせちゃってごめん。とりあえず今は早くこの場を離れよう。アイツらは、マジでヤバイ」


 あーちゃんは縦とも横とも言えない方向に首を振り、おずおずと俺の手を取って立ち上がった。剥き出しの足についた幾つもの擦り傷が痛々しい。


 すぐ近くでは、フレイアが火蛇を操ってイリスを拘束していた。

 イリスは今や2匹の火蛇にキツく締め付けられながら、火炙り状態で喚いていた。


「ムキィィィ――――――――ッッッ!!! ざっけんなです――――――――!!!

 一体どっから現れやがったです、この野暮娘ぇぇぇっ!? またしても邪魔してくれやがったですね、このヤロォォォ!!! ずぅぅぅぅぅ―――――――――、えっっっっっ、たいっっっっっ!!! ラクには殺してやらねーです!!! イリスちゃん史上、最ッッッッッ高にイジめ上げて、苦しめて苦しめて苦しめて苦しめて苦しめて苦しめに苦しめ抜いて、か・な・ら・ず・ブッ殺してやるです―――――――!!! 覚えてやがれですぅぅぅ――――――――!!!」


 フレイアは相手にせず、真顔で淡々と俺に話した。


「ダメです、コウ様。このままでは仕留められません。

 イリスはこの地に強力な魔術基盤を築いているようで、私の技術では彼女の防護障壁を破れません。彼女の出身、アルゼイアはオースタンの裏庭領域。彼女には圧倒的に地の利があります。

 リケも、今は気絶しているようですが…………いつ目覚めるかわかりません。ああして気を失っているふりをして、機を狙っている可能性もございます。

 …………このままイリスの力を弱め、彼女の結界が解けましたら、すぐに逃げましょう」

「ああ。…………でも、セイシュウをどうしよう?」

「竜は生存のために、気脈からの大量の魔力供給を必要とします。適した土地があれば良いのですが…………」


 無茶言うなよ…………。

 そんなの、地球上で意識したことなんてない。

 思いつつ、俺は魔力の流れを探った。


 ガヤガヤとやたらに騒がしい人の気配と、乱雑に行き交う車の騒音が集中の邪魔をする。

 イリスのがなり声が、さらに没入を妨げた。


「あんのクソ猫ぉ…………さっきくたばっちまえば良かったのにです!!! そもそもアイツが余計なことしくさるから…………こんな、こんな、こんな、屈辱的なぁぁぁ…………!!! イリスちゃん人をイジめるのは大大大好きですが、イジめられるのは大ッ大ッ大ッ嫌いなのですぅぅぅ――――――――!!!!

 うぅ、ぅうう、ぅあぁっ!!! うぅあぁあ――――――――っ!!! 熱いっ、熱いぃぃぃ――――――――!!! 肌が乾燥しちゃいうぅぅぅうぅぅぅうう――――――――!!!! テメェ私のボディクリームがいくらするか知ってやがるですかァァァァアアァァ――――――――!?

 チクショー! バカヤロー! アホンダラァァァー! どこへ逃げたって、ぜってー見つけ出してやるから、覚悟してやがれです――――――――!!!」


 クソッ、全然わからない。あまりに手応えが無くて、どうアプローチしていいのか、まるで思いつかない。

 そうこうするうちに、フレイアが言った。


「…………結界が緩みました! 今のうちです!」


 俺はともかくは人のいる場所へ行こうと思い、あーちゃんを連れて駆け出した。少なくとも、この子は安全な場所に移動させなければ。


 すぐ後ろから、セイシュウを引いてフレイアが駆けてくる。イリスは火蛇が残した火になおも炙られながら、何かブツブツと言いながら林の中へと逃げ込んでいった。


 と、遊歩道をひた走る俺達の前に、急に何かが飛び出してきた。


「誰だ!?」


 俺は咄嗟に身構えた。

 しかし、相手はそれ以上に驚愕し、呆気に取られていた。


「…………ッ、コウ…………!?」


 俺は目の前に現れた男の顔を見て、ガツンとハンマーで殴られたかの如き衝撃を受けた。

 同じく驚き、目を丸くしているフレイアが、戸惑いながらも剣の柄に手を掛ける。

 刃へと寄り添う火蛇の魔力がメラメラと燃え上がりかけたその時、あーちゃんが俺達の前へ出た。


「ヤ、ヤガミさん…………!? どうしてここに?」


 飛び出してきた男が、困惑の表情であーちゃんを見る。それから彼はもう一度確かめるように、じっと俺の顔を見つめた。


 男は、見間違いようもなく…………ヤガミ…………ジューダムの王にして、俺の幼馴染の、八神誠ヤガミ・セイであった。

 やや赤みがかった栗色の髪に、灰青色の瞳。

 ただ一つ明らかに違うのは、陰も険も無い素直な面差し。


 ヤガミは訝しみつつも、爽やかな調子で俺に言った。


「コウ、久しぶり。中学以来だよな。…………でも、どうしたんだ? こんな所で。それに、その…………恐竜は…………」


 ヤガミが若干の怯えを眼差しに滲ませてセイシュウを仰ぐ。

 よくできた模型だと思っている、いいや、思いたがっているのが、顔の引きつり具合からよくわかった。彼は、信じ難い程に精巧にできた「恐竜」からおそるおそる目を逸らし、あーちゃんに話しかけた。


「あの、さっき佐藤さんから…………あ、タクシーの運転手の方から、貴女が僕を探しに行ったと電話で伺って、それで探しにきたんです。そしたら公園の方から女の子の悲鳴が聞こえてきて…………もしかしてと思って、急いで来ました。

 …………その、大丈夫ですか?」

「えっ? …………えっと…………」


 あーちゃんが顔を赤くして、もじもじと俯く。


 あーちゃんが何でヤガミを? 

