母の良き息子

第183話 白い腕の招くもの。俺が「牙の魚」に立ち向かうこと。

 ジューダムの魔術と、太母の護手の呪術。

 俺には専門的なことなんてちっともわからないけれど、少なくとも今、それらを強く結びつけているのは、間違いなく「異国」の孤独であった。


 異国…………つまり、サンライン。

 異世界に沈む悲しみや嘆きは俺をも巻き込んで、留まるところなく広大な嵐を展開していた。この戦いを続ければ続けるだけ、想いは強く濃く、禍々しく渦巻くだろう。


 俺はソラ君を模した半透明な魚の姿で、レヴィの鳴き声を頼りに力場を泳いでいった。ほのかに光っている腹のネオンが、オーロラとなって揺らめく虹色を反射している。

 俺の光に呼応するように、次第にレヴィの声がハッキリとしてきた。


 ――――――――Wo-Oo-Ooo-o-nn…………


 俺の真下では、ジューダムの力場の象徴である白い無数の手足が、獲物を誘うように不気味に蠢いていた。

 扉の気配は常に感じられるのだが、いくつもの魔力の流れが複雑に絡み合っていて、うまく掴めなかった。

 こんな時、俺はどうしたらいいのかわからない。当てずっぽうにどれかを選ぶ以外に、道が見いだせないのがもどかしい。


 程無くして、俺は一際大きな腕…………それは膨大な数の白い手が集まって作り上げられた、ジューダムの魔人の腕であった…………と争って激しく動き回る、巨大な海獣を発見した。

 その背には2本の足で勇ましく立って構える、一人の少女。


 少女の翠玉色の瞳が鋭く輝くや、獣は腕へ思いきりぶつかるようにして彼女を跳ね上げた。

 少女、ナタリーの隕石のような拳が巨人の手の甲を真上から打つ。

 腕を成していた手達が持ちこたえられずバラバラになり、それを大口を開けたレヴィが、一息に飲み込んだ。

 レヴィの背へ着地したナタリーへ掴みかかるように、またすぐに別の魔人の腕が生成される。ナタリーは即座に振り向き、レヴィに怒鳴った。


「蹴散らせ、レヴィ!!!」


 ぐん、とレヴィが急激に身体を捻り、振り切った尾を翻して強烈な一撃を大腕へ食らわせる。

 散り散りになった腕の一つがナタリーの顔へ掴みかかってきたが、彼女は造作も無くそれを片手で掴むと、まるでトマトでも潰すみたいに容易く握り潰した。聞き慣れない罵りの言葉が追って聞こえるも、それを掻き消すようにまた生まれた腕が迫ってくる。


「…………ッ!!!」


 俺は2人のあまりの気迫に息を飲み、彼女達に声を掛けそびれた。

 その間に、ナタリーが俺に気付いた。


「…………! ミナセさん…………っ!」


 ナタリーがやや気まずそうに目を逸らして唇を噛む。俺を忘れていたことへの後悔か、あるいは今の有様を見られていたことへの戸惑いのせいか。いずれにせよ、翠玉色の強靭な輝きは同じだけ熾烈な砂嵐にまみれていた。


