第139話 届かぬ思い。俺が暴れ竜に翻弄されること。

 フレイアを振り返ることができない。

 心理的な問題ではなく物理的な問題として、俺は今、前を向くことしかできない。

 今、セイシュウには俺しか乗っていないのだ。

 1ミリだって今の姿勢を崩せば、セイシュウが何をしでかすかわかったものじゃなかった。


 俺は頭を真っ白にしてぶっ飛んでいた。今の俺はまさに隕石である。ひたすらに大気を押し潰して突き進んでいくのみだ。

 今までのセイシュウの優雅さが嘘のようだった。人工衛星だってもっと華麗に飛べるはずだ。俺達は到底生き物とは思えない無機質さで夜空を突き進んでいた。


 残った火蛇の一匹が俺達の周りを囲ってくれていたが、さっきまでのような繋がりはもうすっかり感じられなかった。火蛇が拒絶しているというよりも、俺の方に彼を受け入れる余裕が無かった。


 セイシュウは前方に火雲波の名残が見えてきても、一切速度を緩めず突き進んでいった。


「ちょっ、ちょっと!? このままじゃ、ぶつかる…………!!」


 炎の中へ、頭から突っ込んで行くセイシュウ。火蛇が炎を弾いてくれたおかげで、俺達はどうにか火達磨にならずに済んだ。


 俺は安堵の溜息を吐く。だが緊張で身体が強張った拍子に、無意識に手綱を引いてしまっていた。


「あっ、やべっ…………!!」


 もう遅い。セイシュウが勢いよく上昇旋回に入る。あまりの角度に、ほとんど宙返りしかけた。濁竜に傷付けられたセイシュウの身体から、パッと鮮やかに血飛沫が舞う。火蛇の火の粉と入り乱れて、星空がエキセントリックに彩られた。


 水平姿勢に戻ったセイシュウを、強い追風が押す。俺はせり上がってきた胃液を全力で飲み込んだ。

 セイシュウは機に乗じ、翼を打ち下ろしてさらに速度を上げた。

 俺は加速についていけず、思わず姿勢を崩した。浮き上がった足が戻りしなに強くセイシュウの腹を打つ。


「あっ、違っ…………! 今の、無し…………っ!!」


 しかしセイシュウの耳には入らない。彼は前のめりの姿勢で、正面を横切っていく1頭の濁竜を追いかけ始めた。


「えっ!? げっ! う、嘘だろ―――――…………っ!?」


 横殴りの突風が俺を煽る。セイシュウは見事に身を捌いて、脇目も振らず目を付けた濁竜へと迫っていった。

 俺は這いつくばってセイシュウのたてがみに縋り付き、怒鳴った。


「お、おい!! 何考えてるんだ!? 俺には無理だ!! 引くんだ、セイシュウ!! 逃げるんだ!!」


 セイシュウは一心に濁竜に挑んでいく。

 俺はセイシュウともっと濃い力場を編むべく気力を凝らしたが、どういうわけか、コンクリートの壁に話しかけているような無為な手応えしか返ってこなかった。


 何だ? 何がいけないんだ?


 とにかく、時間がない。


「クソッ!! それなら…………っ」


 俺は火蛇へ視線をぶつけ、声を張った。


「頼む! もう一度、助けてくれ!!」


 俺は努めて心を静め、黙って火蛇を見つめる。

 だが何も起こらない。

 火蛇は機械的にベールを張っているばかりだった。


「――――ッ!! 何で!? 何でだよ!?」


 やはりニートだからか。

 タカシの嘆きが脳裏に零れ落ちる。俺は「ニート関係ねぇだろ!!」と己に悪態づき、前方を睨んだ。


 濁竜は早くも、向かう先を変えていた。どうやら仲間が多く集まっている方へ俺達を誘導したいらしい。ツーちゃんやグラーゼイの戦っている辺りへ向かっている。

 俺は固唾を飲んで成り行きを見守った。こうなったら、ひとまずはセイシュウと火蛇の判断に全てを委ね、タイミングを見計らって味方に協力を求めよう。


 また火雲波や氷雲波が来たらと思うと心許無いが、他に方法が無い。

 俺は額に湧く冷や汗を拭い、寒さやら恐怖やらでガチガチと喧しく鳴り続ける歯を無理矢理に抑え込んだ。胃が絶えず痙攣している。耐え切れず、一度吐いた。


 濁竜が逃げ、セイシュウが追っていく。2頭はぐわんぐわんともつれ合い、時に姿勢を真っ逆さまに引っ繰り返す。俺は舌を噛まないよう、歯を食いしばり続けた。

 やがて硫黄の魔力がうんと強まった。

 俺は再び急激に込み上げてきた嘔気に耐え、辺りに目を配った。


「――――ッ…………!!」


 そして俺は、己の見込みが絶望的に甘かったことを思い知った。


 いつの間にか、俺達を囲って多数の濁竜が飛び交っていた。

 一体いつから集結していたのだろう。彼らは一定の距離を保って、上下左右から満遍なく、抜かりない視線を俺達へ注いでいた。彼らの編んでいる強烈な力場の圧力が、俺の心臓を重く圧迫する。

 脳が縮み上がって、マジで何も考えられなくなった。


 濁竜の甲高い鳴き声が一斉に響く。彼らは翼を打ち、一時に俺達を狙ってきた。いくら火蛇がいても、この数は捌ききれない。


 色んな気配がぐちゃぐちゃに混じり合い、口の中がカラカラに干上がる。

 気持ち悪い。

 息が止まる。


 誰か。


 誰か。


 神様。


 …………カミサマ?