 そもそも、この人は本当に「八神誠」なのだろうか?

 姿形こそそっくりだが、俺の記憶の中のヤガミとはあまりにも雰囲気がかけ離れている。俺の知っているアイツは、悲しいけども、あの冷酷なジューダム王の方が遥かに近い。


「…………」


 俺は不審を抱いたまま、しばらく様子を見守っていた。

 フレイアは俺に従うつもりのようで、おとなしくセイシュウを押さえている。

 ヤガミと同じように騒ぎを聞きつけた人達が、続々と公園に集まってきているのが物音でわかった。イリスの結界が破れたせいだろう。

 いずれにせよ、ここに長居はできない。

 だが…………。


 沈黙の中、ヤガミは再度セイシュウとその隣のフレイアに目をやり、それからすっかり混乱状態のあーちゃんを見て、最後に俺に話しかけた。


「コウ。何はともあれ、ひとまずはここを離れよう。コウ達と、俺を尋ねに来てくれたこのお嬢さんがどんな関係なのかは知らないけれど…………そこの恐竜も、騎士みたいな女性も、あんまり人目には晒さない方が良い気がする。…………違うか?」


 俺は彼の察しの良さと、この事態を受け入れる並外れた胆力に感謝し、頷いた。


「ああ…………。でも、どこへ…………」

「こっちへ。俺の車に押し込む。…………恐竜君が乗るか、わかんないけど…………」


 ヤガミにもう一度仰がれ、セイシュウが長い鼻息を吐く。灰青色の瞳の動揺は推して知るべしだ。


 そして俺達は誘われるがまま、ヤガミについて公園の端にある駐車場へと向かった。途中、誰にも遭遇せずに済んだのは、ただひたすらに運のおかげであっただろう。



 かくして、俺達はそら恐ろしい程の偶然の重なりによって、無事ヤガミの車に乗り込んだ。

 竜が乗る車なんてあるものかと思っていたが、ヤガミの7人乗りの外車のSUVはそれをやってのけた。


 もっとも、後部座席を全部倒して、なおかつフレイアが努力して限界までセイシュウを丸めた上で、俺とフレイアがセイシュウと天井の隙間に埋まるという、本当にギリギリの形ではあったが。


「これって道交法違反だな」


 どこか楽しそうにヤガミが呟き、車を発進させる。

 俺は身動きできずに、ただ彼の言葉を聞いていた。


「早速だけど、コウ。お嬢さんとは、どんな知り合い?」


 あーちゃんが不安げに俺を振り返るのを辛うじて見返しつつ、俺は答えた。


「…………妹だよ。水無瀬朱音。…………覚えてないか?」


 バックミラー越しに見えるヤガミははたと目を瞬かせ、やっとスッキリしたとばかりに明るく言った。


「ああ! アカネちゃんかぁ! ちっともわからなかった! 大きくなったねぇ。言われてみれば、確かにコウに似ている気がするよ」


 能天気な反応に、俺は乾いた笑みを浮かべた。

 当のあーちゃんは相変わらず大混乱の渦中で、受け答えする余裕が無い。


 そんな最中、フレイアは狭い隙間に挟まりながらも、絶えず全方位に警戒を張り巡らせていた。火蛇の姿は今は見えないが、剣の柄に添えられた手が離れることは決して無かった。


 …………そうだった。色んな事が立て続けに起こったせいでつい失念していたが、フレイアにとっては、あらゆることが未知なのだった。

 彼女はセイシュウを挟んで向かいにいる俺に、小声で囁いた。


「コウ様…………この、ウマのいない馬車は…………一体、いかなる技術で動いているのでしょうか? それに、どこからか歌と音楽が聞こえます…………。この中には私達以外いないはずですのに、どなたが歌っているのでしょうか? 音楽隊はどこに?」


 聞き耳を立てていたあーちゃんが怪訝そうに顔を顰める。ヤガミはウィンカーを付け、ひしめき合う流れの中を滑らかに車線変更した。

 隣を走る車の中の子供が、指を差して大騒ぎしているのが横目に見える。親は急に興奮しだした子の額をピシャリとはたき、席に戻らせた。


 俺は乾いた笑みを繰り返し、溜息交じりに返した。


「後で全部説明するよ。…………全部、ね」


 幸先は良好…………なのか?


 留学先で魔法を覚えてきた俺の帰郷の旅は、こうして始まった。

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