 レヴィもまた、異様にサイケデリックなオーラに包まれていた。およそ虹色とは程遠い、狂暴な光の散乱が彼を刺々しく取り巻いている。

 痛々しい彼の呻き声が、闇に轟いた。



 ――――――――Wo-o-o-o-o-o-o-u-nnn…………



 腕達が怯んだのも束の間、新たな魔人の腕が伸びてきて2人を襲った。迎え撃つナタリーが凄まじい気焔を上げて相手をぶちのめすのを、俺は若干引き気味に見つめていた。

 強化術特化型の「無色の魂」。鬼と例えるのすら生温い。洗練されきっていない体術の荒々しさが、一層迫力を増す。


 そんな俺の元へも、ジューダムの腕の一塊が伸びてきた。

 俺はナタリー達が引き千切った細切れの皮膚やら指やらが雨となって降る中を大急ぎで掻い潜り、彼女達の傍に寄った。


「ナタリー、落ち着くんだ! このままじゃいけない! レヴィを怒りに染めちゃダメだ!!」

「うるさい!!!!」


 そう言わんばかりの強い瞳と正拳突きが、俺を追ってきていた無数の腕の塊を叩き潰した。

 ナタリーは青ざめて目を丸くする俺に、怒鳴り声だか泣き声だかつかない調子で叫んだ。


「わかってるよ!!! でも、こうしなきゃやられちゃうよ!!!」


 俺はこくこくと無言で頷き(魚が頷くとは一体…………)、休む暇なく戦い続ける彼女に寄り添って話を続けた。


「ごめん…………。あんまりいつもと雰囲気が違うから、てっきり…………」

「いいの! あんまり見てほしくなかったけど!」


 レヴィの巨体が、大きく伸び上がった腕を力任せにへし折る。ナタリーがレヴィの背を蹴って飛び出し、すぐさま新たな腕へと掛かっていく。

 ナタリーは蠢く指の間を器用に潜り抜け、巨腕の小指と薬指を素早く蹴り落とした。腕激痛が激痛に悶え、白い手の海へ沈む。ナタリーはその時にはすでに、次なる腕へと踊り掛かっていた。


「ミナセさん…………っ、これっ、どうしたら終わると思うっ!? いくらっ、倒してもっ、キリがないっ!!!」


 次々と湧いて出てくる腕の合間を、時にはレヴィの背に飛び移って跳ね回りながら、ナタリーが尋ねてくる。

 俺は全速力で彼女に付いていきつつ、答えた。


「多分、あの太母の護手のリーダーをどうにかしないと、このまま延々と続いていくだけだと思う。奴の力場は異邦人…………太母の護手の信者や、ジューダムの兵士達を介して展開している…………。だから、何とかしてアイツを見つけ出さないと…………」


 ナタリーが跳ね、掛け声と共に2本の大腕を連続して打ちのめす。レヴィはまるで機械のように、降り注ぐジューダム兵の腕片を貪欲に飲み込んでいた。

 腕が散り散りになり、レヴィに飲まれる度、鼓膜の破れそうな苦痛と絶望が俺を震わせる。

 ナタリーはレヴィの背に降り立ち、会話を続けた。


「そしたら、探しに行く?」


 俺は果てしなく広がる力場を眺め回し、首を振った。


「いや…………それらしい扉は見つからない」

「じゃあ、どうしたら!?」


 上空が陰ったのと同時に、ナタリーが拳を振り被る。


「レヴィ!!!」


 彼女の怒鳴り声が大いなる魂獣を上へ加速させる。巨体を包む光はいよいよ猛々しく、最早灼熱の太陽と見紛うばかりだった。

 俺は身体が焼け爛れるのを感じ、唸った。


「うぅっ!!」


 俺は堪らず人の形に戻り、2人から弾き飛ばされた。

 ミサイルのようなナタリーの一撃に被さって、レヴィの渾身の体当たりが巨腕にかまされる。腕は無惨な肉片の雨となり、蠢く白い手足の上へと注いだ。


 舌に走る、ジューダムの魔術が醸し出す酸の痛みと苦み。

 稲妻の紋章が一瞬だけ頭に閃き、すぐに消えた。

 メタリックブルーの鮫の背ビレが意識の片隅をユルリと滑って失せる。

 直後、俺は三重に重なった鋭い白い牙のイメージに戦慄した。


「――――――――ナタリー!!」


 振り返った翠玉色の瞳に映ったものが、俺にも伝わってくる。

 俺のまさに背後で、「牙の魚」が大口を開けていた。


「ミナセさん!!!!!」


 ほとんど金切り声だった。

 俺は咄嗟に小さな魚になろうとしたが、それでも牙の牢獄からは逃れられそうに無かった。



(――――喰われる…………)



 不思議なくらい冷静だった。死の恐怖さえ追いつかない速度で、運命の終わりが近付いてくる。


 異邦人達やジューダム人の悲鳴や苦悶の声が頭の中でこだましていたが、やがてそれも急速に意識の水平線の彼方へ沈んでいった。


 全て悪い夢なのだと、この期に及んで自分を欺こうとしていた。だが、ちゃちな妄想は迫る牙の圧倒的な存在感に呆気無く砕かれる。



 …………牙が、落ちる。



 激しい痛みを覚悟した刹那、横から濁ったエメラルド色の鉄砲水が牙の魚を襲った。


「わっ!?」


 俺は巻き込まれて真っ逆さまになった。慌てふためいて何かに変化するだけの余裕も無い。急流に飲まれて呼吸すらできない。俺は悶えながら、天地無く回り続ける世界で、無数の白い手が狂ったように騒いでいるのをただただ目の当たりにしていた。


(た、助けてくれ――――…………!!!)