(――――――――……………………)




 だが最期の涙目に映ったのは、裁きの主でも、俺とセイシュウの引き裂かれた肉片でも無かった。

 滲む視界を、一筋の青白い光が裂いた。


 真一文字に走った閃光は次いで幾度もきらめき、群がっていた濁竜を次々と斬り伏せた。

 濁竜達の口や翼から夥しい量の血が噴き上がる。血飛沫の中を一つの影が舞う。

 かろうじて生き延びた濁竜が慌てて逃げていこうとするも、その竜もまた一拍遅れて死神の影に捕らわれ、首から大量の血を迸らせて絶命した。


 影はそのまま、濁竜の背から素早く飛び出す。

 と同時に、俺達の上空がフワリと陰った。


「なっ、なな何だ!?」


 ようやく我に返った俺が叫ぶ。

 俺達の上へ飛来してきた竜影――――暗い藍色の鱗に覆われた、逞しい竜だった――――は、ゆったりと俺達の高さまで滑り降りてくると、2頭の翼が重ならない丁度良い距離で並んだ。

 俺は竜の乗り手達を見て、歓喜した。


「ナタリー!! タリスカ!! 無事だったんだ!!」


 セイシュウに伴走する竜は、藍佳竜であった。

 タリスカはその背に堂々と立ち、濁竜の血にまみれた曲刀を慣れた手つきで拭っていた。漆黒のマントに包まれた巨躯がいつにも増して厳めしく見える。

 手綱を握っていたナタリーが、興奮した調子で俺に話した。


「ミナセさん! それ、こっちのセリフ!

 っていうか、どうしてミナセさんが操竜しているの? フレイアさんは?」


 俺は急いで嬉し涙を拭き、返事した。


「あっちで戦っている! あの子、独りで濁竜に斬りかかっていっちゃったんだ! 急がなきゃ! でも、戻る手段が無いんだ!」

「問題無い」


 タリスカが重々しく言葉を挟む。

 彼は虚ろな眼窩で前を見据えたまま、淡々と続けた。


「フレイアは我が生涯最高の弟子。如何なる暗中にても必ずや活路を見出す。

 …………それよりも、勇者よ。己が身を案ぜよ。操竜は力のみにても、心のみにても成らぬ。ましてや戦闘に加わろうなど、ゆめ思うな」

「で、でも、さっきのはコイツが勝手に動いて…………」

「水先人の娘よ」


 彼は俺の言い訳をバッサリ斬り捨て、ナタリーを呼んだ。ナタリーは口を尖らせながらも、すぐに応じた。


「何スか? …………もしかしてついに免許皆伝?」

「仮免状だ。勇者の緋王竜に乗り移れ。藍佳竜と要領は変わらぬ。戦闘は私が補佐する」

「わかった。手綱は? 今、渡していいっスか?」

「寄越せ」

「ハーネスは?」

「不要だ」


 ナタリーはタリスカに手綱を預けると、一つ一つ確認しながら丁寧にハーネスを解いていった。まだ覚束ない手つきではあるものの、その翠玉色の瞳はこの上なく生き生きとしている。若々しい気力が、所作に端々に見て取れた。

 彼女は全てを外し終えると、恐々と竜の背に足を乗せて立ち上がった。


「…………」


 緊張した面持ちで俺を見つめる彼女の頬は、紅潮している。

 タリスカは彼女が飛び移りやすいよう、少しずつ藍佳竜をセイシュウに近付けていった。


 俺は、間違ってもセイシュウが暴れ出さないよう身を固めていた。頭を空っぽにして、完全にセイシュウが飛ぶのに任せきっている。

 やがてタリスカが小声で呟いた。


「行け」


 合図と共に、ナタリーが軽やかに竜の背を蹴る。

 長く茶色い彼女の髪が美しく宙に広がって、彼女は無事に俺の後ろへ着地した。

 ナタリーは俺の肩に手をかけ、ヒマワリのような明るい笑顔を咲かせた。


「ああ、緊張した!! よろしくね、ミナセさん!!

 …………さぁ、早く手綱を頂戴!!」


 俺は言われた通りに手綱を渡し、恐らくは彼女本人よりも遥かに深く安堵した。

 フレイアの付けていたハーネスがあるからと、俺が後ろに付こうとすると、彼女は元気に首を振って答えた。


「私もハーネスは要らない。ほら、私って魔術得意じゃないから。万が一の時には、さっきのタリスカさんみたいに身軽に動ける方が良いし! ね、いいでしょう?」


 ナタリーの呼びかけに、タリスカは深々と頷いた。


「良かろう。されど油断は禁物だ」

「わかった、ありがとう」

「話は終いだ。…………来る」


 ナタリーの男前な横顔を火蛇が赤く照らす。

 5、6頭の濁竜が何かを追い立てながら、こちらへ向かってきていた。

 目を凝らせば、彼らから必死に逃げ回っている1頭の緋王竜の姿が見えてくる。


 …………ツーちゃんだ。


「――――――――急ごう!! ツーちゃんさんが危ない!!」


 ナタリーがスルリと向かい風を捉え、景気良くセイシュウを舞い上がらせた。

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