第181話 継がれる「勇者」の夢。俺が迎える冒険の最後のこと。
――――――――…………女王の逆鱗には、世界の全てが描き込まれていた。
言葉無きものの、時の檻を知らぬものの自由が、際限無く広がっていた。
私は目も眩む思いで、彼女の力に飛びついた。
何度でも繰り返す「勇者」の宿命と、途切れること無き「竜」との縁。
終わらぬ戦いに身も心も疲れ切っていた。
いずれまた「勇者」が現れ、この戦いを継ぐ。
私はもういい。
眠りたかった。
私の元にはついに、安らぎの灯は訪れなかった。
何もかも忘れ、この因果から解放されたかった。
紅い糸の夢を、微睡のうちだけでも想えたなら、それでもう十分だった…………
…………――――――――。
――――――――…………あの晩、俺は自分が「勇者」だと聞かされて、月にだって手が届くぐらいに浮かれ上がった。
あんなに舞い上がったのは、マジで人生初めてのことだった。
もう二度とは訪れないチャンスだって、一も二も無く異世界の扉へと飛び込んだ。
迎えに来た女の子…………フレイアは、小さくて可愛かった。
深く深く吸い込まれるような、
今から思えば、完全に一目惚れだった。
あの狂おしい程に燃える深紅の、どこまでも一途な瞳が、俺を
そして俺は今まで生きてきた
あの子がヒロインで、俺が主人公。それだけで理由は十分過ぎた。
そんな俺のせいで地球が壊れてしまったと知った時には、もうどんな後悔も手遅れだったが…………。
…………旅に出てからも、色んな事があった。
真っ白な水晶の大地と、落ちてきそうな青空に包まれた竜の国で、黒蛾竜の親子に飛び乗ったり。
まるで誰かの記憶の中みたいなノスタルジックな影の国で、キモいコスプレ女と凶悪な僕ッ子魔女に殺されかけたり。
あの旅の終わりに見た夕焼けが、あまりに鮮烈で、ともすると俺は今もフレイアと一緒に、あの茜の内に佇んでいる気すらする。
…………ようやくサンラインに着いてからだって、戦いの連続だった。
蒼の主こと優雅で気高いリーザロットの館で、死神みたいな骸骨の騎士と出会い、初めて扉の力に目覚めた。
次から次へと怒涛の如く迫りくる魔術に巻き込まれて、俺は文字通り無我夢中だった。
続く痴漢冤罪と(冤罪だ! あれは絶対に冤罪なんだ!)、麗しき
サモワールでの化け猫退治。
助けに来てくれたリーザロットは、本当は俺が彼女を守らなくちゃいけないってのに、とても格好良かったな。
彼女には、本当は俺なんか要らないんじゃないかって真剣に思う。
…………あの化け猫、リケとの激闘の最中で、俺はフレイアから
邪の芽は…………今の俺を見て、どう思っているのだろう。この期に及んでやけに静かなのは、良いことなのか、悪いことなのか。俺がいなければ、アイツはフレイアを手に入れられないはずなのに…………。
…………ああ、そう言えば、
アイツの気配は今や、全く感じられなかった。
俺は糸の切れた凧みたいに闇黒を漂っている。扉の気配を探さなくてはいけないのに、どうしても心が動かない。
俺の魂は石になりつつあった。
立ち込める暗闇に、今にも精神が停止しそう。
(俺の冒険は、ここで終わり…………?)
自問の答えが、虚しく脳裏に響く。
頷いているのは、確かに俺自身。
俺は視界の端を素早く泳いでいく小さな半透明の魚を無感動に見送り、ぼんやりとした気分で冷たい世界へと落ちていった。
…………「ヤガミ」。
すーごくどうでもいいことが最期の頭によぎる。
そう言えば、俺は、いつからアイツのことを苗字で呼んでいたんだっけか? 昔は名前で呼び合っていた気がするんだけど…………。
アイツは、今の俺のことをなんて呼んでたっけ?
つい最近会ったばかりだけど、どうしても思い出せない。
まぁ、今更どうでもいいんだけどさ…………。
…………結局俺は、何も守り切れなかった。
何ともあっけない幕引きだな。
散々色んな人やものを引っ掻き回して、ついに何にもならなかった。
でもまぁ、俺自身としては、色んなものを得た旅だった。偶然手に入れた扉の力のおかげにせよ、心身ともに少しは逞しくなれたし、別れは哀しいけれど、オースタンにいたままだったなら、とても考えられないような出会いにも沢山恵まれた。
それに元々、終わりが美しいとは限らないのはわかっていた。
それでも俺は能天気だから、自分の物語をそれなりのハッピーエンドで締めくくれる。
こんなもんだろ、って結び方には慣れている。そういう
ただ、フレイアだけ…………。
あの子の泣き顔を思うと、どう足掻いても、後味が悪いな…………。
――――――――…………本格的に眠たくなってきた。
このまま何もかも忘れて、この深く濃い漆黒に全部委ねて、もう休んでしまおうか。
それはきっとさぞや気持ちの良いことだろう。
後のことは後のことで、誰かが片付けてくれる。
全てなるようになる…………。
俺はウトウトしながら、先程から辺りを行きつ戻りつチカチカしている小さな光に、チラリと意識を向けた。
半透明の魚が、古い蛍光灯のように危なっかしくチラつきながら、忙しく泳ぎ回っている。
どこかで見た覚えがあるような魚だが…………どこで見たんだっけ?
ああ、もう何にも思い出せない。
次第に頭の中に籠っていた色んなイメージが散り散りになって、霧のように心が霞んでいく。
扉なんて詰る所、どこへ行っても同じ場所に…………この暗闇に繋がっているだけなんだよと、誰にともなく嘯いてみる。
俺は心の目を閉じ、ホッと残った息を吐いた。
どこからか響いてくる男の声が、うわ言のように俺の咽喉を伝って闇に放たれていた。
(…………――――いずれまた「勇者」が現れ、この戦いを継ぐ)
(…………私はもういい)
(…………眠りたかった)
(…………私の元にはついに、安らぎの灯は訪れなかった)
(…………何もかも忘れ、この因果から解放されたかった)
(…………紅い糸の夢を、微睡のうちだけでも想えたなら…………――――)
俺はもう十分だった。
いつしか俺は、自ずから詩を口ずさんでいた。
断崖絶壁の上に立って、ひどく擦り切れた表情で虚空を見上げる男の背中が…………紛れもなく、自分の背中だったが…………ありありと心の水面に映っていた。
(…………――――私は灯の夢を見たい)
(…………――――永遠に安らげぬ定めゆえ、せめて)
(…………――――運命に抗う、業火の夢を…………)
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