【幕間の物語③ とある魔術師たちの噂話】


 窓一つない暗い地下室に、短い蝋燭が一本だけ灯っている。

 時折冷たい隙間風が吹き抜け、炎とそれに映し出された影を危なっかしく揺らす。

 人影は全部で5つ。いずれもフードを目深にかぶった魔術師達のものである。

 魔術師達はしきりに何か話し合っているが、声が小さ過ぎて内容は聞き取れない。だがその語り口から、彼らがまだ血気盛んな年頃であることが窺える。

 そこへ四つ足の獣の巨大な影がじっとりと忍び寄ってくる。

 魔術師達の内の一人がハッとして気付き、会話を止める。



魔術師の男1 「リケ様! いつからそこに? …………申し訳ありません。すぐに作業に戻ります」



 リケと呼ばれた獣はゆらりと長い尾を立て(その尾は根元から二股に分かれていた)、無機質と言うにはあまりに物腰柔らかな調子で答える。



獣 「言い訳は要りません。急いでいるのはヴェルグさん。リケじゃない。

 あと、悪口だって別にいくら言っても構いません。誰でもムシャクシャする時はある。時には、息抜きも必要」


魔術師の男1 「…………か、陰口など、とんでもない…………」



 釈明しようとする男の脇腹を、隣の女が小突く。

 女はフードの下から男をきつく睨み付け、それ以上は口を利かぬよう注意する。

 それから女は余裕たっぷりを装った、わざとらしい仕草で話を継ぐ。



魔術師の女 「リケ様。それはそうとしまして、実は一つだけ貴方様にお伺いしたいことがあったのですが…………今、お時間はございますか?」



 魔術師達の視線が女に集まる。

 獣の影は炎に同調して、少しだけ頷いたように揺らぐ。

 女は恭しく獣の前に歩み寄ると、朗々と話し始める。



魔術師の女 「先日、蒼姫様のお館にオースタンから「勇者」様が到着されたと伺いました。密偵からの報告によりますと、「勇者」様は肉体的にも霊体的にも大きな問題無く、大層ご達者なご様子だそうで…………」


獣 「回りくどいお話、嫌いです。早く本題に入りなさい」


魔術師の女 「あら、ごめんなさい。私ったらつい。ホホ。

 それで、私共がお尋ねしたいのは、その「勇者」様をヴェルグツァートハトー様が直接お出迎えなさったという、例のお噂についてなのです」


獣 「…………ヴェルグさんが「勇者」さんを捕らえ損ねた…………という噂?」


魔術師の女 「はい。…………ああ、いえ、もちろん私共が直接にそう思っているわけではございません。滅相もないことですわ。ただ、私共は何かしらご事情があってのことと思い、事の次第を是非お伺いしたくなったまでなのですわ。

 一体、ヴェルグ様程のお力の持ち主が、どうして「勇者」様を見過されたりなどしたのでしょうか?」


獣「知らニャイ。けれど、どうせあの「一番弟子」のせいナ。

 それに、「勇者」さんが何者であるにせよ、あの場にはあの琥珀さんもいた。お前達がどうこう言うレベルのお話ではありません」


魔術師の女 「琥珀様が? しかし、あのお方は今は元老院の決定で、塔に封じられていらっしゃるはず。とりわけご高名な魔導師様への特別措置として、限定的魔術行使権と、最小霊体顕現権はお持ちのはずですが、本格的な戦闘行為など不可能なはず。それを考慮なさってもなお、あの方がヴェルグ様が苦戦なさったと仰るのですか?」


獣 「…………そんなに気になるなら、自分で戦ってみればいい」


魔術師の男1 「けれど、リケ様。私もその点には全く納得がいきません。塔の結界を越えての戦闘行為…………それも、異世界における戦闘など聞いたこともありません。あの塔は時間的・空間的に完全に遮断されており、魔力の多寡に関わらず気脈との接続可能時間はゼロです。それを…………」


獣 「ニャイ、つまらないお話、そこまで。

 魔「術」師と魔「導」師の違いは、まさにそこナ。魔術師は、二言目には「聞いたことがない」。「あり得ない」。「本に書いてない」。いつも自分の檻を頑丈にすることばっかり考えているから、そうなる。

 臆病は良くないクセ。早いうちに治すべき。本当はまだ子供のうちに、克服してるべき」


魔術師の男2 「…………。では、どのようにして琥珀様はヴェルグ様を退けなさったと? 寡聞な私達にも理解できるよう、どうかご教授願いたい」


獣 「ナー、面倒くさいなぁ…………」


魔術師の男3 「…………本当は、やはり、「勇者」様に力及ばず、魔術を破られたのではないのですか?」



 仲間の唐突な、直接的な発言に、魔術師達が一斉に頬を引き攣らせる。

 獣はおもむろに四肢を伸ばして欠伸をし、そのまま座り込む。

 蝋燭は相変わらず、心許無く燃えている。

 魔術師達は固唾を飲んで獣を見守っている。

 獣はしばらく間を置いた後、億劫そうに呟く。



獣 「…………「勇者」さんがどういう人なのか、そんなに気になるなら探偵ごっこは止めて、戦ってみればいい。

 できないのは、臆病だから…………?」


魔術師の男2 「リケ様! もういい加減、聞き捨てなりません!

