第99話 風と砂の物語。俺が初めて紡ぎ手となること。

 ――――…………そこは想いの揺れる場所だった。


 「思慕」と「救い」が、お互いの色に染まるギリギリのところで激しくせめぎ合っていた。強い想いのわだかまりが、同じぬかるみに溶けていく真っ只中を、俺は飛んでいる。いや、巻き上げられている。


 翼の下から間断無く突き上げてくる流れに、俺はたまらず紙飛行機を解いた。もう一度、何も装わない生身の俺の姿で目を凝らしてみる。

 俺の視野は今や自在に広がっていく。まるで力場全体が自分の身体になったみたいに、敏感に変化が伝わってきた。


 風となったフゥテルバが好き好きに暴れ回っていた。本当にアイツら自身が風なのか、俺にはどうにも疑わしい。少なくとも俺の記憶から引きずり出されたという彼らは、何か別の大きな力に乗っかって楽しんでいるように見えた。


 俺は辺りを探り、フゥテルバ達が一際密に集まっている場所を見つけた。心なしか、そちらの方から熱っぽい気配を感じる。

 俺は意識をその方へ向け、近付けていった。さらに集中すると、熱の正体が明らかになってきた。

 俺は声の主に告げた。


「――――炎だ!!」


 炎は俺の下方で、煌々と燃え盛っていた。ムラムラと湧き起こるその熱気の先に、さらに扉がある。フゥテルバたちは炎に夢中になって、その扉の周りを行きつ戻りつして遊んでいた。


 やや暗い影のある、不気味な色をした炎は、一体何を燃やして作られているのか。どうせまたロクでもないものに違いない。踊り狂う無数の妖精たちは、そんなことはお構いなしとばかりに、ぶつかり合う想いをさらに激しく、荒々しく煽っていた。

 詠唱は相変わらず滔々と続いている。声の主はふと唱え止めると、俺に返答をよこした。


「でかした! 次は、痕跡線を辿る!」


 熱に浮かされたフゥテルバが、ぐわんぐわんと螺旋状に巻きながら扉へと昇っていく。扉の先を見ると、いつの間にか、空間を裂いて見開かれた巨大な目が出現していた。

 俺が思わずのけぞると、声は強い調子で言った。


「怯えるな! あれは…………「裁きの主」。我らに裁かれる謂れは無い。堂々としておれば良い。

 …………それよりコウ! 今から痕跡線の掴み方を指導してやる。私の言うことを繰り返して、手順を頭に叩き込め!」

「ええっ、この瀬戸際で!? マジ!?」

「馬鹿が! 学びは常に命懸けだ!」


 声は文句を挟む隙も無く、新たな詠唱を始めた。



 ――――…………歌うように詠唱が紡がれていく。


 俺はボソボソと、聞こえてくる言葉を繰り返していた。何を言っているのかサッパリだが、かろうじて音程は取れているだろうか。何だか、カラオケで知らない洋楽に無理矢理調子を合わせているような、ちぐはくな心許無さがあった。


 詠唱の唱え方は人によって全然違う。それは単に使いたい魔法が違うからなのか、それとも人によって個性が出るからなのか。振り回される方としては結構混乱する。


 呪文を唱えたら魔法が発動し、不思議なことが起こる。すると目の前にあったはずの世界がいとも簡単に溶け、俺は誰かの創った夢の中へポイと放り込まれることになる。もうすっかり慣れてしまった流れだが、まさかここへ来て、自分が創る側に回されるとは思いも寄らなかった。

 本当にできるのかな…………。


(できる!! だが、まだ早いぞ!)

(はい!?)


 詠唱しながら、同時に頭に声が響いてきた。混乱するから、マジで止めていただきたかったが、声は無遠慮に話し続けた。


(痕跡線の確保は、魔術の修行における初歩中の初歩だ。サンライン人ならば十二歳までに粗方の手法を身に着ける。貴様にも十分に可能だ!

 これをよく理解し、数をこなすことで、ようやく力場構築への第一段階に入る。貴様はまだ力場を創るには早い。自惚れるでないぞ!)