 いよいよ限界が近くなってきた時、しなやかながらも逞しい小麦色の腕が俺の襟首をガッシリと掴んだ。

 見れば、レヴィの背に跨ったナタリーが俺を抱き締めている。

 彼女はぎゅうと力強く俺の顔を自分の元へ寄せ、キスをした。


(…………いっ!?)


 爽やかな初夏の風のように、束の間柔らかな感触が脳裏に吹き抜ける。

 ナタリーは俺から離れ、念話で言った。


(頑張って、もう少しだから―――――)


 気付けば少し肺が楽になって、呼吸がしやすくなっていた。

 ナタリーは安堵した風に(だけどちょっと悲しそうに)微笑むと、すぐに後ろを振り返って言った。


「アイツ、まだ追ってきている…………!」


 俺はすぐに彼女の視線を追った。

 牙の魚は鋭い歯を一層凶悪にギラつかせ、猛スピードで俺達を追ってきていた。

 レヴィも全速力で逃げてはいるものの、このままでは間を置かず追い付かれてしまう。


 俺は扉を探すべく、辺りを睨み渡した。

 状況は相変わらずどころか、ますます混沌としていた。様々に流れはあるけれど、ひどく錯綜していて、とても手繰り寄せることができない。


 そうこうする間にも、牙の魚はぐんぐんと近付いてくる。生物だけが持つ洗練された流線形と、無慈悲にそそり立つ背ビレが一目で見る者の背筋を凍てつかせた。

 降り注ぐ虹色の光を浴びて艶めかしく輝く姿が、奇しくも今のレヴィとそっくりだった。


「…………」


 俺は少し悩み、そして、考えついた。

 まだ旅に出たばかりの頃、小さなフレイアと一緒に同じような状況を乗り越えたことがあった。

 あの時はなんてイカれた作戦だと思ったものだが、今、こうして同じ立場に立ってみれば、それは最早唯一の活路であった。


 俺は一息吐き、ギュッとナタリーの手を握って話した。


「ナタリー、落ち着いて聞いてほしい」

「な…………何スか?」


 気恥ずかしげに握られた手を見ながら、彼女が返す。

 俺はさらに握る手を強くし、話した。


「作戦を思いついた。けど、それには君の助けが要る」

「…………何でも言って」

「あの魚に食べられよう。そして太母の護手の指導者に続く扉を探す。アイツとレヴィが似た存在なら、君とレヴィみたいに、アイツと飼い主の間にも必ず深い繋がりがあるはず。…………それを探るためには、アイツの一番柔い部分に触れるのが一番だ」


 そしてソラ君の言葉を信じるなら、レヴィの力こそが真の突破口となる。

 俺は果敢に輝く翠玉色の瞳を見つめ、言い切った。


「…………どうか、俺と来てほしい」


 ナタリーの目と眉がピクリと動く。なんて馬鹿げた作戦だと呆れているのだろう。

 震えながら開きかけた唇は、だが、やがて挑戦的な笑みと共に頼もしい言葉を放った。


「了解。簡単だね。

 …………アナタと一緒なら、尚更」


 強く握り返された手の温かさが、俺をこの上なく勇気づけた。

 俺は牙の魚を睨み据え、ナタリーはレヴィに指示を飛ばした。


「レヴィ!!! 私達を、アイツの腹の中へ!!! ――――全速力!!!」



 ――――――――-Oooo-o-o-o-n…………



 勇壮な鳴き声が返ってくる。

 半ば、ヤケクソにも聞こえた。


 ともかくもレヴィは急旋回して追手の真正面に入ると、全速力で相手へ突進し始めた。

 両者の距離が瞬く間に詰まる。牙の魚の巨大な口が、バックリと開いた。


「――――――――今だ!!!」


 俺とナタリーの掛け声に合わせて、レヴィがうんと身体を振る。

 俺達は(というか、ナタリーが俺を掴んで)勢いに乗って跳躍し、牙の牢獄の中へ躊躇いなく飛び込んだ。

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