 …………もうここまで言った以上、この際なので全てぶちまけてしまいますが、私達はこれまで少なからぬ犠牲をヴェルグ様のために払って参りました。己が身や財産は元より、父母や兄弟、姉妹までも捧げた者だっております。それも全ては、強きサンラインのために。輝かしき未来の礎となるために。臆病などとは誰にも言わせぬ、確固たる覚悟あってのことです。

 それが…………ここへ来て「勇者」などという得体の知れない伝承によって踏みにじられるというのは、非常に耐え難い、我々にとっては天変地異の如き一大事なのです! ヴェルグ様の比類無きお力こそを、私達はこの弛みきった国の唯一の希望と信じてきました! そのヴェルグ様が…………これだけ噂の広まったこの期に及んで、何の弁明もなさらない! これでは不安が募るのも当然なのです!」


獣 「だから、さっきの悪口大会…………?」



 魔術師達が身体を強張らせる。

 獣は微かに首を傾け、魔術師達を見渡す。

 圧力に耐え兼ねた魔術師達が、早口で話し出す。



魔術師の男3 「わ、私は、本当はまだヴェルグ様を信じていたいのです! あの方の紡ぐ繊細かつシンプルな、洗練された魔術も、広大で肥沃な教養から導き出される、伝統と革新の見事に融合した一連の「太母」にまつわる理論群も、依然私の心を強く捉えて放しません。

 ですが…………ですが! このまま何も仰ってくださらないままでは、今後私は何を指針とすれば良いのかわかりません! 今まであの方を信じてきた私は、あのお方のご威光が失われてしまったなら、一体どうすればいいのです? あの方無き私は、一体どこへ向かえばいいのです? これでは…………これではほとんど裏切りだ!」


魔術師の男4 「わ、わた…………私は、かつて教会騎士団に身を置いていたので、ジューダムの手強さは身に染みて知っています!

 ジューダムの魔術には欠片も容赦が無い。ジューダムの魔術師共の考え方は、根本的にサンラインの魔術師のそれとは異なっている! 奴らは血統の存続のため、「主」と、「王」のために、文字通り存在の全てを捧げます。個々人の力場や、小規模な共力場の連帯を主体とするサンラインの伝統的な魔術では、到底あれには太刀打ちできない! だ、だだだからこそ、私達はヴェルグ様の知識や、人並みならぬ決断力に託したのです!

 それが、「勇者」にも敵わないのであれば…………わ、わわわ私達は、この先…………!」



 獣が前脚に顎を乗せる。

 暗闇に彼の黄色い目が二つ、不気味に輝いている。

 獣は優雅に一言、こぼした。



獣 「…………それで?」


魔術師の女 「それで…………とは?」


獣 「それで、おバカさん達は結局、どうしたいのですか? リケに一緒に「困ったニャア~」ってしてほしいの? それとも、ヴェルグさんに今のグチグチを代わりに言ってきてほしいの?」


魔術師の女 「いっ、いえ、いえ、いいえ! 私はあくまで…………ヴェルグ様と「勇者」様の間に何があったのか、それが知りたいだけなのです! この口さがない連中は何か妙なことを口走っていますが、少なくとも私には、あの方に不満などあるはずもなく…………」


獣 「嘘ナ。さっきの悪口大会でのお前のお話、全部聞こえていた。

 人間は嘘ばかり吐きたがる癖に、とっても下手くそ。ちっとも向いていない。いつも、どこでも。

 …………お前があの計画のお話を蒼の館に持っていこうと他の人に持ち掛けていたの、リケはちゃんと聞いていましたよ」


魔術師の女 「でっ、ですが、それは会話の流れというか、言葉の綾というもので、その…………決して本心では…………」



 獣がふいに立ち上がって、女の影を柔らかく踏みつけにする。

 「ギャッ」と短い悲鳴が地下室に響く。

 血飛沫が壁に吹きつけられ、どよめきが炎を大きく揺らす。

 獣は最も竦み上がっている魔術師の男1の鼻面に顔を突きつけ、白く鋭い牙を見せて言う。



獣 「もう飽きた。リケはもう行く。この女の死体、イリスさんに見つかっちゃう前にきちんと始末しておくように。でないとアイツの変なお人形がまた増えて、とても不愉快。 …………わかりましたか?」


魔術師の男1 「は、はい。……………あの、ヴェルグ様には、このこと…………」


獣 「ヴェルグさんは何でも知っている。リケがお話するまでもニャイ。

 …………お前達がヴェルグさんの下を去るのは、自由。でも臆病者にはお勧めしない。臆病者はリケに勝てない。

 それでは、ごきげんよう、ごきげんよう…………」



 獣が悠々と死体を乗り越え、静やかに歩み去る。

 残された蝋燭があえかな命をかろうじて燃している。

 魔術師達が凍えた羊のように寄り添い合い、女をこそこそと運び始める。



 蝋燭が消え、暗転。



 やがて暗闇に、爛々と輝く黄色い瞳が浮かび上がる。

 獣の独り言が闇にこだまする。



獣 「無意味で退屈。良い暇潰し。

 さて、次はどこへ行こうかニャ…………?

 「勇者」…………?」

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