(…………)


 勝手に人の心を読んでおいて、何て口うるさいんだ。自信をつけさせたいのか、無くしたいのか、よくわからないし。

 俺は黙って詠唱を続けた。

 大きな目が、じっと色味の無い視線を俺の上に注いでいた。俺の詠唱はその威圧的な眼差しの下で、不器用に連なっていく。ナタリーやリーザロットの詠唱のイメージがまだ記憶に新しいおかげで、少しずつリズムに乗って唱えるということには慣れてきた。彼女達みたいに美しくはないだろうが、真似ることぐらいは出来そうだ。



 ――――…………音は砂時計のように柔らかく流れ、空間を砂絵みたいに飾っていった。


 白い砂が目の前にサァッと散らばって、巨大な絵を描き始めていくようだ。目を丸くする暇もなく、砂はあっという間に一匹の竜の姿になる。


「――――…………」


 俺は見惚れて息を飲んだ。きめ細かな線が竜の鱗の一片一片を美しく、血が通ったものに描き出している。雄々しくも滑らかな造形で広げられた翼は、俺の耳に懐かしい羽音を思い起こさせた。竜の国の空の冷たさが、俺の全身を震わせる。

 それは紛れもなく、黒蛾竜であった。


(コラ、詠唱を止めるでない!)


 叱られて俺は、大慌てで詠唱を追いかけ出した。俺の動揺を映してか、折角の凛々しい鱗が数枚、サラサラと砂に戻ってしまう。俺は再び詠唱に集中しつつ、絵を眺めた。

 ワイバーン型の、上肢と一体となった広い翼。艶めくような鱗。ミステリアスな摺りガラスの瞳。正四角形の逆鱗。長い尾。まさに俺の記憶の通りの姿である。どうしてこんなものがいきなり現れたのだろう。


 詠唱は少し調子を変え、一転して妙に抑揚のない唱え方に変わった。一瞬、俺は聞き難くなって戸惑ったが、その直後にはなぜか、詠唱される言葉の意味が取れるようになっていた。まるで「瞳の詩」の音声版だ。竜の国の景色が、見たことも無いはずの景色が、頭に次々と映り込んでくる…………。



 ――――竜の国。白い大地と、クリスタルの草原。吸い込まれるような、灰色の大きな雲を湧き上がらせた空。

 ――――雨が降っている。

 ――――曇り空さえ美しい。

 ――――梅雨に似て、少し蒸し暑い。俺が訪れた時には存在しなかった、大きな川が流れている。

 ――――トルコ石みたいに青い葉をつけた樹に、小さな白い花がたくさん咲いていた。

 ――――キンモクセイを思わせる良い香りが漂ってくる。その甘い帳の内で、フゥテルバ達が気持ち良さそうに微睡んでいた。

 ――――霧に霞む、無数の竜の巣。

 ――――「時空の扉」が、そこら中に、まるで異邦人を歓迎するように開いていた。


 俺が唖然として何一つ喋れずにいると、すぐさま叱咤の声が飛んできた。


(どうした、早く続けて唱えんか! 何をぼうっとしている!?)

(えっ!? で、でも…………これ、どうしたら?)

(間抜けめ。なぞればいいだけだろう!)

(なぞる?)

(貴様の言葉で、同じものを紡げということだ!)

(そんな! 無茶振りが過ぎるよ!)

(別に、言葉の美醜など問わん。リリシスよりマシなら結構だ。とにかく、つべこべ言わずにやれ!)

 

 「そんな」とこぼす俺を無視し、彼女の詠唱と景色は次々と繋がっていった。


 ――――ゆるゆると流れる大河を、フゥテルバと共に遡っていく。

 ――――雨は冷たく、じんわりと大地に沁み通り、細かな地下水脈を国中に張り巡らせる。

 ――――やがて竜の巣に辿り着く水路。

 ――――巣に注ぐ雨は巣の中を網目状に走る水道を通り、川へと流れ込む。

 ――――…………巣には数組の竜の親子が住んでいた。

 ――――若き竜の翼に、水道から滴り落ちた雫が伝う。

 ――――竜の女王は巣の最奥で眠っている。

 ――――その深い瞑想の内から、誰かが呼びかけてきている。

 ――――白い手。

 ――――柔らかな、低い声…………。


「ああ、もう! どうなっても知らないからな!?」


 俺は半ばやけっぱちになって叫んだ。自作の呪文を詠唱するなんて、中学生の時にだってやらなかったのに。というか、一行だって作れやしなかったっていうのに。


「ええと…………」


 俺は一度大きく深呼吸し、手探りで言葉を並べた。


「――――…………初夏、竜の国、雨」


 俺の詠唱に反応して、砂絵が微かに崩れた。いや、新たな絵が描かれ始めたようだ。砂はゆっくりと移動しながら、竜の姿勢を変えつつある。黒蛾竜が大きな翼と首を、もたげようとしていた。


「――――時空の、交差点。

 ――――大地に川、流れ。

 ――――竜の巣に雨が、走る。

 ――――…………」


 えっと…………。

 景色は頭に浮かんでいても、何から言葉にしていいのかわからなくなってしまう。

 困っているうちに、声が淡々と支援してくれた。


(浄青樹は花をつけ、妖精はその傍らで微睡む)


「――――青い樹に、白い花が咲く。

 ――――フゥテルバたちの微睡み」


(…………若き翼に滴る雫は、祝福の証。女王の叡智は瞑想の果てに、いよいよ潤う)


「――――…………若き翼に伝う、雫。

 ――――女王の眠りは、深く、濃く…………」


(その暗闇の奥、禁じられた扉より、「母」来る…………)


 禁じられた扉? 「母」?

 

 よくわからなかったが、俺は瞬間的に、自分が見た白い手と声のことを紡いだ。


「――――眠りの底から、白い手と柔らかい声が誘う…………」



 ――――…………ついに、竜が翼を広げた。竜は堂々たる体躯をぐんと伸び上がらすと、砂をバラバラと炎の上に降り落した。フゥテルバたちが興奮し、周囲に勢い良く渦を巻く。「想い」が彼らの創り出した風に乗って、竜を中心に激しく旋回しだした。


 上空に開いた「裁きの主」の目は相変わらず、重たい視線を投げかけている。

 俺は砂で出来た竜の瞳を見た。竜は上空の目を一瞥し、眼光を鋭くした。


「コウ、よくやった! かなり上出来だぞ」


 満足そうな声が聞こえてきた。


「こんなにくっきりと痕跡線が取れることは滅多に無い! 非常に良い! …………私の指導が良かったからな。上々だ。やはり百聞は一見に如かず。実際に訪れたことがあると違うな!」


 俺は声を聞き流しつつ、目の前の竜に圧倒されていた。これが単なる自分の想像の産物だとは到底思えず、魔法なんて所詮、全部妄想なんだと心の隅っこにくすぶっていた気持ちが、ものの見事に吹っ飛んでしまった。


 何も考えず、ただ「なぞった」だけなのに、何だかとても誇らしい気持ちになった。初めて何かを自分で作り出せた。そんな気がして、思わず涙ぐみそうになった。


 黒蛾竜は翼を強く打ちおろすと、フゥテルバを大量に巻き上げて飛び立った。俺は強風によろけながらも、その姿を目で追った。竜は上空でぐんと身を翻すと、瞬く間に「裁きの主」を横切り、遠くへ飛び去って行った。


「さぁ、ボサッとしている暇はないぞ! 追いかけるのだ!」


 声が威勢良く俺を呼びかけた。

 「どうやって」と俺が口を開きかけたその直後、俺の意識はすでに竜を追って高速で打ち出されていた。


「うっ、うわぁぁあ――――っっっ!!! 速い!!!」

「うるさい! さっきまであんなに場に馴染んでおった癖に! 貴様の肉体はここにはない! 故に速いも遅いもない! いつになったら、霊体に慣れるのだ!」

「慣れるか、馬鹿!!!」

「馬鹿だと!?」

「馬鹿だよ!!」


 怒鳴り返しながら俺は、紙飛行機どころか、ロケットになった気分だった。「想い」の雲が左右を矢のように流れていく。

 竜の背中がぐんぐんと近づいてくる。ブレていた焦点が徐々に合い始める。フゥテルバがビシバシと俺の頬に当たっては跳ね、たまに首筋に引っかかった。

 あわや竜の背中に衝突するかと思った寸前、竜は砂となって一気に砕け散った。


「!! ふぇぇっ!?」


 俺は自分でも信じられないぐらい間抜けな声が出た。舞い散った純白の砂がもろに降りかかってきて、目に入った。


「あっ、痛っ! 目に!」


 目を擦る俺を、声はもう怒鳴らなかった。


「…………いたぞ!」


 掛け声に応じて、俺は涙ぐんだ目を開けた。認めたその先には、琥珀色の瞳をシニカルに細めた、赤いワンピースの少女が立っていた。

 見た目は紛れもなくツーちゃんだが、その表情は邪悪に歪んで、頬は蝋人形のように冷たい色をしていた。


 彼女は…………ヴェルグは、俺を見るなり不愉快そうに眉を顰めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る